第四十三話:美しき商都は永遠に

 スーデリオン砦陥落の報を耳にしたアルズベックは、喜ぶとも疑うともつかない奇妙な感情に心を乱された。

 順当な勝利である。帝国の物量は、常に他国を圧倒する。機兵の質も、利用する魔術の質も極めて高い。たとえエネスレイクが永く戦争から離れ、その間に力を蓄えていたとしても、帝国が敗れることはまずないとアルズベックは確信していたのだ。

 しかし、懸念があるのも確かだ。戦争の類には縁遠いはずのエネスレイクにおいてなお謀臣として名高いエイジ・エント・グランニールの存在。その名声を完全に無視できるほどアルズベックはエネスレイクを過小評価していない。

 一方で、配下たちはおおむね楽観的だ。エイジ・エント・グランニールとオルギオ・ザッファは確かに傑物だが、その配下たちは並だというのが帝国の基本的な認識である。

 今回も、死守を命じられたはずの兵士たちが、早々に転移陣を使って逃げ出したものとみられていた。

 商都スーデリオンは有名な都市だ。大陸最西部の物流の中心点だったと言っても過言ではなく、都と呼ばれるだけの確かな賑わいがあったのだ。

 しかも報告では、転移陣の破壊すら行われなかったという。戦争の基本すら理解していないと報告者であるシー・グは笑いながら伝えてきた。

 アルズベックは帝都でその報告を聞きながら、やはり微妙な表情で考え込んでいたのである。


「殿下」

「リューラか。……そなたはどう思う?」

「十中八九、策でしょうね。殿下はもしも商都の攻略が遅れたらどうされるおつもりでしたか?」


 執務室で同じく報告書に目を落としていた龍羅はさらりと断定した。

 アルズベックは龍羅の言葉に頷くと、返答する。


「リバシオンの山中を進む予定であったよ。あの過酷な山を抜けるだけで消耗するのは確かだが、あまり攻略に時間をかければトラヴィートからの挟撃も気にしなくてはならなくなるからな」

「だからこそ、エネスレイクはスーデリオンを明け渡したのでしょう。山中を抜ける経路を作られるより、スーデリオンだけに当たれば良い状況を作った方が、戦況をコントロールしやすいと踏んだのではないでしょうか」

「……なるほど。エネスレイクにしてみれば王機兵が出てくるまで王都に侵攻されなければ良いのだから、スーデリオンを攻囲して時間を稼げばよいと」

「御意」

「流石だな、リューラ。ソウケンだけでなく、戦の流れを読める人物が近くにいたことを私は心強く思う」

「はっ」


 かしこまる龍羅に笑みを返してから、アルズベックはシー・グをはじめとした先遣隊からの要望書に許可のサインをするのだった。


「エネスレイクがこちらを包囲するならば、それでは抑えきれないだけの戦力を投じてやるとしよう」

「では王機兵を?」

「いや。……エトスライアは私とともに後発だ。あれは防御力には長けているが、突破力は高くないからな」

「ラトリバード殿は殿下の護衛ということですね」

「そうなる。さて、リューラ。そなたにもそろそろ動いてもらいたい」

「何なりと」

「リバシオン山系を抜けて、簡易の転移陣を設置してくれ。策には策だ。奴らがスーデリオンに注力している間に、我々はその背後に拠点を作っておくべきだ」

「承りました、殿下」

「そなたのガルダならば、山中での戦闘にも力を十分に発揮できるだろう。……本来ならば私とともに本軍を率いてほしかったのだが」

「早々に拠点を設置すれば、殿下のもとに戻る日も早まりましょう。では早速向かいます」


 頭を下げて立ち去る龍羅を見送りつつ、アルズベックは思案を止めない。

 だが、いつまで考えても結論が出ないのは分かっていた。

 すでに戦争は始まっている。自分たちが知恵を絞るように、向こうだって知恵を絞ってくるのだ。甘く見ている場合ではない。


「今は任せるほかない……か」


 兄であるイージエルドが戦死したことで、アルズベックは次期皇帝としての振る舞いをしなくてはならなくなった。

 四領連合との停戦交渉は終わり、宋謙が率いる軍勢はタウラントと、その向こうにあるラポルトを攻めるべく動いている。

 現皇帝リンコルドは憔悴しきっており、アルズベックの出征もある程度状況が有利になるまでは断じて許さぬと厳命されたばかりだ。

 シー・グを前線指揮官としてスーデリオンを陥とし、後詰にラトリバードの乗るエトスライアを差し向ける。当初の計画どおりに事態は進んでいる。しかし、だからこそ不思議と疑念を覚える。

 エネスレイクの国内事情にアルズベックは詳しくない。戦争をしていない国だけあって、知っている名前はオルギオ・ザッファとエイジ・エント・グランニールくらいだ。

 言い知れぬ不安を抱えつつ、アルズベックは意見を採るべきと見込んだ意見書にサインを始めるのだった。






 スーデリオンを包囲するエネスレイクの軍勢は、都市を防衛していた機兵の数の優に三倍はあった。

 エネスレイク軍も帝国軍も、初戦ではほとんど損害はなかった。スーデリオンを喪ったことは確かに痛手ではあるが、エネスレイク軍の意気は手もなく砦を奪われた直後とは思えないほど軒昂だ。


「転移陣の反応、続いています。本国からの援軍が合流しているのでしょう」

「砦への魔術攻撃は、無理のない範囲で策を疑われない程度に続けてください。砦から出てきた機兵に対しては……」

「集中的に攻撃、でございますね。理解しております」

「助かります」


 エイジは、砦の見取り図を広げた陣幕の中で伝令の兵士――エイジの薫陶を受けたエリートたちである――に指示を伝え、彼らが出ていくのを見送ると、傍らで静かに立つ人物に声をかけた。


「クフォン殿。君の考えた策は、私が知る限りこの大陸では今までに誰も実行したことのない、恐ろしいものだ。……そして、二度は使えないだろうね」

「ええ。こんな策を二度も三度も使うような国には、どちらにしても未来はないでしょうから」

「その通りだとも。二度と使わんさ。……と言うより、私はスーデリオンの皆が乗り気だったのが今も信じられんよ……」

「ええ、確かに……」


 エイジの副官として同行しているクフォンが、エイジ同様に疲れた表情で肩を落とす。

 しかしそれも少しの間だけのことで、二人はすぐに表情を真剣なものに変えた。


「機会は一度きりだ。この策が成就すれば、帝国に痛打を与えることができる」

「ええ。……問題は王機兵ですか」

「アル殿は過小評価されているがね。ルウ殿とアル殿がいなければ、スーデリオンの防衛も覚束なかっただろう」


 王機兵の伝説は、大陸に住む人々にとっての希望であり絶望でもある。

 その伝説の大枠は、グロウィリアにあるベルフォースが作ったといっても過言ではないとアルは言うが。


「かのベルフォースと同様の能力を持つと思うだけで脅威なのだがな。本来の乗り手でなくては全力が出せないとしてもだ」


 王機兵の乗り手であるところの流狼が、帝国の王機兵と渡り合った様子は既に兵士たちの噂となって士気を上げていた。

 スーデリオンの防衛をしていた機兵の乗り手たちは休養を命ぜられているのでこの場にはいないのだが、第二スーデリオンで合流した少ない時間であっという間に広まったものらしい。


「……さて、どれだけ引き付けられるものかな」


 エイジは目を細めてスーデリオンの見取り図を見やる。

 その眼光は普段の温厚な宰相のものではなく、冷酷無道の謀臣の冷たさが宿っていたのだった。






 第二スーデリオンで休養を命ぜられた流狼は、都市部で歓待を受けていた。

 アルは慣れたものだが、ラナはその様子に驚いた様子だった。


『いつもこうなの?』

『いつもこうだよ』


 次から次へと挨拶と食事を持ってくる住人たちに、流狼は実に愛想よく対応していく。

 彼らも弁えたもので、持ち寄るのは一口サイズの骨付き肉などで、少しだけ話をすると輪から外れていく。

 誰もがにこやかな表情で、まずは流狼の無事を祝いつつ、帝国に一矢報いてくれと晴れ晴れと願うのだ。


『……ねえねえ、町長さん』


 その様子を遠巻きに眺めていた町長――もちろん手には肉を携えているのだが――に、アルが声をかける。


「は、これは精霊様」

『ボクもマスターも、スーデリオンを使った策については聞いている。君たちの様子を見ると、君たちもそれを知らないというわけではないみたいだけど……』

「ええ、確かに」

『マスターは心を痛めているんだ。スーデリオンの未来を奪うこの策は、マスターが君たちと交わした約束を破ることになるから、とね』

「……ルウ殿は、覚えておられたのですか?」

『もちろんボクもね。美しくなった商都スーデリオンを見に来るという約束が果たせなくなったこと。その原因となったのもマスターとボク……だからね』


 町長の表情が変わる。

 泣きそうな、それでいて悲しそうではなく。


「諸君! ルウ殿は私たちとの約束を覚えていてくださったそうだ! そして約束を守れないと悲しんでおられるのだと! 嬉しいではないか!」


 ぴたりと、住人たちの動きが止まった。

 覗き込むように流狼の表情を窺い、そして誰もが笑みを浮かべる。


「気に病むことはありませんよ、ルウ殿!」

「そう、スーデリオンはここにあるじゃありませんか」

「建物だって時が過ぎれば修繕するでしょう? 今回はその規模が町の大きさだったってだけですよ!」

「おお、お前いいこと言った! そうそう、ルウ殿のおかげで俺たちは生きてる! だから、ルウ殿や精霊様を守るためにスーデリオンが使われるのは当たり前で、それは俺たちの誇りなんだ!」

「そうですよ! ルウ殿、私たちはスーデリオンを覚えています! だから、きっとここは前のスーデリオンより素晴らしい街になりますから!」

「ルウ殿、その時にまた見にきてくださいよ!」

「そうだ!」

「待ってますよ!」


 周囲から次々と飛んでくる言葉。

 流狼は驚いた顔をしたが、程なく笑みを浮かべて頭を深く下げた。


「ありがとう、皆さん。……俺は皆さんが作り上げるこの新しいスーデリオンを楽しみに、帝国の連中をこの国からたたき出すことを約束しますよ」


 歓声が上がる。

 アルは嬉しそうな町長に向けて、流狼のように頭を下げた。


『……ありがとう、町長さん』

「いえ、本当のことですから。さて、これから忙しくなりますな」

『そうだね。マスターが驚くようなスーデリオンにしてほしいと願うよ』

「ええ。稼いで稼いで、街も砦も素晴らしいものにしなくてはいけませんから」

『それはボクも見てみたいね』

「必ずや。……さて、私もそろそろルウ殿に」


 流狼の元に歩いていく町長を見送るアルの横で、ラナがなるほどと頷いた。


『こういう人たちが育ったのね、この国では』

『うん。……合格だと思わないかい?』

『そうね。私は結局見られなかったけど、ヴェルはまっすぐに育ったということかしらね』


 遠い昔を思い返すラナに、アルは首を振って返す。


『そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。この国が良い国であり続けているのは、きっと彼ら自身の力だよ』

『そうね』


 自分たちに表情があるなら、きっとどちらも笑みを浮かべていただろうなと、どうでも良いことを考えつつ。


『マスターも元気になりそうだし、また忙しくなるね』

『ええ』


 流狼は笑顔だ。

 人々も笑顔だ。

 ここが戦地にほど近いことなど、忘れてしまいそうになる。


『マスターが戻ってきたらアカグマのメンテでもしようかな』







 スーデリオンの建物内部などを徹底的に改めた後、シー・グはその中でも最も豪勢な建物の中で寛いでいた。

 顔の好みで選んだ側近の女性兵士を二人侍らせて、身を休めていた。


「閣下! 殿下からのご指示が届きました」

「おう」


 自ら輝くような白い髪と美しい顔立ち。シー・グはその美貌に強い嗜虐性を称えながら手渡された報告書に目を通す。

 無遠慮にもう片方の手で女性兵士の体をまさぐりつつ。


「おい、ここは何て読むんだ」

「は、はいっ……! 『エネスレイクの策の可能性もあるので、気をつけるように』とっ……ン……!」

「そうかい。殿下はお優しいな。……おう」

「はっ!」

「表ではエネスレイクの機兵どもがここを囲んでいたよな。数は?」

「はい! 視界で確認できるだけで五百!」

「ち、戦地を限定できる連中は楽なことだ。殿下が手配してくださった増援は」

「機兵二千」

「二千!? 殿下が動員できる機兵のおよそ半数か。……策ごと蹂躙しろと仰っておいでなのだな」


 にたり、と笑みを浮かべるシー・グ。


「あの、拳で戦う機兵。……二度も俺様のヤイナスカを殴りつけたんだ、死ぬほどの苦しみを味わわせてやらねえとな」

「し、シー・グ様! ひぅっ……!」

「ちっ」


 両手に力を入れると、堪らず女性兵士が声を上げる。

 だがシー・グは、その態度に興が冷めたような表情で手を離した。


「つまらねえな。もっと過剰なくらいに反応してくれねえと、楽しめねえぜ」


 思い返すのは、元の世界で自分を心から楽しませてくれた女性の姿。


「エリケ・ド……。もう会えねえとは言え、あいつだけは惜しかったな」


 思い返すだけで、内なる嗜虐心が燃え盛るのを感じる。

 ぺろりと唇を舐めて、シー・グは立ち上がった。


「そうだ、成り上がって召喚陣を使わせてもらえるようになったら、あいつを招いてやるとするか。こいつらじゃどうしても物足りねえ」


 投げ捨ててあった衣服を拾い上げ、直立不動の伝令に伝える。


「夜になったら仕掛けるぞ。集まっている連中だけでいい。その時点の全力で突っ込んで、暴れて、戻る。分かりやすいだろう?」

「し、しかし……殿下のご指示では」


 シー・グは呼吸するように伝令を殴り飛ばすと、ズボンを履きながら言い放つ。


「お前は殿下以上に俺を知っていて、俺以上に殿下を知っているのか? 殿下は俺がいただいた援軍でどう動くか、すでにご理解されている。だからその指示書の最後に書いてあるだろうが」

「げふっ……! な、何とでしょうか」

「『動き方については現場の判断に一任する』だ。分かったらさっさと行け! 俺様のヤイナスカの整備も済ませておけよ」

「は……はっ!」


 頬桁に拳の後をつけた伝令が転げるようにして走り出て行く。

 シー・グは身だしなみを軽く整えると、静かに差し出された炙り肉を齧る。


「……耳心地の良い声で喚き散らすのも捨てがたいが、こういう気が利くのも悪くねえな」


 窓から外を見れば、日がだいぶ傾いている。

 夜は近い。


「さあて、戦慣れしてない連中に戦の恐ろしさを仕込んでやるとするか」







「伝令! スーデリオン内部に機兵の動きあり!」

「夜襲ですか。……成程、あちらの指揮官は随分と好戦的なようで」


 夜。夜の闇にその肌を同化させたクフォンは、自身の天幕で休息を取っているエイジが起きてこないことを確認すると、小さく笑みを浮かべた。


「南門は厳重に閉鎖してありましたね?」

「はっ、軽々とは破られないように」

「閣下は今休息を取られています。声は抑えてくださいね。……であれば、それぞれの門の正面に重装型の機兵を配置してください。くれぐれもあちらの魔術の被害に遭う者が出ないように」

「浸透衝撃と貫通衝撃ですね、しっかりと鋼の盾を地面に立てるよう伝えます」

「よろしい。……特に、南門の正面は夜間迷彩を施した機兵を送って厳重に」

「南門、ですか?」

「おかしいですか? ルローさんは壁を飛び越えたと聞きました。

「な、成程……」

「スーデリオンの転移陣の反応は」

「まだ続いています」

「……スーデリオンに残した転移陣の規模で一度に転移できるのは、機兵ならば四体。一日程度では戦力が整うはずがありません」


 クフォンは情報を一つひとつ口にしながら、敵陣の状況を分析していく。


「我々がそう考えていることを、向こうも理解しているはず。それでいて夜襲を目論むということは、あちらの指揮官は知恵の回るタイプで、そして我々を舐めています」

「舐めている……?」

「ええ、無理もないことです。かたや伝説の王機兵、かたやここ百年来戦禍のない国の軍。立場が逆なら私だってそうでしょうね」

「……納得はいきませんが、確かに」

「さて、向こうの指揮官がこちらを舐めていて、なおかつ王機兵という伝説であるなら、きっと同じ乗り手のルローさんを意識しているはず。同時に、相手は南門を閉鎖したという意識があるから、そちらに自分たちが戦力を集中するとは思いもつかないだろう。……と思っているはずです」


 クフォンは口元を柔らかく笑みの形に歪めた。


「というわけで、それぞれの門の正面に、これ見よがしに防御の機兵を置きます。私の思考を読み切るほどの知恵者であるなら、南門側と見せかけて三方に強襲をしかけてくるでしょうから、そちらも手は抜かないようにしてくださいね。少しばかり知恵が回る程度であれば、ほくそ笑みながら南門側に攻撃を仕掛けてくるでしょう。そしてこちらが混乱したところに他の三方から機兵を出せば、労せずしてこの包囲を崩壊させることができます」

「……う、承りました。それでは、きっとご指示の通りに」

「お願いしますね」








「ちっ、失敗か。……そういえばエネスレイクには知恵の回る男がいると殿下が仰っておられたな」


 南門から強襲を仕掛けたシー・グは、そこに居並ぶ機兵の群れに、自分の失敗を悟った。

 鼻を鳴らして、背後に指示を出す。


「撤収!」

『は? し、しかし閣下、我々はまだひと当てもしておりませんが……』

「向こうが備えてやがる。このまま当たっても、苦労する割に効果は出せないだろうよ。それでも行くなら止めないが」

『はあ、分かりました。……しかしですな』

「なんだよ?」

『閣下の王機兵と違い、我々はロープを使うことでやっとこちらに降りて参りました。我々はロープを使って壁を登ることまでは……』

「東か西門に向けて走ればいいだろ? 少なくともエネスレイクの連中が同じことをやったばかりだろうが。お前たちは出来ないなんて言わないだろうな?」

『ぐっ……。分かりました、撤収だ、二手に分かれて門を目指せ! 急げよ!』

「がんばれよぉ」


 走り出す機兵たちを後目に、シー・グはヤイナスカを跳ねさせて城壁の上に飛び乗った。

 と同時に、地面が揺れた。

 壁面に当たるのを厭わず、エネスレイクの機兵たちが帝国の機兵たちに魔術を撃ち込み始めたのだ。

 ぐらぐら揺れる城壁の上で踏ん張りながら、シー・グは嗜虐的な笑みを浮かべるのだった。


「屈辱だぜ、エネスレイクの連中よ。絶対に許さねえ。数がそろったら、丁寧にすり潰してやるから覚悟しておけ」


 

 





「……そろそろ良いでしょうかね」


 翌朝。

 夜間の喧騒も意に介さずにしっかりと休養を取ったエイジは、スーデリオンの壁面に残る魔術の衝撃の痕を眺めてぽつりと呟いた。


「まだ転移陣の反応は止まっておりませんが……」

「この様子を見れば、相手の指揮官がどれだけ頭に血を上らせているか分かりますよ。あまりギリギリにすると、あちらが我慢の限界を迎える方が早いかもしれませんから」


 総司令官のオルギオだが、エイジには丁寧な口調を崩さない。

 エイジもオルギオを司令官として立てているが、ここは有無を言わさぬ口調で言い切る。


「では、始めましょう。……スーデリオンに巣食う害虫を、根こそぎ駆逐します」

「お任せします、エイジ様……旗立てぇい!」

「応!」


 天幕の傍に横たえてあった真紅の軍旗が、盛大に立てられる。少しずつ間を置いて、あちこちから旗が立つ。


「クフォン、号令は君に任せるよ」

「はい」


 足元がカタカタと微弱な震動を伝えてくる。スーデリオンに起きた異変の為だ。

 クフォンは努めて冷静に、傍らにある水晶玉に手をかざした。


「吹き飛べ。『足元に埋まった墓石は、汝らのものであるアレギレア・イナエデ』」







 シー・グはヤイナスカの中で夜明けを待っていた。

 先夜の屈辱がどうしても許せなかった為である。


「……準備はあとどれ程で終わる」

『はっ。……あと三刻もあれば』

「ちっ! 二刻だ。残りは出てきたところから急いで合流しろと伝えろ」

『わ、分かりました』


 こちらの舌打ちに怯えた様子を見せる副官。

 その様子に更にいら立ちが募るのだが。


「……ん、何だ?」


 操縦席の脇に置いてあった木彫りの小物が、カタカタと揺れて音を立て始めたのだ。

 周囲を見回すが、誰もこの揺れに気づいている様子はない。

 首を傾げたシー・グだが、揺れは収まる気配がない。


『閣下!』

「……どうした!」


 思わず怒鳴り声をあげてしまったシー・グであるが、報告を持ってきた男はその声にひるまず、報告を続ける。


『こちらを包囲しているエネスレイク軍が動く様子を見せています』

「なに?」

『軍旗が次々に上がっていると』

「機兵は?」

『こちらを遠巻きにして、まだ動きはないようですが』


 頭の中で、漠然としていた不安が線となって繋がっていく。

 揺れ。しっかりとした包囲。丈夫な城壁。一人もいない敵兵。敵国の民。

 揺れ。こちらの増援。揺れ。破壊された転移陣、無事な転移陣。


「まさか……!」


 シー・グは走り出した。


『閣下? 閣下!?』


 問いかける声に答える時間すら惜しい。

 だが、司令官としての矜持が、一言だけ叫ばせた。


「策だ! 砦から逃げろぉぉっ!」


 刹那。

 視界の一切が、地面から溢れた純白に埋め尽くされた――

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