第二十話:血に誘われる魔の
トラヴィート王国の内乱は、完全な拮抗状態に陥っていた。
数で優るケオストスの軍勢に対し、偽装を施した新鋭の機兵を用い質で優るレイアルフ軍。
レイアルフ軍は機兵も乗り手も精強であり、ケオストス軍の機兵は次々にその数を減らして行く。
だが、既にレイアルフの許には子飼いの家臣以外はほぼ居なくなっている。彼を担ぎ上げ、帝国と決戦を目論んだ士官たちが去ったためだ。
レイアルフが自身の大義を見失った理由について、ケオストスはこちらに戻って来た者たちから聞いて理解し、そして同情した。あの女狐の母国なのだ、信用する方が間違っている。
レイアルフが帝国軍の力を借りていると知った彼らの動きは速かった。その多くがケオストスの麾下に戻ってくる事で、戦況はどちらに対しても有利には進まない状態で推移している。
中には偽装を施された帝国機兵ごと離反する者もあり、程なくレイアルフ軍とはレイアルフを擁した帝国軍となり、ケオストス率いるトラヴィート王国軍と内戦の形をした戦争の様相を呈しつつあった。
ケオストスの元にある人物が訪れたのは、そんな最中。エネスレイク王国でディナスとルナルドーレが婚儀を挙げた、およそ二十日ほど後の事だった。
「まさかお前が私の元に再び顔を出す日が来るとはな、イジェルド」
「……恥を忍んで、麾下に馳せ参じました」
「レイアルフの元に居たのではなかったか」
「居りました。そして、帝国の機兵と偽装される様をこの目で見てまいりました」
「それを見て、どうしたと言うのだ」
「陛下が帝国と何故結ぶべきとお考えか、理解致しました」
ケオストスの前に平伏しているのは、乳兄弟のイジェルドである。レフの暴走に同調した父が責めを負って自裁した後、ケオストスには従えないと告げて彼の元を後にした者だ。
「戦を続けても、続けなくても。帝国は我が国にその奸計を巡らせたであろう事が。そして、戦争状態である方が向こうが採れる手も増えるという事も」
「その通りだ。ディナス伯父上も、ソルナート大公もそれを危惧しておられた」
二度と顔を出すなと命じた相手である。本来は手討ちにされても文句を言えないところだ。
それでもなお堂々と目の前に平伏する姿に強く歯噛みし、杖を握る手に力が篭る。
だが。
「私がお前を殺せないと知っていて……いや、止そう。今は一人でも戦力の欲しい時だ」
「はっ」
「帝国の干渉を許したは私と父の咎だ。イジェルド、お前も己と父の分、二人分の武功で一人分であると心得よ」
「御意!」
「最前線に出よ。お前の腕は理解している、しっかり働け」
「この命を賭けて、これ以上この国を帝国ばらの好きにはさせませぬ!」
威勢よく答えて敬礼をひとつ。立ち去るイジェルドの姿にケオストスは溜息を禁じえなかった。
選択をひとつ誤れば、民心はこうも容易く離れるのだ。
ケオストスは他国の信を受けて父を追い落とした事で傀儡と見なされ。
レイアルフは公国の信を受けられずに帝国を頼った事で見限られた。
「どちらもこの国を想っての行動であったはずが。ままならないものだな、レイアルフ」
側近にすら聞こえない程の小声で呟く。そもそも、感傷に浸るにはまだ早い。
ケオストスは疲れを感じさせない所作で立ち上がった。側近達をゆっくりと睥睨し、吼える。
「イジェルドの離反を以て、私の知る限りの名将・勇将は既にレイアルフの許を去った! 名のある将帥と言えば最早あの残忍なるダミア・コロネルと、恥知らずにも帝国を敵視しながらも帝国に助力を求めた愚弟レイアルフのみである!」
「おおっ!」
レイアルフ子飼いの家臣には、レイアルフ本人やイジェルドなどと比肩出来る程の将はいない。
これは父であるレフが王位をケオストスに譲るべく、然るべき手を打っていたからだ。レイアルフ自身が猛将である事を理由に、文治派の家臣は有能な者を、武断派の家臣は二流の者を仕えさせていた。
「このまま戦を続ければ、残るものは疲弊した国と民への望まぬ苦役だけだ。今こそトラヴィートの総力を結集して愚弟とダミア・コロネルを討ち果たす! 帝国の暗躍を許すな!」
「おおっ!」
「これに負ければ、帝国の属国となり果てたトラヴィートの地で、エネスレイクと! グロウィリアと! 帝国の三国が相争う最悪の未来が待っている! 総員を奮起させよ! 己の国を己の手で護るのだと!」
「おおっ!」
声を揃えて応じる側近達。はっきりとした敗勢に陥っていない分、意気高いものがある。
「この戦には私も出る」
その言葉には有無を言わせぬだけの強さを込めた。ざわつくが、反対の声は上がらない。
「予定通り決戦は今晩だ。怠りなく準備を整えよ。この策を成功させねば、ダミア・コロネルは本国から際限なく機兵を呼び寄せるだろう。この一戦がトラヴィートの未来を決める戦である事を理解し、励め!」
「御意!」
ケオストスの下知に応じ、どやどやと退出していく側近達。
誰も居なくなった広間で、ケオストスは天井を仰いだ。
「レイアルフ。……お前の最期はせめて私の手で」
レイアルフ軍が駐留している砦は、ケオストスの居留する城からさほど遠くない位置にあった。昨晩に砦を奪取し、今朝までは仕掛けの有無や反撃がないかを確認していたところだ。
元々は街道警備の為に、獣や盗賊による襲撃を警戒する為の砦である。あくまで一晩をここで過ごし、一時の休息を取る事を目的とした駐留である。
四方を壁で囲まれているが、決して堅牢でも丈夫でもない。明朝には放棄して城を落とす予定で準備を続けている。連戦の中にあっても勝ち続きで士気は高い。
帝国の後押しを受けての行軍は圧倒的な突破力を誇っており、それを見るレイアルフさえも恐ろしさを覚えたものだ。
その威力のすさまじさたるや、レイアルフは電撃戦を選択するか補給路を確保して前線を押し上げるかを考えなくてはならなかった程だ。
結果として電撃戦を選択したレイアルフの意見を受け、補給路は最低限にして、連戦に次ぐ連戦を繰り返してきたのだ。
この突破力を何故前回の戦で発揮しなかったのか。実際ダミアに問うてみれば、旗印である国王のレフが最前線に出ていたからだと言う。
「我々の戦力では先王陛下を討ち果たせる者はおりませんでした。あの方の使う術は我が国の戦略を完璧に封殺しておられましたからね」
「そういうものか」
「はい。国を従えるには心を折らねばなりませんが、トラヴィート王国では城を攻め落としても国王レフ様が健在である限り民も兵も心折れません。そうなると最前線の先王陛下をどうにかしなくてはならない訳で、国土を突破する理由が……」
レイアルフは機兵に乗ればレフと比肩される程の猛将であるが、しかしレフと同様の戦は出来ない。彼の強さの源泉は古代機兵ではなく、使う魔術にこそあったからだ。
砂の鎧と巨岩の杖で武装したレフは確かに帝国軍との戦では決して敗北を喫すること無く、終戦交渉が始まるまで帝国軍はどのような手を使っても最前線で暴れまわるレフを討ち果たせなかった。
レフはその身を張って帝国から自国を護り抜いた。
レイアルフは今は帝国からではなく、グロウィリア公国から自国を護るべきだと考えていた。
エネスレイクもグロウィリアと姻戚関係を結んでしまった以上、頼りにはできない。
他国の献身を嘲笑うような国だ。帝国が海路を使って公国に侵攻を目論めば、北門を護る王機兵は海と門の双方に対応しなくてはならなくなる。間断なく攻め込めば王機兵とて対応しきれなくなる時が必ず来る。
グロウィリア公国を穿ち、まるで自らが大陸の歴史を左右し得る存在であるかのように振る舞うソルナート大公を討ち果たす。
それは既にトラヴィート王国の未来の為ではなく、私怨を晴らす為の行動になりつつある。
グロウィリアによる誘導からの脱却は国是であると、彼は疑いなく信じていた。
自身の意図を理解し、信じて着いて来てくれているのは古参の家来だけで、ケオストスを二国の傀儡だからとすり寄って来た者達は帝国と結ぶ事は間違っているとして自身の前から去った。そして再びケオストスにすり寄っていると言うから、何とも節操のない者達である。
戦後は信頼の置ける家臣を見出さねばならない。内戦を収めたら再び挑まなくてはならないからだ。その傍らには、兄に立っていて欲しいものだと願う。
「兄上。トラヴィート王国を独立独歩の国とする為にも、この場では負けていただきます」
思えば父もルナルドーレの存在に心を乱され、グロウィリアの尖兵とされてしまったのではなかったか。
ならば今度こそ、グロウィリアの魔手から兄を救わねばならない。彼もまた被害者なのだと断じ、レイアルフは独りごちた。
決戦は近い。帝国の用立てた機兵は確かに精強で、数の不利を幾度となく覆してくれた。ダミア自身も流石に指揮官を張っただけあって確かな実力のある機兵乗りだ。
兵数は減っても良い機兵と腕の良い機兵乗りさえ居れば勝てる。それがこの世界の戦争であったし、レイアルフはそこに確固たる勝算を見ていた。
窓から外を見やる。曇った夜空に星はなく、灯されたわずかな篝火だけが周囲を照らしている。
と。
――敵襲! 敵襲ぅぅっ!
切羽詰まった兵士の声。程なく聞こえてくる鬨の声。夜襲だ!
レイアルフはこの段になってようやく、自分たちの快進撃が作為的に仕組まれたものであったことを悟った。
「誘い込まれたか!」
周囲は平原だ。夜襲に適した立地ではない事、昨日まで散々に打ち破った相手の余力を軽く見ていた事。正直なところ警戒が緩んでいたと言わざるを得ない。
まさか逆撃を仕掛ける程に戦力を温存出来ているとはレイアルフもダミアも思っていなかったのだ。
砦の居住区では機兵を呼べない。レイアルフは急ぎ自機の元へ直行し、乗り込む。
『撃て、護れェェェッ!』
表に出ればダミアが攻め寄せる敵に向けて術を放たせている所だった。
混乱はまだあるが、少なくとも彼の方は収めてみせたようだ。嫌になる程優秀な男である。
「落ち着け! 敵の機兵は旧式だ! 貴様らの機兵は新式だ! 負けるはずがあるかっ!」
ダミアの受け持った方とは逆側の混乱を押さえ、指揮を受け持つ。
壁は決して高くない。機兵に乗れば向こう側が見える程だが、一度に乗り越える事は出来ない。
壁を破ろうか乗り越えようか、次々に取りついてきた敵機に向けて杖を構えさせる。
「火弾、魔力溜めい! 雷撃、放てい! 火弾……撃てぇぇぇっ!」
雷電が迸り、敵方の機兵が動きを止める。そこに多数の火炎弾が狙い撃たれ、直撃した機兵の装甲が燃え上がる。
装甲が燃え上がれば中の乗り手も無事では済まない。高熱によって燻された結果、あるいは意識を失って機兵ごと倒れ伏し、あるいは熱さに耐えきれずに機兵から飛び出して魔術の的になり、その命を散らしていく。
一瞬で前衛を失った為か、攻勢が一時止まる。
『陛下! 南が抜かれました! このままでは!』
「抜かれたかっ! ならば南は死守だ! 他は西壁に集結させよ!」
そうそう上手くはいかないものだ。
このまま南に戦力を集中すれば、程なく戦力が薄くなった他の壁も破られてしまうだろう。
そして壁を破った南側には敵方も戦力を集中する。
レイアルフは断腸の思いで南を受け持った配下の命を切り捨てた。
西側にはダミアが居る。レイアルフは壁の向こうが警戒しているのを逆手に取り、十機の機兵を伏せさせた。
「再度機兵が取りついて来たら壁ごと吹き飛ばし、至急西に集結せよ。北にも同じく伏せさせる、遅れるな」
『はっ!』
北を経由して西壁へと向かう。
北側には門がある為、傾注される敵の戦力も大きい。
「火炎、斉射! 機兵に当てる必要はないぞ、草原を焼いて煙を起こせ!」
火炎の魔術が一斉に放たれる。
星のない夜だ。篝火がなければ周辺は闇だ。煙で隠せば殆ど何も見えないだろう。
「氷槍、魔力溜めい! 仰角、放てぇっ!」
煙に隠れる形で、多数射出された無数の氷柱が空中に放たれ、重力に引かれて広範囲に降り注ぐ。
レイアルフは結果を確認もせずに部隊を動かす。
「お前達は残れ。東からの朋輩が来たらもう一度氷槍を放ってすぐに西へ来るのだ」
『御意!』
歩兵達は動かせないな、とレイアルフは砦の中で抗戦の構えを見せているだろう兵達の事を考える。
機兵の数は限られている。いかに潤沢な資源を持つ国であっても、兵士全員に機兵を行き渡らせる事は決して出来ない。
歩兵の役割は斥候や物資の運搬、陣の設営などの後方支援だけでなく、機兵の行動をサポートしたり、機兵が入り込めない城や砦の中を制圧にかかったりと多岐にわたる。
当然機兵の役割の中には歩兵の護衛も含まれる。しかし、包囲されている現状でそちらに兵を割く事は出来ない。
「ダミア。歩兵はここに残す」
『……仕方ないでしょうね』
「このまま西に向かって突撃し、ケオストスを押さえるぞ」
『しかし歩兵がなければ城の制圧は覚束ないのでは?』
「城を攻める必要はない。この規模で機兵を動かしたという事は、間違いなくケオストスも出ている。トラヴィートの軍人は王が前線に出てこそ奮い立つからな」
『難儀な。いや、これも好機ですか』
呆れたような声のダミアは、しかし気持ちを切り替えたようだ。
『西を攻める理由はあるのです?』
「前線に出ていると言っても、いくらなんでも包囲側には回らんだろう?」
『なるほど』
城から出兵したのであれば、本陣は城の近くにある筈だ。
日が隠れてからの出兵であれば、歩兵の足では殆どついて来られてはいないだろう。
ケオストスは武断派の自分に対してどちらかと言えば文治派だ。
まさか包囲網の中に居るとは思えなかった。
「……揃ったようだな、出るぞ!」
『これより本陣に突撃します。全軍、疾く殺し、疾く死ねぇぇぇっ!』
西の壁を巨大な火弾の魔術で爆砕させ、レイアルフ軍総勢百五十機程が決死の行軍を開始した。
帝都グランダイナの機兵研究所では、宗謙と龍羅の『功績』を前にアルズベックが喜色を満面に浮かべていた。
龍羅と宗謙が『功績』を持ち帰って来て暫く経つが、機嫌の良さは持続している。陽与との仲も良好で、アルズベックは既にエネスレイクの王機兵の乗り手の事を忘れかけている。
「この虹色のカギ、何故クルツィアのカギとは色が違うのか」
「そこに王機兵の精霊を呼び起こす秘密があるのかもしれませんな」
研究者達が喧々諤々と意見をぶつけ合う様を、上機嫌で眺める。
エネスレイク王国の王機兵が使えなくなった事もそうだが、帝国が所有する残り二機の王機兵にも乗り手が決まったからだ。
召喚によって招かれた中の二人である。使いこなせるようになるまでにはまだまだ時間が必要だろうが、戦力が純粋に増えた事は帝国の躍進に繋がる。
「残り二機が動けるようになった以上、王機兵を超える機兵の研究が捗る事を期待している。現在、東部戦線は王機兵を抑えきれずに一進一退だ。手早く大鉱床を抑えねば、王機兵を動かせなくなったエネスレイクを併呑する機を失う」
「分かっております。招かれ人の方々の御力を借りて、我々の研究は随分と進みました。イージエルド殿下に吉報をお届けする日も近づきましょう」
四領連合の王機兵は圧倒的な速度を武器に戦場を縦横無尽に駆け回り、数で優る帝国の機兵を寄せ付けない。
急造の連合であるからか各部隊の連携が取れていない四領連合軍相手には有利に戦局を進められるのだが、攻め寄せた先から王機兵が現れて戦線を押し戻されてしまうのだ。
南部同様、このままでは戦力の浪費が続くだけだ。この状況を変えたいと願うのは、現地で戦っている者達だけではなかった。
「王機兵を超えるのだ。古代の遺物によって、今を生きる我らの歴史が左右されることなどあってはならない」
アルズベックの言葉に頷く研究者達。
飛行可能な機兵の生産ラインは既に確立されつつあり、王機兵の性能を超える機兵を造り上げれば、機兵戦でも恐れるものはなくなる。
「グロウィリアの王機兵は射撃防衛に特化した機兵だと考えられます。おそらく殿下のクルツィアのような高速機動を行われては対応出来ないものと」
「だからこそのあの防衛陣地の構築ですか。しかしあの両側の崖は王機兵が作ったとかいう伝承も」
「後世に向けてのでっち上げでしょう。他にもリバシオン山系や追放荒野も王機兵が関わっていると伝わっていますが、古代機兵の中にも地形を変える程の機兵など確認されていません」
「そうやって王機兵の伝説性を高くした上で、ですか。しかし、旧帝都の狙撃は」
「以後、そういった行動を取ったわけではありませんから、入念な準備が必要なのではないでしょうか」
「グロウィリアと言えば、先ごろ攻略部隊が全滅したと報告が上がっているな?」
アルズベックはふと、先日上がってきた報告を思い出した。
補給部隊が定期の戦力補充に――特に鹵獲してきた他国の旧型機兵を補充しに来る為に――訪れた折に、攻略部隊が余すことなく撃破されていたのを目にしたという報告だった。
「地面が抉り取られ、惨憺たる有様であったというが」
「あちらも新兵器を造り上げたのかもしれませんね」
「ふむ?」
「稼働する王機兵が存在する事はあの国も同じですから。女狐をエネスレイクに嫁がせるにあたってのデモンストレーションだったのではないか、と」
「それもあるか。どちらにしろ急いでもらわなくてはならんな」
エネスレイクの王機兵は最早動かない。
ならば目下の目標はグロウィリアの王機兵だ。
南部・西部戦線をひっかき回す事で少しは混乱を呼べれば良いのだが。
「……ダミアは上手くやっているだろうか」
帝国にとって最悪の未来は、エネスレイクとグロウィリア、トラヴィートが一丸となって攻め寄せてくる事だ。
領土の広さはリーングリーン・ザイン四領連合程ではない。しかし、エネスレイクとグロウィリアの戦力は王機兵を除いても計り知れないものがあった。
実際に大きな連合を組んで攻めてきた場合、最前線となるのは中間地点にあるトラヴィートだ。
ルナルドーレ・グロウィリアのエネスレイクへの嫁入りによって、トラヴィート王国の戦略的価値は跳ね上がってしまったと言える。
ダミア・コロネル将軍は有能ではあるが、期待以上を求めようとするあまり、より高い戦果を求めようと無理をする性格があった。
アルズベックが命じたのは内戦の継続とトラヴィートの国力疲弊である。
今までは何とか上手く収集をつけていたダミアだ。今回も特に心配はしていないのだが。
「まあ、少々の取りこぼしには目をつぶってやらねばな」
本人はケオストスによるレフの排除に責任を感じている様子だった。直々に責任がない事を告げたが、その程度の言葉では効果はないだろう。
少しばかり無理をしても笑って許してやろう。そんな事を考えながら、アルズベックは夜を徹する勢いの研究者たちを飽きもせずに眺めているのだった。
流狼が妙な気配を感じたのは、就寝を前に寝間着に着替えた時だった。
「なあ、アル」
『どうしたんだい? マスター』
「変な気配を感じたんだが」
『うん?』
方向は南だ。トラヴィート王国がある方角だろうか。
『前にルビィにも言ったけれど、ボクは気配にはそこまで敏感じゃないんだよね』
「ああ、済まん。何と言うか、とても腹を空かせた奴が飯を前にした瞬間のような、そんな感じを強く受けたんだが」
『なんだい、マスター。空腹ならそう言ってくれれば』
「いや、俺は別に。気のせいだったかな」
気配はすぐに消えた。今はその残滓が流狼の肌にこびりついているだけだ。
『うーん、トラヴィートの方では戦争が起きているからねえ。夜襲でもしたのかもしれないよ?』
「それもそうだな。まあいいや、寝よう」
『お腹空いてるなら何か作ってこようか?』
「だからそうじゃねえって」
どちらにしろ確認の方法はないだろう。
流狼は追及と確認を諦めて、今夜は眠る事にしたのだった。
「流石に精鋭揃いだな、ここまで粘られるとは思わなかった」
夜が明けようとしている。前夜未明の夜襲から始まった戦争は、東の空が白んでくるこの時間帯になっても決着をつけられずにいた。
戦場となっているトラヴィートの西端に程近いガルゴッソ平原では、完全に包囲したレイアルフ軍をケオストス軍が押し潰しきれずにいる。機兵の性能差もあるが、縦横に動き回りながら包囲を抜けようとするレイアルフ達に、数に優るケオストス軍は対応しきれていないというのが実情だ。
「エイジ伯父上に授けていただいた策でも決めきれんか。いや、これは我が軍の弱卒なるがゆえ、だな」
ケオストスは本陣を空けていた。
まっすぐに包囲を抜けて突進してきたレイアルフ達は、空の本陣に殺到した。だが誰も居ないと知るや本陣を踏み越えて更に突進。包囲を開始しようと伏せていた部隊を切り破って駆け抜けている。
一旦の包囲を破られたケオストス達もふたたび包囲にかかるが、一度勢いのついた一団を押さえる事は容易には出来ない。しかも機兵、乗り手ともに帝国の方が格上なのだ。
ケオストスはやむを得ないと、側近の一人に声をかけた。
「私の旗をここに立てろ。奴らをこのまま動かしては兵力を損耗するばかりだ」
『なっ!? 危険です! 連中は高性能な機体を有しています、特にレイアルフ殿は猛将として――』
「知っているさ。だが奴らは、私を目指して駆け回っているのだ、あの足を止めねば包囲もままならん」
頑として譲らないケオストスに諦めたように――あるいは王の風格を感じたのか感激しながら――トラヴィートの国旗を立てる兵士達。
しばらく遮二無二機兵を蹴散らしていたケオストス達だったが、旗がはためくのを見つけたらしく方向を転換する。
「どうせ再び罠なら食い破るまで、とでも言っているのだろう? レイアルフ」
こちらを護るように、数十の機兵が立ちはだかる。
大きく息を吸って、ケオストスは杖を振るった。
「だが今は止まるがいい!」
まるで突進を受け止めるかのように、レイアルフ達とケオストスの配下との間にぶ厚い氷の壁が立ちはだかった。
砕こうと一斉に魔術が投げつけられるが、壁は小揺るぎもしない。
「舐めるなよ。我が父の打撃をも防ぐ氷壁だ、大人しくしてもらおうか!」
壁を避けようとする動きに応じて、残り三方にも瞬く間に壁を造り上げる。
数機が体当たりを敢行したが、逆に機体の方が破損する始末だ。氷壁にへばりついた機兵はしばらくもがいていたが、あっという間に熱を奪われて動きを止める。
とうとう足を止めたレイアルフの一団に対し、ケオストスは外部スピーカーで声をかけた。
「ここで終わりだ、レイアルフ。抵抗を止めて縛につけ」
ざわめきが納まっていく。王が声を発したのだ、返答を聞き逃してはならないと誰もが静かに反応を待つ。
暫くの静寂。と、ぽつりと氷壁の奥から声が返ってきた。
『凄い魔術だな、兄上。これがとっておきか』
「ああ。父上に叩いてもらっても砕けなかった。この壁を破るのは容易ではないぞ」
『父上でも砕けなかったなら、我々にも砕く事は出来ないだろう。だけどな、兄上』
「なんだ?」
『兄上を押さえるだけならば、この壁を砕かなくても方法はあるっ!』
氷壁の向こうはこちらからも見えず、向こうからも見えない。その言葉の意味を察した者は居ても、反応出来た者はケオストス以外いなかった。
鈍い音が立て続けに響いたかと思うと、氷壁を乗り越えて機兵が数体飛び出してくる。
「そう来るのは分かっているよ」
ケオストスは慌てずに氷の弾を撃ち放つと、くぐり抜けてきた一機の振り下ろしてきた杖を自身の杖で受け止めた。
『ちっ、これにも反応されるか』
「父上が同じように対応されていたからな」
どうやらケオストスに飛びかかってきたのはレイアルフであったらしい。
背後では同時に飛び出した機兵達がトラヴィートの機兵によって無力化されている。最早レイアルフを討てば終わりだ。
「もう勝ち目はなかろう、レイアルフ」
『兄上を無力化すれば、それで終わる!』
「愚かな。お前の機兵は帝国の新型かもしれんが、私の『ル・カルヴィノ』には勝てんよ」
『いつの間に古代機兵など!』
「元々さ。父上の『ル・マナーハ』と同時期に発掘されたこの機兵は、父上から世継ぎたる私に下賜された。土を操る父上の機兵と違い、私の機体は冷気を操るのに長けていてな」
『ぐ、くっ!』
ケオストスの杖から漂う冷気が、レイアルフの機体を蝕み始める。
「ダミア・コロネルはどうした?」
『氷壁の中さ。くそ、もう無理か』
関節部を氷で浸食されて、身動きが取れなくなったレイアルフ機。諦めの言葉をようやく吐き出した彼に、ケオストスは足を引いて杖を下ろした。
杖を振り下ろした姿勢のままに固まるレイアルフ機。
あとは心臓部を一突きしてやれば、レイアルフごとこの機兵は討ち取れる。
ケオストスの脳裏に、一瞬兄弟として過ごした日々の思い出が蘇る。
「……感傷だな。さらばだレイアルフ」
『ああ。兄上、グロウィリアには気をつけるんだ』
「何を今更。父上もディナス伯父上も、即位される前からソルナート大公を警戒している」
『ふ、はは……。なんだ、私の空回りか。だが、それならば安心だ。兄上、済まなか――』
レイアルフの声が止まる。不自然な止まり方だ。
生を諦めたような言葉を吐いた後だ。今更命を長らえるつもりなどない筈だが。
と、周囲からもざわめきが広がった。
ケオストスとレイアルフの方から視線を外している。一瞬ダミア・コロネルが何かをしたのかとも思ったが、そうでもなさそうだ。
視線は揃ってケオストスの背後を向いていた。
振り返って、ケオストスも唖然とせざるを得なかった。
「なんだ、あれは――」
ガルゴッソ平原の北には、トラヴィート王都。西には軍港や港町、漁村が散在している。
その、海岸線の辺り。
海中から何か、巨大なものが現れようとしていた。
「巨大な、珠……?」
ごろり、ざぶりと。
巨大な波を立てながら、徐々に姿を現そうとするそれは、巨大な球体に見えた。
「あれは、まさか」
夜が明け、東の空が白んでいく。
陽光が、黒いばかりの球体を少しずつ照らしていく。
「戦の気配に誘われでもしたか、大魔獣!」
不吉な光沢を反射するその外皮は、それが何らかの生物である事を示していた。
――トラヴィート王国、大魔獣襲来。
その報が大陸に激震をもたらすまで、あとわずか。
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