第十八話:予期せぬ再会と衝突と
国王を初めとした王族の慶事は、エネスレイクの国民にとっては我が事のように喜ばしいものらしい。
城門前には婚儀の十日も前から、国民たちが手に手に祝いの品を持って並ぶ様子が見受けられた。
特にスーデリオン砦都からの祝いは非常に豪華で、かつて商都と呼ばれた街の力は健在であるとアピールしてみせた。
とは言え、少し前に戦地となった街である。スーデリオンの祝いの品と気持ちに感謝しつつも、ディナスはその場で祝いに倍する復興支援をエイジに命じたと言う。
金銭や美術品ではスーデリオンに祝いを返還した事になってしまい、礼を失するとして。ディナスが命じた復興支援は石材や木材、鋼材などの物資と、王都からの労働者派遣だった。
スーデリオンの使者は王の慈愛に感涙し、別の都市の使者もその様子を感激した顔で見ていたというから、エネスレイクの王族がどれだけ民に慕われているかが分かるというものだ。
代々の王族が永く善政を敷いてきたからこその、この王都の賑わいである。流狼はディナスら王族の人柄にも触れていたから、その様子を素直に受け入れる事が出来た。
「ディナス様は慕われているんだね」
「うむ。父上が褒められると私も嬉しい」
フィリアもどことなく上機嫌でいる。
魔術修練の師としてはフィリアはなかなか上手で、今は体内の魔力と体の周辺の魔力を同調させ、魔術として発動する作業の反復をしている。
アル曰く、これが出来れば相手の魔術に当たる事なく透過させる術を習得出来るという事なので、流狼は毎日空いた時間のある時には修練を欠かさず行っていた。
「随分上手くなったな」
「そうかい?」
「ああ。相手の術に合わせて咄嗟に使う必要があるから、ロウでなくとも実用するのは中々難しいだろうが……」
フィリアがうんうんと頷きながら、何とも感じ入ったように呟く。
自分が生まれていない、遠い昔の様子を思い浮かべているのだろう。
「古代機兵が建造されていた頃は、こうやって乗り手の命を護る為の魔術もあったというではないか。何とも素晴らしい時代だったのだな」
「それが失伝した理由が気にかかるね」
「うむ。現代の機兵戦は遠距離から魔術を撃ち合いながら近づいた後、それぞれの武装で殴り合うのが基本だ。乱戦を前提とした場合、そういった術の使いどころがなくなった事も考えられるな」
アルも再三言っていた事ではあるが、極端な技術の後退が起きている。
戦争を効率化する動きが起きたのではないか、というのがアルの分析だったが、果たして。
「それはまあ、いいや。ところでフィリアさん、今日辺りから近隣諸国の賓客が来るんだっけ?」
「ああ。帝国からも来るぞ。……ミリスは来ないからな」
「そう言えばそんな話だったね。あれ、グロウィリア公国からはたしか」
「ソルナート大公がお見えになる。帝国と鉢合わせになるからな、街は賑わっているが城内は厳戒態勢だよ」
「だろうね」
婚儀まではあと三日。そろそろ他国の賓客が来城してもおかしくはない時期だ。
人数は決して多くはないのだが、問題は戦争状態にあるグロウィリア公国と帝国の代表が顔を合わせる点だ。
戦争に対して中立を貫く立場のエネスレイクであったが、グロウィリア公国の姫を娶る事で外交上は難しい立場に置かれる事となる。
帝国は大陸中央部で版図を拡げているものの、南と東に敵を抱えている。ここで西にも敵を抱えるような動きは取れないというのが本音だろう。
そう考えると、帝国が選択するであろう手段はそれとなく見えてくる。
「ソルナート大公を暗殺されてなし崩し的に帝国の属国扱いされないようにする、という事かな」
「うん、その通りだ。同じ理由でルナ様も警護対象になる。お陰で父上の近衛は非番返上で総動員だ。少なくともオルギオが居る限り、片方は問題ないと思うが」
「オっさんは愉快じゃないだろうけど」
流狼が就いた事でフィリアの近衛を辞したオルギオだが、どうしようもなくルナルドーレと相性が悪い様子だ。
事の軽重を間違えるような人物ではないから心配は要らないが、機嫌は悪いだろうな、とオルギオの顔を思い浮かべる。
遠くから鐘の値が響いてきた。もう昼だ。
「さて、昼食としようかロウ。午後はサイアーの訓練か?」
「いや、暫く休みだね。あちらも城内の警備に割く人員を増やす関係で忙しくなるみたいだから」
「ああ、それもそうか。では今日は私に付き合ってくれ」
「いいよ。随分と城下が賑やかになっているみたいだし、見物したいと思っていたんだ」
「……じ、巡回だ! 間違えてもらっては困るぞ、ロウ!」
図星を衝かれたらしいフィリアが、顔を真っ赤にしてまくし立ててくる。
その様子が可笑しくて、流狼は笑みを浮かべて頷くのだった。
「サイアー、どうしましたか」
クフォンが主催する、何度目かの招かれ人の集会。
アルの助手としてアルカシードの許に詰めているオリガと学校に入ったフォーリは欠席。
エリケ・ドと共に出席したサイアーは、何とも機嫌悪くクフォンを見ていた。
「なぁ、クフォン。僕達はもうこの国で生きる手段を得た。なのに何故、このように僕達だけで集まる必要があるんだ?」
「忙しかったのですか?」
「陛下の挙式までは軍は厳戒態勢だからね。正直とても忙しいよ。エリケ・ドはどうだい?」
「そうね、とても忙しいわ。ねえ、クフォン」
「何ですか?」
「何故、ルロを呼ばないの?」
エリケ・ドは何について忙しいかについては触れなかったが、その後の言葉には間違いなく棘があった。
クフォンにとっては触れて欲しくない部分である。
「前にも言いました通り、彼と我々では立場と頼るべきものが違いますから――」
「それは聞いたし、その時は納得もした。だがね、この国に所属し、組織の一員として生きると決めた点では僕達とルーロウはもう一緒の立場だ。それともクフォン、君はこの国への帰属意識をまだ持っていないのだろうか」
「それは」
「それに、先程の口ぶりでは君はあまり忙しくないようだ。内政官の人達は僕達以上に忙しい部署の筈だけど」
サイアーの言葉に顔を歪めるクフォン。
その様子に、サイアーは何かを察したようだった。
「そうか、君はまだこの国に受け入れられていないのか」
サイアーは時に余計な一言を言って、人を苛立たせる性格だというのが当初からのクフォンのサイアー評であった。最近は少しばかりそういう様子も減ってきたと思っていたのだが。
人はそう簡単には変われないものだ、とクフォンは自戒を込めつつもサイアーを睨まずにはいられなかった。
「……私はこの国に、より優れた考えを齎そうとしているだけです」
「それが否定されたと」
「この国の民は王族への妄信が過ぎます。それが危ういと何故分からないのか」
「ならば、クフォンはどんな考えが正しいと言うのさ?」
「自分たちの未来を自分の意志で決定する社会ですよ。国家などという枠組みを解体し、大きな権力をたった一人が揮うのではなく、小さな権力を全ての人間が揮えるような」
「へえ。クフォンの世界ではそういう社会だったのかい?」
「そうなるまでの過渡期でした。国家とは派閥に過ぎず、派閥とは対立の一側面に過ぎない。国家がなければ対立は起きず、個人の権利が保障されるのですから」
クフォンはサイアーの呆れたような言葉につい思わずまくしたてて、そうしてからやっと二人の目が醒めている事に気づいた。
感情のままに言葉を吐き出してしまったと後悔するが、もう遅い。
だがサイアーは、それでももう一度だけクフォンに問うてきた。
「国家がないのであれば、その保障とやらは誰からもたらされるのかな」
「システムですよ。国家を超越した巨大システムに委ねる事で人は真の平等な権力を世界に対して有する事が出来るのです」
「……ならクフォンは、やはり帝国に身を置くべきだったと思うわ」
答えたのは、サイアーではなくエリケ・ドだった。
常に悲しそうな彼女は、だが今ばかりは醒めた顔でクフォンを見据えている。
「帝国は大陸を統一しようと動いている。その帝国に身を置いて、あなたの思う社会の姿を造り上げるべく動かなくては意味がないのではなくて?」
「それはッ!」
その言葉は強くクフォンの胸を穿った。
自分自身、そう思うからだ。そして、何度そう思ったか分からないからだ。
だが、召喚されたその日、流狼をまるで道具のように殺そうとしたあの国は、きっと自分の意志を通すことを許さないだろう。その思いが、クフォンの足を竦ませたのだ。
自分は死への恐怖から、妥協してしまった。それはクフォンの胸に小さな棘として残り、今エリケ・ドの言葉でその棘は強く心に突き立てられたのである。
「……帝国でそのような事を言えば、殺されている」
「だろうね。でも、だからと言ってこの国でその意志を広めても意味があるとは思えないな」
サイアーが引き継ぐ。
エネスレイク王国は現在、他国と中立路線だ。軍備や兵役に対しても同様で、その対応の本質はどちらかと言えば海から現れる魔獣対策の側面が強い。
そして何より――
「クフォン。君の言葉にはある種の説得力があるように思える。しかし、僕はルーロウから海の魔獣の恐ろしさを聞いた。部隊の古株から、若い時に遭遇した大襲来の絶望感も聞いた。この世界は、人間がまだ個人の権利を主張出来るほど安定した世界ではないと思うんだ」
「そんな事はありません! どのような世界だって、誰もが自らの権利を追求していいはずです!」
「ではそんな人たちが集まったとして。大襲来が起きた時に逃げる者や立ち向かう者、てんでばらばらに対応していて人類は生き延びられるのかい?」
「その時は、人々を纏める指導者が――」
「それはこの国の王様と何が違うの?」
要所でぽつりと告げられるエリケ・ドの言葉は再び鋭くクフォンの心を抉る。
クフォンはとうとう、エリケ・ドに反論出来る言葉を失ってしまった。
指導者とは人々が認めている存在だ。その観点に立った時、ディナスをはじめとしたエネスレイク王国の王族は、即ち完璧に及第点の指導者だった。
「クフォン。僕は自分に間違いがあった場合、その過ちを認めて次に進む事こそ大切なんじゃないかと思う」
「私は! 間違ってなどいないっ!」
「そっか。僕は押しつけがましい人が苦手でね」
サイアーが席を立つ。
残念そうな溜息をつきながら、ドアに向かう。
「この会合は気に入っていたんだけどなぁ。クフォン、次に僕を呼ぶ時はルーロウも一緒に声をかけてくれ。そうじゃないと来ない」
「何故、ですか」
「君の考えが間違っているかどうか僕には分からない。だけど、僕は同じく招かれ人であるルーロウも、この場に顔を出す権利があると思う。権利を声高に語る君がルーロウの持つ権利を否定する事は、それは間違っているのではないかと思うんだ」
「彼に
「うん、そうだね。ここに居ないオリガの言葉を借りるならば」
ドアを開けたサイアーはこちらを振り返り、冗談を言う時のような顔で冷徹に言い捨てた。
「ルーロウは僕の命を助けてくれた。今のところ、僕は君から何もしてもらっていない」
「サイアーが来ないなら、私ももう来ないわ」
いつの間にか立ち上がり、サイアーの傍まで歩いていたエリケ・ドは、こちらを振り返りすらしなかった。
ドアが閉まる。
静寂が訪れる中、クフォンは立ち上がる事が出来なかった。
二人は流狼の許へ行ったのだろうか。
強い劣等感を感じていた。
何故、自分は人を惹きつけられないのか。求められないのか。力を得る事が出来ないのか。
流狼。あのような若造に何故人は惹きつけられるのか。求められるのか。力が集うのか。
本来は、自分こそが。
根拠のない主張を内心で吐き出して。ようやくクフォンは席を立った。
と、そこに。
「クフォン・ユギヌヌ殿とお見受けします」
「誰ですっ?!」
差し込まれた声に聞き覚えはなかった。男とも女とも判別のしにくい奇妙な響き。
しかし、狙いすましたかのようにかけられた事に、クフォンは自分がずっと観察されていたと理解した。
思わず裏返る声。
「何、心配しないでください。私は貴方に敵意なんてありませんや」
「何者ですか!」
「……ルゥ・ロゥ・トヴァカリィを目障りに思う者ですよ」
悪意に満ちた声音に、クフォンは体が震えるのを抑えられなかった。
この声は自分を巻き込む。そしてそれを断れば、この場で命がなくなる事も。
「私に、何を協力させようというのですか」
「話が早くて助かりますよ」
「私はあまり責任ある立場ではありません。出来る事には限りがありますよ」
声は、こちらが協力的である事に安堵したのか、ひどく馴れ馴れしい空気で語り始めた。
「ええ。何、大した事じゃありません。持ちだして欲しいものがあるのですよ」
「何が目的ですか」
国王の暗殺が目的、あるいはそれを匂わせたら命に賭けて断ろうと、クフォンは腹に力を込めて言い切った。
サイアー達の態度が心底堪えたのだ。王への忠義は確かにまだない。だが、既に妥協してしまった身で、自分の理念を言い訳にして自分を受け入れてくれた国を裏切る事は許されなかった。
だが、声はクフォンの覚悟を知ってか知らずか、
「あの王機兵の乗り手、生意気じゃあありませんか?」
「っ」
「あなたにも利益のある話だと思うんですよ、私ゃ」
あまりにも甘美な言葉を囁いた。
ケオストスがその報を受けた時、頭に浮かんだのは絶対的な否定だった。
しかし、レイアルフの許にダミア・コロネルが居るらしいという目撃情報、更にはレフを退位させた事で離反した者達が再びこちらを頼って来た時の話などから、それを虚報だと無視する訳にはいかなくなっていた。
「まさか、レイアルフが帝国と組むとはな」
「少なくない将士がこちらに戻ってきておりますが」
「問題ない、受け入れろ。帝国の機兵は確認されていないのだな?」
「はい。ですが報告で上がっている機兵の数はこちらを上回ります」
「だろうな。先の戦では、破壊された機兵よりも鹵獲された方が多かった。元々帝国は鹵獲した機兵をグロウィリアの城門に放り込んでいたから、そのつもりで集めていたのだろうさ」
不自然な機兵の配備数の激増があったという報告は既に出ていた。その点への裏付けが取れたのは大きい。
そして、帝国の機兵を使ってこないという事は、あくまで帝国は今回の内戦には不干渉の姿勢でいるつもりのようだ。
王としての地盤を固める為にも、この戦には負けられない。そして、どこからの助力も得る訳にはいかない。
実際、エネスレイクからもグロウィリアからも援軍が届かない事で、ケオストスが両国の傀儡ではないと判断し始める者も出てきていたからだ。
しかし、ケオストスの顔に喜色はない。
「元々国の全軍を挙げて互角以下。レイアルフの軍に帝国の影があるとなると、勝負は見えないか」
「お言葉ですが陛下、レイアルフ様の軍に配属された機兵は我が国の物です。性能で下回るとは思えませんが」
「そのまま使っていればな。あちらのラ級あたりに我が国の機体の外装を取り付けていれば、遠目には分からんだろう」
「それは確かに。しかし、そこまでしましょうか?」
「むしろ、何故そうしないと思えるのかが不思議だが」
レイアルフの側に肩入れをしたという事は、帝国はトラヴィートの国土を諦めていないという事だ。ならば必勝を期すのは当然と言えた。
帝国の主力は貴族階級の用いるダ級機兵だが、貴族階級専用というだけあって数が少ない。反面、指揮官用のラ級機兵ならば数は用意出来るはずだ。より多くを用立てるならば一般兵士用のコ級を選択するかもしれないが、ケオストスはレイアルフが組んでいる帝国の将官が本当にダミア・コロネルであるならばそのような半端はしないだろうと確信していた。
「レイアルフ殿の参謀にダミア・コロネルがついたならば、それもありえるかもしれません」
「ヴィエゼ級では荷が重いかもしれんな」
トラヴィート王国軍の主な戦力はエネスレイク王国から格安で譲り受けた一世代前のエゼ級機兵が多い。エネスレイクの制式機兵であるネジェ級ならばラ級とも互角に渡り合えるのだが、トラヴィート国内で配備されているものは絶対数が足りていないのが現状だ。
トラヴィート国内ではエゼ級の装甲を剥がし、より丈夫なものと変換する事で何とか帝国の機兵相手に太刀打ち出来るようにしていた。トラヴィート王国のエゼ級という事でヴィエゼ級と名付けられた機兵は、反応が遅いという致命的な欠陥を持ちつつも、その丈夫さを頼りにした戦術を得意としている。
「先王陛下の機兵を使う訳には参りませんか」
「あれは術式機兵だ。土の魔術に特化した父だからこそあの戦術が可能なのであって、他の何人たりともあの運用は出来るまい」
レフの使っていた古代機兵『ル・マナーハ』は古代機兵には珍しく魔術戦闘に特化した機兵である。レフだから土の魔術を活用する事でラ級はおろかダ級とも互角以上に戦えただけで、他の者が乗っても普通より強い魔術を使える機兵に過ぎない。
ケオストスは機兵の扱いに習熟している自負はあったが、使える魔術の性質や深さの違いを考えれば同じことは到底できないという事実をわきまえてもいた。
「機兵の中身がラ級である場合、奴らの採る手段は何なのでしょうか」
「速攻にあるだろう、と私は踏んでいる。ラヴォルの近接兵装を使った場合、ヴィエゼ級では反応が出来ない」
雷撃の魔術を使う機体を総じてヴォル式と呼ぶのが帝国流だ。ラ級のヴォル式だからラヴォル。コ級で火炎の魔術を使う場合はコフラムとなる。
また、帝国は脚部と装甲のパーツを組み替える事で機兵の運用に革命を起こした事でも知られている。
近接兵装はその名の通り、近接戦闘に特化した兵装だ。特にヴォル式の近接武装は要注意で、その速力は文字通りの電撃戦を可能とする。逆に術式兵装にすると雷撃の魔術で機兵を機能停止させる手法や乗り手を麻痺させて無力化するなど、サポートに特化した兵装となる。
少しばかり増えたとて、機兵の数はこちらの方が圧倒はしている。
しかし、ヴィエゼ級の皮を被った近接兵装のラヴォルが相手では、烏合の衆になりかねない。
「ダミア・コロネルは間違いなくその手法を取ってくる。十機もあれば我が方のヴィエゼを百は破壊できようからな」
「それに乗じてレイアルフ殿の軍が押し出してくると言う訳ですか。厄介な事です」
「うむ。母上をエネスレイクに向かわせたのは良かったかもしれん」
ぼそりと呟く言葉は、側近には聞こえなかったようだった。
窓に歩み寄り、ケオストスは東を見やる。
「帝国の力を借りて勝って。属国になる道を選ぶか、レイアルフ」
異母弟ではあるが、兄弟仲は決して悪いものではなかった。だからこそ、その選択を悲しいと思ってしまう。
負ける訳にはいかない理由が、また一つ心を重くするのを自覚して、ケオストスは胸を押さえるのだった。
フィリアと街中を巡回した翌朝。
帝国からの賓客は三十名の護衛を伴って現れた。
オルギオが応対しているのは、帝国でも名の知れた将軍の一人だという。
「何とも大所帯だな?」
「済まぬな、ザッファ将軍。何とも怯えられてしまって叶わんのだ」
「ああ、あの女狐の事か」
「おいおい、貴殿の主君の奥方だろう」
賓客である大臣らの護衛であるという彼は、オルギオと気安い会話をしている。どういった関係なのか気にならないではなかったが、流狼はそちらに気を回している暇はなかった。
二人とは少し離れた場所で、こちらもまた予想外の人物と顔を合わせたからである。
「久しぶりですね、流狼」
「龍羅兄、元気そうだね。何よりだ」
「はい、それなりには。陽与ちゃんも元気ですよ」
「ッ……! そ、そうかい」
葵龍羅。
流狼の従兄であり、大学生。飛猷流の分派である『葵流古式武闘術』の跡継ぎであった男だ。
爽やかで人当たりの良い青年で、流狼にとっては気のいい兄のような人物だった。
だが、この場面で流狼は龍羅への警戒を高めていた。
見た目に反して、腕の立つ男である。護衛に選ばれる事に違和感はない。
しかし。
「随分と信任を受けているようだね、龍羅兄」
「流狼ほどではありませんよ。王機兵の乗り手になったと聞きましたが?」
「ああ」
護衛程度の人材ならば、別に龍羅である必要はないのだ。流狼は彼が選ばれた理由に二つばかり当たりをつけた。
「俺に用なんだね?」
「おや、その話は僕からしようと思ったのですけど。そうそう、紹介したい人がいます」
こちらの警戒も伝わっているだろうに、龍羅に気負いはない。
紹介されたのは、見るからに同郷と思える黒髪の男だった。龍羅と見比べると倍くらい大きく見えるが、これは目に見える筋量の差が原因だろう。
「志度宗謙さん。僕達とは似て非なる世界から招かれたそうですよ」
「
「だいとうあ……?」
「うむ。龍羅とまったく同じ反応だな」
からりと笑う宗謙の顔に邪気はない。
「龍羅と話した時に確認済みだ。俺と君達では少々異なる歴史を歩んで来たのは間違いない。流狼君、よろしく頼む」
握手を求められたので、何となく応じる。警戒は解いていない筈だが、なんとも宗謙の笑顔には抗いにくい魅力を感じている。
と、宗謙は流狼の耳元に顔を寄せた。
「我が主君の為に、奥方様の事は諦めてもらえないか」
「主君?」
「アルズベック・レオス・ヴァルパー殿下の事さ。あの方には生まれついての王者の風格がある。俺の人生を捧げても良い人物なのでな」
「……陽与ちゃんは大事にされているのか?」
流狼が――あまりの物言いに流石に眉根を寄せて――それでも確認せずにはいられずに口を開けば、宗謙は大きく頷いた。
「必死に妃らしくあろうとされておられる。殿下も奥方様を十分以上に大事にしている。誰が見てもお似合いの二人と言えるだろう」
「……そうか」
略奪同然に連れ去られた陽与だ。
元気にしていると聞けば嬉しいが、あの男と仲睦まじくしていると聞くのは正直なところ気に入らない。
「流狼。陽与ちゃんは皇子殿下の妻となる道を選びました。君の許に戻るとは思わない方がいいでしょう」
龍羅の言葉にはまるで遠慮がない。流狼を怒らせようとでもしているのか。
「……陽与ちゃんが幸せに生きているのであれば、それでいいさ」
絞り出すように告げて、二人に背を向ける。
この場では長話を出来るような時間は取れない。それに、衆目もある。
「落ち着いた頃にそちらの泊まる所に顔を出す」
「待っていますよ」
吐き出すように告げて、流狼は足早にその場を後にした。
自分で振った話題で不機嫌になっている様子を見せたくなかった。
誰に対してなのかは、自分でも分からなかった。
『マスターの様子が変?』
オリガと一緒にリエネスに戻って来たアルは、流狼の所に戻る前にフィリアに呼び止められていた。
流狼とは定期的に念話で互いの無事と進捗を知らせ合っていたから、帝国の一団が到着したと聞いて慌てて戻ってきたのだ。
「そうなんだ。オルギオや私と一緒に帝国の客を迎えた時からなのだが」
『どう変なんだい?』
「ロウと同じような黒髪の男二人と話をした後、機嫌の悪い顔で引っ込んでしまったというのだ。私は気付かなかったが、あとで見かけた者に聞いたら驚いていたぞ」
流狼は普段、穏やかな性格と城内の者達からは認知されている。
自分から口を開くようなタイプではないから寡黙と思われがちだが、無駄話を嫌っている訳でもない。
そして何より、普段から自然体で隙がない。眉根を寄せ、肩をいからせて歩く様など今まで見た者は誰も居なかったのだ。
『それなら話は簡単だ』
「アル殿は分かるのか?」
『その二人は同郷なのではないかな。確かマスターは帝国に恋人を奪われて、従兄が帝国に行ったと聞いているけれど』
「何だと?」
フィリアがその言葉に呆然として、視線を宙に彷徨わせた。
何かに思い当たったか、徐々に表情が怒りと焦りを帯びていく。
『当たり前だけど、その恋人は皇子の妃になったのだったら賓客としては来ないと思うよ?』
「分かっている! 私もロウがその女と接触したとは思っていない!」
ぎり、と歯を軋らせたフィリアは、アルに視線を下ろすと決然と言い放った。
「アル殿、私はエイジ叔父上の所に報告に行く!」
『ボクもマスターと合流しておくよ』
「頼んだ!」
駆けていくフィリアを見送って、アルは流狼の反応に向けて歩き出した。
流狼の意向を聞いておかなくてはならない。
アルにとって、何より大事なのはこの国ではなくてマスターである彼なのだから。
「そうか、フィリアさんがね」
流狼とアルが帝国の賓客が宿泊しているホテルに顔を出したのは、日も完全に暮れた後だった。少々遅くなってしまった感はあるが、フロントに伝えて一旦外に出る。
フィリアはエイジに事の次第を伝えた後、部隊を動かそうとして止められたのだという。
無理もない。今はディナスとルナルドーレの婚儀が最優先事項だ。せっかく組んだシフトを変える訳にはいかなかったのだろう。
だが、エイジの名で流狼への呼び出しはあった。
事情を聞かれて意向を確認されて、解放されたら予定よりも時間が過ぎてしまっていたというのが実際だ。
エイジには最後まで止められたが、仕方がない。
『随分とマスターを心配していたよ。最大で三十人、一人で相手するつもりかい? マスター』
言外に無謀を窘めるアルだが、流狼は首を振ってそれを否定した。
「いや、そんな事にはならないだろ」
『何を根拠にそんな事を言うんだい』
「お前が言ったんじゃないか、帝国はまだエネスレイクを敵に回すような真似は出来ないだろうって」
『ああ、そうだね。流石に騒ぎが大きくなりすぎるかな』
流狼の血縁である龍羅の派遣。帝国の意図が流狼の懐柔と説得にあるというのは誰にでも思いつく話だ。
だが、その為に向こうがどの程度まで譲歩するつもりがあるのか。
流狼は敢えて向こうの思惑に乗る事にした。
『それにしても、マスター? そのリューラって人、マスターの従兄なんだよね?』
「ああ。それが?」
『彼がマスターを殺す事を受け入れる理由が分からないんだ。仲が悪かった訳じゃないって聞いたけど』
「仲は悪くないと思うぞ。まあ、理由は大体見当がつく」
思い浮かぶのは、常にふわりとした笑みを浮かべた一人の女性。
「あの人は元の世界に帰りたいんだよ。多分俺なんかより、ずっと強く」
と、ホテルの扉が開いた。
龍羅が宗謙を引き連れて現れる。ベンチに座る流狼とアルを見つけて、歩み寄ってきた。
「待たせましたか、流狼」
「遅くなったのはこちらの事情だ、悪かったね」
挨拶を交わすが、そこに温かさはない。
龍羅は流狼の隣に座るアルを一瞥したが、軽く首を傾げただけで特に追及してはこなかった。
「いや、構いませんよ。それで流狼、こちらにつく心算はありませんか?」
「う、うむ。殿下は貴公に謝罪し、相応の待遇で遇する用意があると」
宗謙が慌てたように続けてくる。
流狼と龍羅の間にある空気を読み切れていないのだろうが、なんとも間が抜けていると言わずにおれない。
だが、気になっていた事を聞くには良い機会かもしれない。
「その待遇の中に、陽与ちゃんはいないんだろ? 志度さんと言ったな、あんたはいちいち予防線を張り過ぎだ」
「む」
「まあ、元々それを条件にしてくるとは思っていない。ひとつ、聞いておきたいことがある。その答え次第で考えるさ」
「本当か!」
頷いて、流狼はずっと気になっていた事を口にした。
「帝国は、何故この大陸を統一したいなどと思っているんだ?」
「……何故、とは?」
「あんた達、この大陸の歴史をどの程度理解している?」
「ある程度、だが」
「魔獣の大襲来については?」
「魔獣? なんだそれは」
「ならば神兵は?」
「しんぺい?」
宗謙はどちらも初耳であるようだ。龍羅の方にちらりと視線を向けるが、彼も知らないらしく、首を横に振っている。
「どちらも知らないようだな」
「どういう事です? 大陸統一の意義を知りたいというのは」
「単純な興味さ。民が餓えている訳でもない、国土の広さも申し分ない、宗教の問題も特にない。ならば何故、ここで矛を納めない?」
「それは」
「帝国が大陸を統一しなくてはならない大義は、一体どこにあるんだ?」
たとえ知っていたとしても、二人が答えられない事は分かっている。
流狼は静かな口調で続ける。
「まあ、戻ったら聞いておいてくれ。あたら国民の命を戦争に消費する、その大義と意味が、本当に釣り合っているならば協力するのも吝かじゃあない」
「……そうですか」
「どちらにしろ、即決なんて出来ないさ。その程度で本国と通信なんて出来ないだろうから、一旦戻ってお伺いを立ててから改めてだな」
「――そうはいかないんだなあ、王機兵の乗り手」
突然の闖入者は、ホテルからではなく街の方から現れた。
「一人でのこのこと現れたのが運の尽きだ! この場で死ぬか、我等の軍門に降るか。今すぐ選んでもらおうか!」
「……こいつらは、あんた達の仕込みかい?」
「ああ、多分そうなんだろうが」
龍羅と宗謙が頭を抱えている。
服装もごく普通のものだが、上に魔術を警戒してかマントのようなものを羽織っている。一律礼服で来ている帝国の賓客とは違い、帝国が街中に潜ませていた間者なのだろう。
さほど特徴のない顔立ちをした男である。流狼も街中で出会って顔を覚えられるとは思えなかった。
「おっと、私の後ろには十人からの魔術師がいる。妙な動きはしない方が身の為だぞ」
「だ、そうだが。どうするね?」
ともあれ、色々と台無しである。
流狼は男の方ではなく、龍羅と宗謙に顔を向けて問うた。
何とも毒気を抜かれたらしく、二人とも首を横に振るのみだ。
「俺が出した条件でそちらは構わないという訳かな?」
「構いませんよ。諜報って人材不足でしたっけ」
龍羅の呆れと嘆きが籠った声が全てを物語っていた。
大声の上げ方と言い、性格が致命的にスパイには向いていない。龍羅の言葉に顔を真っ赤にする様子を見てもそれは明らかだ。
「では、助太刀無用という事で」
『マスター、人数はそこの馬鹿を含めて十六人だよ!』
「了解」
どちらに対して、という事は伏せて二人に釘を刺してから。
アルの言葉に頷いた流狼は、立ち上がりざま駆け出した。
驚いた顔の男の顎をすれ違い様に打ち払い、ようやく杖を構え始めた一団の中に飛び込む。
「武境・絶人!」
流狼の叱声は、ほぼ同時に響いた複数の悲鳴に紛れて消えた。
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