第十七話:大陸西部動乱の始まりは

 帝国によるトラヴィート王国への調略により暴走した先王レフ・トラヴィートのエネスレイク恫喝未遂事件。

 エネスレイク王国の介入により事件自体は終息したものの、結果としてトラヴィート王国を二分する騒ぎの切っ掛けとなってしまった。

 王子二人による王位をめぐる争いは水面下で激しさを増し、既に武力衝突は避けられない情勢に突入している。

 王太子ケオストスは王位継承権第一位である。本来ならば正統な後継ぎとして権力を振るう素地があったのだが、彼には二つの瑕疵があった。

 父王を廃し強引に即位した事が一つ。隣国を巻き込んでの帝国との再開戦を防いだ手腕は国外からは称賛されたが、レフを支持していた派閥からは反発を招いた。

 もう一つは、エネスレイク王とグロウィリア大公による後見を得た事である。この点をして両国の傀儡になった、と主張する対抗勢力を論破する根拠は存在しない。

 一方、第二王子レイアルフはケオストスの異母弟であり、同時に対帝国主戦派の筆頭でもあった。領地が帝国との国境近くだった為、帝国による挑発行為の数々をつぶさに見てきた事が大きな理由だ。

 彼自身は父よりも強硬路線であり、エネスレイク王国からの助力によって終戦への道筋が定まった時にもそれに反対した。帝国に資源を援助するエネスレイク王国を、初期からレイアルフは敵国と見做していたのだ。

 王機兵をエネスレイク王国が手にした事で、トラヴィート王国の再戦に協力すれば良し、しなければ帝国の手先。ケオストスに王位を託せないと考えたのも、彼がエネスレイクの傀儡となると耳にしたからだ。

 グロウィリア公国の第一の同盟国として、帝国南部戦線の完全撃滅を。レイアルフ軍の主張はこの点なのだが、彼らの主張にもまた大きな問題点があった。

 その解決の為、レイアルフは今日も今日とて通信機材の前で声を張り上げていた。


「何故ですか、何故こちらに後見をいただけないのです!」

『何度も言った通りだ、レイアルフ。どのような条件を出されても、私はケオストスへの後見を撤回するつもりはない』


 傀儡と目した兄が、自分達の大義名分であるグロウィリア公国の後見を得ていること。

 現在のケオストス派の勢力は自派より三割は大きいのだが、その原因がこれだ。


「どうして分かっていただけないのです! このまま帝国に時を与えれば、次の侵攻の時こそ我が国は蹂躙されてしまう!」

『お前こそ分かっていない。奴らは三日と空けず、我が国のベルフォースに向けて無謀な突進を続けているのだぞ。貴国を本当に蹂躙するつもりであれば、もっと早くにそれを終える事が出来ていた』

「では、では何故我が国は狙われたというのですか!?」


 レイアルフの母は、グロウィリア貴族の中で特にレフに見初められた女性である。ソルナートやルナルドーレにとっての従妹にあたる女性で、大公家に繋がる公国の高位貴族の出自であった。

 従甥でもあるレイアルフの問いに答えるソルナートの言葉は、実に無慈悲なものだ。


『当初は私も貴国とエネスレイク王国との不仲を煽る計略であると思っていた。……だが、今の結論は違う。帝国は王機兵の乗り手と、王機兵を研究出来る人材をこの世界に招きたかったのだろう』

「そんな、それだけの為に!?」

『無論、貴国を併合して軍港が欲しいというのも本音だったろうな。だが、必須ではないのだ。何しろ』


 ソルナートが冷たい視線をレイアルフに向ける。

 それは従甥に向ける類のものではない。呆れと軽蔑と、僅かな憎悪を交えた表情で見下すような目つき。


『貴国と我が国との国境線。西渓谷と東渓谷を造ったのはベルフォースの砲撃だ。つまり、ベルフォースには貴国の軍港辺りまでを狙撃する事は難しくない』

「な……」

『帝国は我が国を本気で制圧するつもりなどないよ。東方を支配出来たとしても、我が国に領土を安堵した上で傘下に入るように言ってくる辺りが限度だ』


 ソルナートの言葉、レイアルフはようやくその意味を理解した。

 これまでに父のレフが公国に――その向こうにいるルナルドーレに――捧げた献身と尽力が、全くの無駄であるのだと。


「では。父の戦いは、無駄であったと仰いますか」

『そうは言わないさ。国境近くの村々を救うという国内への大義名分は十分に果たされただろう? しかし、それを我が国への援護やルナルドーレへの愛の証だと言われてしまうと……まったくの無駄だったと言わざるを得ない』


 ソルナートの舌鋒は止まない。

 レイアルフの顔を見るたび、その表情に苛烈な怒りが灯っていくのが分かる。


『そもそもだ。貴様の母であるリリアーレをレフが見初め、側室に迎えたのは妹を諦めたからだと私もルナルドーレも思ったものだよ。だがレフがリリアーレに望んだのは、ルナルドーレの代わりとしての役割だった。それがどれ程無礼な事だと思う?』

「し、しかし! 母は私を産んでくれました……!」

『知っているか? リリアーレが昔からレフにどれほど想いを寄せていたか! リリアーレがルナルドーレの代わりと扱われていると理解した時、どれ程絶望しながらもレフの為にルナルドーレを演じようとしたか! 貴様がルナルドーレに会ってみたいといった言葉が、リリアーレに最後に残った心の拠り所をどれ程微塵に砕いてしまったのか!』

「な。母が、心を……?」

『それすら気づいていなかったか。療養の為に我が国こちらに戻ってもう七年になるというのに。グロウィリアは貴様を縁戚とは認めていない。リリアーレは既にレフと離縁したものとして、彼女をしっかりと愛してくれる男の許に再嫁している』

「う、嘘だ。そんな」


 愕然とした表情のレイアルフに、ソルナートは最後通牒を突き付けた。

 それは従甥に対するものではなく、反乱軍の首謀者に対するものであった。


『もう一度言うぞ。早急にケオストスと和解し、トラヴィートを纏めよ。グロウィリアもエネスレイクも貴様の派閥など後見しない。貴様が国家と臣民の為に出来る事は、最早騒動の責任をとってケオストスの刃に首を晒してその統治を盤石にする以外にない』

「そ、そのような事は出来ませぬ! 父の信念であった帝国再侵攻を果たす為にも、私は!」

『なんらかの幸運を得て、貴様がケオストスの首を獲ったならば、エネスレイクとグロウィリアは貴国を蹂躙する。話は以上だ』


 一方的に落とされる通信。

 レイアルフは呆然と、透き通った画面を見上げていた。自分は、父は、これ程までに公国から疎まれていたのか。

 ソルナートの表情には、はっきりと分かる憎しみがあった。

 どんなに鈍い者でも理解できる事だろう。自分たちの大義名分は永遠に失われたのだ。

 頼みの綱は存在すらしておらず、例え勝てども自分の命と国は亡びる。

 レイアルフは手近な椅子にどさりと腰を落とした。全身が重くなったように思える。

 レイアルフの持つ軍は精強だ。ケオストス軍に対して、数の不利はあれど勝算を持てる程度には。だが、それは王機兵二機を相手に勝算を見出せる程のものではなかった。

 すべての希望は断ち切れた。命乞いをすれば助かるだろうか。いや、そうすれば自分を担ぎ上げた相当数の者達から自分は殺されるだろう。ここで自害をすれば国の為には良いと理解してはいるが、武人として一戦もせずに死にたくはなかった。


「……陛下。陛下!」


 どれ程そうしていただろうか。

 レイアルフの耳に、ノックの音が届いた。通信室に居る事はあらかじめ伝えていたから、出ない訳にはいかないだろう。


「どうした?」

「はっ! 陛下にお会いしたいという者が見えております」

「私に? 何者か」

「それが……」


 言いよどむ気配。余程言いにくい相手が来たものと思える。

 何とも重く感じる体を起こし、通信室から出て、謁見の間へと向かう。


「貴様は!」

「ご無沙汰をしております、レイアルフ殿下」

「ダミア・コロネル! 失脚したと聞いたが、どうした」

「ええ。このままでは失脚どころか投獄されかねないものでして」


 謁見の間に跪いていた人物は、最も予想外の男だった。

 トラヴィート王国への数々の調略と挑発、開戦からは最前線の指揮官として奮戦し、終戦間際には自らが使者として王宮まで乗り込んできた帝国の名将。

 ダミア・コロネル将軍が、伴も連れずにレイアルフの前にいる。服装は将軍のものではなく、トラヴィートの平民のものである。それだけでも隠密裏の来訪である事は理解出来たが、何故それ程の危険を冒してまで来訪したのか。


「我らに何用か」

「殿下に勝利をもたらす為に参りました」

「勝利、だと!?」


 ダミア・コロネルはトラヴィート王国では悪い意味で有名な人物だ。策謀に通じ、先の戦争では戦況の有利を覆されたのも一度や二度ではない。親族や友人を彼の率いる機兵隊に討ち取られた者も多く、今も周囲が向ける視線には強い殺意がこびりついている。

 ともすればレイアルフの元に案内される前にその命を奪い去られる危険もあった筈だ。危難にあるのは自分達だけではないという事か。


「帝国が我々に力を貸すとでもいうのか?」

「はい。その通りです」

「何を馬鹿な……!」


 平時であれば、激昂して抜き打ちに斬り捨てていただろう。そうしなかったのは先程の通信で受けたショックをレイアルフ自身がまだ引き摺っていたからだ。

 到底勝ち目が見えず、どう足掻いても自分の死を避けようがないと絶望していたのだ。そこにこの打診である。レイアルフにはダミアが何もかもを見通しているように思えた。


「ケオストス殿下の後見にはエネスレイクとグロウィリアがついております。レイアルフ殿下の大義をグロウィリアはお認めにはなりますまい」


 本当に、見てきたかのように言い放つダミアに内心で恐怖を覚えつつも、レイアルフは辛うじてだが震える喉を押さえつけて問う。


「私が帝国を敵視している事は理解していて、それでもその言葉を吐くか」

「御意」


 悪びれもせず、落ち着いて頭を下げるダミアに周囲も怒りを隠さない。中には佩剣に手を掛ける者や、杖を振りかざす者すら居た。

 だがレイアルフにとってそれは最後の可能性でもあった。いきり立つ周囲を手で制し、更に問いかける。


「……代価として何を求める」

「この国をレイアルフ様に治めていただきたいのです」


 その言葉に、周囲がざわざわとざわめいた。

 誰もがその真意を測りかねている。

 レイアルフ自身もそうであったが、しかし絶望で覆われていた心の中に一条の光が射し込むのを感じてもいた。


「話を、聞こうか」







 リエネスに戻った流狼は、日常を取り戻した。

 正確には、ルナルドーレという人物の増えた日常、だが。


「成程、エイジさんとは仲良くなった訳だ?」

「それはそうね。ディナス様を敬愛している事といい、エイジ様と私は良く似ているから」

「ディナス様を敬っている、その割にはオっさんとは仲良くなれないね」

「そうねえ。私は決して嫌いではないのだけれど」


 王城内のサロンで茶を振る舞われている流狼の近くには、ルナルドーレの他にフィリアとディナスが座っている。ディナスの傍にはオルギオが直立している。フィリアの側付きの役から離れた事で、ディナスの近衛に戻ったのだと言うが。


「本当にな。オルギオ、もう少しルナと親交を深めてはくれないか?」

「特に第三妃様を嫌っている訳ではありません」

「そうか? 私にはとてもそのようには」

「警戒しているだけです」

「そうか……」


 頭を抱えるディナスに、苦笑いするルナルドーレ。不機嫌を隠そうともしないオルギオ。

 流狼はフィリアと顔を見合わせて互いに首を振り合った。処置なしだ。

 ルナルドーレが咎めだてしていないという事は、彼女は気分を害していないのだ。ならばこちらが何かを言う必要もないだろう。

 城内でのルナルドーレの評判は決して悪くはないのだが、オルギオのように信じるに値しない女狐と警戒している者が一割程度はいるのがディナスにしても困りどころのようだ。


「さて、御馳走さまでした。ルナさん」

「どういたしまして。もうお役目?」

「ああ。サイアー達の訓練もあるのだけれど、アルが一旦戻ってくるというのでね」

「何、アル殿が戻ってくるのかっ!?」


 意外な食いつきを見せたのがフィリアである。

 頷いて返せば、目を輝かせて詰め寄ってくる。


「ちょ、フィリアさん近い近い」

「アル殿が戻ってくるという事は、私の機兵が完成するのか!?」

「いや、残念ながら。婚儀に参加する為に助手のオリガさんと一緒に一度戻ってくるってだけらしいから」

「そうなのか……残念だ」


 流狼の言葉にしょんぼりと肩を落とすフィリアだが、何かを思い出したようで、今度はディナスの方に顔を向けた。


「そういえば父上。トラヴィート王国からの出席者は」

「うむ。ケオストスはレイアルフの動向が不透明なので欠席との事だ。名代としてイーシャが来る事になっている」

「叔母様が? トラヴィート王国の内戦は大規模になりそうなのですか?」

「長引く恐れはありますね。戦運びが難しい点だけが厄介な程度で、ケオストス王の勝利は揺るがないでしょう」


 答えたのはルナルドーレだ。

 フィリアがそちらに顔を向けて首を傾げる。


「ルナ様、どういう事です?」

「王弟レイアルフ殿の領地は帝国に程近いですからね。諍いの原因が帝国との終戦にあるのであれば、彼は自領で待ちかまえ、思い切り後退しつつ帝国に攻め入ってしまえば良いのです」


 なし崩し的に帝国と再び戦争状態に突入してしまえば、ケオストスと争う理由がなくなるという論法だ。

 そうなれば帝国は嬉々としてトラヴィート王国への再侵攻を始めるだろう。例えレイアルフを騒動の責任者として処断したとしても、今度こそ戦争は止まらないだろう。


「ふむ」

「成程、女狐らしい着眼点だ。……悔しいが理に適っているな」


 ディナスが頷き、オルギオが呻くように同意する。

 帝国との戦争が始まってしまった場合、それはケオストスの敗北となる。エネスレイク王国も二度は手を貸さないし、グロウィリア公国はトラヴィート王国から手を引くだろう。

 そうなれば、たとえ内戦で勝てたとしても、次に来る帝国との争いでは勝負にならない。

 自然と、ケオストス派の採れる手段は少なくなる。レイアルフが蜂起し、王都のある西側へと侵攻するのを待たなくてはならないのだ。


「おそらくケオストス王の採る手段は敵軍を有利な場所に引き込んでから撃破するか、包囲して皆殺しにするかのどちらかでしょうね」

「城を包囲するのは下策だな。……レイアルフが討って出るのを待つしかないか。確かに時間がかかる」


 流狼はその話を静かに聞いていたが、ルナルドーレとオルギオが黙り込んだのを機に口を開いた。


「すみませんが、俺はこれで」

「む、そう言えばサイアー達の訓練という話だったな。済まないロウ」

「いやいや」


 サイアー達を待たせるのも悪いが、フィリア達の話に耳を傾けたのは自分だ。

 少しばかり急げば間に合う距離である。流狼は急いでサロンを後にした。

 それにしても、と流狼はアルの事を思い出していた。


「フィリアさんとサイアーの機体か。アルのやつ、どういう機体にするつもりなんだ?」


 どうやらアカグマと違い、骨格から造っているらしいのだが。

 古代機兵よりも旧い時代の機兵建造技術を持っているアルだ。滅多なものにはならないだろう。


「まあ、いいか」


 サイアーはともかく、フィリアの機体は万全に万全を期すべきだ。王族の乗る機兵は何よりその命を護れるものでなければ。

 この際、下手に加減をせずにしっかりとした機兵を造り上げて欲しいと思う流狼だった。


「遅かったな、ルーロウ」

「悪い悪い。では始めよう」








「……ふむ、言いたい事は理解した」


 ダミア・コロネルはレイアルフの声に苛立ちや怒りの色が全くない事を訝しみながらも、少なくともひとつの峠は越えたと安堵していた。

 ここまでに、レイアルフの元に辿り着けずに殺される可能性、レイアルフを激昂させて手討ちにされる可能性をくぐり抜けて来たのだ。

 自分の所為ではないとは言え、トラヴィート王国への調略が失敗した事は彼にとって唯一の汚点と言えた。

 兵を連れて帝都に戻った時には、アルズベックからは労いの言葉を賜った。今回の件はダミアの責任ではないと明言もしてくれた。しかし。

 アルズベックの覚えを良くしたい士官は上にも下にも山ほど居る。抜擢された以上の業績を残しているからとは言え、失敗は早期に雪いでおかなければ文字通り命に関わる。

 事が自分だけであれば構わないのだが、その咎は往々にして親族にまで向かうから厄介なのだ。

 このような危うい策を自ら実行したのも、その為である。少しでも成功率を上げる事と、死ぬならば自分だけで済ませられるように。

 ダミアは内心の焦りを押し隠しながら、不敵な笑みに見えるよう口角を上げて顔を上げた。


「つまり、私の率いるトラヴィートの方が与し易いという事か」

「……有体に申し上げれば」

「舐められたものだな」

「お言葉ですが、ケオストス殿下がトラヴィート王となれば、グロウィリア、エネスレイクとトラヴィート王国は三国で同盟を結ぶ事でしょう」

「それが?」

「十分な戦力を得た後に、三国が帝国と雌雄を決しようとしたならば。当然ながらグロウィリアもエネスレイクも十分以上の戦力を投入する事は間違いありません」

「……結構なことではないか」

「ですが。その際、戦地となるのはどこでしょう?」

「……この地か」

「はい。エネスレイクにはリバシオン山系という堅牢無比な天然の要害が、グロウィリアには王機兵という強大無比な防衛力がございます。自然、戦地はトラヴィート王国付近に限定されましょう。三国同盟とは名ばかり、トラヴィート王国のみが戦禍に喘ぐ羽目になるというもの」


 ダミアの弁に、レイアルフは黙り込んだままだった。

 最後に顔を合わせたのは終戦の交渉中だったが、その時に苛烈な視線を向けてきた人物と同一人物だとはとても思えない。

 何かがあったのは間違いない。しかし血気に逸る猛将であった彼を何がここまで変えたのか。

 沈黙に耐えきれず、ダミアが改めて言い募ろうと口を開きかけたところで、レイアルフがぼそりと聞いてきた。


「……ならば、私がトラヴィート王国を治める事になったら、帝国の同盟国としてその傘下に入るとしようか」

「へ、陛下!?」

「何を仰いますか!?」


 この言葉には側近も衝撃を与えていたが、度肝を抜かれたのはダミアの方だった。

 自分の組み立てていた予測の中で、この言葉はあり得なかった。

 誰もが二の句を接げずにいると、レイアルフは口許を歪めた。笑みを作ろうとして失敗している様子。これは本気だ。


「先程、私はグロウィリアのソルナート大公と通信を繋いでいた。後見をいただきたいと。トラヴィート王国はこのまま帝国に攻め入らねば、次の侵攻では必ず滅ぶと」

「……大公は、何と?」

「父レフはグロウィリアへの侵攻を防ぐ為に、最前線に立って戦った。その献身はグロウィリア公国と、麗しきルナルドーレの為に捧げられたものだった」


 ぎり、と奥歯を噛み締める音が響いた。

 言葉を紡ぐ度、何かに対して怒りを生み出しているかのように。


「ソルナート大公は言った。その献身は無駄であると。公国の撃王機は、いざとなればトラヴィートの軍港であっても狙い撃つ事が出来ると。……帝国は本心で公国を併呑する心算などないと」


 淡々と放たれる言葉に、側近達の顔色が変わる。

 最初は蒼白になり、そこから少しずつ紅潮して行く。


「私はエネスレイクと帝国が敵であると思っていた。だが、我らの流血を、痛苦を、あの大公は、女狐は、遠間から見て嘲笑っていたのだ!」

「陛下……!」


 レイアルフが噛み締めた唇から、紅い雫が伝う。


「私は、今どの国よりもグロウィリア公国を信じる事が出来ぬ!」

「し、しかし陛下。グロウィリア公国には母君が……」

「母……母か。母は既に公国の別の貴族に再嫁したという」

「馬鹿なッ!?」


 ざわめきと怒号が広がる。

 ダミアは何とも複雑な気分でレイアルフと側近のやり取りを聞いていた。

 自分が調略をするより先に、既にレイアルフはグロウィリアへの不信を爆発させていたことになる。

 聞く限りではグロウィリアへの悪意が迸っているようだが、レフのルナルドーレ狂いは帝国でも有名だった。側室にルナルドーレ似の公国貴族を迎えたという逸話もある程だから筋金入りだ。

 レフのルナルドーレへの想いはあるいは純愛や崇拝の類なのかもしれないが、自分を通して他の女性を見られた者は堪らないだろう。

 だが、どれ程無礼で気色悪い考え方であっても、今の自分には好都合だ。


「レイアルフ殿下。我が国は同盟国に全力でご助力する事を約束致しましょう」


 真摯に頭を下げる。

 レイアルフはこちらを値踏みするような目で、じっと見つめてきた。 


「頭を上げよ、ダミア・コロネル。今の私は、帝国もグロウィリアも信じる事は出来ない」

「はっ」

「或いは兄ケオストスを討った刃で、私はそのまま帝国を攻める道を選ぶかもしれないが」

「その時には、改めて私は帝国将軍として、正々堂々殿下を迎え撃つとしましょう」


 こちらを見下ろすレイアルフと視線が交錯する。

 憎悪の灼熱を宿す瞳を、まっすぐに見つめ返す。

 レイアルフはにい、と獣のような笑みを浮かべて張りのある一声を上げた。


「その言や良し! 貴様の申し出を受ける。至急戦力を手配せよ」

「御意!」

「ケオストスの喉元まで一気に貫く! 帝国軍と合流次第、突貫する! 準備を急げ!」

「御意!」


 側近の意志も統一されたようだ。

 彼らも分かったのだ。エネスレイクからもグロウィリアからも味方も後見も得られない今、待っているのは無残な敗北だけだと。

 周辺で残っているのは帝国だけだ。憎悪に蓋をしてでも生き延びなければ、この先もない。

 ダミアは自らの策が半ば成った事を確信して立ち上がった。

 レイアルフを王とし、トラヴィート王国をエネスレイク王国攻略の橋頭保とする為に。

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