第22話 噺家の矜持 5

 舞台袖で見ている我々が喉の渇きを癒やす為に水を飲んだのだが、各自その喉越しの音さえ響かないように慎重に飲み干していた。今、高座で柳生が話し始めた「千両みかん」という噺は、元は上方の噺で、真夏の噺である。


  大店の若旦那が病に倒れ、聞いてみると「みかんを食べたい」と言う。

大旦那からみかんを探せと命じられた番頭が、江戸中を探しますが、夏にみかんを売っている店はありません。

 ようやく、神田の「万惣」で一個みつけたが、千両だという値。毎年毎年、店の名に掛けて蔵一杯のみかんを保管している中の一個だからそれだけの価値があると。

店に帰って報告すると、「千両で息子の命が買えるなら安い」と言い、すぐ千両の金を番頭にもたせます。

大旦那様から千両を預かり、みかん一個を買って若旦那に持って帰ります。

 若旦那は喜んでみかんを食べて元気になり、十袋のうち三袋を残した。番頭を呼んで、おとっつあんとおっかさんに一袋渡して欲しい、苦労を掛けたから番頭さんも一袋食ってくれと、みかん三袋を番頭に渡した。

 番頭は預かったみかんを持って考えた。来年暖簾分けでご祝儀をもらっても、四十両か五十両だが、ここに三百両ある。

考えた挙句、番頭はみかんを持って何処かに……


 駆け出しの頃に人間国宝の桂米朝師の噺を聴いたことがある。天満の青物市場の番頭さんと店の番頭さんの上方商人の意地がぶつかり合って、商人の街大阪らしい噺だったと記憶している。

 上方版では、最初は商人のプライドに掛けて只でも良いと言うのだが、こじれて千両になるのだ。そのやり取りや、くだりが自然で納得出来る噺となっている。

 それに比べると江戸版は割合あっさりと千両という値段が出て来る。この噺の眼目は物の価値観だから、これはどちらが良いのだろうか? 

 俺はそんな思いで聴いていたが、若旦那の描写などやはり柳生は上手い。大旦那の貫禄も良く出ている。

 後半の万惣の番頭とのやり取りのシーンで柳生は万惣の番頭に最初はタダでも良いと言わせた。

「このひとつで商売しようとは思っていません。これは商売人としての矜持です。江戸一と言われた青物商の万惣がみかんひとつ用立てなかった。とは言われたくありません。だからこれだけの蔵に山ほどみかんをしまっておいたのです。その中からひとつだけでも良い。お客様に用立てればそれで良いのです」

 このセリフ、上方版に基いているのだろうが、話がみかんでは無く、噺、落語に置き換えたらそのまま柳生の心情と重なると思った。そうか、柳生がこの噺を選んだ理由がやっと判って来た。そんな事を思っている隣で薫が

「万惣って、フルーツパーラーのオレンジシャーベットが美味しいんだよね」

 そんな事を言って俺を現実に引き戻させた。佐伯もつい笑ってしまってる。

 

 柳生は、かと言って上方版をそのまま演じてる訳では無かった。蔵を開けると山のような腐ったみかんの匂いまで感じさせてくれる描写が凄まじく、客席でも顔をしかめている人が居た。

 この噺を理解させるために柳生は一切の妥協をしていなかったのだ。本当はここは夏の暑さを表現出来ていればそれで良いとされている。それが柳生はその先へと向かってるのだ。その先には一体何があるのだろう? 圓海師のような究極の臨場感だろうか? それとも我々を噺の世界に連れ込む描写力だろうか? その先にあるものを俺は見て見たいとこの時思い始めていた。

 噺は結局、旦那が「息子の命を買うなら千両でも安いものだ」と言って気前良く千両を出す。それを持って番頭さんが万惣でみかんを買って帰って来る。

 若旦那がそれを愛しそうにそして実に美味そうに食べて行く。大勢の観客が生唾を飲むのが判るようだ。

 やがて、若旦那は番頭に「ああ、美味しかった。ここに残り三房ある、おとっつあんとおっかさん。それにお前もご苦労さんだったね。三人で食べるといいよ」そう言って番頭に十房のうち残りの三房をくれたのだ。ここで番頭は考えてしまった。

「千両で十房、一房百両……三房で三百両。このままここに奉公していても……」

 価値観の狂った番頭を柳生は恐ろしいほどリアルに演じて行く。それは今までの落語とは何かが違っていた。

「考えたあげく、番頭さん。この三房のみかんを持ってその場から居なくなってしまったそうです……千両みかんでございました」

 柳生がオチを言って頭を下げる。一瞬遅れて拍手が湧き起こった。噺にのめり込み過ぎて観客も現実に戻るのが遅れたのだった。それほど柳生の演じた噺が凄かったのだ。

 高座を降りる柳生に惜しみない歓声と拍手が降り注いだ。圓海師の見ている前で柳生は堂々と己の矜持を見せたのだった。


 拍手が鳴り止むのを待って、柳星くんが高座返しをするとトリの出囃子「中の舞」が鳴り始めた。

 圓海師と高座を降りて来た柳生が舞台の袖の奥ですれ違った。

「お先に勉強させて戴きました」

 柳生の言葉に圓海師は

「良い物を見せて貰ったね。お返しをしないとならないね。今度はわたしがやるから受け取って欲しい」 

 その言葉を聞いて俺は圓海師が紛れもなく本気で高座に臨もうとしていると思った。これは見逃せない。この会をセッテイングしたのは俺だが、この場に居る事が出来る幸せを俺は感じたのだった。

「中の舞」の出囃子が終わり圓海師が頭を下げると再び拍手が沸き上がった。

「え~いよいよ最後の演目でございます。これからやる『文違い』という噺は新宿が舞台のお話でございまして、その昔、新宿は『内藤新宿』と申しまして、甲州街道に高井戸まで距離があるのでその前に宿場が欲しい。と願い出まして許可されたものでした。途中数年廃止されましたが、出来てからは大変に栄えたそうでございます、これはその宿場であったお話でございます」

 圓海師は新宿の出来た経緯を簡単に説明してから噺のマクラに入って行く。何処かで聴いている感じだと思ったら六代目圓生師の型だと思った。やはり六代目一門だけのことはあると感じた。

「文違い」という噺の筋だが、父娘の手切金として五十両を工面して、夫婦になろうと花魁のお杉に持ちかけられた半ちゃんは、走り回ったが二十両しか作れなかった。

 それではと、お杉が、病気の母の薬代として三十両欲しいと向かいの部屋の田舎おやじ客、角さんの馬の買付金をだまし取ってしまう。

 合わせて五十両を母に渡して来ると出ていった花魁だが、その金を若い男の芳次郎に眼病の治療費として渡したのだ。

 その後、芳次郎が落としていった手紙を読むと、新宿女郎お杉を騙して五十両を作ってもらうとの女文字で、自分が騙されていたことを知る。

 一方、一人部屋に残された半ちゃんが箪笥からはみ出した手紙を読むと、半ちゃんを騙して五十両を作り、その金を芳次郎に貢ぐ内容だったのだ。そこへ花魁が戻ると、よくも騙したなと叩く。

 向かいの部屋でこれを聞いていた角さんが、店の者を呼び付け「大金とか色男とか騒いでいるが、ワシが母親の薬代としてやった金だから心配するなと止めてくれ。いや待て、それではワシが色男だとバレてしまう」

 そう言って落とす噺で、騙し騙されの喜劇だが、花魁お杉の手練手管や田舎者の人の良さ。そして江戸っ子を気取ってる半ちゃんの様子など中々演じるのに苦労する噺だ。

 圓海師は冒頭の半ちゃんと花魁のお杉とのやり取りを何気なく語って行く。既に我々は馬が行き交う内藤新宿の宿場に居る。その遊廓の様子が手に取るように判る。それは師匠の目線によるものだと俺はやっと理解した。そして、圓海師はこの後とんでも無い高座を俺達に見せてくれるのだった。

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