第23話 噺家の矜持 6

 圓海師の「文違い」は六代目圓生師の型を踏襲したものだと判った。やはり圓生一門なのだからきちんと師匠の型を残しているのだと理解した。

 噺は半ちゃんがお杉に五十両揃えられなくて詫びを言ってるシーンだ。

「そんな、おまいさん。どうしても五十両要るんだよ……」

「だから、この通りだ。すまねえって言ってるだろう!」

 噺はこの後、半ちゃんが凄むのだが、逆にお杉が「そんな金なら要らないよ。さっさと返すから、あたしとあんたの関係もこれまでと思っとくれ!」と切り替えして半ちゃんが慌てて、逆に頼み込むように貰っておくれと言うのだ。

 今の場面の後、角さんから三十両の金を巻き上げて階下で待っている芳次郎に持って行くのだ。師匠はこの半ちゃんと角さんは同じ二階の部屋。与次郎が待っているのは下の一階の部屋ときちんと目線で判るように演じている。階段の急な感じも手に取るように判る。

 やがて芳次郎が目の病気で薬に大枚が掛かると言う。本気にしながらも信じ切れないお杉の心理描写も目線ひとつで見事に表してる。そして、それに怒った芳次郎が「そんな気なら金は要らねえ。その代わり俺とお前の関係もこれまでだ」と先程の半ちゃんとの会話が逆になってしまう。ここではかなりの笑いが起きる。笑せる場所だけに見事なものだ。

 芳次郎が帰るとそこには何処かの女からの手紙がある。芳次郎に宛てた手紙で内容には「どうしても五十両要ると書いてあり、そこには芳次郎が『新宿のお杉という女を騙して……』と書いてあるのを知り自分が騙されていたと気がつく。

 同時に、半ちゃんが芳次郎からの金の催促の手紙を見て真実を知る。部屋に帰って来たお杉は完全に中っ腹で、半ちゃんが怒って何か言っても通じない。

 ここで圓海師は独自の解釈を入れ始めた。それは、お杉が怒っているのは芳次郎に騙されたからでは無く、芳次郎が夢中になってる素人の女に自分が負けた事に対してだった。

「あたしだってここ内藤新宿じゃ、ちょいとは鳴らした女だよ。それが素人の娘に負けるなんてあたしの矜持がズタズタじゃないか!」

 俺は聴いていて鳥肌が立つのを感じた。まさか、ここで矜持を出して来るとは思わなかった。この騒ぎを聴いて、角さんがあらすじ通りの下げで落とした。

 凄い! お客は惜しみない拍手をしている。先程の柳生の時も凄かったが圓海師のも負けてはいない。

 師匠は「ありがとうございました! ありがとうございました!」と緞帳が降りるまで頭を下げていた。そして緞帳が降りきって、袖に下がって来た。真っ先に既に着替えていた柳生が近づく

「素晴らしい高座でした。勉強させて戴きました」

 そう言うと盛しんくんからタオルを受け取り汗を拭きながら

「いやいや、やはりブランクが出てしまったね」

 そうは言ったが顔は充実感でいっぱいだった。

 噺家の高座や寄席、落語会ではアンコールは無い。カーテンコールも勿論無い。だから噺家は一期一会で高座に臨むのだ。

 

 楽屋に下がった圓海師は柳生相手に今の高座の解説を始めた。勿論柳生が訊きたいのは、最後のお杉の矜持についてだった。

「何故、あそこは変えたのですか?」

 柳生の質問に圓海師は着替えながら

「ずっと疑問だったんだ。従来ならあそこは半ちゃんとお杉が自分の騙された愚痴を勝手に言って、それを聞きつけた角さんが下げの言葉を言うのだが、何か不自然な感じがしてね。それに今まで、理路整然と噺が進んで来たのに、あそこだけアレでは噺が台無しになると思ったんだ。それでお杉は本当は何で怒っていたのかを考えてね。勿論、芳次郎に嘘をつかれた事もあったろうが、自分が惚れ抜いてる男だ。諦めも若干あるのでは? と思ったんだ。ではあの怒りは何かと思った時に、芳次郎の向こう側に居る小筆に対してではないかと考えたんだ」

 気持ちよさそうにバスタオルで体や顔を拭くと

「でも、今日は完全に成りきれなかったな。歳かも知れないし、ブランクかも知れない。今度またやる時までに腕をあげておくよ」

 そう言ったのが印象的だった。

 これが縁で二人はこの後も「二人会」を定期的に続けて行く事になる。落語会でも切符が入手困難な落語会のひとつになって行く。


 打ち上げでは二人共熱心に落語論を戦わせていた。実に楽しそうだ。それを俺と薫は眺めながら、会をセッテイングして色々とした事が報われたと思うのだった。


 帰り道、夜道を歩きながら

「呑めなかったからつまらなかったろう?」

 そう薫に問うと笑いながら俺に腕を絡めて

「ううん。楽しかった。二人の師匠の話はわたし達役者にも関係して来る話だしね。とても参考になったわよ。それとね、さっきね。少し動いたの」

 そんな事を言って俺を驚かせた。

「まさか……早くないか?」

「そうでもないわよ。年末には生まれてるんだもの。まあ気のせいかも知れないけどね」

「もしかしたら、凄い噺だったんで聞きたがっているのかもな」

「そうよ! わたし達の子だもの、噺の好きな子になるわよ」

 

 圓海師と柳生。二人の噺家の矜持がぶつかって、それは凄い落語会だった。俺はこの模様をどうやって記事にするか考えていた。

 でも、その前に、薫のお腹を触って見なければ……

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