第21話 噺家の矜持 4

 「う~んそれじゃ弁慶にしておけ」

 柳生の「青菜」のオチが決まって、会場から一斉に拍手が湧き上がった。柳生は俺が今まで見たことの無い噺家になった。いや、正確にはなりつつあると感じた。でも、しいて言えば誰だろうと自問する……一人だけ思い当たった。今は亡き古今亭志ん朝師匠だ。

 華やかでそれでいて本寸法。調子が良くてそれでいて人物が良く出ていた。今の柳生の「青菜」は柳生本人でありながら植木屋の親方であり、お屋敷の旦那であった。圓海師のようにその噺の空間に我々観客を連れて行ってくれる訳でもない。圓盛師のようにその場にお芝居として再現させて見せてくれる訳でもない。だが、柳生は我々観客を噺の世界、言い換えれば江戸の世界に連れて行ってくれたのだった。

 そんな噺家は俺は過去に一人だけしか知らない。それが志ん朝師だったと言う訳だ。同じように華があり、本寸法の話芸を持ち、自分自身に妥協しない……恐らく志ん朝師もそうだったのだろう。おれは駆け出しの頃に、先輩が師匠にインタビューをするので一緒に付いて行ったことがあるだけだが、それでも志ん朝師の噺に対する考えは多少は判った気がした。

『噺を昔のままでやりたいんですよ。変に変えたくはない』

 確か、そんなことを言っていたと思う。同じセリフを柳生から聞いたと思い出した。柳生の求める先には志ん朝師が居るのだろうか?

 志ん朝師の父親で師匠でもあった志ん生師も何をやらせても志ん生師でありながら武士であり与太郎であり熊や八五郎でもあったと言う。まさにその系譜を受け継ぐ気でいるのだろうか?

 俺はそんなことを考えながら薫と一緒に楽屋を訪れた。

「いい出来だったね」

 そう声を掛けると柳生が笑いながら

「どうしても圓海師匠の高座が頭から離れなくて、往生しました。やはり凄いです。今日いっしょにやらせて戴いて良かったです。これからの噺に対する収穫になりました」

 完璧な出来では無かったのかと思い

「満足しなかったのか?」

 そう問うと柳生は

「少し甘さが出ましたね。まだまだです。でも、自分の追い求めているモノが見えた気がします」

 そう俺に返してくれた。薫が

「『千両みかん』も期待しています。頑張ってくださいね」

 そう声を掛けると笑って

「全力でぶつかって行きます。玉砕覚悟です」

 そんなことを言ったのが印象的だった。


 薫が「対談の司会の準備があるから」と俺と別れ控室に消えると、俺は続いて圓海師の楽屋を落訪れた。師匠は一旦着物を脱いでいた。

「インターバルが長いから一旦脱がせて貰ったよ。高座着を着るとどうしても気合が入るからね。この歳で長い時間はきつい」

 だがこの後対談があるのだが……と思っていると

「なに、対談は背広でも構わないだろう? 柳生くんは高座着のままだろうけどね」

 それを聞いて、俺はやはり圓海師は噺に入ると特別な何かを出すのだと思った。それは「気」のようなものかも知れないし、自分自身に対する暗示のようなものかも知れないと思った。

 対談は毛氈を敷いた高座の前に椅子を三脚出して、圓海師、柳生、それに司会の薫が座る手筈になっている。

「彼の『青菜』良かったね。尤も本人の前では言えないけどね。彼はもっと上手くなる……こんな老いぼれはさっさと乗り越えてくれなくてはね。だけど、そう簡単に乗り越させはしないつもりだ。わたしにも矜持があるからね。小さなモノだがね」

 盛しんくんの入れてくれたお茶を飲みながら、圓海師はさすが柳生の噺家としての力量まで見抜いていた。これはこの後の対談が楽しみになった。


 挨拶をして、楽屋を出て舞台袖に戻ると既に椅子は並べられ準備も出来ていた。仲入りが終わり、出囃子の「米洗い」が掛かった。賑やかで陽気な出囃子だ。その音に乗って圓海師、柳生、そして橘薫子(ゆきこ)が登場してきた。各自席に座る。上手(客席から見て右)から圓海師、中央が薫子、そして下手が柳生となった。

「では、三遊亭圓海師匠、麗々亭柳生師匠の対談を始めさせて戴きます」

 薫子の言葉で対談が始まった。噺は今日の高座で掛けた噺についてからだった。

「柳生くん、今日の高座で『青菜』をかけたのは理由があったのかな?」

 いきなり核心に迫る圓海師の言葉に柳生は

「正直言いまして、師匠が先日圓盛師匠と兄弟会をなさいました。その時高座にかけたのが『青菜』でした。噂を聞くと素晴らしかったと言う……ならば自分の精一杯の力ならば師匠にどの程度追いつけるか自分自身で試してみたかったのです」

「そうかい、それで結果はどう思った?」

「まだまだ、という事が良く判りました」

 柳生がそう言って笑った時だった。圓海師が

「それは違うよ。噺というものは実は生きているんだ。古いわたしの感性で演じた『青菜』と若い感性であなたが演じた『青菜』では実は違う。同じ噺でも実は違うんだ。お客さんでこの前の会にいらした方がいらっしゃるか判らないが、もし聴き比べてみたら、実は違うものだと理解出来たと思う。あなたの『青菜』を袖で聴かせて貰って、わたしは志ん生師匠を思い出した。勿論今のあなたが志ん生師のレベルまで行ってるという訳では無いが、将来、どこを切っても落語しか出なかったと言う志ん生師のような噺家にあなたはいずれなる気がします。でもね、今日はこの後の噺わたしは本気で演じますから楽しみにしていてください」

 驚いた。圓海師が対談でこんなことを言うとは思ってもみなかった。言われた柳生が

「勿論、わたしも全力でぶつからせて戴きます」

 笑いながらも本気が伺える返事をして会場が盛り上がった。その後は落語についてのそれぞれの考え方や一般論を言って対談が終わった。司会を受け持った橘薫子こと薫が降りて来て

「凄かった! 対談していても二人共真剣なの! もうピリピリしていて二人の本気度が良く判ったわ。この後の高座が本当に楽しみだわ」

 薫の興奮した表情からもそれは伺えた。今日はガチの真剣勝負なのだと理解した。

 舞台の片付けが終わり、柳星くんが高座返しをしてめくりを返して「柳生」と変わると出囃子「外記猿」が鳴り出した。緊張感を醸し出すこの出囃子はやはり柳生に相応しいと感じた。

 毛氈を敷いた高座の座布団に座り頭を下げると割れんばかりの拍手が降り注いだ。

「え~対談に続きましての高座でございます。どうかお付き合いのほどを願います。今は食品の保存方法が発達致しまして、どの季節でもお金さえあれば季節外れの品物でも手に入りますが、その昔はどんなにお金を出しましても季節外れの品物は手に入りませんでした。それ故に季節感と言うモノがとても大事でした……」

 いよいよ「千両みかん」のマクラが始まった。観客だけではない。俺と薫、それに佐伯や編集部の手伝いに来てくれた子。いや圓海師匠までもが、どんな噺になるのか固唾を呑んで見守っていた。

「なんだか喉が渇いて来ちゃった」

 数人がペットボトルの水に口をつけていた。これから真夏のそれも炎天下が登場する噺が始まる。俺は何かとてつもない事が起きるのではないかと思うのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る