第19話 噺家の矜持 2
「二人会」を行うことが決まり、次にやらなければならないのは日にちを決め会場を押さえる事と、「よみうり版」に告知を載せる事だ。ここは両師匠に希望の日を言って貰って会場を探した。
なんせ二人共せっかちな性分で(柳生に関しては、薄々気がついてはいたが)まさか圓海師までもが「早いほうがいいんだけどな。気が削がれないうちに」などと言って来たので困ってしまった。薫にも手伝って貰い有力な会場を探した。
結局、牛込にある区の施設が借りられる事になった。手並べ椅子を含めて大凡400席あまりの会場だ。落語会や小さな劇団の発表会、それに踊りの会なども良く開かれている会場だ。
急いで、印刷に回す寸前の原稿を差し変えて二人の写真と簡単な記事を作り載せることにした。少々強引だったが、皆許してくれた。ありがたい……
問題は前売りが出来ない事だ。その為全て当日券とする事にした。切符の担当は俺と薫。それに編集部の佐伯や女子も手伝ってくれることになった。礼を言うと佐伯が
「なに、本音は圓海師と柳生師の噺をこの耳で聴きたいのさ」
それも真実だろうが、それにしてもありがたかった。
月末の七月号が発売されると編集部にも問い合わせの電話が掛かって来るようになった。反響の大きさに我ながら驚く。何と言っても圓海師の高座の模様を載せたばかりだったから記事を読んだ読者にしてみれば「是非とも聴きたい」と言う思いになるのだろう。俺がその立場だったらやはり聴きたいと思う。
演目を決めなければならない。それに高座の順番だが、最初に圓海師があがり、次に柳生で仲入り、そして二人の対談の後に柳生が再び上がり、トリが圓海師と決めた。これには二人共納得してくれた。対談の司会だが、何と薫がやると言う。
「舞台慣れしてるから司会ぐらいなら出来るよ」
「お腹の具合はどうするんだ」
「ダボダボの服着て出るし。それにわたしが妊娠してるのはもう公表ずみだから、構わないでしょう」
この際、我が妻だが本人がやると言っている以上やって貰うつもりだった。そして、これが大事だが入場料は三千円とした。このチケットの印刷も発注した。残りは二人の当日の演目四つを決めるだけとなった。
二人会は七月の二十日と決めてある。夏休みに入る日だ。柳生も寄席の出番は無いし、圓海師も「それ以上遅いとダレる」と言っていたからこの辺がギリギリなのだった。
柳生のマンションを訪れると、丁度稽古中だった。「どうぞ」とインターフォンの声にドアを開けると柳生の声が聞こえて来た。そのセリフで「千両みかん」と判った。
実は今日、圓海師から連絡があり演目を「夏の医者」と「文違い」に決めたいと言って来たのだ。今日柳生のマンションを訪れたのもそれを伝えるのが目的だった。
「良い出来だったんじゃないの?」
後ろから声を掛けると柳生が振り返りながら
「出来れば二人会で掛けたいんですがね」
そう言って来たので、圓海師の希望演目を伝えると
「いいんじゃ無いですか。演目も私とは被りませんしね」
そんな事を言って笑う
「もう一つは何にするんだい?」
俺の質問に柳生は
「そうですね。時間の関係もありますが『青菜』をやりたいですね。時間的にも仲入りで圓海師が前にやったところですからね」
柳生は圓海師が兄弟会の仲入りで「青菜」を演じたのを言っていたのだ。これは柳生の噺家としての矜持かと思った。
俺は頭の中でタイムテーブルを作成する。五時半開場で六時開演。前座を十五分使って、その後圓海師の「夏の医者」だ。師匠のは六代目圓生師譲りだろうから三十分は掛からないだろう圓生師は二十分前後で演じていたはずだ。六時三十五分に柳生が上がって「青菜」をやる。これも二十分あれば終わる噺だから仲入りが六時五十五分。十分の休憩で七時五分からとすると対談の時間が二十分から三十分。その後柳生の「千両みかん」が四十分と見ておくと八時十五分にトリの圓海師が高座に上がって「文違い」をやる。この噺は四十分前後は掛かる。やりようだが、それぐらいの時間は見ていたいと思った。八時五十分から五十五分には終わって打ち出しになる。全部片付けて我々関係者も出るのが九時四十五分だから、これには余裕で間に合う。
「うん、大丈夫だ。時間的には余裕が出るよ」
気が付くと柳生が心配そうな表情で俺を見つめていた。
「まさか、タイムテーブルを考えていたんですか?」
「そうだよ。俺の役目だからな。それより『青菜』なんて随分じゃないか」
俺の言葉に柳生は苦笑いしながら
「神山さんや薫さん。それにこの前の兄弟会に来たお客様も来るでしょう。その方たちに聴き比べをして欲しいんです。私の噺がどこまで通じるかを……考えて決めました。『千両みかん』もそう思って決めました」
柳生はやはり真剣だったのだ。これはガチになると俺は身が震えるのを感じた。
その場で圓海師に連絡を入れた。未だ宵の口だから大丈夫な時刻だと思ったのだ。案の定すぐに師匠は出てくれた。そして演目について柳生が了解した旨と彼の演目を伝えると圓海師は
「そうですか『青菜』を選びましたか……さすが若手随一と言われるだけのことはありますな。それぐらいで無ければ面白くありません。私も気合が入って来ましたよ。『千両みかん』共々楽しみにしていますと伝えて下さい。私も彼の得意演目の「文違い」を頑張らせて戴きます」
そう言って通話を終えた。何の事はない、二人でお互いの得意演目をやるという事になったのだった。
「そうですか、そこまで知っていて下さったと言うのが嬉しいですね。全力でぶつからせて戴きますよ」
柳生の言葉に力が篭っていた。圓海師もあの感じでは本気だ。本気で二人の噺家の矜持がぶつかり合う……これが興奮せずにいられようか……
帰り道、薫に電話を入れると、バラエティーの収録が終わり既に家に帰っていた。
「帰ったら、面白い話があるからな」
喉元まで出掛かった今の話を飲み込んで家路に着く。夏の夜はけだるい暑さを残して更けて行った。
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