*想いは遙か遠く

「興味深い話だ」

何艘なんそうもの船で脱出したため途中で皆、散り散りになり、統率者とそれを護る一族の乗った船は、中国大陸に流れ着いたと伝えられている」

 当時、辿り着いたその地にどのくらい人間がいたのかは解らない。彼らの持つ能力ちからと経緯を思えば、数少ない住人からも遠ざかっていた事は明白だろう。

 そのうちに人が増え、一族は廃れる事もなく小さな繁栄を続けながらも逃げるように住処を転々とし、やがて山奥に身を潜めるようになった。

 それでもその生活は質素というだけに留まっているのは、中国という大陸によるものが大きいのかもしれない。

 あまりの広大さに、未だ全容の把握は出来ていない。

 少しくらいの物の移動など気付くはずもなく、現在に至ってもなお、知られざる部族がいる可能性すら拭えない。

 それほどに巨大な大地といえる。

「彼女の持つ力も、神から授かったものだと?」

「本当に神からの授かり物なのかは解らない。元々、大陸人が持っていた能力かもしれない」

「そうか」

 神から授かったものだろうが、元々の力だろうがベリルには納得のいく話ではなかった。現実主義者でも幻想論者でもないが、あまりにもの飛躍した話に脳が回りきらない。

 自分から聞いておきながら、やはり目眩めまいを禁じ得ない。

 ベリルは頭を抱えつつも、どうにか話を自分のテリトリーに戻すことにした。

「力については良いとして。ミレアの持つ能力を組織の誰かが知っていて、彼女を狙ったという事になる」

 アレウスはそこでようやく、事の重大さに気が付いた。

「仲間の中に裏切り者が?」

「そこまでは解らんが」

 お前たちの事を知る者かもしれない。警戒した方がいいだろう。

「──そんな」

 アレウスは愕然とした。

 仲間だとしたら重大な裏切りだ。しかし、もし仲間が捕らわれて酷い仕打ちによって聞き出したのだとしたら、その仲間はどうなったのだろう。

 今も辛い目に遭ってはいないだろうか、殺されてはいないだろうか。

「こんな、力のために──っ」

 ミレア様を苦しめる力など、今すぐ跡形もなく消えてなくなればとどれほど願っただろうか。

 幼い頃から見守り、お世話をしてきた。自分のお立場が解っておられなかったときは、何故俺たちと同じようにしてはならないのかと泣きじゃくっていたものだ。

 今や治める大陸も、大勢の民もなく、それでも統率者の血筋であらねばならないのかと俺によく問うていた。

 大陸人の血を絶やさないためだと言い聞かせていた俺でさえ、そのことに疑問はついてまわった。

 疑問を抱きつつ、やはり我らの血を絶やしたくはないと心の底では己の血にしがみついている。

 いにしえから続く種族だと今さら世に知らしめたところで、国を持つことは出来ない。そのために多くの血を流す意味など、ありはしない。

 俺たちは、いつか絶える血にしがみついて細々と生きていきたいだけなんだ。争いなど望まない。

「ミレア様。どうか、ご無事で」

 アレウスはそばにいられない口惜しさに奥歯を噛みしめる。



 ──基地に戻ったキリアはミレアを閉じこめたあと、迎撃態勢を取るために全員に指示を送っていた。

 突然、幹部が訪問してきたかと思えば、今度は敵を迎撃しろと命じられ基地にいた兵士は酷く同動揺している。

「はーい。チャッチャと準備よろしくね!」

 広いエントランスを見渡せる位置でキリアは楽しそうに手を打ち声を上げた。

 兵士たちは半ば呆れて準備に追われる。気まぐれなのはいつものことだが、わざわざ敵を拠点に誘導する神経は理解し難い。

 確実に殲滅しなければ、場所がばれたこの基地を放棄するしかないのだから。いや、敵はすでに基地の場所を方々に広めているかも知れない。

 連れてきたミレアの身体検査を一切せず、すぐに牢に閉じ込めた。本来なら、あり得ない行為だ。

 殺しを至上の喜びと感じている男が、これほどまでに一人の人間に固執し闘いを求めている姿を初めて目にする。

 キリアをよく知る兵士たちは、鼻歌交じりの男に恐怖さえ感じていた。

「まあ、勝てるだろうけどね~」

 こっちは六十人以上いるんだし、あっちはせいぜい三十人がいいとこだろう。

 優位に立った勝利でも勝ちは勝ち。なぶり殺しにして、こいつらに見せつけた方が俺に刃向かう奴はいなくなる。

 逆らえばどうなるのか晒してやるのが一番いい。

「自分のものにはならない奴に執着するほど、俺はねちっこく無いんだよ。ベリル」

 だったら、俺のために役立ってもらう。

「俺に従った方が良かったと思うまで、じっくり痛めつけてやる」

 その綺麗な顔が、苦痛と恐怖に歪んでいく様が楽しみだよ。

 いたぶる光景を思い浮かべては喉の奥からクックッと笑みを絞り出し、そのときを待ちわびていた。



 ──ミレアは、窓のない薄暗い部屋でベッドに腰を落とし宙を見つめていた。

 分厚い金属のドアは冷たく、きっとその向こうには逃げ出さないようにと男が一人、監視として立っているのだろう。

 それでも扱いは客人としてなのか、ナイトテーブルには水と食事が乗せられていた。

 とてもそれらが喉を通る気分ではなく、唇を湿らせる程度の水だけはと金属のカップに口を付ける。

 何度、アレウスに呼びかけても応えがない。まるで、何か見えない壁に阻まれているようでこんなことは初めてだった。

「ベリル」

 不安だけが心を満たし、指の端々にまで拡がっていくように手足は小さく震えていた。

「わたしは、どうすればいいの?」

 死ぬ覚悟は出来ている。でも、それは最後の手段でなければならない。

 そうでなければ、ずっと護ってくれていたアレウスやベリルや、彼の仲間に申し訳がない。

 そのときになって、わたしは本当に死ぬことが出来るのだろうか。決意と同時に、死の恐怖が少女の胸を締め付ける。

 不安は増すばかりで、どうにか勇気を振り絞ろうと思い浮かべるのはベリルの事ばかりだった。

 深い事情も知らされないままに護ってくれた。

 やっと自由を手に入れて、なのにまた、自由を手放そうとしていた──あなたが夢見ていた自由はどんなもの? あなたが好きな景色を、わたしも見てみたい。

「助けて、ベリル」

 か細く紡がれた言葉は冷たい壁に吸い込まれ、流れた涙の粒は灰色の床に落ちて消えていく。



 ──ふと、ベリルは呼ばれた気がして遙か東の空を見やった。

「どうした?」

「いや」

 ジェイクになんでもないと応えミレアの言った、つながりという言葉を思い起こす。

 それが本当ならば私とミレアのあいだにも、つながりというものが出来ているのだろうか。

 距離に関係なく会話出来るのなら、励ます事も出来ただろうに。

 しばらくして大型輸送機が到着し、ベリルは皆を集めて事前のおおまかな作戦の説明を始めた。

「こちらの戦力は最低数だ。規模から想定すると敵の数は、およそ六十から七十」

 それに何人か口笛を鳴らす。

 ベリルは全員が聞き取れた事を確認し、衛星から撮影された映像を引き延ばした写真を差した。何もないように思われる画像だが、その地面にはうっすらと線が見える。

「施設は地下にある。入り口は最低でも四ヶ所だろう」

「規模はどれくらいだと思う」

「さほど大きくはないと推測している」

 ジェイクの問いかけに答えて話を続けた。

「モニタールームの制圧を優先する。そこから細かな指示を頼む。制圧はジェイクに任せて、私とアレウスでミレアの捜索を行う」

「二人だけで大丈夫か?」

「問題ない」

 こちらの戦力を考えれば、捜索しつつの制圧は難しい。

 従って、仲間たちに基地の制圧を任せ、アレウスとベリルの二人だけでミレアの捜索を行うという判断に至った。

「チームを三つに分ける」

 続けようとしたそのとき、

「敵か!?」

 黒い影が足下を過ぎり、見上げたジェイクが声を張り上げる。

 一同が上空に目をやると、数機の高速輸送機が旋回しパラシュートが開いていく様子が視界に捉えられた。

「仲間だ! 応援だよ!」

 ドペスターにいた通信係が叫ぶ。

「応援?」

 ベリルは目を丸くした。一体、誰がどこから聞きつけて来たのだろうか。いや、それよりも。金にもならないというのに、どんな物好きなんだ。

「よう!」

 パラシュートで降り立ち、真っ先にキャンプにたどり着いた一人の男がヘルメットを外してベリルに笑顔を向けた。

「クライド?」

「お前が急ぎで仲間を集めているって聞いてな」

 驚くベリルに手を差し出す。

「俺も仲間を集めて来た」

 クライドと呼ばれた男は、駆け寄ってくる幾人もの男たちを親指で示した。

 栗色の短髪に緑の瞳、二十九歳のクライドはベリルと何度か組んだ事のある傭兵だ。明るい性格の彼はベリルと妙に気が合い、戦闘でも見事な連携を取れるほど息も合う。

「仲間の危機には駆けつける。それが俺の信条」

 親指を自分の胸にあて、ウインクして口の端を吊り上げた。

「ハ──よくも言う」

 ベリルは呆れて笑みをこぼしたが、戦力の増強は有り難い。

「何人だ」

「十七人連れてきた」

「助かる」

 これで作戦が練りやすくなった。

「アトラック・メナスか。厄介だな」

「数は六十から七十とみている」

 舌打ちし苦々しく眉を寄せるクライドに応える。

「チームは」

「四つに分ける。長期戦に持ち込まれる前に叩く」

 他からの応援が来る前にミレアを救出し撤退する考えだとクライドに説明した。

「すでに呼んでいるとしたら、やばいんじゃないのか?」

「キリアという男、自分の力を過信していると見ている」

 ベリルは無表情な瞳ながらも、口元だけには薄い笑みを浮かべていた。

 それに、クライドは高揚を隠せない。ベリルがこの顔をしたとき、勝機は確実にこちらにある。

「悪魔の微笑み」と言われるほど冷たく妖艶な姿は仲間の目には心強く、敵にとってはまさに悪魔のごときゾッとする笑みだろう。



 ──ミレアは泣きはらして腫れた目の痛みを抑えるため、湿らせたハンカチを瞼の上に当てた。

 泣いていてもどうしようもない事は解っている。それでも涙は流れてしまう。

 そのとき、ドアの開く音がして目を向けるとキリアが相変わらずの、にやけた顔で入ってきた。

「元気かい?」

「何の用です」

「怖いねぇ。別に、盗って食おうって訳じゃないんだからさあ」

 睨みつけるミレアに肩をすくめた。

「わたしを解放しなさい」

「嫌だね」

 そんなに泣いて、目が痛そうだねと顔を近づける。

 子供っぽくも見える笑顔の奥にある鋭い眼差しに、少女は喉を詰まらせた。

「あんた、可愛いね。あいつベリルのことが好きなの?」

「何を言っているのです」

 思いもしない言葉に声がうわずる。

「そうだよねぇ~。つぎはぎなんて、好きにならないか」

 ミレアは途端に目を吊り上げた。どうしてそんなことが言えるのか。

「なんて失礼な人なの。あなたこそ、人間なのですか?」

「あれ? 怒ったの?」

「誰だって怒ります」

 そんな少女を鼻で笑い、上目遣いに見やる。

「お前だろ。俺に何かしたの」

 驚いてすぐ表情を戻したミレアに大きく開いた目を向けた。

「どう考えても、あんた以外にいないんだよね。俺に、奴のデータを消させたの」

 向き直ったキリアの目には怒りが見て取れた。考えていけば気付かれてしまうことかもしれないが、やはり馬鹿という訳ではないらしい。

 とぼけ続けるのは無理かもしれないと、殴られる覚悟で体を強ばらせた。

「まあいいけど。どうせ、あいつはもうすぐ死ぬし」

「いいえ! あなたなどに、彼が負けるものですか」

 震えながらも強く言い放った少女に、キリアはゾッとするような笑みを貼り付けた顔を寄せる。

「根性とか、気合いとか。そんなの、戦いには無意味なんだぜ」

 耳元でささやき部屋を出て行く。

 ベリルは負けない。あんな人に、負けるものですか。それでもキリアの冷たい瞳に心臓を掴まれたような気がして、この先の煩慮はんりょに組んだ手を握りしめる。

「どうして?」

 どうしてこんな力があるのだろう。誰も幸せになどしないのに。わたしが死んでも、この力が消えることはない。

「使わなければ無くならない力なんて。なんと辛いことなのだろう」

 無理矢理に誰かを選ばなければ、決して消え去る事がない。

 過去の統率者たちも、放棄できない力に悩んだに違いない。そうでなければ、未だにこの力が継承されているなんてあり得るだろうか。

 未来永劫、一族を守り続ける者に与える力なのだろう。けれどいっそ、一族が絶えればという思考が過ぎったこともある。

 でも、そうじゃない。そんな解決方法は違う。

 この力が受け継がれる時には、どこからともなく低く優しい声が心に響いてくる。それが神の声なのか、過去の統率者の声なのかは解らない。

 授けられた力の重大さを、その時に初めて実感するのだ。

「お願い。誰でもいい。この、呪われた力を消し去って」

 どこにも届くはずのない言葉を、ミレアは何度も繰り返した。

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