*追撃

「取り返したきゃ、追ってくるんだな」

「きさま!」

 キリアは睨み付けるベリルに嬉しそうに手を振りながら、ミレアを抱えて闇夜に消えた。

「──ッグ」

 ベリルは深々と突き立てられたナイフに目を眇め、痛みをこらえて縫いつけられた岩から体を引き離す。

 そして、ナイフを腕に残したままキャンプに戻った。

「ベリル!? それはどうしたんだ」

「ドペスターを──」

 驚くジェイクを一瞥いちべつし、コンピュータの搭載された車によろめく足で向かう。

 両開きの後ろの扉から中に入り、腕の痛みに低く唸りつつ椅子に腰掛けてキーを打ち始めた。

「ベリル! ミレア様はどこだ!? 気配がない。話しかけても応えない」

 キャンプ中を探し回ったのか、息の荒いアレウスが血相を変えて飛び込んできた。

「連れ去られた。すまない」

「なんだって!? すまんで済むか!」

「やめろ」

 ジェイクは掴みかかろうとしたアレウスを制止する。

 それを振り払おうとしたが、屈強な男の腕をそう簡単には引きはがせずベリルを睨みつけた。

 そこでアレウスは、ようやくベリルの状態に気が付く。

「お前──。その腕」

「誰か! ドクドクターを呼んでくれ!」

 ジェイクが声を張り上げて医療経験のある仲間を呼ぶと、他の仲間がそれを伝達していった。

 アレウスはナイフを抜かずにいるベリルをいぶかしげに見つめる。右腕を動かす度に眉を寄せ、それでも作業を続けていた。

「治療する直前まで、あのままがいいんだよ。血が吹き出ない」

 ジェイクが説明していると、ディスプレイに点滅する赤い点が表示された。

「それは?」とジェイク。

「ミレアのGPS信号」

「なに!?」

「もしもの時のためにね」

 それにアレウスは眉間の縦じわを深く刻んだ。

「入れ替えたって訳か」

 複雑な瞳でベリルを見つめる。

 ミレアの髪飾りに隠されていた発信器を取り外し、自分のものと交換した。それを今まで黙っていたことに憤りを感じていても、それがあったおかげで辿れると思えば怒る気にはなれない。

 護れと言いながら信用せず、何も話さない俺たちがお前は信用しろなどとは言えない。

 隠していたのは信じていないからではなく、それなりの考えがあってのことなのだろうと自分に言い聞かせた。

「全員にヘッドセットを配ってくれ」

「了解した」

 ジェイクは応えて、手際よく全員にヘッドセットが配られる。

 アレウスの手にもそれが乗せられた。すっぽりと耳に収まるタイプで、横にいた男が使い方を丁寧に説明する。

「すまないが、車の運転を頼めるか」

「解った」

 アレウスは怒りをこらえてベリルの言葉に素直に従った。

 手の中のヘッドセットを見下ろし、今の自分には何も出来ないのだと悔しさをにじませる。

 ベリルは痛む体を椅子から起こし、ドペスターの床に腰を落とすと直ぐに医療器具を持った男が車に駆け込んだ。

「傷は?」

 見事に腕を貫いているナイフを眺め、袖を破いて傷口を確認した。

「いいか、抜くぞ」

 突き出た刃先を消毒し、険しい表情を向ける。

「頼む」

 了解を得て覚悟を認め、肩にきつくロープを巻いて血流を抑えると、男はゆっくりナイフに手をかけ柄を強く握る。

「ぐっ──う」

 一気に引き抜かれた瞬間、痛みで小さく唸りを上げて抜き終わった事にホッと肩の力を抜いた。

 男は抜いたナイフを乱暴に車の床に投げ捨て、流れる血をガーゼで拭き取る。

「幸い、太い血管を傷つけてはいないようだ」

 食塩水をたっぷり含ませた布で傷口を拭い、瞬間接着剤が入っている容器に似た形状のものを手に取って、糸を通した針を用意する。

「痛むが我慢しろよ」

「やってくれ」

 その言葉に、男は躊躇なく傷口に皮膚表面接着剤を注いだ。それが終わると、次に接着剤が乾いた傷口を縫っていく。

 麻酔を使わない治療には激しい痛みが伴う。しかしベリルは歯を食いしばりそれに耐え続けた。

「強めに頼む」

「わかった」

「で、どうするんだ」

 戻ってきたジェイクが包帯を巻かれているベリルの腕をちらりと見て問いかける。

「ひとまず、仲間との合流地点に向かう」

 痛み止めを断り、腕を抑えて苦い顔をし立ち上がった。

「彼女を追わなくてもいいのか?」

 念を押すように聞き返すと、ベリルはディスプレイの赤い点を一瞥した。

「今の数では追いついたとしても、勝ち目はない」

 キリアが向かっている先は東──オーストラリアの基地だろう。

 このまま追って、勝てるのならばそうしたい。しかし、敵の拠点であるならその規模を把握していなくとも、こちらの今の戦力では難しいということだけは解る。

「仕方ねえな。早く来るように急かしておくよ」

 いつもの冷静なベリルに安心したのか、ジェイクは口角を吊り上げて応えた。

 ウインクして車に乗り込み、通信機に手をかける。ベリルは仲間が持ってきた新しい服を羽織ると、再びイスに腰掛けた。

「必ず救い出す」

 その目に鋭い光が宿る──

 力を持っているというだけで彼女は苦しみ、その命すら断とうとしている。

 アレウスの言葉では、統率者の血筋に必ず現れる力なのだそうだ。その力もまた、たった一度だけものらしい。

 そして、その力は統率者の血筋に一度だけという特別なもので、彼女が死んだからといって、その力が無くなる訳ではない。力は別の血筋に受け継がれる。

 本当に解放されるのは、その力を使ったときだけとなる。

 しかし、統率者の血筋たちはそれを拒んできた。だからこそ、これまで使われずにいた。呪われた力だとし、彼らはその力を良しとは考えていない。

「それ程に、大きな力なのか」

 目を眇め、噛みしめるようにつぶやいた。



 ──キリアは荒野を眺めながら、鼻歌交じりにジープを東に走らせる。

「あ~、スッキリした」

 ベリルの腕を刺したことと、ミレアを捕えたことで男の怒りはひとまず治まったようだ。

「さて。あいつが来る前に、基地の奴らを統率しておかないとね」

 キリアは基地の人間を使い、ベリルとの全面対決を計画していた。そのためにミレアを連れ去り、追いかけてくるように仕向けた。

 あのまま殺すことも出来たが、キリアは戦いたいという欲求にかられ、その欲望に負けたのだ。

 指揮にも長けているというのなら、それを俺に見せろ。血に飢えたお前の本当の姿を俺が教えてやる。

「一応、ボスにも連絡しておかないとね。ボスの命令だし」

 携帯端末を取り出し、車を走らせながら本部に電話をかける。

「キリアだけど、ボスはいるかな? 重要な連絡があるって伝えてくれよ」

 しばらく待つと、低い声が応えた。

「あ、セラネア様? 例の女を捕まえました」

<本当か!?>

 向こうの声がうわずっている。

「はい、このまま基地に連れて行って──」

<我が直接、おもむこう>

 その言葉にキリアはギョッとした。まさか、オーストラリアに来るだって?

「え、いや。そこまでなさらなくても」

<ようやく、我の望みが叶うのだ>

 弾む声にキリアは眉を寄せる。

「こいつは参ったな」

 よもや、ボス本人がわざわざやって来るなんて、これは予想外だ。ベリルと戦ったあと、女を本部に送りつける予定だったのに、とんだ邪魔が入った。

「そんなに、この女は重要なのか?」

 ミレアを一見いっけんし、まあいいけどと肩をすくめる。

 そしてふと、ベリルとの闘いを思い起こして、苦々しく舌打ちした。

「あいつ──」

 本当は、ゆっくりと死んでいく様を眺めてやろうと腕の動脈を狙ったはずだった。

 刺した感触で外したことはすぐに解った。咄嗟とはいえ、あの速度で避けるとは恐ろしいほどの身体能力だ。

 殺すつもりでいたはずなのに、あいつを失うのが惜しくなった。

「これで、最後だ」

 生かしておけば俺の脅威になりかねない。仲間を皆殺しにしても配下に取り込めないのなら、

「勿体ないけど」

 殺すしかない。



 ──ベリルたちは、残り十人の合流地点に車を走らせる。ミレアのGPSを辿る作業を仲間に任せ、ベリルは自分の車に戻った。

 着替え直すため運転をアレウスに任せ、後部座席に乗り込む。

 黒い半袖のインナースーツに厚手の上着を羽織り、薄いベストを着用した。次に武器を選んでいく。

 本来なら、防弾タイプのベストを着用してもいいだろうに、他の仲間と比べるとおそろしく軽装だ。

「動きが制限されるのは避けたい」

 バックミラー越しに見やる不安げな顔のアレウスに応える。

 キリアと渡り合える装備をと考えた場合、動きやすさを重視したものとなったのだろう。キリアの計画を、ベリルはすでに予測していた。

 勝敗と考えるなら、あの時点でキリアの勝ちは確定されていた。殺意も充分にあったはずなのに、急所を外した途端、奴は殺す事を躊躇った。

「急所を避けるのが精一杯だとはね」

 つぶやいて薄く笑う。

 確かに私は経験不足だ、奴の動きに対応しきれなかった。世界は広いのだと、まざまざと見せつけられたよ。

 キリアは私の能力が見たいのだ。そして、圧倒的な戦力の差で徹底的に攻撃し、敗北を認めさせるつもりなのだろう。

 私を懐柔かいじゅうできなかったことがよほど悔しいとみえる。

「ベリル。すまなかった」

 アレウスは詰まる声を絞り出した。

「私のせいだ。責められても文句は言えない」

「お前は、よくやってくれていた」

 いっときの感情でベリルを責めるのは間違いだ。これだけの事をしてくれているというのに──。

 自分だけだったなら、助け出す術さえもなかったはずだ。

 どうにも出来ない憤りをぶつけてしまった己を恥じるアレウスを、バックミラーが映し出す。

 ベリルはそれを一瞥し小さく笑みを浮かべる。頭の中では、仲間をどう動かせば勝てるのかを思案していた。

「ベリル」

「うん?」

「もし、ミレア様が力をお使いになったとしても。ミレア様だけは、助けてくれ」

 力を使えば、用無しで殺されるかもしれない。

 しかし俺たちには、そんな力などどうでもいい。ミレア様の一族を護ることこそが、我らの使命なのだから。

「当然だ」

「ありがとう」

 ハンドルを持つ手が微かに震えていることにベリルは気付かない振りをして、武器の確認を続けた。



 ──それから数時間後、急ぐように走らせたベリルたちの車は予定時間より早く到着した。

 すでに夜は明け、太陽が空を明るく染め始めている。

「きつく頼む」

 車から降りて仲間を待つあいだ、バンダナをアレウスに手渡し右腕を示した。

「いいのか?」

 傷口の上じゃないかと指定された箇所をいぶかしげに見やる。

「包帯だけでは心許こころもとない」

 バンダナを受け取り、ベリルの右腕にきつく縛り付けた。痛みで少し声を漏らし、確認するように右腕を回す。

「合流までまだ少しある。お前たちの話を聞かせてはもらえないか」

 アレウスはしばらく目を伏せ、昇り来る太陽の方角に視線を向けた。

「これは言い伝えで、本当かどうかは解らない」

 ベリルは荷台のへりに左腕を乗せ、聞く体勢をとる。

「俺たちの力は、神から授かったものらしい」

「ほう?」

 アレウスは、ベリルが好奇心だけでない事を理解して話を続けた。

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