*届いた手の向こう
「要請した仲間とは、いつ合流するんだ?」
ジェイクは野営の準備を進めながらベリルに尋ねた。そして、決めかねているような素振りにやや驚く。
ベリルとよく組むようになり、その戦闘センスに驚いたが何よりも、彼の指示がいつも的確であることに感嘆していた。
己の勘と知識、記憶や経験をフル活用させられる奴なんだろう。しかし、今回はそういう訳にはいかないらしい。こんなことは初めてだ。
「そうだな。二日後の目標地点を合流ポイントとしよう」
地図を広げて場所を示した。ジェイクは通信員にその事を伝えるためにドペスター車に向かう。
ちなみに、捕まえていた敵の男たちは組織の名前が判明した時点で解放している。
尋問が長引けば、それだけ捕虜の分まで食事を作らなければならない。ただでさえ大所帯なのだ、余分な食料を確保してはいられない。
「ふむ」
ベリルはジェイクの背中を見送りながら思案した。相手の情報が手に入った事は喜ばしいが、その組織からどうやってミレアを守ればいいのかが解らない。
今までの状況を考えると、そう簡単には彼女を諦めないだろう。終わらない仕事を続けられるほど資金がある訳じゃない。
「いっそ、組織を潰せれば良いのだが」
難しいが出来ない事ではない。
小さな組織は何度か潰してはいる。しかれど、今回のような巨大な組織はこれまで相手にしたことはない。
十五歳で傭兵に弟子入りをして十八歳で独り立ちした。
師が大きな傷を負い、その後遺症のため引退したことにより、わずか三年で半ば強引にフリーにさせられた流れだ。
全てを知ったうえで変わらず私に接し。ともすれば、己が何者であるかを忘れて彼と同じ存在であると錯覚さえすることもあった。
それでもふと我に返り、私は違うのだと思い知らされるときがある。
彼はよく、私の頭を雑に撫でた。施設にいた頃の、ベルハース教授の大きな手を思い出す。
今でも会いに行けば、いやがらせなのか乱暴に頭を撫で回してくる。それが嫌という訳でもないのだが、そろそろ勘弁してもらいたい。
私に生き方と傭兵としての戦い方を教えてくれた彼には感謝しきれない。そんな師の名に恥じない功績は残していると思いたい。
傭兵という仕事を選んだ理由──この世界で長生きは望めない──自分の生い立ちを思慮すれば、それが最も安心出来る事だったのかもしれない。
己の足で世界を歩き、己の持つ知識や能力を活かす事が出来た。それだけで十分だった。いつA国が迎えに来ても、このまま死ぬ事になっても悔いはない。
こうして、望んだ自由を掴む事が出来たのだから。
例えこのまま、また白い部屋に戻される事になろうとも、この手で触れた世界を忘れることはないだろう。
「私は、私として、ここにいる──」
口の中で発し星空を仰いだ。
ベリルを傭兵として導いたのは、彼が十歳のときに施設で戦術を教えていたブルーという男だ。彼はベリルの並外れた戦闘センスを見抜き、自分の持つ全てを叩き込んだ。
十五歳のとき、施設が襲撃を受けた際にベリルを逃がしたのも彼である。
多くの専門家の中で、ブルーだけはベリルの正体を知らされていた。戦いを教える者として、知っておかなければならないと判断されただめだ。
施設が襲撃され、ブルーはベリルに外への通路を指差して逃げろと促した。
ベリルが離れたあと彼は敵の追跡を阻止するために、あるだけの爆薬を点火させた。ずしりと響いた振動を感じながらも、ベリルはその足を止めなかった。
どうにか外に出て茂みで一夜を明かし、静まりかえった施設に戻ったが爆発の跡を目にして言葉を無くした。
呆然と立ち尽くし震えながらも、涙は出なかった。
自分のために何故、人が死ななければならないのか。不条理な現実にただ奥歯を噛みしめた。
そんな怒りと哀しみのなかにあっても、目の前に広がる自由に鼓動は高鳴った。
長くは続かない自由だとしても。ほんの少しでもいい、この世界を直に見て肌で感じたい。
大勢が命を奪われ、自由を得たことにわだかまりが無い訳じゃない。同列に考えてはいけないのだと、何度も自分に言い聞かせた。
お前は人類の理想であり象徴だと言ったブルーの言葉は、今でも心に残っている。
「彼らと引き替えにしたものではない」
かすれたつぶやきは、瞬く星空に吸い込まれていった。
──夕食も終え、ベリルはトラックの荷台で星を眺めているミレアに歩み寄る。
「眠れないのか」
「……はい」
同じく空を仰ぐベリルの顔を見つめて、
「わたしの力を、不思議がっているのでしょう?」
切なげに笑みを浮かべ、顔を向けたベリルに視線を合わせる。
「ごめんなさい。それでも、わたしが狙われている理由は言えません」
「その力は、お前を狙い続けるようなものなのか」
ミレアはそれに無言でうなずいた。
「この力が解放されるまで、執拗に追ってくるでしょう」
そんな者に屈することなく抗い続ける決意の表れなのか、少女の表情は険しかった。
「一つ言っておく。だからといって、死のうとはするな。守る者として、それだけは許容しかねる」
念を押すように左の人差し指を立てる。
「でもっ──」
「お前はまだ若い。これからしたい事がもっと出来るはずだ」
言い返す言葉を遮られ、喉を詰まらせる。
彼の言うことはもっともだ。わたしはまだまだ、これから沢山の経験を詰める歳なのだろう。
落ち着いている彼が、とても年齢を経ているように見えているけれど、わたしと八つしか違わない。
なのに──
「では、あなたはどうなのですか?」
「何?」
予想しなかった切り返しに眉を寄せる。
「あなたは死ぬことを望んでいます。わたしも、それは許せません」
それに、今度はベリルが言葉を無くした。
「あなたもまだ若いではないですか。わたしと同じです」
「同じではない」
「いいえ、同じです」
きっぱりと言い切った。
彼女はいつからこんなに強く、ものが言えるようになったのか。追われる恐怖は少女から笑顔を奪い、常に何かに怯えていた。
守る立場にあるベリルにすらも、どこか距離を置いていたはずなのに、人は少しずつ成長していくのだと見せつけられた気分だ。
「あなたは、わたしと同じです」
少女は強い意志を宿した瞳を真っ直ぐにベリルに向ける。
「だから──だから、死にたいなんて思わないで」
ベリルの首に腕を回し、声を震わせた。
覚悟はしていても現実に死を思えば、怖くなるのは当然だ。それでも懸命に口にしたのは、死を共有しあう者同士の結びつきを強く感じたのか、共に乗り越えられると考えたのかベリルには計りかねた。
しかし、震える腕の温もりは、確かに自分を気遣っている。その、か弱い腕で必死に何かを守ろうとしている。
ベリルは、そんな少女の心を支えるように、そっと抱きしめ返した。
──深夜、ベリルは寝付けずにキャンプを見回っていた。これは以前にも感じた、あの感覚だ。
強く感じる方向に足を向ける。
ここには雑木林は無く、代わりに連立する大小の岩がまばらに点在していた。膝くらいからベリルの身長を超えるものまで、様々なサイズの岩石群の中に入り、目を閉じる。
この気配──やはりキリアか。
「ホントに勘がいいねぇ」
不適な笑みを見せながらキリアが現れる。
「俺との約束、忘れた訳じゃないよな」
早く仲間になれと誘うように小さく両手を広げた。
けれどもベリルは前回と同じく、キリアを見据えたまま動くことはなかった。
「ダンマリか?」
苛立つ男をじっと見つめる。
ミレアの言った事が本当ならば、奴の脅威はほとんど無くなったと言っていい。闘って勝てるかどうかは解らないが、とにかく自分の秘密は守られるのだ。
「お前、まさか俺に勝てる気でいるの?」
馬鹿かとベリルを睨みつける。それでも応えないベリルに舌打ちした。
「じゃあ死ねよ」
「──っ!」
駆け寄るキリアの動きは予想以上に速い。
振り下ろされるナイフをギリギリでかわし、ベリルもナイフを手にして向かってくる刃を受け止める。
金属のぶつかる音が暗闇に響き、刃が火花を散らす。
「お前、俺に比べたら経験浅いんだよ」
言い放つ言葉は冷たく。それをまざまざといま、見せつけられている。
「くっ──」
実感する力の差に、ベリルは悔しげに声を漏らした。
余裕を見せる男とは違い、ベリルの息は徐々に荒くなる。体格差だけじゃない。明らかに、キリアのレベルはベリルを上回っている。
次に刃がぶつかりあったとき、ベリルの刃は強く跳ね返された。
「うっ」
「がぁう!?」
キリアのナイフはベリルの右腕を貫き、後ろの岩に深々と突き刺さった。
「ぐっ──う」
「言ったろ? お前は、まだ若い」
痛みで顔を歪めるベリルに目を細め、嬉しそうに戒める。
髪を掴み、負けた事を思い知らせるために勝ち誇った目を強引に合わせた。今なら、俺の言うことを聞くだろう。
口を開きかけたそのとき、
「きゃあ!?」
女の声に二人が目をやると、ベリルの姿に青ざめているミレアが立っていた。だが、青ざめたいのはベリルの方だ。
キリアの意識が、自分からミレアに移ったのだから──
「逃げろ」
ベリルの声に一歩、後ずさる。
「逃げればこいつを殺す」
その言葉に少女の足が止まった。
「何をしている!」
声を張り上げたベリルにびくりとし、きびすを返す。
しかしキリアが少女を逃がすはずもなく、
「残念」
あっという間に回り込まれ、見下ろす青い瞳に射すくめられて
「う──っ!?」
恐怖を示した少女の瞳に満足し腹部を強く殴る。そうして、意識を無くして倒れ込む小さな体を抱きかかえた。
「ミレア!」
少女からの反応はなく、キリアがただ冷ややかにベリルを見つめていた。
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