*子犬と道しるべと揺れる心情
キャンプに戻ったベリルは、いくつも灯されているたき火の一つに近づいて腰掛ける。すると、少女はそんなベリルの右隣に躊躇いもなく腰を落とした。
まるで、懐いてくる子犬のようだとミレアを見下ろす。年齢差からいっても、彼女がベリルを慕うのは自然な事なのかもしれない。
キャンプは先ほどの命のやり取りが嘘のように、静かな夜を過ごしていた。
ミレアはあの件についてはもう心配ないと言っていたが、どうしてそう断言出来るのか。初めから不可思議な部分のある二人だが、こちらを騙している素振りはない。
しかし、どこまでを信用していいのか──ベリルは考えあぐねていた。
ふと、右側に重みがかかり目をやる。少女はベリルの肩に頭を預け、見下ろした青年にあどけない笑みを見せた。
「このまま寝てもいいですか?」
「構わんが」
「おやすみなさい!」
眉を寄せるベリルを意に介さず、ミレアは嬉しそうに目を閉じた。
──次の朝、ベリルは詳細を述べずに昨日の事をアレウスに尋ねてみた。
「ミレア様がそんなことを?」
傭兵たちと談笑しているミレアを見つめ、アレウスはしばらく考え込む。
「ミレア様は、いくつかの力を持っている」
「ほう」
まさか、また訳のわからない話になるのかと心持ち目眩がした。
「その中には、一度しか使えないものもあるんだ」
「ふむ」
「俺たち種族は昔からそうやって、数々の能力を宿してきた。特にミレア様、統率者の血筋にはいくつもの力を持って生まれる者が多い」
無くした能力が産まれた子どもに再び備わる事もあるという。
「不思議な種族だな」
ベリルは尋ねた事を半ば後悔した。
自分の知らない事など、世界には数え切れないほどある事は理解しているつもりだが、説明のつかないものはどうにも納得しようがないもので出来れば勘弁したい。
「ミレア様は、つながりと言ったんだな?」
「ん? うむ」
「おそらく、遠隔催眠をなさったのだろう」
「ほう?」
「人の
「つながりか」
解るような解らないような……。ベリルは眉間に深い縦じわを刻む。
「そのつながりを利用して、力をお使いになったのだろう」
「そうか。ありがとう」
感情も物理的なものではあるが、さすがにこれは少々飛びすぎた話だ。
自分の存在はまだ科学的に説明が可能だとしても、彼らの言っている事は難解で妙な知恵熱が出そうになる。
ベリルは頭を抱え、このまま聞いているとますます理解が難しくなりそうだと早々に話を終わらせて遠ざかる。
「ベリル」
「ん?」
「ミレア様は、一度しか使えない力をお前に使ったんだ。それだけは理解してくれ」
その瞳は護る者への敬意の念と、自らの誇りを有していた。
決して、嘘偽りなどないのだと──
「そうか」
科学も過去には魔術や宗教だった事を思えば、いつか彼らの言っていることも現実として理解できる時代が来るのかもしれない。
それに、ベリルは彼らの話を嘘だとは思っていない。
ただ、説明がつかない現在において、思考の着地点を見いだせず、「まあいいか」と漠然としている事がどうにも意識の居心地の悪さを生み出している。
それでも、「まあいいか」と思える事は嫌いではない。それでやり過ごしてきた過去もある。
今ではその言葉は、半ば心中での口癖のようにもなっている。柔軟であることは、私生活だけでなく戦闘においても重要だと、硬くならないように努めていた。
──それから、一同は移動準備を始めた。
「俺が、お前の車を運転してついて来いと?」
確かに運転免許は持っているがとアレウスは眉を寄せる。
「少し、調べたい事があってね」
ベリルは一台の車を親指で示しながら答えた。十
情報収集能力と通信設備が備わっている、彼らが「ドペスター」と呼んでいる車だ。
「隊の中ほどに位置していれば問題ない」
「だったらいいが」
やや不安げにちらりとミレアを見やる。
ミレア様がベリルの側にいたいことは言わなくても気付いている。きっと、悲しい顔をなさるだろうなとアレウスは小さく溜息をついた。
「調べ物、ですか?」
案の定アレウスが説明すると、ミレアは少し陰りを見せた。
「それなら、仕方がないですね」
わたしは大丈夫とアレウスに笑顔で返す。護られている立場として、我が儘を言う訳にはいかないという意識なのだろう。
「俺の運転では、心許ないと思われますが」
「そんなことはありませんよ」
ミレア様は、自分の感情をどのように理解しているのだろうかとアレウスは気を揉んだ。
今まで見せたことのなかった少女の反応に、今後どう彼女を護ればいいのかと計りかねていた。
ベリルへの熱い視線は少女の憧れからなのか。はたまた、恋なのか──
「俺に、解る訳がない」
後部座席で伏せているミレアを、バックミラー越しに視界に捉えて再び溜息を吐き出した。
一方、
「襲われただってぇ!?」
一緒にドペスターに乗り込んでいるジェイクが声を張り上げた。
「うむ。すぐに消えたがね」
「おいおい……」
「怪我の功名とでも言うのだろう」
おかげで敵を知る断片を掴む事が出来た。
呆れるジェイクに視線を合わせず慣れた手つきでキーボードを叩き、左手で携帯端末を取り出して誰かにかけ始めた。
「ヤン。調べてもらいたい事がある」
彼がヤンと呼ぶ人物は「探し屋」と呼ばれる情報収集の専門家だ。ベリルはそういった人間や会社と数多く通じている。
「キリアという人物について頼む」
軽く特徴などを説明し通話を終えて連絡を待つ。
「しかし、相手もずいぶんと迂闊なことをしたもんだ」
ジェイクの言葉に、ベリルは目を細める。
あの男は個人的な思惑で動いていたに過ぎず、そこに組織のことを考えている素振りはまるで見られなかった。
私をどう認めたのかは解らない。
「大したものではないだろうがね」
口の中でつぶやく。
たまたま得た情報の信憑性を高めるためと、私を見定めるための行動だろう。
──しばらくして、メールの着信がポップアップで伝えられ、添付されているファイルを開く。
いくつかあるファイルの中で、知りたい情報だと思われるものをクリックする。
「あん? アトラック・メナス? おいおい。こいつは厄介な組織だぜ」
後ろで見ていたジェイクが神妙な面持ちで低く唸った。
アトラック・メナス──十年ほど前に名前が挙がってきた犯罪組織で、CIAなど各国の諜報機関が血眼で調査を続けているものの、未だその全容すら掴めていない、かなり謎の多い組織だ。
「ボスの名前はセラネア。キリアってのは、組織の中でもトップクラスの兵士だな」
ディスプレイに示されている文字を読み上げるジェイクの声を聞きながら、キリアの画像を拡大する。
不気味に子供じみた笑みは、確かに昨夜に見た顔だ。
組織にとって重要な位置にいるとしても、本人はそれに満足はしていない。そのための駒をほしがっている。
その一つを私にしようとは、なんとも笑えない冗談だ。
「……ふむ」
データによれば、組織自体は数十年前から細々と息をしていた程度のものだ。しかし、セラネアという男が組織のトップに立つとその勢いを強め、一気に世界有数の犯罪組織にまで上り詰めた。
セラネアには不思議な力があり、悪魔がついているとさえ言われている。不思議な力はあの二人だけで充分だとベリルは頭を抱えた。
そんな組織が、ミレアを狙っている。
「少女一人を追い回すほどのものか」
ミレアは一体どんな力を持っているのだろうか。
彼らの言い伝えや一部の能力を聞いたいま、もう少々の事では驚かない気がしてきた。それを言ったところで、二人が話してくれるとも思えないが。
──ミレアは変わらない赤い荒野を眺めていた。
見慣れなかった風景はいつしか見慣れたものとなり、気がつけば目新しさも失せていた。それでも、開けた窓から吹き込む風と視界いっぱいに広がる大地は、不思議と心を沸き立たせる。
これが、ただの旅行であったなら、どんなに幸せだったろう。わたしは今も狙われ、追われている。
ベリルと出会わなかったら、わたしはもう、ここにはいない。
「どうして──」
どうしてそんなに、この力を求めるのだろう。こんなものに、なんの価値があるというのだろう。
誰もが求めるものなのかもしれないけれど、これは、人を幸福にするものではないはず。だから、祖先たちはずっとこの力を残してきた。
「統率者」に遙か昔から脈々と受け継がれてきた「大いなる力」──それが自分に引き継がれたとき、ミレアは困惑し酷く悩んだ。
それは今も彼女の心を苦しめ、悩ませている。
「この力を使っては……だめ」
口の中でつぶやき、決意を硬くして流れる景色を睨みつけた。
この力を使うくらいならば、わたしは自らの命を絶つこともいとわない。
「ベリル──」
彼ならきっと、わたしの心を理解してくれる、彼になら全てを話せる。全てを話して、どうすればいいのかを一緒に考えてもらおう。
そう思った瞬間、それを止める自分がいた。
これ以上、彼を巻き込む訳にはいかない。知れば彼は一生、わたしを護らなければならなくなる。
自由を手にした彼を、わたしがまた縛り付けるの? 本当にそれでいいの?
「わたし、どうしたら」
ミレアは感情の狭間に苦しみ、震える手で胸を押さえた。
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