*作り物であろうとも

「待ってください!」

 何事もなくキャンプに戻ろうとしたベリルの背中を制止する。

 咄嗟に呼び止めてしまったものの、振り向いたベリルの瞳に喉を詰まらせた。無表情ながらも、その目には鋭さが宿っている。

「先ほどのお話ですが、聞かせてもらえますか」

 聞かれたくない事なのは重々、承知している。彼を傷つける事になるであろうということも──それでも、少女は知りたかった。

「聞いてどうする」

 やや強い口調で聞き返す。

「わかりません……」

「脅しにでも使うか」

「そんなこと──!」

 牽制したベリルに声を荒げる。

 いつも何かに怯え、おどおどとして後ろに下がってしまうような少女が、体を強ばらせながらも退くことはなかった。

「話したくないと言ったら」

「無理に聞き出すわたしは、悪い子ですね」

 本当に折れる気はないらしい。

 少女の瞳は戸惑い混じりにではあれど鋭く、好奇心だけではないのだと伝えている。ベリルはそれに小さく溜息を吐いた。

 このまま無視し、戻って仲間たちに質問をぶつけられても困る。とはいえ、話したくないのは本当だ。気楽に話せるものならと苦い表情を浮かべる。

 ベリルはしばらく黙ってミレアを見つめ、諦めてくれないだろうかと淡い期待を寄せた。しかし、そんな気配はまるでない。

 根負けしたベリルは二度目の溜息を吐き、近くの倒木に腰を下ろした。

 ミレアもその隣に腰掛け、ベリルの顔をのぞき込む。顔色に変化はないけれどエメラルドの瞳は揺れていて、話す事柄を慎重に選んでいるようだった。

「何から聞きたい」

 軽く足を組み、ミレアに目を合わせずに聞き返す。

「あの人が、キメラと言っていました。どういう意味なのですか」

「そのままだよ。つぎはぎの生き物だ」

 抑揚のない声だが、少女は耳にした言葉に表情を曇らせる。ベリルはそれを一瞥し、自分を落ち着かせるために一度、瞼を強く閉じた。

「意地悪い言い方をした。すまない」

 頭を横に振るミレアに目を細め、満天の星空を仰いだ。

「つぎはぎという言い方は、あながち間違いではない」

 静かに語り始めたベリルの声をしっかりと耳に捉える。

「深い森の中に建てられた施設に、私はいた」

 心を決めたが、やはり話すことは恐怖でしかない。師であるカイルに話し、もうこれ以上は誰にも話すことはないと思っていた。

「人工生命体の作成には、多くの犠牲を払った事だろう」

 政府はヒトDNAを用い、人間の胎内を介さずに人工的に人を作り出す事を目標とした。

「現存する全ての人種のヒトDNAを収集し、それを分裂・合成・結合させる事で人工生命体を造り出した。私はその唯一の成功例だ」

「──っ!?」

 想像していた以上の言葉にミレアは驚愕きょうがくした。

「それ以降は成功しなかったようだが、上の人間は大いに喜んだだろうね」

「あなたは、いつそれを」

「三歳のときだったかな」

 ベリルはさしたる感情もなく応えたがミレアは知らされた年齢の、あまりの小ささに目を伏せた。

 たった三歳の子どもに、そんな残酷な真実を述べるなんて──

「政府によって選ばれ、招かれた専門家から学ぶ事が日課だった」

 それに、どういう意図があったのか。今となっては解らない。

「私はそれが苦痛では無かった」

「だから、そのような物腰なのですね」

「ん? ああ。マナーも教わっていたよ」

 そんな所が気になっていたのかと感心し話を続けた。

「年に一度は政府から視察が訪れていた。視察員にほぼ、人間扱いされる事はなかったがね」

「そんな──」

「パッチワークと呼ばれた事もあった」

「酷い!」

 どうしてそんなことが言える人がいるのかとミレアは目を潤ませた。

「数日滞在するだけの相手に何を言われても辛いと感じた事はない。間違った表現でもないしね」

「いいえ! そんな言い方は、あんまりです」

 少女の怒りに苦笑いを浮かべる。

「最後の視察員には、友達になろうと言われた」

 彼女を元気づけるように付け加えると、曇っていたミレアの表情が明るくなった。

「あの施設には、チームリーダーのベルハース教授を含めた研究メンバー十人と専門家、警備を含めて三百人がいた」

 研究チーム以外の人間は私の正体を知らなかったが、それなりに愛してくれていた。

「私の勘違いでなければだが」

「ええ。きっと皆、あなたを愛していました」

 あなたを見ていれば解ります。

 少女の柔らかな面持ちにベリルはやや戸惑う。これから語ることを、ミレアはどう感じるだろうか。

 それは、彼が施設ではなく、ここにいる理由に他ならない。

「十五歳のとき、施設が襲撃を受けた」

 声もなく目を見開く少女を一瞥し、目を眇める。

 どこから施設の情報が漏れたのかは解らない、襲撃の明確な理由も解らない。

「私のために、三百人が命を落とした」

 それだけは明らかだ。そうでなければ、あの施設を攻撃する意味はない。ベリルの目には悔しさが見て取れた。

 自分たちが何に関わっていたのか知らず、無慈悲に命を奪われていく人々を救うことが出来なかった口惜しさがひしひしと伝わってくる。

 彼は、心で泣いている。

「皆、あなたを救うために頑張ったのでしょう?」

 ミレアは喉を詰まらせながらも、どうにか声を絞り出した。

「何故そうだと思う」

「だって、解ります」

 あなたはここにいて、私を助けてくれている。もうやめだと放り出すことだって出来るのに、そんな優しいあなただからこそ愛されたのだと思います。

「あなたは人間です」

 その言葉に偽りはないのだと、見上げる赤い瞳は揺るぎなくベリルを捉えて放さない。

「ありがとう」

 口の中でつぶやいた。

 自分の存在を誰かに認めてもらいたい訳ではない。しかし、そういう人間が一人くらいいるのも悪くはない。

「むしろ、あの男の方が人間ではありません!」

「うん?」

 勢いよく立ち上がったミレアにいぶかしげな目を向ける。

「あの男の姿を見たとき、背筋が凍りましたもの!」

 鼻息荒く発した少女に生温い笑みを返した。

 とはいえ、

「奴に知られてしまった以上、今のままという訳にはいかないだろう」

 ミレアはそれにハッとした。

「まさか、あなたは」

 あの男がその情報を流してしまったら──

「あなたは、素直に従うつもりなのですか?」

 A国が迎えに来たら、それに従うの?

 ミレアの愁いを帯びた瞳を見やり、視線を宙に移した。

「逃げ続ける事は出来ない。私はそうまでして自由は望まない」

 誰かが傷つくことは私の望むものではない。

「お前は人類の理想なんだ」──施設が何者かの襲撃を受けたとき、一人の男がベリルに言った。

 いがみ合い、争い合う人類が唯一、一つとなっているお前は人類の理想なのだと……。そんな私が、己のために他人ひとの血を流してまで自由を得る事など出来はしない。

「ベリル……」

 ミレアはしばらくベリルを見つめたあと、意を決したように目を吊り上げた。

「わたしなら、なんとか出来るかもしれません」

「何?」

「わたしはあの男とほんの一瞬ですが、目を合わせました。まだ、つながりがあるかもしれません」

「つながり?」

「集中します。支えていてくださいね」

 いぶかしげに見上げるベリルに構わずミレアは腰を落としてにこりと笑い、手を胸の前で組む。そして静かに目を閉じた。

「一体、どういうことなのか」

 よくは解らないが、何かをしようとしているらしいとベリルはその様子を見守る事にした。



 ──キリアは本部には戻らず、オーストラリアにある組織の基地に身を預けていた。

 ベリルと対峙し、手に入れた情報が本物だと確信したキリアは他の情報も引き出そうとデータ室で一人、パソコンをいじっていた。

 組織のデータは全て端末でつながっているため、本部でなくとも情報は引き出せる。

「あいつと一緒で、つぎはぎのデータばかりだな」

 そのとき、

《キリア……》

 頭の中に女の声が響いた途端、キリアの体がビクリと強ばり、目はうつろに何も映さなくなった。

《キリア、ベリルの情報を全て消去しなさい》

「は……い」

 ゆっくりと手が動き、データの消去を始めた。カタカタとキーボードを打つ指はおぼつかないながらも、確実に抹消していく。

「消去しました」

《よくやりました……。では次に、あなたの知るベリルの全てを口外することは出来ません。口を開くことも文字に残すことも、あなたは全ての行動を自らで阻止するでしょう》

「はい……。そう、します」

 答えて数秒、視点も定まらず放心していたキリアはふと我に返る。

「俺は、なにしてた?」

 もしや寝ていたのかと目をこする。

 それでも頭はぼんやりとして思考がまとまらず、寝落ちするほど疲れてはいないはずだとディスプレイを覗く。

「ええっ!? データが消えてる!? なんでえ?」

 そんな馬鹿なことがある訳がない、何が起こったんだとまばたきを繰り返した。

 焦りでキーを打つ手が早くなる。しかし、どんなに調べてもベリルのデータが検出される事はなかった。

「なんでぇ~?」

 いくら考えても解らない。自分で消したのだろうか。そうとしか思えないが折角の美味しい情報を、どうして自ら消す必要がある。

「どういうことだよ~」

 がっくりと肩を落とし、今までのことが全て無駄になったと一気に襲ってきた疲れからデスクにつっぷした。



 ──彼女は何をしているのだろう。

 ベリルは、まるで人形のように固まったまま動かないミレアを見つめる。ゆっくりとした呼吸に生きていることを確認し、肩を支えた。

「──っはあ、はあ」

 突然、目を覚ましたミレアが大きく呼吸して額の汗を拭う。

「ミレア」

「大丈夫です」

 疲れた様子ながらも明るく笑いかける。

「これでもう心配はいりません。あの男は、あなたのことを誰にも話せません」

「どういう事だ」

 この数分の間に何が起こったのか理解できずに困惑する。

「わたしの力の一つです。この力はもう、使えなくなりましたが」

「そうか」

 やはり、どういう意味なのか解らずにベリルはとりあえず言葉を返した。

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