*相仕-あいし-

「あそこは別宅だと言っていたが」

 落ち着いたところでアレウスが問いかけた。その声色は、別宅であれだけのセキュリティは必要なのかと言いたげだ。

「カイルの滞在用にと用意したものだ」

「誰ですの?」

「私の師だよ」

「師匠? 傭兵のか」

「そうだ」

「わざわざ師匠のために? 立派だな」

「気兼ねなく過ごせる場所を提供しただけだ」

 武器も置いてあるため、セキュリティを強化している。

「それで。そのお師匠さまはいま、どうされているのです」

「聞きたいのか」

「はい」

 どうしてそんな事を聞きたがるのかと顔をしかめる。

「引退してのんびり暮らしているよ」

「引退? 怪我でもしたのか」

「船でハイジャックグループに一人で対応したそうだ」

 アレウスはそれに眉を寄せた。対応と緩い口調で言っているがそれはつまり、複数を相手に一人で闘ったということだろう。

 そのときに負った怪我がもとで傭兵を引退せざるを得なくなったのか。

 そこでカイルは、一人前や独り立ちについて特に決めていた訳じゃないけれど、区切りとしてベリルの独り立ちを仲間の一人と見届けることとした。

「いつですか?」

「十八かな」

 それまではパートナーとしてこなしていた仕事を突然、全部一人でやれと放り出されて戸惑いがなかった訳じゃない。

 傍で見ていたやり方を自分なりに整え、今ではそれなりに多くの要請が来るようになっている。

「大変でしたのね」

「そうでもない」

「道を外れるのか?」

 ふいに道路から外れた車に、アレウスは怪訝な表情を浮かべた。

「ポートオーガスタまでは道を走らない」

 ──さらに走らせると、傾いていた太陽は地平線に沈み、暗闇が大地を支配する。視界のおぼつかないなか、ヘッドライトの明かりだけが前方を示していた。

 ポートオーガスタは南オーストラリア州にある都市で、ダーウィンからはおよそ二千五百キロメートル離れている。

 オーストラリアの街は海岸沿いにあり、他は砂漠や荒野もしくは自然公園である。

「今日はここまでにしよう」

 ベリルは車を止めてサイドブレーキを引く。暗がりにLEDランタンを点し、荷台から練炭と折りたたみのイスを三脚ほど降ろした。

 車から五メートルくらい距離を置いて練炭を山形に積み上げ、少しのオイルをかけ火をつけると三人の顔がオレンジに染まる。

 それから、調理器具を並べて小型のフライパンを火の付いた練炭の上に乗せ、クーラーから取り出した生肉を焼き始めた。

「生肉が食べられるのは数日だ」

 そのあとは干し肉がメインとなってくる。

 野菜と違い、長期間の保存が難しい肉類を生のまま安全に維持し続けるには特殊な装置が必要だ。

 長く保つために冷凍しているものもあるにはある。しかし、徐々に解凍されていき味も落ちてしまう。

 ──ほどなくして、肉の焼ける良い匂いが漂い始めた。

 ベリルはナイフを手に取り、焼き上がったステーキをひと口大に切り分けてステンレス製の皿に乗せ二人に手渡す。

 スープは軽いコンソメ味にして野菜の切れ端を入れている。粉末状のものは今後を考慮して今は出さない。

「お? 美味い」

「美味しいです!」

 塩胡椒しただけのシンプルなビーフステーキは、これまで食べたどのステーキよりも美味しくてミレアはあっという間に食べきった。



 ──夜も更けて、ミレアは眠気に目をこする。

「あの、どこで寝るのですか?」

「車の中だ。毛布は自由に使え。後部座席を使っていい」

 初めてのことに戸惑いつつも横たわる。後部座席は少女の体を充分に包み込む広さがあり、すぐに深い眠りに落ちた。

 それを確認したアレウスも安堵して助手席の背もたれを倒し目を閉じる。

 ベリルは炎の番をするからと一人、焚き火の前にいた。

 時折、パチパチと散る火花を見やり、星空を見上げて目を閉じる。そうして、何度かゆっくりと深呼吸を繰り返す。

 それはまるで、大地の力を吸収しているかのようだ。

「あの発信器──辿られていなければ良いが」

 表情を苦くして、ささやくようにつぶやいた。

「さて、どうしたものかな」

 狙われている理由もわからなければ、敵の顔もまったく見えない。何もかも解らない事だらけの現状で何をどうすればいいのやら。

 これまでの経験と知識で、果たしてどこまでやれるのか。ベリルは計りかねていた。



 ──太陽が顔を出して数時間後、ミレアは静かに目を覚ます。

「おはようございます」

 伸びをしている少女に助手席からアレウスが声をかけた。

「おはよう」

「俺は外に出ています」

「ありがとう」

 ミレアの着替えのために外に出ると、ベリルが双眼鏡で辺りを窺っていた。

「あれかな」

 ベリルは口の中でつぶやき、およそ八百メートルの距離にある何かを確認する。丁度、車の鼻先にいる。

 荷台に乗り、屋根ルーフに肘を乗せて再び覗き込む。

「やはり辿られていたか」

 苦い顔になる。

 おそらく、街を出るまえ辺りから追尾されていたのだろう。推測しながら荷台のビニールシートの中に手を突っ込んだ。

 数秒後、シートから出てきたその手には、スナイパーライフルが握られていた。

 あの中は武器だったのかとアレウスは目を丸くする。武器の種類までは解らないものの、長い形からライフルなのだろうと窺える。

 肉眼では確認しきれない相手との距離を考えるにあたり、あれは多分スナイパーライフルだ。

 日本にいたアレウスにとって今まで武器を間近で見ることはなく、まるでキャンプ用品のように車に積んでいたベリルに半ば驚愕さえしていた。

 ベリルはゆっくりと何度か深く呼吸すると、相手を確認するためライフルのスコープを覗きこむ。

 そのとき、

「三人いる」

 すかさず応えたアレウスに目を向けた。

「何故──」

 言い切るより先に、彼の目の違和感に目を眇める。濃いグレーの瞳は、まるで猫の目のように瞳孔が縦に伸びていた。

「俺は、遠くを見る事の出来る能力ちからを持っている」

 イーグル・アイというやつか?

「詳細を頼む」

 しかし今は驚いている暇はない。ベリルは再度、スコープを覗いてアレウスに求めた。

「三人とも男で皆、砂色のミリタリー服を着ている。一人が双眼鏡を手にしてる」

「一番近い奴はどいつだ」

「真ん中の奴が二メートルほどこっちにいる」

「よし」

 スコープでそれらを確認し、風が治まったときを見計らい引鉄を絞る。

 銃弾を放った数秒後──

「当たった」

 アレウスの言葉の通り、対象が倒れるのをスコープで視認した。

「乗れ」

 そう呼びかけ、荷台から降りて運転席に乗り込む。

「な、なんですの?」

 着替えを済ませて外に出ようとしたミレアは、続けて助手席に乗り込んできたアレウスに驚く。

「移動だ」

「全員やらないのか?」

「一人を撃てば警戒する。当たる場所にはいかんよ」

 無表情に答えて車を走らせた。

「何かありましたの?」

 大きな破裂音が屋根からしたけれどと怪訝な表情を浮かべる。

「いえ。大したことではありません」

 怖がらせるのもどうかと思い言葉を濁す。

「これで相手の動きが少しは読める」

 アレウスたちは自分たちが狙われている理由を理解はしているけれど、それがどこの誰か、どの組織かまでは解っていない。

 本当ならば捕まえて吐かせたいところだが、まともに接触するのは今は避けた方がよさそうだ。傭兵として培ってきた経験と勘から、ベリルはそう判断した。



 ──数時間ほど走ったが景色にさほど変化はない。

「つけているか」

「ん?」

 ベリルの問いかけに、アレウスは窓を開けて後方を見やる。

「一キロほど離れてついてきている」

「そうか」

 バックミラーに目をやると、ミレアが不安げに落ち着かない様子だ。それにさしたる関心を示さず前方に向き直る。

 そうして暗くなるまで走り続け、暗闇になる前に野営の準備をして眠りに就く。相手は相変わらず一定の距離を保ち、ベリルたちを監視していた。

 昼間に一人撃ち殺し、二人となった訳だが──さて、どうやって人員を補充するだろうか。それによって相手の規模をぼんやりと計る事が出来る。

 狙われている理由が解れば、組織を割り出せる要素にもなる。だけれどあの二人は、どんな訊き方をしてもまったく口を開こうとしない。その徹底ぶりには感服すら覚える。

「誘導にすらひっかからないというのもな」

 あまりにものかたくなな態度に、もう知ったことかと放棄もしたくなる。それが出来ないことも、ベリルには充分解っていた。



 ──朝

 ベリルは車の鼻先を相手のいるに向け、荷台には乗らず双眼鏡を覗き込む。そのとき、微かに聞き覚えのある音が耳に響いた。

 この音は、ヘリのローターか。

「アレウス」

 隣で同じく一キロ先の敵を見ていたアレウスに上空を示す。

「ヘリだ」

 遠くの空に見える小さな点に目をすがめて答えた。

「厄介な」

 ベリルは煩わしげに口の中で舌打ちをすると、トラックの荷台に飛び乗りビニールシートから長物ながものを取り出した。

 ドン! と乱暴に二脚を車の屋根ルーフに据え、スコープを覗き込む。

「うお」

 アレウスはそのデカブツに、小さく声を上げた。

 目の前にどっかりと横たわる武器に言葉がない。こいつ、とんでもないものを持ってやがる。

 全長一メートル四十センチを越える対物狙撃銃アンチマテリアルライフル、バレットM82だ。軽装甲車両やヘリコプターを撃つためのライフルで、重量は十二キログラムを優に超える。

「アレウス」

 その呼びかけにハッとして、驚いている場合じゃないと自分の仕事とばかりにヘリを見つめる。

「こっちに来るぞ」

「攻撃するつもりだろう」

「ライフルを持ってる」

「奴らが必要なのは彼女だけだ」

「おい。やばいものがヘリに付いてるぞ」

 ヘリの脇には、いくつもの長い銃身が円形に組まれている物体が据え付けられている。マシンガンというやつじゃないのか。

威嚇用いかくようだ。車にへばりついていれば使われる事はない」

「きさま──」

 ミレア様を盾にするつもりかと怒りを覚えるも、それが一番の方法かと納得がいかないなりに黙り込む。

 ベリルはスコープを覗き、目標のヘリに照準を合わせた。

「もう少し」

 ペロリと唇を一度舐めると、息を殺して引鉄ひきがねを絞る。

 一キロメートルほどの距離なら、およそ二秒で弾丸は到達する。50口径(12.7ミリ)弾ならではの到達速度だ。

「当たった」

 続けざまに二発目も命中し、ヘリがふらついた。どこに当たったのか正確には解らないものの、煙をあげてよろよろと高度を下げていく。

「乗れ」

「撃ち落としたのか」

 アレウスは、視界から消えていくヘリを見やり車に乗り込む。

「いいや、不時着した」

 まともには動けなくなったはずだとドアを閉める。

「さて。次はどう出るか」

 その口調は、半ば楽しんでいるようにも感じられてアレウスは眉を寄せる。そしてふと、後部座席に目をやるとミレアが身を縮めていた。

「大丈夫ですか、ミレア様」

「ええ……。大丈夫、です」

 少女の声は、走る車のエンジン音にかき消されそうなほどか細くアレウスの耳に届いた。





※相仕(あいし):ともに組んで事をする者。仲間。相棒。

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