第13話:人狼

「お前の実力もわかったところだし帰るとするか」

「うん」


 この格好のまま帰ると思うとすごい嫌な気分だけれど仕方がない。

 そうして僕は血に塗れたナイフを軽くハンカチで拭いて、鞘に戻そうとする――が、不意に思い留まる。

 嫌な予感がしたのだった。

 その僕の予想は当たっていて、向かい合うさくらの後方から銀色の影が迫ってきていた。


「ねえ、さくら――――」


 数秒の猶予はあったはずだった。

 けれども銀色の影は急に加速をして一気に距離を詰めた。まるで滑るような動きは流星のようで、思わず見惚れてしまうほどだった。

 そして――次の瞬間にさくらの上半身が吹き飛んだ。

 ついさっきまで上半身が乗っていたはずの腰の断面が見えている。それは血が溢れ出す綺麗な赤色で、腸が零れ落ちていた。

 笑いながら僕を褒めてくれようとしていた可愛い頭はもうない。触ったら怒られた薄い胸はもうない。僕を散々に殴った小さな手はもうない。

 代わりに半分になった彼女の後ろには狼がいた。

 それは二足歩行していた。下半身は人のようになっていて青いジーパンを履いて、腰の辺りにジャケットを巻いている。

 銀色の毛皮に包まれた上半身は大きく厚い。口からは長く鋭い牙が見えていて、大きな爪のある手は赤色に濡れていた。

 ……こいつだ。こいつがさくらを殺ったのか。


「……ッ!」


 久しぶりだった。今日は本当に久しぶりなことが多い。

 僕の中で殺意が噴き上がった。さっきの餓鬼のような防衛本能からの物とは違う。

 許せない奴がいる。こいつの存在を承認できない。そういった攻撃的な意思と共に僕はナイフを投げた。

 続けて結果を確認することもなくホルスターから拳銃を抜いて、振り向きながら二連続で射撃する。

 視界に赤が舞った。何処に当ったのかはわからないが命中したのは確かだ。

 さっきのさくらとのやり取りがこの結果を導いた。動きを追えないのなら先読みをして当てるまでだ。

 命中はしたのだからスピードは落ちるはず、残りの銃弾を――姿が消えた。

 また後ろ? いや、違――――


「ぐっっ!」


 下だ。

 顎に強烈な衝撃、体が宙にふわりと浮かび、そしてうつ伏せに地面へと叩き付けられた。腕が痛くて、ズシリと背中が重い。関節を極められた。

 無理に動けば僕の腕は使えなくなるだろう。


「姫さんはバンパイアハンターでも手下にしたのか?」

「いや、ただの深夜徘徊していたガキだが……まあ、わたしの調教のおかげだな」


 いや、調教なんてされた覚えはない。

 ……ん。何でさくらの声がするんだ。上半身をふっ飛ばされたはずなのに。


「……あれ、さくら?」

「ん、どうした?」


 意地悪そうに口の端を上げてニヤニヤとさくらは笑っていた。

 その姿は吹き飛ばされる前と寸分違わないもので、血の跡すらもない。

 さっきのは幻覚……いや、現実だ。そこは間違いない。

 まあ、どういうカラクリかはわからないけれど、僕が嵌められたのは確かだった。ジョーカーを自称しているというのに情けない。

 気が抜けたことで全身からも力が抜けていく。


「…………」

「お喋りなお前が黙るとは珍しいな? ん?」


 さくらが地に組み伏せられたままの僕を煽ってくる。

 どうにも悔しいから顔を逸らしたまま黙り続けた。僕は他人をからかったりするのは好きだけれど、されるのはとても嫌いだ。許せん。


「お、おい。何とか言え」

「…………」

「……怒ってるのか?」


 頬をグニグニと優しく抓られる。

 ……僕にはさくらの内心が手に取るようにわかる。今、彼女は確実にやり過ぎたと後悔しているはずだ。

 何しろ僕がこんな状態になったのは彼女を想っての行動なのだから、罪悪感が沸々と湧いてくるのは道理だ。彼女は決して外道ではない。

 

「あーあ、手下に嫌われちゃったな。いつものように避けとけばいいのに」

「き、嫌われてるなんてことはない! 

 というか、お前が毎度の如く襲ってくるのが悪いのだぞ、いつまで経っても大人になれん乳歯の生えたガキめ!」

「何だとこのババア! アンタこそ歳だけ重ねて中身が成長しない永遠のガキだろうが!」


 何か僕の上で喧嘩が始まった。

 腕は解放されたけれど、背中や腕や脚が踏まれ始めて痛い。ちょっとは人の迷惑を考えて欲しいところだ。

 このまま黙っていると本当に踏み殺されかねない。


「……二人共、大人なら下を見てよ」

「あ、大丈夫かっ!」

「何だ、まだ逃げてなかったのか」


 さくらに引っ張るようにして起こされる。心配するように彼女は見上げてくるけれど、微笑むことはできない。

 もうクタクタだ。疲れに疲れた。気も疲れたし、体も疲れた。

 

「……改めて見ると、可愛い顔をしてるな」


 そう言って僕の顔を興味深そうに覗き込んできたのはさくらと喧嘩をしていた上半身裸の女性だった。

 銀色のポニーテールに琥珀の瞳、吊り目のそれと綺麗に整った顔はクールな感じだ。

 身長は僕よりもかなり高くて、程よく膨らんだ張りのある胸といいスタイルはかなり良い。

 肩に血の流れる小さな新しい傷跡が見えるのは銃弾が当たったところかもしれない。


「……手を出したら許さんぞ」

「ふふん。吸血鬼よりも人狼のほうが楽しいぞ? 別に昼間だって歩き回れるし弱点だってない。どうだ、こんな貧乳よりもオレに鞍替え――――」


 っと言ったところで、女性、いや、人狼が斜め下に吹き飛び、地面でバウンドした。まるでスーパーボールのように肉体が跳ねている。

 さくらが顔面を殴ったのだった。

 しかも、そこで止まることはない。

 いつの間にか殴られながらも狼へと姿を変えていた人狼の跳ねた先、そこに瞬間移動の如く先回りすると背中に回し蹴りを叩き込んだ。

 更に地面へと叩きつけられそうになるが、人狼も学習をしたのか手を地面に付き体勢を整えようとする――も、ダメだった。

 即座に手を足で払われ腹に拳がめり込む形でまた地面へと叩きつけられる。

 そして今度はトドメとばかりに顔面を足で踏まれた。

 当然に身体が跳ねることもなく、人狼はピクリとも動かなくなった。


「千年早いわっ!」

「……生きてるの?」

「うむ。毎回これくらいやってるからな、人狼はどいつもこいつも頑丈だから問題ない」


 スッキリした表情でさくらは言った。

 気を失ってる時点で問題あるとは思うのだけど、僕の拳銃で撃たれても軽傷だったことから考えても頑丈なのは間違いなさそうだ。


「というか、何でこんなことやってるのさ」

「このガキがわたしに絡んでくるからな。こいつの部族の風習にな、一人前になり独り立ちする時に化物を一人で狩るというものがあるわけだ」

「それでさくらがターゲットってことか」

「うむ。馬鹿な奴よ、もう何十年も襲い続けて来とる」


 なるほど。さくらにとっては子犬がじゃれて来ている感じなのだろう。

 けれども、万が一があるかもしれない。いくら彼女が強いといったって無敵ではないだろう。そう思えばこの人狼を放っておくのは危険だ。加えて僕も顎を殴られた。

 落としていたナイフと拳銃を拾って、倒れた人狼に銃口を向ける。


「待てっ、撃つな」

「何で? チャンスだよ」

「そいつは割りと気に入ってる。成長、進化、進歩していく者は素晴らしいものだ。進み続ける者をわたしは祝福する」


 進み続ける者……僕には遠い言葉だ。

 前に進むことはなく、後ろに進むことはなく、ただひたすらに横道を歩く。それが僕だ。

 自覚しているだけに少しだけ悲しくなる。


「でも……僕だって殺生がしたくてこんなことを言っているわけじゃないんだよ」

「ん?」

「さくらのことが好きだからさ……あんな無残な姿になっているのを……もう見たくないんだ」

「うっ……次からは……避ける」


 僕が哀愁漂う感じに微笑みながらそう言うと、さくらは頬を紅く染めながら俯いた。

 笑ってしまうくらいに予想通りの反応だ。

 少しだけ気分が晴れた。


「今度こそ帰るぞっ」

「うん」


 そうして僕はいつの間にか人の姿に戻っていた人狼の顔を踏みしめて、街へと歩き始めた。

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