第11話:真紅
「何かボロイけど、大丈夫なの?」
「名店というのは表にはないものだ。素人には分からないだろうがな」
「ふーん」
中途半端に知識を得たニワカに限ってこういう店を選びそうなものだけど、言わないでおくとしよう。怒るのは目に見えてるし。
僕達が辿り着いたのは商店街の表に面している大きな店ではなくて、細くて薄暗い迷路のような横道を暫く歩いた場所にある店だった。
そこはまともに看板もなくて、まるで昔のボロい木造の民家のようで、風が吹けば崩れそうな感じだ。僕が一人ならまず入らないだろう。
「おい、黙って突っ立っているな。扉を開けるのは下僕の仕事だろう」
「……」
さくらが急にご主人様っぽい態度を取り始めた。
今までは我先にと歩いていたというのに……あぁ、わかった。
ここはさくらの馴染みの店なのだから、店主とも当然に知り合いだろう。
つまり……見栄をはりたいというわけだ。
「本当に何でも買ってくれるんだっけ?」
「う、うむ……どうした急に」
「いや、それならいいんだよ」
うん、こっちの演技も力が入るというものだ。
僕はまるで執事のように畏まって悲鳴のように軋む扉を開ける。
さくらが入ったのを見届けて僕も追うように店へ入った。
店の中はまさに死にかけといった様子の蛍光灯が弱く照らす薄暗い空間だった。
四方の壁は隙間が見えない程に様々な刃物や銃器で飾り付けられていた。
僕のお目当ての刀も飾られていて、つい視線がいってしまう。
「姫様、相変わらずに可愛いわね!」
「う、うむ……」
声の元に視線を向けると、さくらを抱き上げて頬擦りをしている背の高い女性がいた。
溶けた鉄のように煌々と輝く短い髪、怪し気に揺らめく鬼火のような瞳。端正な顔立ちは性的欲求を全開に歪んでいる。
あぁ―――こいつだ。
「あら、この子が姫様の初めての召使い?」
「そうだ」
一分ほどするとさくらを離して――女性は僕に顔を向けた。
獲物を狙うかのような妖艶な視線に思わず後退りしそうになるが――踏み止まる。
「お初にお目にかかります。紅さん、僕の名前は大神カオルです、今後ともよろしくお願いします」
「丁寧にドウモ、姫様はアタシのことを紹介してたの?」
「いえ、その名前のお知り合いがいるとだけ」
やっぱり当たっていたようだ。
これくらいに猫を被っておけばさくらもある程度は満足するだろう。
そう思って横目でチラリと見ると胸を張って偉そうな顔をしていたから、成功のようだ。
「あぁ、こいつは優秀だから皆まで言わずとも察することができる。やっぱり主人が素晴らしいと下僕も引っ張られるのだろうな。あとはもう少し丈夫なら言うことはないのだが……」
「そうねぇ。姫様が泣きながら電話してきた時は驚いたわ、ホント」
「お、おいッ!」
これはいいことを聞いた。
まあ――僕に抱きつきながら言ってきたことを思えば大切にされていることはわかっていたけれど、補強する情報はあればあるほど良い。
少しだけ幸せな気分になって、顔を紅く染めたさくらを見ていたら足を踏まれそうになった。
流石にどこで暴力が飛んで来るかは読めてきている。さり気なく距離を取っておくくらいの予防策は取っていた。
「くっ……生意気な」
「お姫様。今日は僕の足を踏みに来たわけではないでしょう?」
「お前がその呼び方をするな!」
「いっ……」
痛い――避けられなかった。本気で来られたら流石に無理だ。
横腹をグリグリと抓られる。地味に……いや、マジで痛い。演技は止めだ。
「まったく……今日は鞭も買うことにしよう」
「いや、鞭打ちは本当に死んじゃうから……でも、何で姫様なの?」
確かにお姫様っぽい見た目ではあるけれど、高貴な血筋だったりするのだろうか。
昔の日本の高貴な血筋というと……わからん。源氏とかそんなのしか思い浮かばない。
歴史はそんなに好きじゃないんだよなぁ。
「それはねぇ、ある有名なバンパイアの王の娘だからよ。それに珍しい生まれつきのバンパイアだもの。アナタは知らないかもしれないけれど、姫様は凄い有名人なのよ?」
僕達のことをニヤニヤと愉しそうに見ていた紅さんが言った。
「
「かっこいいなぁ」
「ば、ばかにしてるだろ! わたしの話はもういい!」
「照れちゃって、姫様は相変わらず可愛いわね」
それには僕も同意だ。
顔を林檎のように染めている時のさくらは本当に可愛い。
当分はこの呼び名を使うことで目の保養が出来そうで何とも嬉しい。
「くっ……これだから……まあいい。今日はこいつの武器を買いに来た。ついでにわたしの装備も貰うぞ、調整は?」
「もちろん出来てるわよ。カオルくんのは何がいいのかしら?」
「こいつには適当な銃器を一つ見繕ってくれ。それ以外はこいつの好きにさせる」
「服はいいの?」
「ま、まだいらんだろう」
「ふーん……姫様がそう言うならいいけど。じゃ、最終調整をするから来て頂戴」
そう言って二人はカウンターの奥へ消えて行った。
全くついていけない。
まあ……店の中で一人ぼっちになってしまったことだし、物色でもするとしよう。
当然に銃器が置かれた一画は無視して刃物が置かれた場所を見に行く。
「……凄いな、十三年式銃剣まであるぞ。こっちの太刀は……無銘だけど相当に古いな。前に見た童子切に似てる……欲しい」
ありとあらゆる種類の刃物がそこには集まっていた。
ナイフも銃剣も日本刀も西洋剣も青龍刀も、肉切り包丁ですら置いてある。
あぁ、たまらない。刀類はガラスケースで保管されているから触れないのが悔やまれるけど、買ってと言えばさくらは買ってくれるだろう。そうすれば僕の物だ、いくらでも触れられるし舐められる。
……どれも欲しい。
どれか一つなんて決められない。全部買ってと言ったら買ってくれるだろうか。
あんなマンションに住めるくらいだから、お金には余裕があるはずだけれど……。
「うーん、やっぱり……刀だよな。ナイフくらいなら僕でも買えないことはないだろうし」
悩みに悩んでいると、僕は不意に頭上が気になって上を向いた。
天井のギリギリの辺りに一本の大振りのナイフが飾られている。
他の商品とは離されていて、高さもあるせいか気付かなかったみたいだ。
「……っ」
そのナイフは僕の興味を一瞬にして集中させた。
刃渡りは三十程、片刃で、柄の素材はトネリコ。鍔はない。
刃は蒼銀色の僕の知らない金属が使われていて、それに幾本もの血のような赤黒い線が走っている。
これにしよう。
一目惚れだ。何故だかわからない。
綺麗だけど、日本刀のような芸術的な輝きを持つ刃ではない。それだというのに僕には何よりも魅力的に映った。
怪し気な魔力のような物がこのナイフからは出ているのだろう。そうに違いないと確信できる程に僕は虜にされていた。どうやってもそのナイフから視線を動かすことが出来ないほどだった。
いや、マジで動かない。
「――――おいっ!」
「うわっと」
「何が欲しいのか決まったのか?」
いつの間にかさくら達は帰ってきていたようだ。
彼女に尻を蹴られて正気に戻る。
よし、言うべきことは決まっている。
「あのナイフが欲しい」
「むっ……アレか……」
さくらが凄い難しい顔をしている。
もしかして――駄目とは言わないだろう。
何でも買ってくれるって言ったしな。うん。そんな馬鹿な。
「他のではダメなのか? ほら、あの大太刀とか良いじゃないか」
「あのナイフがいい」
「あっちには七星剣があるぞ。アレはどうだ、ん?」
「あのナイフじゃないと嫌だ」
「……他にも良いナイフはあるぞ。変わり種だとククリナイフとか」
「あのナイフがいい。何でも買ってくれるって言ったろ」
「アレ以外なら何でも買ってやる。他のにしろ」
さくらは顔を僕から背けて言い放った。
ひどい。何でも買ってくれると言ったというのに。
徹底抗戦だ。
絶対に離さないという意志を込めて、彼女の腰に腕を回す。
「な、なにをする!?」
「さくらこそなんだ。何でも買ってくれると言ったろう? 偉大なるバンパイアはそんな約束も守れないのか」
「む、むぅ……」
さくらは押し黙った。
そしてとても困ったようにあのナイフとニヤけている紅さんを交互に見る。
……そんなにあのナイフは高いのだろうか? そうだとしても僕が引くことはないけれど。
「なぁ……紅。か、金ならいくらでも出すぞ。譲ってくれ」
「いいわよ」
「え、あ――ほ、本当か!?
わたしが百年以上ほしいと言い続けたのに頷かなかったではないか!」
僕の腕をすり抜けて、さくらは紅さんに詰め寄った。
……なるほど。そんな経緯があったのか。
彼女が難色を示していたことに納得した。というか、かなりしつこい。百年って。
「それはそれよ。カオルくん、ちょっとこっちに来なさい」
紅さんがどこかふざけた様子で僕を手招きする。
だが、僕にはわかる。目が真剣だ、研ぎ澄まされた刀のように鋭い。
返答を間違えればただで済みそうにない。自然と冷や汗が背中を濡らす。
けれど、行かないという選択肢は僕にはない。
「ねぇ、姫様のことを最期まで見捨てずに、裏切らずに、支えると誓える?」
「もちろん、誓うよ」
簡単なことだ。臆することなく僕は答えた。
好きな女の子を見捨て裏切る男がどこにいるだろう。それにしてもさくらも同じことを僕に言っていた。人外の間では定番の台詞なのかもしれない。
そんな僕に初めて見る満面の笑みで紅さんが言う。
「違った時はナイフが更に紅く染まるわよ」
「そんな心配はいらない、僕は約束を破ったことがないから」
紅さんはこの忠告で満足したのか言葉を続けることはなく、ふわりと宙に浮かんで硝子ケースに飾られたナイフを壁から取り外し始めた。
すごい、自然に飛んでるよ。
さくらも飛べるのかな――と横を見ると、彼女は何かブツブツ言いながら俯いていた。
ほんのりと頬が染まっているから照れているのだろう。
まあ、さっきみたいなやり取りを他人にやられるのは恥ずかしいというのはわかる。
「はい、どうぞ。この子は名前がないからつけてあげて」
「名前……」
ナイフを手渡された。
ほんのりと熱くて、エネルギーのようなものを強く感じる。悪い気持ちはしない、むしろ心地良い。
はぁ……これが僕の物になるのか。
とりあえず言われた通りに名前を付けるとしよう。
こういうのは直感が大事だ。
「
「そのまんまだな」
「いいんだよ、それで」
さくらは不満顔だけど、僕は満足だ。真の紅、このナイフにこそ相応しい。
元持ち主の紅さんを見ても満足しているようだった。
うん、わかる人にはわかるんだな、やっぱり。
「くっ……もったいない。わたしが持っていてやっても良いぞ」
「やだよ」
さくらはジャイアンみたいなところがあるからなぁ。絶対に返してくれない気がする。百年間もしつこく交渉をしていたという逸話を聞けば尚更だ。
「鞘はちゃんと魔力を封じ込める物にしておいてあげるから、少し待ってなさいね。次は……銃よね、何がいいかしら」
そう言われても困る。
興味がないからなぁ。別に嫌いなわけではないのだけど。
壁を見渡しても全然名前がわからない。僕でも知っているのはソビエトの有名な自動小銃と日本のサンパチくらいただ。
「適当に形で選べばいい。ライフルよりも拳銃にしておけ、お前はモヤシだからな」
それもそうだ。
考えてみれば毎日戦うために鍛えている軍人達が持つような装備を扱えるわけがない。数分持っているだけで肩が痛くなって来るだろう。
「なら……これにする」
僕が手にしたのはリボルバーの拳銃だった。西部劇に出てくる物よりは新しい奴だと思う。
何故にリボルバーにしたのかと言えば、頑丈でシンプルだとどこかで聞いた覚えがあるからだった。
「赤い鷹か。本当に赤が好きなんだな、お前」
「……赤くないけど?」
「そういう名前だ。ダブルアクションだし、わたしは良いと思うぞ」
ふーん。
よくわからないけれど、さくらが良いというならそれでいい。
少し大きい気はするけれど、回転式弾倉をクルクルと回すのは楽しいし、ロシアンルーレットにも使える。
「アタシはもう少し弱いのが良いと思うけど、良いでしょう。じゃあ、弾薬を取ってくるわね。姫様の物も」
「うむ」
そう言って紅さんはまた店の奥へと消えた。
「他には何か欲しいものはないのか? この際だから買いためておけ」
「じゃあ、あの大太刀とそこら辺にあるナイフ全部欲しいな」
「……遠慮はないのか? というか、わたしはお前に玩具を買ってやりに来たわけではない。刃物はそのナイフがあれば充分だろう。他の物にしろ、他の物に」
呆れたようにさくらが言った。
まあ、彼女の言うことには一理ある。あくまで僕が戦うための武器を買いに来たのだ。それに欲しかった物は無事に買って貰った。これ以上に駄々をこねるつもりはない。
「でもなぁ」
そうは言っても何を買えばいいのだろう。
僕が使うことで戦えるもの……銃器と刃物が置かれている場所以外に視線をやる。
そこにはボウガン、ロケット砲、爆薬、手榴弾などが置かれていた。他にもよくわからない液体とかが置いてあるけれど、僕にはよくわからない。
……でも、これはいい。手榴弾何かは特に僕の力が強い弱いは関係なしに殺傷力が高い。
使うのも投げるだけだから簡単だ。これにしよう。
「プラスチック爆弾に……破片、閃光、攘夷手榴弾か。手榴弾は良いが……プラスチック爆弾を使う機会なんてあるのか?」
「何があるかはわからないじゃないか」
「まあ……それはそうだが。家をふっ飛ばしたら殺すぞ」
僕は家をゴミ屋敷にするような適当な人間ではないから大丈夫だ。
今日はあまりに暴力を受けている気がするから、口には出さないけど。
これ以上は嫌だ。
「あら、それも買うの? ついでなら服も買っていかない?」
いつの間にか戻ってきていた紅さんが言った。
カウンターの上には大きなリュックサックが置かれている、中身は弾薬だろう。
……服。防刃服とかだろうか?
ただ、紅さんの表情が気になる。さくらを頬擦りしていた時の顔に似ていたからだ。嫌な予感しかしない。
チラリと横を見ると露骨にさくらも嫌そうな顔をしていた。
「――いえ、今日はいいです」
「うむ、急ぎだからな。どうしてもというのならお前が家に来い」
「そう……残念ね」
本当に残念そうに紅さんは言った。
けれども、さくらの満足気な表情を見れば僕の対応は正解だったようだ。
「では今日はこれでいいか。金はいつもの所から引いておいてくれ」
「はーい。今日の会計は100億と812万円ね」
「お、おいっ!」
さくらもビックリしているけど、僕もビックリしている。
百億……人生を十回は遊べそうだ。額が高すぎて現実味がない。
「冗談じゃあないわよ。それでも負けてあげたほうじゃない。
「う……だが……それほど残っていたか……最近は働いていなかったし……」
「アタシのところで数年くらい働くならタダでいいわよ?」
「――いや、すぐに稼いでくる。とりあえずは付けておけ」
「一週間しか待たないから」
話は纏まったようだ。
僕の買い物のせいでこうなったわけで少しだけ心苦しい。
プレゼントを買って貰う時に会計で苦しい顔をしている親を見るような気持ちだ。
まあ――僕は実際にそんな場面に遭遇したことはないけど。
「まいどあり。一週間後、楽しみにしているわね?」
「くっ……」
僕はホルスターに収めた百億円のナイフを擦りながら、苦い顔のさくらと一緒に店を出た。
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