第9話:性的衝動

 やってしまった。死にかけた。

 手を出さなければよかったと後悔はしていないけれど、反省はしている。

 まずは……さくらに謝らないとな。

 何だかんだ言っても彼女は優しいから……最悪でも血を吸われる程度で許してくれるだろう。


 とりあえずは起きて――食事の用意をしないと。


「っ……」


 心臓が止まると思った。

 目を開けたら、視界いっぱいにさくらの寝顔が広がっていたのだから。

 こんなに近くに居たのに気付かないというのはバンパイアの成せる技なのだろうか?

 でも、寝息を感じないからこれは寝た振りだろう。

 まあ、そのほうが気安く言いやすいから有り難いと言えば有り難い。


「……ごめん、もう絶対にしないよ」


 僕はこうなるかもしれないとわかっていて、触った。

 好奇心を抑えられなかった。さくらに迷惑をかけるだろうとわかっていてもやった。

 そのことについて、まずは謝る。

 そして――――


「ありがとう、看病してくれて」


 感謝する。

 こんなに近くにいるということは付きっきりで看病をしてくれたのだろう。

 本当に有り難いし――嬉しい。

 僕のことを想っていてくれていることが、深く感じられる。さくらがただ優しいだけなのかもしれ


ないけれど、それはそれで問題ない。

 愛おしくて、抱きつきたいくらいだ。

 

「あっ、おい……」


 抱きつけてしまった。

 さくらは顔を紅くして、もぞもぞと動いただけでろくに抵抗をしてこない。

 こ、これは逆に怖い。

 けど、またとないチャンスだ。

 ここで引いては僕は僕でなくなってしまう。


「……」


 ……柔らかくて、小さくて、温い。

 こんな子供がバンパイアで、八百年も生きているなんてとても思えない。

 突けば壊れてしまいそうな程に弱々しいというのに。

 思い切って頭を撫でてみる。

 夜の闇のような長い髪はまるで絹のような触り心地だった。

 ……まだ抵抗がない。

 このままだと止まらなくなってしまう。死にかけたからか、さくらの魅力のせいか、恋慕の情のせいか。あるいはそれら全てか。

 僕は生まれて初めてたぎっている。性的衝動が膨れ上がり続けている。破裂しそうだ。

 抑え切れそうにない。こんな気持ちは初めてだ。


「……さくら、好きだよ」


 耳元で囁いて――手を下へと動かしていく。

 マシュマロのように柔らかい頬を撫でて、握り締めたくなるような細い首を撫でて、すべすべとした華奢な肩を撫でて、薄っすらとあばらの浮かぶ胸を――


「ちょ、調子にのるなっ!」


 ヘッドバットを食らった。痛い。

 流石にまだ早すぎた。もう少し好感度を高める必要があったようだ。

 ……とは言っても、さくらは僕の身体から離れようとはしない。

 むしろ、彼女から痛いほどに抱きしめてくる。


「誓え」


 さくらは僕の胸に顔を押し付けるようにしながら、泣くように言った。


「わたしの許可なく死ぬな。溺死も、焼死も、餓死も、病死も、脳死も、失血死も、窒息死も、ショック死も、老衰も許さない」

「老衰も……?」

「二度は言わん」


 何という無茶な要求だろう。

 こんなことを言われても守れるはずもない。特に老衰なんて無理だ。

 ――それでも僕の言うべき言葉は決まっている。無理だとわかっていても言わなければならない。


「誓うよ。僕はさくらの許可がない限り死なない、絶対に」

「絶対に絶対だぞ。破ったら許さないからな」

「うん」

「……お前はわたしのモノなんだから」


 さくらはそう言って、僕を抱きしめる力を強くすると動かなくなった。

 すーすーと微かに寝息が聞こえる。

 ……僕も、もう一眠りするか。ここで無理矢理に腕から抜け出すのは野暮という物だろう。




 僕が倒れてから三日ほど経った日の夕方。


「よし、そろそろ働くぞ! 支度をしろ!」


 さくらは唐突にそう言った。

 ……もっと早くに言って欲しい。朝食(実際は夕方)を摂ってすぐの発言ではない。

 前もって言ってくれれば準備をしておくというのに。

 まあ――僕にできる準備はないから心の準備という意味なのだけど。

 それだって重要だと思う。覚悟とか、あるだろう、たぶん。


「何だ、その顔は。もっと喜べ、今日はいいものを買ってやるぞ」

「わーい」

「……わざとらしい」


 さくらは不満気な顔で言った。

 そう言われても僕としては困る。

 ハッキリ言って荒事は嫌いだ。化物を狩ると言われても全く胸がウキウキとしない。

 こうやって毎日平和に料理や掃除をして、たまに読書をしながらさくらと暮らしているのが僕に一番向いている。


「嫌だと言っても連れて行く」

「好きだと言ったら連れて行かないの?」

「もちろん連れて行く。くだらないことを言っていないで早くしろ」


 やれやれ。

 さくらは基本的に僕の言うことは聞かないし、労働が大切なのは確かだ。

 僕は働いたこともないしお金に苦労したこともないから、実感はないけれど、そういうものだとはわかっている。

 

 とは言っても、支度をしろと言われても特に用意することはない。

 とりあえず着流しを脱いで――頑丈そうなジーパンを履いて、シャツを着て、適当にジャケットを羽織った。

 女装をしないで外に出るのは久しぶりだ。何だかんだと買い出しに行くときもしてるからなぁ。癖みたいな物になっている。自分を偽るというのはどうにも心が落ち着いてたまらない。


「ふん、いつもの着流しよりはマシか」


 僕の服装はまあまあの評価だったみたいだ。

 そう言うさくらはゴシックでロリータな感じのドレスを着ていた。

 加えて中学生モードになっている、戦闘態勢ということなのだろう。

 これは文句なしに可愛い――けど、これが仕事に行く衣装なのか?


「こういう格好をしていくとこれからがスムーズにいく。まあそのうちわかる」

「わかりたくないような」


 ……今日は特に疲れそうだ。これからを思うだけで胃が痛くなる。


 さくらも特に荷物はないようだったから、二人して手ぶらでエレベーターへと乗り込む。

 到着したのは地下一階。そこは駐車場だった。

 車に興味のない僕でも知っているような高級車が大量に並んでいる。


「運転はできるか?」

  

 さくらがそう言って止まったのは赤いスポーツカーの前だった。

 二人乗りで名前は――確か悪魔みたいな感じの奴だったと思う。

 

「できるよ」

「うむ」


 投げつけられた鍵を受け取って車に乗り込む。

 スポーツカーだからと少し緊張しながらエンジンを掛けて――ハンドルを握る。


「どこに行くの?」

「わたしが逐次ちくじ案内してやる、進め」


 僕は頷いてアクセルを踏み込んだ。

 特に何も起こることはなく、順調に車は動き始めて、目的地へと向かう。

 ……何とかなった。実際に車を運転するのは初めてで、免許も持っていないという事実は僕の胸の中に仕舞っておく。怒られそうだし。

 ゲームセンターに行って、数回とはいえVRカーゲームをやっていたのが役に立った。

 

 そうして三十分も車を走らせていると、僕はある事に気づいた。 


「……これ、海に向かってるの?」

「うむ。よくわかったな」


 さくらは満足気に笑いながら言った。

 予想は当たっていた。


「海は異界に繋がっている――と、聞いたことはあるか?」

「あぁ、昔の人はそう考えていたらしいね。僕もわかる気はするよ。静かに波打つ海を見ているとさ、呼ばれている気がして――飛び込みたくなる」

「そういうことだ。そしてそれは間違っていない。実際に海というのは異界への入り口になりやすい。だから、化物の住む異界に乗り込むための基地を作るならそこが適しているだろう?」


 そんな会話をしている内に海が視界に入り込む。街の光に照らされて輝く水面は綺麗だった。

 更にさくらの指示に従って港町を走り続けると巨大な倉庫群へと辿り着いた。


「ここが?」

「あぁ、外からはわからないように隠されている。駐車場は……そこの巨大コンテナだ。中はスロープになっていて、地下駐車場へと繋がっている」


 何か本当に秘密基地って感じだ。

 これでも男の子だから秘密基地に謎の組織という構図はワクワクするものがある。

 けど、待っているのは化物との対決だと思うと気が落ち込んでしまう。

 

 さくらとの約束を守るためにも、死なない程度に頑張るとしよう。、


 

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