第6話:ヘルシング

 頭が小刻みに揺れている――――目が覚めた。

 嫌な目覚めだ、起きてそうそう酔いそうだし。この寝起きは僕の人生においてワースト三位には入ると思う。

 身体がとてもだるいけれど、気を失う前よりはマシになっていた。


「ほら、飯だぞ!」

「う、うん……」


 目覚めた僕の前――クッションの山の近くには小さなちゃぶ台が置かれていた。

 その上にステーキ、ハンバーグ、オムライス、カニクリームコロッケ、豚のロースト、ビーフシチューが二人分並んでいる。


 重すぎる上に多すぎる。どれか一つで十分だし、肉で被りまくっている。小学生が好きな料理を固めたようなチョイスだ。

 たとえ僕が元気だとしても全部は食べられない。


「ちょっと、僕は後で少しだけ食べるよ……」

「ダメだ、食わないと治らんぞ!」


 さくらは厳しい顔で――フォークを突きつけてくる。

 その先には大きめに切られたハンバーグ。


 まぁ、食べさせてくれるというのは嬉しいし、何か食べたほうがいいのは事実だ。

 それに食わないと無理矢理に口に詰め込まれそうだし。

 大人しくてほどほどのところで逃げる作戦でいこう。


「あーん」


 合図通りに口を開けて、咀嚼して、飲み込む。

 口の奥のほうに食べ物を突っ込まれること以外には悪くない気分だった。

 ハンバーグも良い肉を使っているのか噛む度に肉汁が溢れてきて美味しい。


 そうして一つ無理矢理に食べきると、さくらは満足したのか僕を解放して自分の食事を始める。

 ……こうして介護をしてくれるのは嬉しいけれど、なんというか不器用なんだよなぁ。

 小さな女の子が捨て猫を拾って、必死に育てるのだけど虐待になっている――そんな感じだ。


「ん、どうした。まだ食べたいなら食べていいぞ?」

「いや、いいよ」


 僕は食事を眺めているだけで満足だ。

 さくらは大きく口を開けてガツガツと健康そうに食べる。

 とても幸せそうだから――見ていて気持ちがいい。


「そういえば、バンパイアは普通の食事もするんだね」

「うむ、普通の食事を摂ることで必要とする吸血量を少なくすることができる。

 そうは言ってもあまり効果はないから娯楽の面が大きいな、やっぱり」


 さくらはそう言って、フォークを僕に向けて続ける。


「それにしてもいいのか、お前」

「何が?」

「学校とか――あるだろ。わたしのことが……す、好きだとしても、だ」


 さくらは躊躇いがちに言った。

 そこに恐怖の色があることを僕は見逃さなかった。

 また――目が左右に揺らいでいた。

 さっきのことを気にしているんだろう。僕は殺されかけたのだから、帰りたいと騒ぐのはおかしくない。

 それを彼女は――怖がっている。


「僕はいいって言ったじゃないか。どうでもいいんだよ、そんなの」


 けれど、僕は即答した。

 気を使っているわけじゃない、本当にどうでもいい。

 学校なんてものは僕にとって三ヶ月前に気まぐれに始めた習い事程度の価値しかない。

 僕を友達だと思ってくれている人は少なからずいるけれど、そいつらを百人集めたって、さくらの価値には及ばない。

 それに――――


「僕に家族はいないって、知ってるんだろ?」

「うむ……調べた」


 普通は最初に学校ではなくて、家族のことを聞くだろう。聞かないのは何かを知っている可能性が高いということだ。

 僕の予想は当たっていた。名前だけで身元を特定するのは難しいから、このセーラー服から辿ったに違いない。

 出会ったばかりの人間と、下僕扱いとはいえ一緒に暮らすと言うのだからそれくらいの情報収集は当然だ。

 さくらは少しだけ申し訳なさそうにしているけど、その態度のほうが僕にはつらい。

 気にしてないのに。


「そ、そうだ! ついでにお前の家から荷物を全部持ってきてやったぞ、玄関に置いてあるからあとで適当な部屋に入れておけ!」

「う、うん」


 さくらは話題を変えるように明るく言った。

 いや、そっちは気にして欲しい。もっと申し訳なさそうにするべきだと思う。

 僕のプライベートがメチャクチャだ、色々と人に言えないものが置いてあるのだから。


「それにしても大量の刃物に、眼球のホルマリン漬け。やっぱりお前を拾ったわたしの勘は当たっていたな」


 人に言えないものも見られていた。

 幸いにして――引かれてはいないようだった。さくらがバンパイアで助かったぜ。

 でも、これからは気をつけなければ。


「でも、女物の服が多すぎるのはどうかと思うぞ。下着まであったし」

「――――ところで、勘が当たっていたっていうのはどういうこと?」


 強引に話題を変える。

 このままだと女装をしてクラスメイトを弄んでいたことまでバレてしまうような気がしたからだ。

 さくらにも変装の愉しさを教えてあげたいという願望はあるけれど、今はその時じゃない。物事にはタイミングというものがある。


「すごい誤魔化された気がするが……まあいい。これはお前の今後に強く関わることだからな」


 真面目に聞け――とさくらは続けた。


「わたしは人に仇なす化物を狩っている。想像できるか?」

「ヴァン・ヘルシングみたいな感じでしょ?」

「まあ――対象がバンパイアだけではないが、そういう感じだな」


 格好良いけど、僕にはとても出来そうにない。

 ちょっと変装が好きなだけの普通の高校生なのだから。


「で、時が経てばお前も討伐対象になりそうだというわたしの勘が当たったというわけだ」

「なんでさ」


 僕は化物じゃないぞ。ちゃんとした人間だ。


「人は――人の道から外れると外道になる。お前は既にはみ出しかけている。このままだと遠からず墜ちるだろうな」

「人の道から?」

「そうだ。人を多く殺せば墜ちるわけでも、人を多く救えば墜ちるわけでも、何かに優れていれば墜ちるわけでも、何かに劣っていれば墜ちるわけでもない」


 さくらは見透かすような目で僕を見た。


「精神が――人間から外れると墜ちる。

 時代によっては英雄と呼ばれることもある。外道は人間から外れた故に物理法則をある程度だけ無視することができるからな。いわゆる超人だ」


 英雄――なら討伐する必要はあるのか?

 いや、すべてがそうなるとは限らない。人を救済する方向に逸していれば問題はないだろう。

 でも、もし、逆なら――――


「わかったろう?」

「……」

「だから、拾った」

「……」


 わからない。

 僕がそんな危険人物だと言うのなら――地下で殺しておけばいい。

 少しだけ疑うような視線をさくらに向けると――彼女は言った。


「……う、うそだとは思うが……仮にもわたしを好きだと言った人間を手に掛けたくはないからな! そんなことをすれば目覚めが悪いっ!」


 さくらは頬をほんのりと紅く染めながら言い切って、顔を背けた。

 ……可愛すぎる。

 愛おしくてたまらない。やっぱりこの娘は僕の運命の相手に違いない。

 思わず抱きしめたくなっちまうぜ。


「おい、気安くさわるなっ!」

「おっと」


 思わず行動に移してしまっていた。

 軽く押されて尻もちをつく、クッションがあって助かった。

 叩かれなかったのは吸血事件が響いてるのだろう。僕の演技が効いている。


「話が途切れたが――それに見どころもあった」

「顔?」

「いや、違う。お前、わたしの目に惹かれたって言ったろう?」


 少しボケたのにスルーされたのは置いておくとして、

 確かに言った。

 けれど、それは綺麗で見惚れたという意味であって――――


「本能で手が出たとも言ったろう?

 お前は魔に惹かれる体質なのだろうな」

「魔に?」

「ようするに超常のモノにってことだ、あまり強い体質ではないようだが。

 まあ、強いと――俗に言う霊能力者とか、そういうものになる」


 僕はオカルトを利用したことはあるけれど、本当に経験したことはない。

 でも、さくらがそう言うのならそうなのだろう。

 それに、優秀に思ってくれる分には問題ない。捨てられる危険性が減るし。


「そんな才能が僕にあったとは……」

「人には誰しも隠れた才能があるものよ」


 中二病のようなことを言ってみたら真面目に良い話で返された。

 これはとても、恥ずかしい。


「まあ、お前を拾ったのはそういうことだ。基本的に仕事の時もお前は雑用係と非常食係だから安心してよいぞ」


 非常食係は安心できそうにない。

 戦いでさくらが弱ったら、つい吸い尽くされそうな気がするし。

 さっきのつまみ食いみたいな感じでこれだものな。


「心配するな。わたしはちょー強いからな」

「……安心したよ」


 あまりこの部分を突くと怒られそうだから黙っておく。

 でも、実際問題として強そうにはぶっちゃけ見えないんだよなあ。

 肉食動物ってより愛玩動物だし。さっき食べられそうになった僕が言うのもなんだけど。


「じゃあ、話も終わったし。僕は掃除を再開するよ」

「うむ、励むが良い」


 さくらは偉そうに言った。

 まあ、実際に偉いのだ。

 期待に応えるべく下僕として見事に仕事をこなしてみせるとしよう。

 

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