第6話 能無し

 二人の乱入者によって場の空気は一変した。

 和やかだった雰囲気は荒れた場末の酒場に豹変し、その場にいる誰もが疎ましげに乱入者から視線をそらしている。

「おいおい、この俺、『炎の騎士』プラド様がわざわざ来てやったのに、歓迎の挨拶もないのかぁ?」

 その男はやせた狼のような男だった。

 体の線が細く、目つきが異様に鋭い。顔立ちは整っているが、粗野な雰囲気と猫背のせいでチンピラにしか見えなかった。少なくとも高潔とは無縁の存在だ。

「ったく……テメェ等はとうとう言葉もしゃべれなくなったのかぁあ? だったら、この小屋、燃やしちゃってもいぃのかぁぁあ?」

 そのチンピラ――プラドは残忍な笑みを浮かべると指をパチンと鳴らした。

 すると指先に、勢いよく燃えさかる小さな炎が現れた。

 獣人達の雰囲気が変わる。

 モノは小さいが店を破壊できる威力があることは、これまでの経験・・から獣人達も理解していた。

 彼等にとって食事ができる店は生命線。なにより、ミノスとは旧知の仲の者も多い。それぞれが、いつでも動けるように体を弛緩させる。

 争乱を予感させる緊張。

 プラドはそれを喜ぶように口の端を大きくつり上げたが――

「やめな」

 女の声が静止した。

 ミーコだ。

 ミーコは戦闘態勢のプラドの前に呆れ顔で立った。

 彼女はいつものメイド服姿。『騎士』を相手にするには頼りない装備だが、父親譲りの威風堂々とした立ち振る舞いでプラドに相対する。

「ここはアンタみたいなクズが来る所じゃないんだ。さっさと出ていきな」

「おいおい、差別はダメだろ~? 俺は客だぞ? 客をクズ呼ばわりとはどういう了見だ? あぁぁん?」

「食事を嫌うお前が飯屋で何を頼むのよ? 水の一杯も頼まないお前を客とは認めないよ」

 プラドの三白眼で凄むが、ミーコは動じることなく睨み返す。

 一触即発の事態に悠馬は顔をしかめた。

「……あの、あの人は?」

「関わるな。桔梗とエルは絶対に手を出すな。雫を守ることだけに専念してくれ」

「わかっているニャ」

「指一本触れさんよ」

 桔梗とエルは侮蔑の表情を浮かべて返事をすると、それを耳ざとく聞き付けたプラドが悠馬達に目をつけた。

「どこを見ている。さっさと帰――」

「邪魔だ」

 プラドは静止しようとするミーコに火炎を放った。

 大きなビー玉程度の火炎はミーコに当たった瞬間、炸裂。ミーコは壁までぶっ飛ばされた。

 獣人達が慌てて駆け寄る。

 耐熱性のメイド服のおかげで大きな外傷はないが、壁にぶつかったダメージが大きく、片膝をついた。

 その姿を鼻で笑ったプラドは悠馬達の席に来た。

「よう木偶の坊。まだ生きていたのか」

 プラドはそう言うなり、火炎を放った。

 火炎は弾丸の速さで飛翔したが、悠馬に当たると桜吹雪に変化して散った。

 突然の出来事に雫は悲鳴をあげそうになったが、とうの悠馬は腕を組んで悠然と構えて動じることはない。

「食事の時間だ。遊びたいならあとにしろ」

「遊びたい? この俺様が貴様と? バカなことを言うな。貴様のようなと遊ぶつもりは毛頭ない」

「ならば帰れ。邪魔だ」

「そう言うが、最近は暇でね。ストレス発散のためにわざわざ足を運んでみれば、娼館は休業日だという。ついていないと思い、暇をもてあましてここまで来たわけだが……どうやら俺はついていたようだな」

 プラドは好色な表情を桔梗に向け、桔梗はあからさまに顔をしかめて不機嫌になる。

「こんな能無しはほっといて、俺と遊ばないか?」

「嫌」

「つれないなぁ。昔はあんなに仲が良かったのに……俺の前ではもう鳴いてくれないのか? 『にゃーにゃー』ってさ。クハハ」

 プラドは口角をつり上げて舌なめずる。やせ細った顔立ちも相まって爬虫類を連想させるその表情は、不快感を煽るには十分すぎる威力を持っていた。

 桔梗は総毛立ち、胸元を両手で覆い隠す。

「……気持ち悪い」

「クハハ。安心しろ、すぐにお前を――」

「いいかげんにしろ、変態」

 エルの怒声がプラドの言葉を遮った。

「『遊び』と称して何十人も壊しておいて、良く笑っていられるな。暇なら『異界』で狩りでもしてろ」

「そういうのは下級魔人や――そこの能無しの仕事だろう。『騎士』である俺の仕事じゃない。人形は黙って魔導具だけ作っていればいいんだよ。おっと、貴様は失敗作だったな。クハハハハ」

「……ッ!」

 エルは激昂する。

 それに合わせて白衣が揺らめき、裾が鋭利な輝きを宿す。白衣が今にも襲いかからんとしたところで、桔梗が雫の背後から手を回して引き留めた。

 それを見たプラドは嘲笑を浮かべる。

「おや、まさか攻撃しようとしたのか? もしそうなら、貴様は有害指定で『異界』に廃棄しなければならないが――」

 廃棄。

 その言葉を聞いた瞬間、エルは肩を振るわせた。

「どうなんだ? ん?」

 プラドの醜悪な笑顔に、悠馬は盛大にため息をついた。

「二度も言わせるな。帰れ、と俺は言ったんだ。それとも――言葉を理解できなくなったのはお前のほうか?」

 プラドから薄ら笑いが消える。

「貴族の威を借る能無しが……俺が貴様を攻撃できないとでも思っているのか?」

「そうは思ってない。なにせ、飼い主の言うことを聞けぬ『狂犬』だからな」

 狂犬。

 それは彼の素行の悪さからついた異名。獣人を唾棄するプラドにとって最大の侮辱。

「貴様……ッ!」

 プラドはこめかみに青筋を立てる。双眸には狂気を宿しており、射殺さんばかりの殺意を向ける。

「調子に乗るなよ……ッ!」

 プラドが指を鳴らすと周りにいくつもの火炎が浮かび上がる。

 その場にいる誰もが、緊張した面持ちで成り行きを見守り、今にも火炎が放たれようとしたときだった――

「プラド様、おふざけが過ぎます」

 プラドの後ろに控えていた獣人の女性が、プラドを諫めた。

 その女性は褐色肌の羊型獣人。

 モコモコとした亜麻色の髪に、丸く捻れた角。理知的な顔立ちはプラドの仲間と言うよりお目付役といった様子だが、その印象を裏返すように露出の高い服装で妖艶な肉体を隠している。それがプラドの趣味であることは容易に予想できた。

 その女性は、怜悧な視線をプラドに向ける。

「この場で争うことになれば、我らの主人にも迷惑がかかります。おやめ下さい」

「……チッ。わーったよ」

 プラドが再び指を鳴らすと炎は消えてしまった。

「おい、そこのガキ」

「わ、わたしですか?」

 唐突の指名に雫は慌てる。

「そうだ。テメェも、魔人なんだろ? だったらこいつとは縁を切った方がいいぜ。こんな能無しと一緒にいたら能無しがうつっちまう」

「……さ、さっきから能無しとか出来損ないとか……いったい何なんですか!」

 雫は桔梗の手を固く握りしめながらもムッとした顔でプラドを睨み付けた。

 するとプラドは呆気にとられたような表情になり、哄笑をあげた。

「なるほどなるほど! そりゃ、言えねぇわな。クカカカカ」

 雫はわけがわからず怯えた瞳で狂人プラドを見る。

「教えてやるよ。この男は魔力を持たないのさ」

「魔力を……持たない? でも、悠馬さんは魔人で……」

「しかし魔力を持たない。だから『能無し』なんだよ」

「で、でも悠馬さんは『殻』を持っています!」

「そんなもん他人から奪ったか恵んでもらったんだろ。『殻』は魔力がなけりゃ作れねぇが、逆に言えば魔力さえあれば『殻』を生成できるからな」

 雫は困惑して悠馬の表情を見るが、悠馬は黙して語らない。

「こっちに来いよ。そんな能無しと一緒にいたら腐っちまう。俺と来れば『殻』が手に入るし、『騎士』にもなれる。必要なことは俺が教えてやるよ――いろいろとな」

 プラドは口角をあげて笑う。

 それは他人の血肉を奪い、魂を弄ぶ者――悪魔の笑顔。

(……危険だ)

『狂犬』プラド。彼に関わる者は破壊されてしまう。これ以上の会話は雫の将来に大きな影を残すことになるだろう。

 悠馬が力ずくでも排除しようとしたときだった――

「結構です。わたしは悠馬さんにいろいろ教えてもらいます」

 雫はこれまでにない強い調子で明確に言った。

 悠馬は目を丸くするが、それは桔梗やエル、プラドすら同じだった。

 呆気にとられたのはつかの間。

 プラドは怒りに顔を歪め、テーブルを蹴り飛ばした。テーブルは壁にぶち当たって壁を壊し、ガラス片を撒き散らす。

 しかし雫の表情は変わらず、ムッとした表情で睨み付けている。

「チッ、クソガキが……」

 プラドはそう吐き捨てると、テーブルが穴をあけた壁に蹴りをいれて穴を広げる。そこから外へと出て行こうとして――振り返った。

「もう一つ良いことを教えてやるよ。そこの能無しはもうすぐ死ぬ」

「……え?」

「そしたらこの俺がお前を教育してやるよ。それまで楽しみに待ってな」

 プラドは凶相を浮かべると、獣人の女性と共に出ていった。



 嵐が過ぎ去り、店内は静けさを取り戻した。

 ウェイトレス達は馴れた様子で片付けを始めており、客の獣人達もそれを手伝っている。

「……本当……なんですか?」

 雫はぽつりと呟いた。

「本当に……悠馬さんは……」

「……ああ、おそらく長くないだろう」

 悠馬の答えに雫は目を見開く。

「なんで……」

「奴の言った通り、俺は魔力を持たない。獣人達と同じように食事で補給しているが、それでも全然足りないらしく、細胞の劣化が早まっているそうだ」

「そんな……そんなのって……」

「安心しろ。雫が魔力を使えるようになるまでは死なない。だから心配するな」

「……ッ……わたしが心配しているのはわたしの事じゃありません! わたしが心配しているのは……!」

 雫の激情が周囲に歪みを生み始める。

 桔梗とエルはすぐさまその場を退避するが、悠馬だけは動かない。歪みが悠馬に接触し、桜吹雪が舞う。

「雫ちゃん、やめて! 今ご主人様が暴走を受けたら死んじゃう!!」

「……え……い、いや!」

 桔梗の悲鳴のような懇願は、制御不能だったはずの暴走を止めた。

 周囲に舞った箸やコップが盛大に床に落ちる。

 再び、静けさを取り戻した店内で、雫はぽつりと言った。

「……わたしが力を暴走させたせいで悠馬さんは――」

 それ以上は言葉にならず、雫は一筋流の涙をこぼす。

 悠馬は雫の前にかがむと優しく頭をなでた。

「勘違いするな。俺の『殻』は外部の魔力を原動力にしているから俺に負担はない。桔梗も勘違いするようなことをいうな」

「そうは言うけど、ご主人様の『浄化の殻』は不明な点が多いから負荷のかけ過ぎは危険ニャ。もし、過負荷で『浄化の殻』が無くなれば、魔力を持たないご主人様はすぐに汚染されて『魔獣』に堕ちるニャ。それは人としての死ニャ」

「桔梗……」

 それはこの場で言うべき言葉ではない。

 そう無言で訴えかけると、桔梗は不満げにしながらも口をつぐんだ。

「雫、何度も言うが君のせいでは無い。俺の問題は持病のようなもので、どうしようもないんだ。だから気にするな」

 ムッツリとした顔が優しく微笑む。

 諦観の混じった力のない笑顔に、雫はぽろぽろと泣いた。

「……そんなこと言われても……気にしますよ……折角仲良くなれたと思ったのに……」

 雫は悠馬の胸に顔を埋めて嗚咽を漏らす。

 悠馬はどう対応して良いのか分からず困り果てた。

 魔力が生成されないのは昔からだ。原因は分からないが、初めて浴びた魔力があまりにも少なかったために、生成されないのではないかと言われたことがあるが、問題を解決する手段は見つかっていない。

 なんと声をかけて良いか分からずにいると、桔梗が雫の肩にソッと手を置いた。

「雫ちゃんは悠馬に死んでほしくないニャ?」

「あ、当たり前です……!」

「なら、悠馬を助けるために手を貸してほしいニャ」

 雫は振り返って桔梗を見た。

「助ける方法が……あるんですか?」

「無いけど……雫ちゃんの協力があれば不可能を可能にできるかもしれないニャ」

 不確かな答えに雫は顔を伏せるが、ハッと気づいたようにエルを見た。

「エルさんの魔導具で、なんとかならないんですか?」

「『浄化の殻』のせいで魔導具では検査や治療ができないんだ。もし治すなら、正常な魔人の心臓を移植するしかないだろう」

「なら、わたしの――!」

「駄目だ」

 雫の言葉を悠馬が遮る。

「ど、どうしてですか? わたしなら心臓を取ってもまた再生するんですよね?」

「心臓の移植は禁止されている。魔力炉であり貯蔵庫である心臓を移植すれば、精神汚染で確実に悪影響が出るからだ。最悪、自我が崩壊する」

「しかし、悠馬の場合は『浄化の殻』のおかげで汚染や拒絶反応を起こすことはないはずだ」

「確かに『浄化の殻』は有害な感情を消し去ることはできるが、知識や記憶までは消せない。これまでの知識と記憶を俺に渡すことになるが、雫はそれでもいいのか?」

「それは……でも……」

 雫は言葉に詰まる。

 他人に知られたくないことは誰にでもある。だから、扉があり鍵があるのだ。まして心など――いくら信頼していても昨日今日会ったばかりの男に渡すことはできないだろう。

 悠馬は瞑目するとエルに言う。

「エル、雫の良心を利用するのはやめろ。俺は彼女の心臓が欲しくてこの依頼を受けたわけではない」

「ならば、雫の力に賭けるしかない」

「わたしの力、ですか?」

「そうだ。悠馬の問題は魔力が生成されないことにある。心臓を強化して魔力の生成量を増やすか、なんらかの方法で心臓と同等の機能を持つものかを創って与えれば悠馬の問題は解決するはずだ。そのためには雫が魔力を制御できなければならない」

「でも……わたしは……」

 雫は自信なくうつむくが、桔梗は雫の肩を力強くささえた。

「大丈夫。雫ちゃんはたった今、自力で暴走を止めたわ。雫ちゃんには人を助けられる力がある。だから、自信を持って」

「…………はいッ!」

 うつむいていた雫は、桔梗の笑顔に勇気づけられてしっかりとうなずいた。

 しかし、それに慌てたのは悠馬だった。

「待て待て、お前等は何を言っている? 雫は暴走を止められたが、まだ制御できるわけではない。おかしなことを吹き込むな」

「おかしいのはご主人様の方よ」

「そうだな。悠馬はおかしい」

「……なに?」

 桔梗とエルは、眉をひそめる悠馬をジッと見つめる。

「このまま手を打たなければご主人様は衰弱死する。なのに焦らないし、不安にも思っていない。もし、最後の日が来たら、ご主人様はどうするの?」

「……受け入れるしかないだろう。寿命と同じだ。どうにもならん」

「それがご主人様の一番嫌なところ。全然、足掻こうともせず最悪の結末を受け入れる気でいる。ご主人様が死んだら私は悲しい。モコ姉さんもホルス姉さんも――この街でご主人様に世話になった人たちはみんな悲しむと思う。ご主人様はそんなに大勢の人を悲しませても平気なの?」

「平気ではない。しかし雫に迷惑はかけられないだろう?」

「なら、雫ちゃんに聞くわ。雫ちゃんはどうしたい?」

「わたしは……悠馬さんを助けたいです」

「……雫」

「わたしはまだ魔力を制御できませんけど、制御できるように努力します。だから――わたしを信じてください」

 信じる。

 それは悠馬が雫に求めていたものだ。

 それがこんな形で帰ってくるとは思わず、悠馬はしばし硬直した。

「旦那の負けだな」

 不意に第三者の声が裁定を下した。

 振り返るとミノスが立っていた。

「ミノス……」

「旦那を助けたいって言ってくれるんだ。それは幸せなことだよ。素直に甘えればいいだろ?」

「しかし……!」

「まぁ、地下一号室に料理は運んでおいたから、それを食べながらゆっくり考えてくれ。嬢ちゃんは残ってくれ。話がある」

「だが……」

「嬢ちゃんなら俺達が守る。たとえ死んでも渡さねぇよ。なぁお前ら!」

「「「おうよ!」」」

 ミノスがそう宣言すると、周りにいた獣人達も威勢よく答えてジョッキをかかげた。

「…………わかった」

 悠馬は力なくうなずくと、フラフラと立ち上がって地下へと向かった。

「さて、ここは片付けるからカウンターに座ってくれ。接客は俺がやる」

「あの……話って何ですか?」

「旦那のことだよ。……嬢ちゃんは知りたくないか?」

「……いえ、知りたいです」

 雫は目の色を変えた。

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