第3話 拒絶の魔力

 星の牡牛亭を出る頃にはすでに日が暮れ始めていた。

 ミノスには会えなかった。なんでも、生きの良いネタが入ってのでその仕込みに追われているらしく、明日また来てくれと言われたのでコルンの伝言をミーコに告げて店を出た。

 桔梗は相変わらず悠馬の左腕に抱きついているが、それはいつものことなので悠馬は気にしていない。

 予想外だったのは雫だ。雫は店を出てからも右腕にしがみついている。

 おそらく手を離す機会を逃してしまったのだろう。獣人という見慣れない存在に囲まれた不安も手伝って離すに離せないのかもしれない。

 そう推察した悠馬は、雫を振り払ったり離すように促したりはしない。桔梗も茶化したりせず街を案内している。

 悠馬は二人の会話を邪魔しないようにしならがら周囲に視線を走らせる。

 不審な人物はいない。

 道の両脇には出店や屋台が建ち並び、道を提灯が照らしている。

 洋風の街造りに和風のお祭り。ちぐはぐだが、このちぐはぐとした『混沌』こそが、この街の本質なのだと悠馬は思っている。

 そして、この混沌とした街の主役は獣人だ。

 夜目の利く彼らにとって昼夜の区別はあまり無い。さらに、魔力さえあれば一週間以上不眠で活動できるので、日が暮れようとも減る気配がない。皆、笑顔を浮かべて祭りの熱気に興じている。

「あの……これは何のお祭りなんですか?」

「竜退治のお祭りニャ!」

 雫はわずかに好奇心をのぞかせながら聞くと、桔梗が弾むように答えた。

「竜退治?」

「竜って言うのはスッゴク強い魔獣ニャ。おまけに瘴気をまき散らす恐ろしい存在ニャ」

「………………あの……瘴気、ってなんですか?」

 桔梗は両手を広げて竜の脅威を表現するが、雫は申し訳なさそうに聞き返した。

 外の世界では、魔力は天災に位置づけられていると聞いたことがある。台風の恐ろしさは知っているが、気圧の意味や発生理由がわからない、といった具合だ。専門的なことや詳細は『中央』の学園で学ぶのだが、彼女はこの島に来て一ヶ月。『妖精』という特異性や、魔力の暴走などの理由で、まともに学習する時間がなかったのかもしれない。

 そう考えた悠馬は一から教育することにした。

「瘴気とは負の感情に染まった魔力だ。魔力がどういうモノか知っているか?」

「……物質化する万能のエネルギー……ですよね?」

 それは魔力に詳しくない人間がする勘違い。

 進化の秘薬、神の血、万能の力――呼び方は多くあるが、共通するのは『何でもできるスゴイ力』と思われていることだ。

 しかし、それらは魔力の『魅力的』な一面でしかない。

「確かに魔力は剣や鎧、肉や飲み物に変化する。周囲の建物も、この街を囲む城壁も、俺たちが踏みしめている大地も魔力が変化したモノだ。だが、魔力の本質は『自我を模倣(コピー)する』ことだ」

「模倣……ですか?」

「そうだ。魔力には所有者の全てがとけ込む。記憶、想い出、感情――そういったモノが魔力には含まれ、想いの強さによって実体化したりするわけだが……そうなると当然『負の感情』も魔力にとけ込むことになる」

「……それが『瘴気』?」

「そういうことニャ。瘴気とは負の感情に染まった魔力。怒りに染まった瘴気を吸えばイライラするし、飢えに染まった瘴気を吸えばお腹がすくニャ。そして過度の瘴気を浴びれば自我が崩壊して『魔獣』に堕ちるニャ」

 汚染とは他人の感情の侵蝕。自我を崩壊させるウイルス。魔力さえあれば不老不死とまで言われる超人達を破壊する毒。

 ゆえに、魔力を消費するだけの獣人とは違い、魔人には自制を求められる。瘴気を撒き散らさないように。

 桔梗は怪談でも語るように仲間の末路を語り、それを聞いた雫はプルプルと震えている。

 雫は純粋な娘だ。あるいは無防備と言ってもいい。それは社会に守られた世界なら美徳と言えるだろうが、力がモノを言うこの異界島では弱点にしかならない。

 悠馬は怖がる雫に補足する。

「桔梗の言っていることは間違いではないが、魔人はそう簡単に汚染されないから安心しろ」

「……そうなんですか?」

 雫はすがるような視線を悠馬に向ける。

「魔人は自分の生み出す魔力によって守られているから、そうそう汚染されたりはしない。それに竜退治によって汚染の心配は格段に減った。だから安心しろ」

「…………だから、皆さんこんなに嬉しそうなんですね」

 竜が倒されたことによって訪れた安息期。

 獣人達は全身で喜ぶように祭りを楽しみ、雫は流れていく獣人達の顔を輝いた瞳で見つめる。

「そう言うことニャ。まぁ、お堅い話はこの辺にして、ご主人様にはそろそろ甲斐性を見せて欲しいところ何だけどニャ~」

 桔梗はちょんちょんと屋台を指し示す。

 それは来るときにも食べた棒飴屋。

「……さっき食べただろう?」

「甘くて美味しい物は何度食べても飽きないニャ。雫も食べたくないかニャ?」

「……えっと……」

 魔人は魔力で生きるため食事は必要ない。食事の理由はもっぱら娯楽だ。

 この街に不慣れな彼女は警戒して断るかもしれないと悠馬は予想したが――

「……食べて、みたいです」

 わずかに好奇心を見せながら言った。

(……良い傾向だ)

 食材の原料は魔力であり、食事とは他者の魔力を摂取することだ。食材の元となった魔力は浄化されているので汚染の心配はないが、食事という行為そのものを嫌悪する魔人は存在する。そういった者は、食事をする者――特に獣人を毛嫌いしており、溝を深めている。食事に肯定的な反応を示すことは、獣人と付き合う上で重要なことだ。

 悠馬は安堵すると、袴のポケットに手を入れて小さな袋を取り出す。中をのぞき込むとキラキラと輝く結晶が入っているが、その数はあまりにも少ない。

(……棒飴ぐらいならいけるか?)

 棒飴はお祭り価格でかなりやすくなっている。あれならば二本買っても問題ないだろう。

「悠馬、何で財布を取り出すニャ? 店主に言えばレア様が払ってくれるニャ」

「歓迎の贈り物だ。自分で出したい」

「律儀だニャ~」

 真剣な表情の悠馬に、桔梗は呆れながら言う。

 悠馬は財布を睨み付けていたが、やがて何かを決心するようにうなずくと、二人を引き連れて店へ向かった。

 店主は半被を着た筋骨隆々の鳥型獣人。黄色いクチバシに鋭い眼光をしており、その巨体からは想像できないほど繊細な指使いで棒飴を量産し続けている。

「いらっしゃい! って、旦那じゃねぇですかい。美女を二人も侍らせて羨ましいかぎりですぜ。桔梗はまた来てくれてありがとよ。そちらの美しいお嬢さんは?」

「しばらく預かることになった娘だ。この島に来て間もない。もし、困っていたら助けてあげてくれ」

「……て、天上雫です。よ、よろしくお願いします!」

 雫は緊張しながらも頭を下げると、店主は威勢良く笑った。

「おう、よろしく。俺はトサカと呼んでくれ。それで旦那、ご用件は?」

「飴を二つくれ」

「あいよ。好きなのを選んでくれ」

 トサカはそう言うと、棒飴の刺さった台を前に押し出す。

 琥珀、水晶、青玉――宝石の輝きを宿した飴は灯を反射してキラキラと輝き、それを見た雫もまた、瞳を宝石のように輝かせる。

「きれい……」

「さぁ、好きな物をとってくれ!」

「私はこれニャ!」

 桔梗は赤くて淀みのないルビー色の飴を手に取る。

「まいど! そちらの天使さんはどうする?」

「て、天使……」

 雫は気恥ずかしげに顔を赤くしながら選ぶ。

 迷った末に手に取ったのは、無色透明の飴。棒が見える透明度だが、飴自体がねじれているせいか屈折して見える。

「……これにします」

「まいど!」

 威勢良く笑うトサカに雫は自然と笑みをこぼし、それを見た悠馬は口元をゆるめる。

 トサカやコルンのような獣人らしい獣人を見ると、大抵の人間は驚くか恐れるのだが、雫は緊張しながらも恐れる様子がない。ネガティブな先入観が無いのか、彼女自身の純粋さゆえだろう。なんにしろ、怖がらずに受け入れてくれたことは喜ばしいことだ。

 悠馬はゆるんだ口元を引き締めて代金を渡そうとするが、トサカは手を振って拒否した。

「旦那からは受け取れねぇよ」

「なぜだ?」

「今日の昼、豚吉を助けてくれただろ? その礼だ」

 悠馬は昼の一件を思い出す。

 確かに魔獣に堕ちるのは阻止できたが、あの取り乱しようでは『助けた』と言えるのかはなはだ疑問だ。

 思案顔の悠馬に、トサカはくちばしの端をあげた。

「あいつの奥さんメチャクチャ感謝しててな。豚吉自身も取り乱して礼を言えなかったとへこんでたんだ。だから、あいつを責めないでやってくれよ?」

 冗談めかして言うトサカに、悠馬は苦笑する。

「別に責めるつもりはないがな」

 そう言って、飴一つ分の金を渡す。

「これは?」

「飴をもう一つもらおう。これは歓迎の贈り物だ。感謝で渡された品を渡すわけにはいかん」

 そう言って、真珠のように真っ白で表面が虹色に輝く飴をとる。

「おっと、これは気が利かなかったようだ、すまねぇな。そっちの天使さんも無粋を許してくれ」

「い、いえ。その……ありがとうございます」

「ああ。それじゃあ気をつけてな」

 雫はぺこりと頭を下げ、悠馬達もそれぞれ別れの挨拶をすませると、悠馬の家に向かった。



 日はすっかり暮れた。

 修復された城門を後にし、祭りの灯を背に何もない小さな丘を行く。

 飴は雫に送ろうとしたが――

「もう、いただいています」

 と申し訳なさそうに断られて、桔梗に促されて自分で処理した。甘い香りとほんのわずかな魔力が体内を満たし、疲れた体に活力を与えてくれる。

「あの街は、そんなに恐ろしいところだったんですか?」

「地獄だ、異界だ、世紀末だ、なんて言われるほどの荒廃っぷりだったニャ。それをあっと言う間にあの姿にしたのがレア様と騎士様――そしてご主人様ニャ!」

 二人は悠馬の側にいない。

 仲良く並んで街の話に花を咲かせている。

 真珠は持ち前の純粋さによって桔梗に信頼を寄せており、桔梗とは友人――あるいは姉妹のような関係を築いていた。

 悠馬は二人の前を歩きながら、周囲に気を配り続ける。

 木や岩陰が存在しないとはいえ、それなりに起伏があるので待ち伏せ出来るポイントは存在する。

 ダラリとした腕はいつでも刀を抜けるように待機していたが、なに事もなく家が見えてきた。

「あそこがご主人様の家ニャ!」

「…………あれが……ですか?」

 桔梗が指し示す先には、小さな日本屋敷が建っていた。

 丘の上にポツンと建っており、無防備なたたずまいに雫は戸惑いを見せる。

 家が近づくにつれて不安が隠せなくなる雫の肩を、桔梗は力強く叩いた。

「脆そうなのは外見だけニャ。結界に守られているから街よりも侵入が難しいニャ。だから安心するニャ」

 過去、何度も無断侵入を試みた者は絶対の自信を持って保証する。

 それによって雫の表情から不安は払拭されたが、自らの失言に気づき肩をすぼめた。

「……あっ……いえ、すみません。失礼なことを言ってしまって……」

「気にするな。自分の命がかかっていれば不安になるのも当然だろう」

 玄関の前まで辿り着くと、悠馬は引き戸を指差す。

「不安なままでは眠れまい。護衛に十分な機能があることを証明しよう。開けてみてくれ。カギはかかっていない」

「……わ、わかりました」

 雫は戸を開けようとするが、ピクリとも動かない。

「……開かない?」

「この引き戸はあらかじめ登録しておいた人物しか開けないようになっている。俺とレア以外は開けられないようになっているから安心しろ」

 悠馬はそう言ってとを開けようとすると――

「ご主人様。ちょっと待つニャ」

 桔梗は雫を下がらせると着物の端を広げて、足を根本まで露出させた。

 白く艶めかしい足を惜しげもなく晒し、それを見た雫は同性にもかかわらず頬を紅潮させて見惚れる。

「きれい……」

「ニャハハ、自慢の足だからそう言ってくれるのは嬉しいニャ。ご主人様はまったく褒めてくれないから自信を失いそうになるニャ」

 桔梗は流し目で悠馬を見るが、とうの悠馬はムッツリとした表情のままだ。もっとも、悠馬の胸の中では悪い予感がふくらみ続けており、いつもより険の混じった視線を桔梗に向けている。

「何をするつもりだ?」

「安全性の確認ニャ。二人は下がって――それと耳も軽くふさいだ方がいいニャ」

 雫が言われた通りにすると、桔梗は踵止めのついた赤い草履で大地を叩く。

「何をするんですか?」

「……こう、ニャッ!」

 次の瞬間――爆音と衝撃波が襲った。

 桔梗が足を鞭のようにしならせ、引き戸にミドルキックをぶちかましたのだ。

「…………ッ!?」

 悠馬があらかじめ盾となっていたので、雫にはそれほどの衝撃はなかった。しかし、あまりの唐突な出来事に目を白黒させる。

「とまぁ、このように侵入は無理ニャ」

 見れば、あれだけの威力を見せた蹴りをくらっても、引き戸は歪みもしていなかった。

 得意満面の笑みを浮かべる桔梗だが、悠馬は肝を冷やす思いだった。

「桔梗。雫をあまり驚かせるな。魔力暴走の話しを忘れたわけではないだろう?」

「ニャハハ。ご主人様に対する想いが爆発したニャ。それで、雫ちゃんは今の私の蹴りが弱く見えたかニャ?」

「……いえ、凄く強そうでした」

「私の蹴りは最強だから当然ニャ! それでもこの扉は壊せないニャ。つまり、鉄壁の住処と言うわけニャ! だから雫ちゃんも……あっ」

 得意げに力説する桔梗は、出会ったときの気安さで雫の肩に手を置こうとしたが、雫は身を引いて避けてしまった。

 雫は純粋であるがゆえに信頼を得やすく、同時に失いやすいようだ。少なくとも桔梗は今まで築いてきた信頼を、自らの蹴りで討ち砕いてしまった。

 対して、悠馬は衝撃から守ったことでかなり信頼されたらしく、雫は悠馬の背中に隠れてしまう。

 それを見た桔梗は、よよよとその場に崩れおちる。

「雫ちゃんに嫌われたニャ……私は雫ちゃんを安心させてあげようとしただけなのに……」

「す、すみません……で、でも……」

 悠馬はその背中にわずかな震えを感じる。

(……まずいな)

 魔力の暴走は引き起こさなかったが、これでは桔梗の――ひいては獣人に対する印象が悪化する恐れがある。

 雫が本気で恐れていることを桔梗も察したのだろう。

 すっかり消沈した桔梗は弱々しく立ち上がると、街に向かって歩き出した。

「どこへ行く」

「……帰るニャ」

「えっ?」

 雫は驚きの声を上げる。

「護衛の依頼はどうする?」

「今日はもう駄目ニャ……友人に避けられてハートブレイクニャ……」

「あ、あの……!」

 雫は呼び止めようとするが、桔梗の足は止まらない。

 桔梗はトボトボと歩き続け、やがて霞のようにスゥッと薄れて消えていった。

 あとに残された雫は罪悪感で顔を伏せてしまう。

 悠馬はとんでもない問題を残されて頭を痛める。ため息をつきたくなったが、瞑目して心を落ち着けると雫に声をかけた。

「気にすることはない。今のは驚かせた桔梗が悪い」

「で、でも……」

「『今日は』と言っていただろう? 明日になれば、なに事もなかったかのようにやって来る。どうしてもと言うのなら明日謝ればいい」

「……わかりました」

 雫はすっかり意気消沈してしまい、まともに話しをすることも難しくなる。

(桔梗……どういうつもりだ?)

 彼女は気まぐれで衝動的に行動する悪癖はあるが、最悪の事態になる前に踏みとどまる理性は持っている。新人相手に舞い上がっての奇行ではないだろう。

 ただの奇行か計算か――どちらにしろ護衛が一人減ったのには違いない。

 警戒レベルを上げる。

「入ってくれ」

 悠馬が引き戸に手をかけると、何の障害もなく開いた。しょんぼりとする雫を招き入れると侵入者が入ってこられないように扉を固く閉じた。

「…………?」

 雫は敷居をまたぐと不思議そうに顔を上げた。

 それもそのはず。玄関が妙に広いのだ。外から見て想像する玄関よりも二倍は広くなっている。

 玄関だけではない。木の廊下も、楓が描かれた白い襖も、全てが大きくなっていた。

 小さな屋敷に入ったつもりが、大きな旅館に入ったような違和感が、そこにはあった。

「驚いたか?」

「……はい。これは……」

「この家は空間が拡張されている。だから内側は見た目より広いスペースがある。あがってくれ」

 悠馬はブーツを脱ぐと家にあがる。

 雫も慌てて靴を脱いでそろえると、悠馬の後を追って渡り廊下を歩く。

「……空間の拡張、というのも魔力によるものですか?」

「そうだ。魔力は物質を作る以外にも、現実をねじ曲げることが可能だ。この家のようにスペースの拡張をしたり、時間の流れを変えたり、自分だけの世界を創りあげたりな」

「あ、それテレビで聞いたことがあります。時間の流れが速い世界で野菜を作ったりしているんですよね?」

 確かにそんな実験をしていると過去に聞いたことがある。しかし――

「あれは失敗したそうだ。味や栄養に問題があってな。なによりコストが高すぎて割に合わず、実験の段階で終わったようだ」

 魔人は食事を必要としない。獣人が食べるにしても魔力が含まれていないのでジャンクフードにもならない。となると輸出がメインになるが、味と栄養に問題がある高級野菜を誰が食べるだろう?

 話題にはなったが、結局それきりだ。

 雫は悠馬の話に耳をかたむけている。桔梗との一件が尾を引いてはいるが、持ち前の好奇心が発揮されているのだろう。

 明るい表情を取り戻しつつあることにホッとしていると、客室に辿り着いた。

 そこは十二畳程度の和室。家具が存在しないので殺風景に感じるが、襖の模様が彩りを加えることで寂しい印象を緩和している。

「この部屋を好きに使ってくれ。机や布団は押し入れに入っているから必要なら使ってかまわない」

「こんなに広いお部屋……良いんですか?」

「かまわんよ。それに、この部屋はより強力な結界を張ってある。レアもこの部屋で過ごしたことがあるから安心してくれ」

「レア様も……ですか?」

 雫は不思議そうに首をかしげる。

「そういえば、悠馬さんとレア様はとても仲が良さそうでしたけど……もしかして悠馬さんも『貴族』なんですか?」

「違う。彼女とは幼馴染みのようなもので、俺はただの一般兵だ。『貴族』ではない」

「でも、その割には仲が良さそうでしたよ?」

「彼女も魔力で困っていた時期があってな。そのとき手助けをする機会があったんだ。君を俺に任せたのも、その実績ゆえだろう」

「そうだったんですね」

 雫は目を輝かせる。

 それを見た悠馬は胸をなで下ろす。

 雫はほぼ自然だ。少なくとも出会った頃のように無闇に怯えたり遠慮はしていない。時折だが笑顔を見せるようにもなっている。これだけ早期に信頼を得られたのは僥倖だろう。

 桔梗の二の舞にならないよう、悠馬は臆病な小動物を相手にするような心境で会話を進める。

「結界は強力だが絶対ではない。護衛の関係上、俺は隣の部屋にいようと思うが問題ないか?」

「大丈夫です。よろしくお願いします」

 雫は無防備な笑顔を浮かべる。

 家に来るまでの余所余所しさはすでに消えていた。

 その変わり様に悠馬の方が目を丸くしてしまう。

「あ、ああ……何か質問はあるか?」

「えっと…………あ、着替えのことを聞いても良いですか?」

 雫はそう言うと黒い箱を取り出した。

 黒い箱は雫の手のひらサイズで、サイコロのように角が丸くなっており、つやつやとした表面は黒曜石のようだ。

「レア様がこれに着替えが入っているって言ってましたけど……これはどうすれば良いんですか?」

「貸してくれ」

 悠馬は黒い箱を借りると、指先で二度叩いて畳の上に置いた。すると黒い箱はムクムクと大きくなり、やがて縦横三メートルほどの大きさに変わった。

「お~……」

「開けてみてくれ」

 雫が表面に浮き上がった扉を開けると、中は衣装部屋になっていた。服がハンガーに吊されており、タンスや姿見なども存在している。

「すごい……」

「これは魔力で作られた道具――魔導具だ。簡易シェルターにもなっているから、部屋の好きなところに設置しておいてくれ」

「わかりました。……でも、移動させるにはどうすれば良いんですか?」

「扉を閉じて二度叩いてみてくれ」

 雫は言われた通り扉を閉めて、とんとんと手のひらで叩くと、箱は徐々に小さくなり、元の小さなサイズに戻った。

「おお~」

 面白そうに笑う雫に、悠馬は口元をゆるめる。

 それはまさに妖精の笑顔。純粋無垢な愛らしい笑みは、悠馬を破顔させる十分な威力を持っていた。

 しかし、悠馬はすぐに瞑目して普段のムッツリ顔に戻す。

「それでは俺は行く。何かあったら呼んでくれ」

「わかりました」

 満面の笑顔に見送られて悠馬は部屋を出る。

 渡り廊下に出ると隣の部屋に入った。中は雫の部屋と変わらないが、壁際に座椅子と机が用意してある。

 悠馬は座椅子に座ると正面の壁にあった光るボタンを押した。

 すると、悠馬の正面――壁から一センチほど手前の虚空――に、A4サイズほどのディスプレイが浮かび上がり、ほどなくして一人の少女が現れた。

『――悠馬か』

「久しぶりだなエル」

 現れたのは、白衣を羽織った幼女。

 波打つライトブラウンの髪に、ピンと横に伸びた長い耳。白衣の下には豪奢なドレスを身につけており、その精巧な美しさも相まって人形じみている。

 エルは無機質な白い手で頬杖をつき、薄い唇を開いた。

「本当に久しぶりだな。連絡をくれないから捨てられたのかと思ったよ」

「すまない。なかなか時間が取れなくてな」

 皮肉交じりの薄い笑顔に、悠馬は瞑目して答える。

「お前が忙しいのはわかっている。だから、責めるつもりはないが、こうして話すぐらいの時間は捻出してほしいものだ」

 エルは静かに笑うと、寂しげに目を伏せた。

「……わかった。次からは帰還後に連絡をいれよう」

「そうしてくれ。それで何のようだ? お前のことだ、世間話ではないだろう?」

「明日、会えるか?」

「ほぉ」

 エルは好奇の笑みを浮かべ、細長い耳がピクリと動く。

「お前から誘ってくれるとはな。いつ来るつもりだ?」

「朝早くを予定しているが、そちらの予定次第では変更するつもりだ」

「こちらはいつでも大丈夫だ。むしろ、今からでもかまわないぞ」

 エルは冷静さを保とうとしているが、手のひらで隠した口元からは笑みがこぼれ、耳はピクピクと上下している。普段は大人のように振る舞う彼女も、この時ばかりは隠しきれない愛嬌があふれている。それは単に友人に会える嬉しさだけでなく、『見せたい物』がある時のサインでもあった。

「また何か作ったのか?」

「ああ。実は大人になれる魔導具を作ったんだ」

「大人に?」

「そうだ。ホルス夫人のような、むちむちボディになれる魔導具だ。もし、今から来るというのなら、特別に――お前だけ特別に、私の艶姿を見せてやるぞ。――来ないか?」

 エルはわずかに頬を紅潮させ声を弾ませる。冷静さを装いつつも自慢のオモチャを披露したくてたまらない、といった様子だ。

 いつもの悠馬なら彼女の期待に応えるのだが、今回ばかりは事情が違った。

「すまない。今日はもう遅いから無理だ」

 悠馬のノリの悪さに、エルは肩を落す。

「…………理由を聞こうか」

「実は人を預かっていてな。彼女を一人置いておくわけにはいかないし、連れて行くにはあまりに遅い時間だ。明日にするよ」

「………………かのじょ?」

 エルの眉間にますますシワが寄ったその時だった――

「悠馬さん。ちょっと良いですか?」

 渡り廊下を歩く足音と共に、障子がノックされる音が響いた。

「ちょうど良い。入ってくれ」

 雫は障子を開けて、ひょっこり入ってくる。

 悠馬が隣に座るように促すと雫は横に座り、エルと対面した。

「紹介しておこう。彼女はエル。俺をサポートしてくれる戦友のような者だ。魔導具の作製が得意で、あの衣装箱も彼女の作品だ」

「そうなんですか!? 初めまして、天上雫です。よろしくお願いします!」

 雫に尊敬の眼差しを向けられ、エルは戸惑いの混じった渋い顔をする。

「……ああ、よろしく。…………悠馬、聞きたいことがある」

「なんだ?」

「その娘は……なんだ?」

「レアの依頼で護衛することになった娘だ。『妖精』なのだが、魔力の制御が出来ないのでエルの力を借りたい」

「護衛……初めて聞いたのだが?」

「今日、引き受けたところだ」

「…………護衛ということは一緒に住むのか?」

「ああ。あまり離れていては護衛にならない。隣の部屋で寝るつもりだ」

「ほぅ……」

 エルの表情がみるみるうちに不機嫌なものに変わる。

「何か問題があるか?」

 悠馬は首をかしげる。

 それを見たエルは堪忍袋の緒が切れた。

『大ありだ! お前は忙しいだろうと思い、今までなにも言わなかったのだ。だと言うのに『妖精』の護衛だと? しかも一日中近くにいるだと!? けしからん!! 私は許さないぞ!!』

 エルは頬を膨らませる。

「あ~、腹が立ってきた。お前には私のむちむちボディを見せてやらん! 交信終了!」

 エルは一方的に通信を切る。

 悠馬はわけがわからず目を点にする。

「えっと……わたしのせい、ですか?」

 恐る恐る聞く雫に、悠馬は苦笑すると首を横に振った。

「いや、雫のせいではない。俺とエルの問題だから気にするな。それより、何のようだ?」

「えっと……お風呂を借りたくて……」

「風呂か」

 魔人の体は老廃物がでない。正確には出るのだが魔力に分解されるので出ないのだ。さらに食事をとらないため排泄物も出ないので汚れることは稀だ。それでも入りたいというのは娯楽か郷愁ゆえだろう。

「案内しよう」

 悠馬はそう言うと立ち上がり、雫を連れて風呂場へ向かう。

 渡り廊下を突き当たりまで移動すると、ドアを開けて中へと入った。

「ここが脱衣所だ」

 そこは、小さな温泉並みに広い脱衣所。大きな棚が並び、二トンまで計測可能な体重計と巨大な水槽が置いてある。

「あ、あの……」

「なんだ?」

「あの水槽の中にいる生き物は……なんですか?」

 雫が震える指先で指し示したのは、水槽の中にいるゼリー状のスライム。水槽の中では手のひらサイズのスライムがプルプルとひしめき合っていた。

「あれは精霊だ。名をプリンという。水や衛生に関することをやってくれる」

「精霊、というのは?」

「魔力で作られた生き物だ。そういった意味では魔獣に近い存在だが、この街では益獣として慕われている」

「……危険はないんですか?」

「害はない。まぁ、ペットのようななものだ。あまりいじめると家から出て行ってしまうから注意してくれ」

「ペット……」

 雫は受け入れようとしながらも受け入れられないようで、警戒心を見せる。

 未知の生物相手では仕方がないかと思い、悠馬は水槽に手をさしのべた。

 するとプリン達はいっせいに黒い点のような眼を露わにして悠馬を見つめる。緩慢な動きがわずかに活性化し、一体のプリンが仲間達を踏み台に悠馬の手のひらへ移動すると、帰還した主に体を寄せた。

「……ホントにペットみたいですね」

「ああ。プリンはこの家の掃除や洗濯もしてくれているが見ての通り綺麗だ。だから、嫌わないでやってくれ」

 悠馬のセリフに同意するようにプリンはコクコクと頷いた。

 雫は警戒を解除すると、興味深そうにプリンを見つめる。

「わかりました」

「それでは好きに使ってくれ。風呂場の方にもいると思うが、気にしなくて良い。もし、気になるようだったら指で押しのけてやれば近づかなくなる」

 悠馬はそう言うとプリンを水槽の中に戻した。

「湯も彼等が用意してくれている。温度が高い場合は浴槽に浮いているプリンに温度を下げるように言えばいい」

 まさに至れり尽せり。

 雫はプリンを驚きの目で見る。

「妖精ってスゴイですね」

「今では獣人の家庭には必須の存在だ。これもエルの作品だ」

「……エルさんって幼く見えましたけど、とてもスゴイ人なんですね」

「ああ。だから彼女が協力してくれれば君の問題も解決するだろう。安心してくれ」

 悠馬は太鼓判を押す。

 雫も喜んでくれると思ったが、とうの雫は表情を曇らせた。それはまるで解決を望んでいないと言わんばかりに。

 悠馬が首をかしげていると、雫はそれに気づいて笑顔を繕った。

「あ、すみません。……え、えと……お風呂にはいるので……」

「…………ああ、わかった。自慢の風呂だ。堪能してくれ」

「はい、ありがとうございます」

 悠馬は追及せずに風呂場を出た。

(魔力を制御できない、か)

 魔力とは所有者の魂であり、影であり、分身だ。初歩的な制御に特別な知識や技術は必要ない。それに魔人である以上、先天的に制御能力が無いとも考えにくい。制御の素質がなければ魔獣に堕ちてしまうからだ。

(あの様子では制御できないのではなく、魔力を拒絶しているのか)

 だとすれば解決は困難だ。

 彼女が魔力を拒絶しているかぎり制御は不可能だ。魔力を制御するには雫が魔力を受け入れる必要がある。

 問題はそれだけではない。

 仮に彼女が魔力を受け入れたとしても、今度は魔力容量キャパシティが問題になる。

 今の彼女は体内に膨大な魔力を溜め込んでいる。これを制御するのは『貴族』でも難しいはずだ。魔力を完全に制御するには少量の魔力で訓練する必要があるが、そのためには余分な魔力をはき出す必要がある。そして、それは甚大な瘴気汚染を生み出す結果にもつながる。

(どうしたものかな……)

 悠馬は頭を悩ませる。

 魔力を拒絶する理由、多すぎる魔力、瘴気汚染――依頼達成には多くの問題が存在している。

(とりあえず、彼女が魔力を拒絶する理由を知る必要がある、か……)

 悠馬は明日の予定を脳裏に描き、部屋に入ろうと障子に手をかけたときだった――


 悲鳴が聞こえた。


 きびすを返し、すぐさま風呂場へと向かう。

(侵入者か……?)

 しかし、この屋敷に侵入するのは容易ではない。

 この屋敷に侵入するには圧倒的力によって強引に突破するか、人並み外れた魔力制御能力によって結界の穴をつくしかない。結界は未だ維持されていることから、侵入者がいるとすればかなりテクニカルな者だと判断できる。

 強敵の予感に悠馬は思考は冷めていく。ダラリとした腕は腰の刀をいつでも抜ける位置で構えられ、悠馬の目は鷹のように鋭くなる。

 すぐさま脱衣所を抜けて風呂場の扉を開けた。

「雫、無事か!」

 視界はすぐさま雫を捕らえる。覇気のこもった声に、雫はビクリと肩を振るわせて振り向いた。

 同時に侵入者の姿も捉えた。

 巨大なゴキブリだ。

 体長二十センチほどの巨大なゴキブリ。壁に張り付いて手足を盛んに動かしており、気味悪さが強化されている。

 視界が侵入者を捕らえた瞬間、悠馬の裡に芽生えたのは敵意でも殺意でもなく、困惑だった。

 この島に、このようなゴキブリは存在しない。

 それにこの屋敷には結界が張られている。強引に突破したならともかく、素通りできるほどの制御能力は有していないだろう。ただのゴキブリでは侵入不可能だ。

 困惑する悠馬を置き去りにして、ゴキブリは一目散に窓から出ていった。まるで役目を終えたかのように。

 後には全裸の雫と、困惑した悠馬が残される。

 雫は背を向けて振り返った姿勢のまま動かない。

 白い照明が雫の濡れた薄桃色の髪を色鮮やかに照らし、幼くも整った肢体を水滴がこぼれ落ちる。

 侵しがたい神聖な美しさが、そこにはあった。

 悠馬は動けなかった。

 今すぐ出ていくのがマナーだと理解していたが、侵入者が現れた以上、雫を放置できないからだ。しかし強引に連れ出すことも出来ず、ただ足を止めてしまった。

 それが悪手だと気づいたときには、もう遅かった。

「い、いや……だめ……ッ!」

 雫を中心に空間が歪み始めたのだ。

 悠馬の中で警鐘が鳴り続け、プリン達は鼠のように窓やドアから逃げ出し始めた。

「雫! 止められるか!?」

「だ、だめ……あふれ……!」

 雫は両手で体を抱きしめて堪えようとするが、空間の歪みは酷くなる一方だ。

 暴走。

 雫は『魔力を消失する』と言っていたが、目の前で起こっている異変は生半可なものではない。効果範囲もこの家だけでなく、街にまで及ぶ可能性がある。そうなれば魔力で作られた大地や建物はこの世から消え去ってしまうだろう。

 悠馬は急いで脱衣所に戻ると、用意してあったバスタオルを手に浴室に戻り、雫の体に巻き付けた。そして――

「すまない」

「え……ぅ?」

 雫を抱きあげた。

 悠馬はすぐさま雫の部屋へと向かい、設置してあったシェルターに入ると扉を固く閉じるた。

 雫を中心に発生した歪みは服ををねじ切り、ひび割れた姿見のガラス片を宙に撒き散らす。

 まるで小型の台風。

 悠馬は雫を正面におろして、その身を守るように抱きしめる。

 空間の歪みがさらに大きくなり、ひび割れた姿見の破片が悠馬の巨躯を容赦なく斬りつけるが、悠馬は焦ることなくいつものムッツリ顔で雫に言う。

「俺に向かって全ての力をはき出せ」

「そ、そんなことしたら……悠馬さんが……! だ、だめです! 死んじゃう! 悠馬さんが死んじゃいます!」

 そのセリフだけで彼女が過去に何をしたのか想像がついたが、今はどうでもいいことだ。悠馬はじたばたと逃げようとする雫を逃がさない。

「このままでは雫も街も助からない。それでも良いのか?」

「いやです! でも悠馬さんが……ッ!」

「俺は大丈夫だ」

 悠馬の体から薄紫の火の粉が散り始めた。それはまるで桜吹雪のように舞い、この異常事態を華やかに彩る。

「これは……」

 雫は不安も恐怖も忘れて、悠馬から立ち上る輝きに目を奪われる。

 光は空間の歪みに飲み込まれてていくが、その度に歪みが和らいでいくのが目に見えてわかった。

「これが、俺が護衛に選ばれた理由だ。俺に魔力は効かない」

 悠馬は鏡片が飛んでいないことを確認すると、わずかに体を離して雫の瞳を見つめる。

「俺を信じろ」

 二人の視線が絡み合う。

 腕の中で恥じらいを見せていた雫も、事態の深刻さを理解したのか、意を決するように口元を結ぶ。

「わ、わかりました……!」

 全方位に放射されていた歪みが、わずかに悠馬に集中する。

 桜吹雪はますます激しくなり、まさに吹雪のように乱れ飛ぶ。

「……やれ」

 悠馬が促すと同時だった。

 二人の間に莫大なエネルギーが発生する。凄まじい勢いのエネルギーが悠馬の方向をメインに、全方向へと放出された。


 その日、街の住人達は結界の塔が崩れ落ちる所を目撃した。

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