第2話 羽のない妖精

 街は中世ヨーロッパを模したファンタジックな街並みが広がっている。四方は城壁に囲まれ、建物や通路は煉瓦や石材などで堅牢に造られており、殺風景にならないように木材などで彩られている。

 街の中心は豚吉の一件などなかったかのように賑わい、人々は笑顔を浮かべている。商店の多くには『レア様に感謝を』『貴族レアに栄光を』『法の女神レア』などと書かれた看板を掲げ、竜退治を祝う急造の屋台がそこかしこで商売していた。

 桔梗は悠馬の腕に絡みつきながらも、しきりに周りを見渡し、鼻を鳴らすと悠馬に笑顔を向けた。

「あっちから甘くて良い匂いがするニャ!」

 桔梗が指差したのは飴屋。色とりどりの棒飴が並べられ、甘い香りが道行く者を誘っている。

「俺はここで待っているから行ってくるといい」

「冷たいニャ~。それじゃあちょっと行ってくるニャ」

 悠馬のつれない態度に桔梗は特に落胆もせず、軽い調子で屋台に向かった。

 残された悠馬は、なんとなしに見渡す。

 周囲には悠馬と同じ人間兵もいるが、基本的に獣人が多い。このあたりは悠馬もよく来るため不必要に怖がられることはなく、笑顔で挨拶をしてくる者もいるのだが、目の前に現れたカップルは違った。見知らぬ男は悠馬に気づいた途端、恋人を守るように間に入ってあからさまに警戒する。

(……またか)

 悠馬は表情には出さないが、内心ため息をついた。

 しかもそのカップルは足を止めてしまった。さっさと通り過ぎればいいものを、不必要に足を止めてしまったため、動くに動けない状態になっている。自縄自縛。

 悠馬は瞑目し、その場を離れようとしたところで桔梗が戻ってきた。口には買ったばかりの棒飴をくわえている。

「ただいまニャ」

 桔梗は再び悠馬の腕に自らの腕を絡めると、警戒しているカップルに気づいた。

 一目で状況を把握した桔梗は、顔を赤くして戸惑っている男に微笑みかけると、男は傍目に分かるほど鼻の下を伸ばしてしまい、恋人に頬をつねられてしまった。

 それを見た桔梗はクスクスと笑い、悠馬の腕を引いて歩き出した。

「今の男は知り合いかニャ?」

「知らんよ」

「じゃあ、あの男は何をしてたニャ?」

「独り相撲だろ」

 悠馬はそう答えると、再度、疑問を口にした。

「それで、『三回の質問』とは何なんだ?」

「真神悠馬の三つの質問に答えられないと食べられるって迷信ニャ」

「……そう言うことか」

「ご主人様はこの街じゃ良くも悪くも有名だから迷信も異名もたくさんあるニャ。『死神』とか『女殺し』とか」

「あの男が女を庇ったのもそれが理由か」

「ほぼ間違いなくそうニャ。だからお仕置きしておいたニャ」

 桔梗はが「ニャハハ」と笑うと、後ろから女性の怒鳴り声がした。先程の男が再び桔梗に気をとられたようで、女はそれを怒っているようだ。

「……程々にしてくれ。恨まれても面倒だ」

「私は笑顔を見せただけニャ。悪いのは失礼なあの男ニャ」

 悪びれた様子もなく言い放つ桔梗に、悠馬は瞑目する。

「桔梗」

「………………わかったニャ」

 頭を垂れて不機嫌そうにするが、悠馬が頭を優しくなでると、スイッチを切り替えるように機嫌を取り戻した。

 桔梗はひとしきりなでられて満足すると、悠馬を見上げた。

「それでどこに向かうニャ? 娼館(うち)? それともホルス姉さんのとこかニャ?」

「星の牡牛亭だ」

「何でおっちゃんの所ニャ?」

「竜が発生して退治されたことは知っているだろう?」

「当然ニャ。……もしかして食事のことかニャ?」

「ああ。今『異界』に行ってもほとんど稼げん。そうなると食事の問題が出てくるから、ミノスに相談しようと思ってな」

「それならウチに来るニャ。食事は食べ放題、仕事もしなくて良いニャ」

 桔梗は期待に目を輝かせる。しかし――

「遠慮しておこう」

「えー、何でニャ? ……もしかして私のせいニャのか?」

 桔梗は不安そうに耳を伏せるが、悠馬は空いた手で桔梗の頭をなでた。

「長期間世話になるのは気が引けるだけだ。桔梗のせいではない」

 桔梗は安堵のため息をついたが、首をかしげる。

「なら、ミノスのおっちゃんに迷惑をかけても良いニャ?」

「良くはないな。ミノスの子供はすでに六人いるが、来週にはさらに一人増える。あまり迷惑をかけられない」

「……ならどうするつもりニャ?」

 桔梗は不安げに悠馬を見る。

「仕事を斡旋してもらおうと思っている」

「仕事がなかったらどうするニャ?」

「そのときは――『異界』で暮らすのも良いかもしれないな」

 悠馬は空を見上げる。

 日が傾き始めた蒼天には雲ひとつ無く、見る者の全てを吸い込んでしまいそうなほど澄み渡っていた。

 それは気軽さを伴った発言だったが、深刻に受け止める者もいた。

 桔梗の足が止まる。

「……そんなの駄目」

「桔梗……」

「『異界』に行って帰ってこないのは『魔獣』だけ。そんなの……そんなの絶対駄目」

 桔梗のふざけた雰囲気が消える。語尾もいつものように奇妙なものではなく、真剣そのものだった。

 慕ってくれる彼女の前で言うべきではなかった。

 悠馬は自らの愚かさに瞑目して、夢想したものを意識の端に追いやる。

「今のは冗談だ。驚かせてすまなかった」

 悠馬はそう言って桔梗の頭をなでるが、桔梗は伏せた顔を上げることはなかった。

 ただ、桔梗の指先は悠馬の腕に食い込むほどに強く握りしめられていた。



 目的地に着いたのはそれから間もなくだった。

 星の牡牛亭は三階建てで、周囲の店三つ分の広さを持つ大きな店だ。

 中に入るとかなりの盛況ぶり。一階は満席で、回廊型の二階三階の座席もほとんど埋まっているようだ。人間と獣人は酒を飲み交わしながら貴族レアを讃え、有翼獣人のウェイトレスが、中央の空間を抜けて二階三階へと料理を運んでいる。

 元気のなかった桔梗も場の活気にあてられようやく顔を上げ始めた。

 悠馬が胸をなで下ろしていると、角を生やしたウェイトレスが現れた。

「いらっしゃい、悠馬。それに桔梗」

 店主ミノスの三女――ミーコ。

 父親譲りのガッシリと大きな肉体に、母親譲りの柔らかな美しさを備えた若き女傑。鎧の方が性に合うとよく口にするが、ロングのメイド服も満更ではない様子で着こなしている。

「悠馬は久しぶりだね、元気してた?」

「ああ」

「相変わらずムッツリしてるねぇ。桔梗は……何かあったの?」

「……なんでもないニャ」

 桔梗の元気がないことに気づいたミーコは顔をのぞき込むが、桔梗はふくれっ面で視線をそらす。

 ミーコは首をかしげて悠馬に視線を向けると、悠馬は瞑目する。

 それだけで何かを察したのか、ミーコは「ふーん」と何度か頷いた。

「まぁいいや。二人には、それぞれお客が来てるんだ。今すぐ行ってもらえるかな?」

「誰だ?」

「いま話題のレア様とその騎士様だよ」

「用件は聞いているか?」

「仕事の依頼だってさ。詳しい内容は直接聞いて。悠馬は地下一号室、桔梗は地下三号室だよ。さぁ行った行った」

 まるで追い出すような勢いで押されて悠馬達は地下室へと向かう。

 地下へ向かう階段は薄暗く、『異界』に似た異質で暗澹とした空気が漂っている。

「仕事って何かニャ~」

「わからんな」

 現在、竜が討伐されたことで『異界』の脅威は格段に減っている。この状況で何を依頼されるのか悠馬にはわからなかった。

「しかし、桔梗は嬉しそうだな」

 桔梗の表情からは不安の色が払拭され、好奇心をのぞかせている。

「悠馬に今必要なのは仕事ニャ。それが勝手にやってきたんだから喜ぶのは当然ニャ!」

 よほど心配していたのだろう。

 詫びと感謝を込めて桔梗の頭をなでると、桔梗はあふれんばかりの笑顔を見せて腕に頬を寄せた。

「それじゃあ行ってくるニャ!」

 エネルギーを満タンにした桔梗は悠馬の返事を待たずに通路を走り、三号室に入った。

 薄明かりの中に取り残された悠馬はわずかに苦笑したが、すぐに引き締めると一号室の扉をノックした。

「悠馬だ」

『……どうぞ』

 凜とした声に誘われて扉を開けると、中は六畳程度の個室。

 廊下と違って温かみのあるライトに照らされており、四人用の四角テーブルと長いソファが置かれている。上の荒々しい酒場とは違い、机も椅子も上質な物だ。

 ソファに座っていたのは二人の少女。

 一人は『貴族』レア。

 精巧に整えられた容貌を持つ深窓の佳人。日の光のような金髪はライトで黄金色に輝き、白銀のドレスは夕焼けを浴びた雪原のように美しい。レアを知らない者に「この少女が竜を倒した」と言えば鼻で笑われそうなほど線が細い。

 もう一人は悠馬の知らない少女。

 まだ幼い容貌は可憐で、不安と緊張で震える様は小動物を思わせる。西洋の村娘風の服を着ているせいか、幼い妖精が目の前に現れた、と錯覚してしまいそうになる。

 もっとも、そんな人外の美しさを持つ少女を前にしても、悠馬のむっつり顔は変わらない。

「久しぶりだな。一年ぶりぐらいか?」

「正確には一年と三日ぶりになるわ。座って」

 悠馬の淡々とした問いにレアは静かに答え、悠馬は促されるままにレア達の対面に座った

「まずは紹介から始めましょう。こちらは天上てんじょうしずくさん。つい一ヶ月前に本土から送られてきた『魔人』よ」

 魔人――それは魔力によって超人化した新人類。

 魔力を生み出し、魔力で生きる存在であり、汚染の根源とも言える常識の敵。この島の人間はほとんどが魔人であり、レアと悠馬も魔人だ。

「あ、あの……はじめまして。天上雫、です……」

 たどたどしい言葉遣いの端々に不安の色が見える。

 少女を驚かせないよう、悠馬はできるだけ気を使いながら挨拶する。

「俺は真神悠馬という者だ。よろしく頼む」

 悠馬が頭を下げると、その少女――天上雫はビクリと肩を振るわせながらも慌てて頭を下げた。

 二人の挨拶が終わったところを見計らってレアは本題を切り出した。

「早速だけど依頼を頼みたいの」

「内容は?」

「この娘――天上雫の教育と護衛よ」

「護衛はわかるが……教育もか?」

「ええ」

 奇妙な話だ、と悠馬は思う。

 本来、この島に着たばかりの魔人は『中央』の学校に入れられ、この島の常識と魔力の制御を習う。

 レアは悠馬の沈黙から疑問を読み取って答えた。

「この娘は『妖精』よ」

「『妖精』……」

 悠馬が眉を寄せて反芻すると、レアは首肯した

 魔人は魔力を体内で生成する。生成速度と容量キャパシティは魔人によって異なるが、一日の生成速度は大体10E《エネルギー》になる。

 しかし、妖精はその平均値をはるかに超えた1000Eを生成する。

 超人である魔人が一日に必要なエネルギーが1Eであり、それが千人分も生成されるのだから、大抵の妖精はそのエネルギに耐えきれずに自滅する。それを防ぐために魔力を浪費させる機械を装備させるのだが、放出の様子が二対四枚の光の羽に見えることから『妖精』と呼ばれている。

 しかし――

「妖精の羽がないのはなぜだ?」

 天上雫と呼ばれた少女の背中には、妖精の証しである妖精の羽がない。

 レアは少女に気を使うように一呼吸置くと答えた。

「この娘は魔力を制御できないの。おまけに魔力は金庫の中に入れられたように出し入れができない。早く制御できるようにならないと、この娘は自滅するわ。周りを巻き込んでね」

 つまり爆弾。

 かつて自滅した妖精は、大量の魔力をまき散らして一つの国を汚染した。重力が狂い、動植物は変異し、人の住めない魔境と化したという。『中央』に置いておけないのも当然だろう。

 しかし、そうなるとこの仕事は自分の命だけではなく、この街に住む多くの命にも関わってくる。

 その重大さに悠馬は眉を寄せて瞑目する。仕事がなくて困っているのは事実だが、気軽に引き受けられるような仕事ではない。

「……魔力の扱いなら、他の者に任せた方が良くないか? なぜ俺に依頼する?」

「貴方が信頼できるからよ」

 その単純明快な答えに悠馬は目を丸くする。

「……それが理由か?」

「ええ。……不満?」

「いや、十分だ」

 悠馬はレアの挑戦的な笑みを受け止める。

 レアはこの街の支配者にして守護者だ。そんな彼女が、いい加減な理由でこれほど重要な仕事を依頼するとは思えない。依頼しなければならない理由が存在するのだ。そして、その理由を『貴族』や『騎士』でない自分が知る必要はない。

 レアに全幅の信頼を寄せる悠馬はそう考えると、依頼を受ける前提で話を進める。

「街の者には話してあるのか?」

「ミノス店長を含め、この街の有力な獣人には理解と協力をお願いしてあるわ。何か問題があったら彼らと協力して護衛に当たってくれればいい」

「了解した。何か特別な方針や注意事項はあるか?」

「方針は貴方に任せるわ。貴方はこの娘を外敵から守りながら、魔力を制御できるようにする……それだけよ。注意事項としては、襲撃者がいた場合はできるだけ生かして自警団に引き渡してちょうだい」

「期間は?」

「魔力の制御ができるようになったらそれまでよ。後は未定」

「損害についてはどうする?」

「こちらで全て責任を持つわ。経費も全てこちらにまわして。それとその娘が生み出した利益は報酬としてあなたの物になるわ」

「……生み出した利益というと?」

「石を金に変えればその金が、城を造ればその城が貴方の物になるわ」

「……いいのか?」

 魔力は天地創造を可能とする力だ。妖精の力を持ってすれば金や城を創り出すことは造作もないことだ。報酬としては破格だろう。

「それだけ危険ということよ。『中央』の許可も取ってあるから問題ないわ。そしてその利益を得たら依頼は完了よ」

 どうする、とレアの瞳が問いかけてくる。

 確かに危険だが、かなり魅力的な依頼だ。それに、レアには世話になっているので断るわけにもいかない。

 落ち込んだ桔梗の顔を思いだした悠馬は、しっかりとうなずいた。

「了解した」

「他に聞きたいことはある?」

 ふむ、と悠馬は唸ると、雫の不安げな表情が視界に入った。

「……聞き忘れていたが、君は俺が護衛でかまわないのか?」

 唐突に意見を求められ、雫はわたわたと狼狽える。

「え、えと……はい。大丈夫……だと思います……」

 消え入るような声に、悠馬は不安が膨れあがる。この様子では教育はおろか護衛にも影響が出るだろう。自分と彼女を仲介する者が必要だ。

 そう考えて、思い当たる人物がちょうど依頼を受けていることを思い出した。

「桔梗を呼んだのはこの依頼のためか?」

「ええ。貴方のことは信頼しているけど、女性関係のことは同性の方がいろいろと捗るでしょ? 余計なお世話だった?」

「いや、助かる」

「それならよかった」

 レアはそう言うと席を立つ。

「もう行くのか?」

「ええ。仕事はまだまだあるの。これからしばらく忙しくなるから連絡を取ることも出来なくなるわ。後は任せるからお願いね」

「期待に応えられるよう、努力しよう」

 レアは小さく笑うと、表情を引き締めて部屋を出て行った。

 街の命運を左右しかねない重大な依頼が、まるで風のように舞い込んできたことに、悠馬は驚きとも呆れともつかない感情を抱いた。実感が湧かない。むしろ、この少女が妖精ではなく普通の少女だと言われたほうが現実味がある。

 しかし、レアが嘘を言うとも思えない。ならば、引き受けた以上、全力で応えるのが義務だろう。

 悠馬は雫に視線を向ける。

「それではよろしく頼む。俺のことは悠馬、と呼んでくれ」

「は、はい……よろしくお願いします。えと、私も雫でかまいません。……あの……?」

「なんだ?」

 軽い調子で聞き返したつもりだったが、雫は表情をこわばらせる。

(いかんな……)

 硬い表情を崩すように悠馬は眉間をぐりぐりとマッサージする。そして言葉を発しようとすると――ドアが勢いよく開いた。

「ご主人様! 仕事ニャ! その娘が妖精ニャ!?」

 そこには喜色満面の桔梗がいた。

 その威勢の良さに、雫は驚いて肩が跳ねる。

 しかし、桔梗はそんなことにはお構いなしに雫に歩み寄り、無遠慮に顔や体に視線を這わせる。

「お耳もピンとして綺麗だし、妖精級の美少女ニャ!」

 魔人は普通の人類と見分けがつくように、耳を横に伸ばすことが義務づけられている。同様に、獣人はどれだけ人に近づこうとも獣である証しを残さなければならない。当然、悠馬の耳も横にわずかに伸びており、レアも細くとがっていた。これを守らない者は身分詐称で罪に問われることになる。

 桔梗はオモチャを与えられた猫のようにはしゃぎまわり、雫はあたふたする。

「その辺にしておけ」

「はーい」

 桔梗は素直に従うと、悠馬の横に立った。

「驚かせてすまなかった。この娘は桔梗。今回、君の護衛の手伝いをしてくれる獣人の一人だ」

「よろしくニャ!」

 桔梗は笑顔とともに手を差し出す。

 雫は慌てて立つと手を握りかえした。

「よ、よろしくお願いします……」

 雫はビクビクと返すが、桔梗はそんなことを気にもとめずに握手した手を大きく上下させる。

「雫ちゃんは救いの妖精さんニャ! 雫ちゃんのおかげでご主人様は飢えずにすんだニャ!」

 事実ではあるが情けない現実を叩きつけられ、このときばかりは悠馬も眉尻を下げる。

 厳めしい大男が情けない表情を浮かべる――そのアンバランスさに雫はほんのわずかに口元をゆるめる。

 その変化を、目ざとい桔梗は見逃さなかった。

「お、やっと笑ったニャ!」

「あ、いえ……すみません……」

「気にすることないニャ。それにご主人様は怒鳴りつけたりしないし、無闇に暴力を振るったりしないから恐れることはないニャ。それにご主人様はこれでも二十歳ニャ。十四歳の雫ちゃんとは年齢も近いし敬語も必要ないニャ」

「に、二十歳……ですか?」

 雫は驚き交じりの表情を見せる。

「そうニャ! しかもこの若さで、この街ではかなりの大物。『商売繁盛の神』とか『知識の泉』とか言われ、一部では崇拝の対象になっているニャ!」

「そ、そんなにスゴイ方なんですか?」

 桔梗は得意げに語り、それを聞いた雫は畏敬の念を見せるが、とうの悠馬は眉を寄せる。

「……いくら何でも盛りすぎだろう?」

「何を言っているニャ、こんなの序の口ニャ!」

 呆れる悠馬に、桔梗は胸を張って返す。

 それを見ていた雫はようやく安心した表情を浮かべた。

 自分一人では、こうも簡単に彼女の笑みを見ることはできなかっただろう。悠馬は桔梗に感謝しながら、今後の計画を脳裏に描く。

「それで、これからどうするニャ?」

「……とりあえず宿を取ろう。今日は休んで、明日から街の案内とみんなに紹介をしようと思うが、何か要望はあるか?」

「……あの……」

 それまで笑みを浮かべていた雫は、気落ちした様子で手を挙げた。

「なんだ?」

「あ……あの、宿ってこの街の……ですよね?」

「ああ、そのつもりだ」

「それはやめた方がいいと、思います」

「何でニャ? もしかして獣人が嫌いなのかニャ?」

 獣人には粗暴な者が多く、衝動的に攻撃してくる者もいるので嫌われやすい。それに桔梗レベルの容姿なら問題ないが、コルンのように獣の特徴を色濃く残している獣人を侮蔑する者も存在する。

「悲しいニャ……まさか雫ちゃんが『そっち側』の人だったニャンて……」

 悲しむ乙女を大仰に装い、桔梗はその場に崩れおちる。

 明らかに演技。

 悠馬は苦笑するが、雫には効果が絶大だった。

「ち、違います! そうじゃありません!」

「じゃあ、どういうことニャ?」

 桔梗が問うと、雫は悲しげに目を伏せる。

「あの……わたしは魔力の制御ができませんけど、とてもビックリしたりしたら解放されるんです」

「解放……というと?」

 悠馬が促すと雫は躊躇ったが、やがてぽつりぽつりと語り始めた。

「胸の内から熱いモノがあふれて、まわりの人の魔力を消してしまうので……その……街に泊まるのは……」

 言いにくそうに語られた情報には、無視できないモノが混ざっていた。

 魔力を消す。

 それは魔に属する者にとっては生命を奪うのと同義だ。特に危険なのは魔力を生成できない獣人だろう。彼等は食事によって補給しているので死活問題になる。少なくともこの店には飢えた獣人が押しよせるはずだ。秩序は崩壊する。

 それに無意識、と言うことは寝ている間に暴発する可能性もある。そう考えた場合、街に宿を取るのは危険すぎる。

 どうするか悩んでいると、桔梗は気軽な様子で言った。

「魔力がゼロになったからって、すぐに死ぬわけじゃないニャ。攻撃じゃなければ問題ないニャ」

「でも……」

 雫は不安を露わにする。

 ならばどうするか、と悠馬が思案していると、桔梗はニンマリと笑った。

「なら、悠馬の家に泊まるニャ」

「……え?」

「悠馬の家は街の外の丘に建っているニャ。あそこなら魔力を暴走させても誰も迷惑かけないニャ。悠馬はどうかニャ?」

「かまわないが、あそこではお前達のバックアップを受けられない。もし、襲撃にあったら危険ではないか?」

「表だって攻撃すれば『中央』に責められるから大規模に攻め込んでくることはないニャ。それに少数の敵なら侵入する前にレア様達が追い払ってくれるから大丈夫ニャ。レア様の『貴族』の称号は伊達ではないニャ」

 桔梗は胸を張って答える。

 貴族とは力があるものに与えられる称号。その貴族レアが後れをとるはずがない、と桔梗は力説する。

 悠馬は危険性と安全性を天秤にかけ――覚悟を決めて顔を上げた。

「わかった。俺の家を拠点にしよう。雫もかまわないか?」

「え、えっと……」

 雫は顔を真っ赤にして顔を伏せる。

 さすがに年頃の娘が男の家に泊まるのは抵抗があるかと、悠馬が憂慮していると、桔梗は渋い顔で雫の肩に手を置いた。

「安心するニャ。ご主人様は不能ニャ」

「…………ふのう?」

「……おい」

 雫の困惑と悠馬の抗議を意に介さず、桔梗は重々しくうなずく。

「そうニャ。私がこの場で全裸になったとしても、困り顔で『服を着ろ』と言って服を着せてくるような朴念仁ニャ。それに悠馬は乳のデカイ娘が好みニャ。雫ちゃんは……」

 桔梗は手を下へと滑らせ――雫の胸を掴んだ。幼くも美しい体だが、その胸は全くといっていいほど膨らんではいない。

 桔梗は憐れむような視線と共に自慢の胸を突き出した。

 雫は大きなふくらみに釘付けになるが、何をされたのかようやく理解して顔を赤くした。

「…………ッ……な、何をするんですか!」

「ニャハハ、まだまだ子供ニャ。その程度ではご主人様を発情させられないニャ」

 雫はプルプルと震え、桔梗はからからと笑う。

 その様子を見ていた悠馬は口元をゆるめた。

 雫は怒っているが、オドオドとした雰囲気は消えていた。

 桔梗はこの短時間で雫の警戒心を丸裸にしたのだ。

 悠馬はその手際の良さに胸の内で賞賛を送るが、桔梗の悪ふざけのエスカレートしている。これ以上はさすがにマズイと思った悠馬は、桔梗の肩に手をかけた。

「その辺にしておけ」

「はーい、わかったニャ」

 桔梗は素直に従い、左腕に抱きついてきた。

 悠馬はイタズラ好きの猫に嘆息し、雫に右手を差しだした。

「それでは我が家に案内しよう。これからしばらくの間だがよろしく頼む」

 雫はわずかに戸惑うが、桔梗の挑発的な視線を受けたことで意を決する。

 小さな手が恐る恐る武骨な手を握った。

「よ、よろしくお願いします」

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