第1話 異界島
そこは古城を思わせる通路。
周囲は石材が規則正しく並び、壁に一定間隔で埋め込まれた宝石は黄泉路を青白く照らしている。
そんな寒々とした世界を光が飛び回っていた。人魂のように火の尾を引き、青白い火の粉を散らしながら、何かを探すようにフラフラと彷徨い続けている。
そこへ音が響き始めた。
それはブーツが石畳を踏みしめる音。足音がゴツリゴツリとメトロノームのように響き渡り、徐々にその音は大きくなる。
青白い光はその音の主を追い求めて宙を泳ぎ、やがて一人の青年に辿り着いた。
その青年は精悍な顔立ちをした巨漢。
異様に発達した筋肉を剣道着で包み隠し、さらに皮の胸当てで覆っている。腰の二本の小太刀は異様な――ともすれば生きているような――気配を漂わせる一方で、青年は妙に気配が薄い。
光は青年に向かうが、徐々にその勢いを失い、やがて力尽きるように薄れ始める。
青年はその光に気づくと、足を止めて優しくすくう。
光は青年の無骨な手に触れると、桜吹雪のように薄紫の光を散らして消えていった。
青年は光が消える様をじっと見ていたが、やがて消えた光を握りしめて移動を再開した。
進む先にあるのは出口。
ゴツリゴツリと重々しい足音をたてながら闇を抜けると、陽光と共に物々しい壁と重厚な扉が青年を迎えた。扉の前には二人の衛兵が立っており、斜め上空の監視塔からは西洋鎧を着た兵士たちが銃口を向けている。
青年は物々しい雰囲気を気にもとめず前に出ると、衛兵の一人が青年を出迎えた。
「やぁ、旦那。今回は帰りが早いな。『異界』に行ってまだ四日じゃないか」
気さくに声をかけてきた衛兵は狼男だった。
頭は狼、手足も灰色の毛に覆われており、狼の特徴を色濃く残しているが、その他の骨格と肉付きは人型をしている。
魔力を吸って生きる新人類――獣人である。
「『魔獣』が少なくてな。食料も心許ないので戻ってきた」
青年の声は太くて深い。事務的で淡々とした声は青年をより老齢な存在に錯覚させる。
青年の返答に狼男は笑って答えた。
「そいつは残念。『魔獣』も旦那を恐れて隠れているんだろう。汚染は……されてないみたいだな」
獣人は青年の体を軽く触診しながら言うと、口の端をつり上げて笑った。
「『異界』からの帰還おめでとう。元気そうで何よりだ」
「お前も元気そうで何よりだ、コルン。問題はなかったか?」
青年の問いに、狼男――コルンは鋭い爪の伸びた手で自らの頭をなでながら思案する。
「余所の騎士が暴れたとか、エルがまた研究所爆発させたとか……まぁ、いつも通りだ」
コルンが手を挙げて監視塔に合図を送ると、ややあって重々しい音と共に分厚い扉がゆっくりと開き始める。
「そうそう、ミノスんとこ、また子供が増えるらしいが知ってたか?」
「ああ。順調なら来週だ」
「知ってたか……って、当然か。そう言えばミノスの野郎が嫉妬してたぜ?」
「嫉妬? なぜだ?」
青年は不思議そうに首をかしげる。
「娘さんが旦那のことを『おとーさん』と呼んだかららしい。あの厳つい大男が、うろたえながら相談してきたときは笑いをこらえるのが大変だったよ」
コルンは肩を揺らしながら笑うが、青年は淡々と訂正する。
「確かに時々あったが、その度に名前で呼ぶように教えている」
「そうらしいな。だからミノスも旦那が悪いとは思っていないみたいだったよ。でも、親としちゃショックなんだろうさ」
「……そうか」
コルンは笑い続け、青年は眉をひそめて思案する。
扉の開閉が止まる。人一人が通れる程度の半開き状態だ。
「それではまたな」
青年が門を通ると、コルンも付いてきた。
「俺も行くよ」
「仕事は良いのか?」
「ホントはもう終わってるんだが、代わりの奴がこねぇんだ。どうせその辺で昼寝しているだろうから叩き起こすついでさ。それに近頃は『魔獣』も出てこないし、瘴気もほとんど漏れてこないから一人でも大丈夫だよ」
コルンはそう言うと、もう一人の
ここは異界島。
およそ50年前の2010年に日本近海の海底火山噴火と共にできた島だ。魔力汚染の最初の地にして『魔獣』の最終処理場。島を囲むようにそびえ立つ尖塔は人工物とは思えないほど巨大で、二人が現在いる南端からでも北端の尖塔が見えている。
青年はコルンと共に街道を歩く。
周囲は平野。視界を遮る物はなく、簡単に整備された街道の先には城壁がある。本来ならこのあたりを兵が巡回しているはずだが、今は無人と化していた。
「兵はどうした?」
「ん? あぁ、すまねぇ。さっき言い忘れてたが、旦那が『異界』に行った次の日に竜が発生したんだ」
「竜が?」
竜とは『異界』に発生する『魔獣』の一種。『魔獣』の中でもトップクラスの力を持つ個体で、膨大な瘴気を垂れ流すため並の兵士では近づくことすら難しい存在だ。少なくとも容易に倒せるような存在ではない。
そんな天災レベルの重大事件を『忘れていた』で片付けるのはこの男ぐらいだろう。
青年は湧き起こる様々な感情を瞑目して抑えると、コルンに問う。
「その竜はどうした?」
「レア様が狩ったよ。ここらにいた兵もみんな連れての大規模なものだった。討伐も速かったよ」
「彼女は無事なのか?」
「無事だよ。それどころか無傷だったらしい。発生したばかりで弱かったって話しだが馬鹿げた強さだよ。もっとも、竜討伐のせいでほとんどの兵が魔力を消耗して戦闘不能らしいがな」
「防衛はどうする?」
「自警団で埋めるみたいだ」
「……大丈夫なのか?」
自警団はほぼ獣人のみによって構成されているので戦闘能力は非常に高いが、人数自体は少ないので防衛には向かない。『魔獣』が大量発生すれば対応できなくなる可能性がある。
しかし、コルンは青年の懸念を笑い飛ばす。
「気にしすぎだよ。レア様は大丈夫だって言ってたし、自警団の奴等も張り切ってる。それに、竜が発生したってことはそれだけ大量の瘴気が回収されたってことだ。瘴気がなければ『魔獣』は発生しない。少なくともあと一ヶ月は安全さ。今一番心配することは『魔獣』が発生しなくなって旦那の稼ぎが少なくなることだろう?」
「……それは確かに問題だな」
実際、今回の狩りではほとんど『魔獣』と遭遇しなかった。奥の方でようやくまともに狩ることが出来たが、それでもいつもに比べればあまりに少ない。この状況が続けば生活に支障をきたすだろう。
「……困ったものだな。安全になればなるほど生き辛くなるとは……」
「そう悲観することもない。街はお祭り騒ぎだからタダ飯も食べ放題だろうし心配はいらないさ。いざとなりゃミノスの野郎に世話になればいいしな」
コルンは歯をむき出して笑い、青年は他力本願な友人に苦笑した。
やがて街か近づいてくると、街の人々の声が聞こえ始める。しかし、それは祭りの喧騒ではなく、悲鳴や物を壊す音だった。
「……おいおい、いくら何でも浮かれすぎだろ」
コルンは面倒くさそうにため息をつく。
しかし、気の抜けた表情のコルンとは対照的に、青年の表情は険しくなる。
青年が足を速めると、コルンは慌ててついてきた。
「どうしたんだ?」
「……瘴気の気配がする」
コルンは表情を硬くした。
二人は急ぎ街に向かうと金属製の門が破壊されていた。
街に入ると門の近くで多種多様な獣人達が人垣を作っており、それぞれが顔に不安と恐怖を貼り付けている。
彼らの視線の先にいるのは一人の豚型獣人だった。
「
「知り合いか?」
「交代するはずだった奴だ。でもあの姿は……」
元は薄桃色であっただろう肌がどす黒い色に侵食されている。侵食された部分の筋肉は異常なほど発達しており、特に丸太のように太くなった腕には極太の筋が浮かんでいる。デタラメに振り回された拳は一撃で壁を破壊し、石畳に無数の亀裂を走らせている。
豚吉を止めようと獣人達が説得と拘束を試みるが、説得は意味を成さず、拘束しようとすれば殴り飛ばされいる。
明らかな瘴気汚染。それも重度の。
「……かなり汚染されているな。このままでは『魔獣』に堕ちるぞ」
「マジかよ……」
コルンは呆然とつぶやく。
「な、なんとかならないか? 奴は大食らいの怠け者だが、悪い奴じゃねぇんだ。衛兵になったのだって家族ためなんだ。それなのに『魔獣』に堕ちるなんて悲しすぎるだろ」
コルンは青年の腕を掴んで哀願する。
その声を聞き付けた獣人は、振り返ったところで青年に気づいた。すると、豚吉に向けるのとは別種の――死神を前にしたかのような表情を向ける。
畏怖、緊張、嫌悪――青年はそれらを肌で感じながらも表情を変えず、淡々とコルンの腕をといた。
「旦那……」
「最善は尽くす」
青年はそう言い残すと『魔獣』と化しつつある獣人の元へと向かう。間にいた獣人達はなにも言わずとも道をあけ、青年は豚吉と相対した。
豚吉は巨大だ。青年の身長は二メートル近くあるが、それをさらに上回るほど大きい。おおよそ三メートル。体重も500キロを優に超えるだろう。瘴気による精神汚染と、急激な筋肉肥大によってその表情は苦痛に満ちているが、逆に言えば彼がまだ『豚吉』であることを証明していた。
青年はその鋭い眼光で豚吉を見据えながら問う。
「答えろ。お前は何者だ」
青年の低い声が、大太鼓のような衝撃を伴い豚吉を打つ。
ただの問いだというのに、その声を聞いただけでビクリと肩を振るわせ、緩慢な動きで振り返った。
豚吉の顔は酷いものだった。
目はぎょろぎょろと動き回り、鼻水やヨダレを垂れ流し、まだ汚染されていない右目からは絶えず涙をこぼしている。
青年の視線と豚吉の右目の視線が絡み合う。
恐怖と激痛で歪んでいた瞳は驚愕に変わり、獣人達でも止められなかった巨体がを完全に動きを止めた。
まるで蛇に睨まれた蛙。
豚吉はでっぷりとした腹をぶるぶると震わせ始めた。
「もう一度問う。お前は何者だ」
「お、おデは……」
不鮮明な言葉遣いだが、青年の問いに豚吉は反応する。
その事実に周囲の者は湧くが、青年は無表情のまま淡々と問う。
「もう一度問う。お前は何者だ」
「おデ……は、おデは……おデはぁっぁあああぁあぁああぁぁあああぁあぁあああ!?」
豚吉は全身を震わせながら丸太のような腕を振りかぶった。
「旦那ぁ!」
コルンの声。
自分を心配しての声ではない。豚吉を心配しての叫び声だろう。腰の刀で豚吉を細切れにするのではないかと。
そう理解した青年は刀には触れない。
恐怖に染まった豚吉の豪腕が唸りをあげて青年に迫る。
すると青年は、その巨躯からは想像できないほどの軽やかさで豪腕を躱した。そして伸びきった腕を掴み、勢いを殺さずに背負い投げをくらわせる。豚吉のベッドのような巨体が宙を舞って石畳に叩きつけられ、大きな地響きを発生させた。
「……動くな」
青年は倒れ込んだ豚吉の頭上に片膝をついて座り、悶え苦しむ豚吉の頭を両手で挟んで固定する。それに気づいた豚吉は雷に打たれたかのように震えて動きを止めた。
「もう一度問う。お前は何者だ?」
青年の手から薄紫の光が舞い始める。
光は火の粉のように舞い上がり、徐々にではあるが豚吉の肌は本来の色を取り戻し始めた。
「お、デ……は……」
豚吉の瞳は答えを探すように忙しなく動き続ける。汚染された肉体は外敵を排除しようと不規則に蠢くが、豚吉の恐怖心がそれを許さない。
「お、で……は、とん……きち……?」
不安交じりの返答に、青年は静かに頷く。
「ならば、俺は何者だ?」
「…………ま、がみ……ゆうま。真神悠……馬?」
豚吉の声に知性が戻り始める。
獣人達が見守る中、青年――
「では最後の問いだ。お前は『魔獣』か?」
悠馬はそう問うと口を半月に割った。
隙間から見える歯は人間のものとは違い、ギザギザとした鋭利な牙だ。
それを見た豚吉は悪夢から覚めたように目を見開いた。
「ち、違う! いえ、違います! 俺は『魔獣』じゃない! 『魔獣』じゃないいいぃぃいぃぃいぃ!!」
豚吉はその巨体をぶるぶると震わせながら絶叫した。
それを見た悠馬はゆっくりと豚吉から手を離し、その場を離れた。
周囲の人々は豚吉が『魔獣』にならなかったことに胸をなで下ろすが、半狂乱となった姿を見せられては素直に喜ぶことが出来ず、同情的な視線を向けている。
その原因を作った悠馬は人の輪からひっそりと抜け出すと、コルンに合流した。
「終わった。後でエルに診てもらえ」
「そりゃありがたいが……旦那、ありゃやり過ぎですぜ?」
コルンは半狂乱の同僚を憐れむように眉を寄せる。
「駄目だったか?」
「問題ないニャ」
悠馬が首をかしげていると、女の声が割り込んできた。
「桔梗か」
青年が声のした方を見ると、そこにはネコミミを生やした少女がいた。
愛らしい顔立ちに、黒の着物の上からでも分かる妖艶な肉体。どことなくアメリカンショートヘアを思わせるライトグレイの長髪は腰にまでとどき、髪と同化したネコミミをピクピクと動かしている。コルンより明らかに人に近い容姿だ。
「なんでお前がここにいるんだよ?」
コルンが不機嫌そうに言うと、桔梗は自慢の胸を張って答えた。
「私は髪の一本から魂にいたるまでご主人様に捧げているニャ。そんな私がご主人様を迎えに来るのは当然ニャ」
コルンの表情は呆れたものに変わる。
「魂まで捧げておいて娼館で働くってのは矛盾しないのか?」
「体は売っても心や魂までは売らないニャ。それにご主人様はコルンみたいに心が狭くないから問題ないニャ」
「……良いいのか、旦那?」
「桔梗が自分の意思でやっていることだ。俺が口出しすることじゃないだろう」
悠馬が淡々と答えると、桔梗はフフンと笑う。
「そういわけで問題はないニャ。コルンの方こそこんなところで何しているニャ? サボリかニャ?」
「ちげぇよ。豚吉の野郎を探しに来たんだよ」
「なら早く持ち場に帰った方がいいんじゃないかニャ?」
「……なんでだよ?」
「自警団がそろそろ来るニャ。持ち場を勝手に離れていたことがバレれば、自警団はコルンを告発し、レア様はコルンを解雇するニャ。レア様に捨てられた獣人を雇う者は、この街にはいないんじゃないかニャ~?」
桔梗は嗜虐的に笑い、コルンは表情を引きつらせる。
彼女が言うほど簡単には解雇されないだろうが、この異常事態に無断で持ち場を離れていたことがバレれば確かに問題になるだろう。場合によっては同僚であるコルンに何らかの嫌疑がかかるかも知れない。
コルンはため息をつくと悠馬に視線を向けた。
「……旦那。この色惚けネコの言う通りにするのは癪だが、面倒ごとになる前に持ち場に戻るよ。ミノスの野郎には、また今度飲みに行くと伝えておいてくれ」
「伝えておこう。だが、気をつけろ。豚吉とやらはお前の同僚で衛兵だった獣人だ。お前にも何か起こるかもしれん」
「気を引き締めるよ。旦那に『三回の質問』をされるのはゴメンだからな」
コルンはそう言うと、風のような速さで街を出て行った。
あとに残された悠馬は桔梗に疑問をぶつける。
「……『三回の質問』とは何だ?」
「それは歩きながら教えてあげるニャ」
桔梗はそう言うと、その白くてほっそりとした指を悠馬の武骨な腕に絡めた。桔梗の大きな胸がモチのように形を歪め、その柔らかな感触を伝えてくるが、悠馬は特に大きな反応を示さない。じゃれつくネコの対応に困るように眉を八の字に寄せながら歩き出した。
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