3. にゃん子とラブレター
夜。わがや。
「ただいまぁ、チーちゃん、アーちゃん。今日も疲れたぜい」
ドアを開けると同時に、にゃーにゃーと走り寄ってきた白黒2匹を抱え上げて頬ずりをする。今日はバイトもなく、そこまで疲れてはないんだけど、それでも二時間半の帰宅時間はこたえるし、ついでにお腹もすく。
お母さんはもう仕事に出かけていた。
昨日も掃除したはずの部屋の中が、色々と散らかっているのは、猫どもがイタズラしたわけではなく、昼間、ここですごしていたお母さんのせいであるわけで……
「やっぱり……一人暮らしなんてできないよなあ……」
わたしも、それにお母さんも。
ふん、と気合いを入れて、ささっと片づけてから、チーちゃんとアーちゃんにごはんをあげる。わたしは、ぱぱっと野菜いためを作って、ぱぱっと食べた。
ごはんは週末に炊いて冷凍庫に保存しといたのをレンチン。多めに作った野菜炒めも、小分けにして冷凍庫へ。その間、退屈そうにする猫たちの相手も忘れない。
いやはや主婦のかがみである。
食後はゆっくりとお風呂。
狭い浴槽でも存分に足を伸ばせるのが、成長しないマイバディのメリットか。
風呂あがり、コップ一杯の牛乳を飲みほしてから、髪を乾かす。
パジャマを着て、チーちゃんとアーちゃんと一緒にテレビの前でごろごろしながら、スマホをいじり始めるわたし。
「あ、そうだ」
今日のパソコンの授業で聞いたことを思い出した。
「ええと、学校のホームページから、メールのアイコン……お、これか」
それはうちの大学のメールシステムとやらで、スマホからメールが読めるというすぐれもの。
入学式直後のオリエンテーションのときにも説明してたらしいのだけど、なぜかわたしは今日まで知らなかった。謎である。
「ここにアドレスとパスワードを入力、と……あれ? ねえねえ、わたしのアドレス、どんなんだったっけ?」
目の前で寝そべっているアーちゃんの白いお腹をポンポンと叩くも、気持ちよさそうに目を細めるだけで、もちろん返事はない。わたしは仕方なくスマホの操作を続けて、説明文を探した。
「お、あったあった。なるほど、学籍番号でいいのか」
馬鹿なわたしでも、流石に自分の学籍番号くらいは覚えている。
学生証に書かれてるし、学校のパソコンを使うときに毎回入力してるし。
説明文には、学籍番号の後にうちの大学を表す文字列をつけたものがメールアドレスだと書かれていた。パスワードは学校のパソコンを使うときに入力するものと同じらしい。
説明通りに入力すると、ぱぱっと『受信箱』の画面が表示された。
「お、結構届いてるな。ふふっ~、間違いメールから始まる恋もあるぅ~」
いきなり歌い始めたわたしに、白と黒の二匹の猫が同時に顔を向ける。
興味をもってくれたのか、ぱたんぱたんと仲良く尻尾を振ってくれた。
ふむ、わたしにはアーティストとしての素質があったらしい。
作詞作曲、宇治抹茶よし子。
そんな芸名でデビューすることにしよう。まあ作詞というか、歌詞は昔の映画だかドラマだかのキャッチコピーそのままだったりするけど。さらにメロディは小学校のときの校歌。
「……よし子、パクリ疑惑」
疑惑は確信に変わり、デビュー失敗。
呆れたようにあくびをする猫たちの前で、わたしはメールを確認し始める。
件名の一覧を見るかぎり、学生全員に送ったっぽい事務手続きとか、何かのイベントの案内ばかりで、それらはプレゼミの先生も説明してくれた内容──まあ、わたしの場合は、しいちゃんから又聞きで聞いたことばかりだった。
「ふむ」
こんなもんかと、ほんの少しだけ、がっかりする。
もちろん、間違いメールから始まる恋なんてものを、本当に期待してたわけじゃない。わたしは面白い迷惑メールとかが読みたかったのだ。ほら、センスある迷惑メールってあるじゃんか。『あなた様に天皇になって欲しいのです』とか、『主人がオオアリクイに殺されました』とか。
最近は友達ともメッセージアプリでやりとりしてるせいか、そういった面白メールを見る機会も減った気がする。
それにこのメールの受信箱は、わたしが入学してから二ヵ月ちょっとの間、放置されていたもの。それを覗くということは、しばらく見なかった新聞受けの中、たまりにたまったチラシの束から面白いものを探すワクワク感というか、もしくは夏休み明け、久々に自分の下駄箱を覗くドキドキ感というか……って、ああ、そっか。
「やっぱり、そういうメールを少しは期待してたんだよなあ……わたし」
思春期かよ、と、部屋の中、ひとり寝そべりながら息を吐き、何となくチーちゃんとアーちゃんを抱き寄せて、再びスマホをいじり始めた。
メールを古い方から順番に消していこうと思いつき、画面に出てる「削除」ボタン、にゃん子なのにポチポチと、ただぼんやりと押していく。眠い目をこすりつつ、そんなことをしていると。
どくんっと、心臓が一気に跳ね上がった。
「え……? あ、あれ……?」
ばっと立ち上がるわたし。
床の上、ビクンと猫たちが反応し、何ごとかとわたしの顔を見上げる中、その視線を避けるようにわたしは隣の自分の部屋に駆けこんで、引き戸を閉めた。
電気もつけず、ひとり、暗い部屋。
「いや、猫から隠れなくてもいいじゃんよ……」
言いながらわたしは改めて見つめた。暗い中で光を放つスマホの画面を。
──
山田猫子さん
突然のメール,ごめん。
単刀直入に言うと,君に一目ぼれしたんだ。
けど僕は自分の容姿に自身がない。
だから,もしよければメールで話だけでもしてくれないかな。
お返事待ってます。
──
パジャマの袖で何度も目をこする。
「……間違いメールじゃないよね、これ」
アドレスの学籍番号の部分は、学生ごと順番につけられた数字。だからアドレスを打ち間違えて、違うひとに出してしまうなんてことはあり得なくはないだろうけど……
一行目に書かれた氏名。
日本中探したって、同姓同名がいないのは断言できる。
そしてこのアドレスは、誰かに教えた覚えもなく、そもそもわたし自身がその存在をさっきまで忘れていたもの。
けど、もしうちの大学の学生が、連絡先を知らない相手にこっそりと何かを伝えようとするなら、このメール宛に送るのが一番てっとり早いだろう。学籍番号は調べようと思えば調べられるはずだし。
だから、つまり。
「このメールは、間違いなく……」
わたしへの、ラブレター。
跳ね上がった心臓が、どくんどくんと、止まらない。
いや、止まったら死んじゃうけどさ……
はああ、とよくわからない息を吐いて、ぺたりと座り込むわたし。
どう反応してよいのかわからない。
こんなものをもらったのは、小学2年生のとき以来だ。
そのときの困惑っぷりを思い出して、今のわたしも混乱に追い込まれる。
「いやいや落ちつけ、落ちつけ山田……」
再びスマホの画面をじっと見ながら、とにかく冷静に考える。
まず一番に気になること。
「……誰だよ、お前」
差出人の名前がどこにも書かれてないうえに、アドレスはフリーメールで適当に作った感じのものだった。ついでに件名も書かれてない。
「うーん……」
頬が熱くなるのを感じながら、メールの内容をじっくりと読み直す。
ラブレターのテンプレートなんて知らないけど、小さいころにもらったそれには、もう少し色々なことが……それこそ、にゃん子ちゃんのどこが好き、みたいなことがたくさん書かれていたわけで……
ぶわっと、頬に溜まっていた恥ずかしさが、波を打って広がった。
真夏の日差しを浴びる猫のごとく、全身が熱を帯びる。
頭をよぎった幼少の思い出を振り払うため、ぶんぶんと何度も頭を振るわたし。
「とにかく、だ……」
このメールは短すぎて……言っちゃなんだけど、想いが伝わってこない。
ひょっとしたら、こんな淡々とした感じのが大人のラブレターなんてものなのかも知れないけど、どうであれ、これくらいなら本人を前に直接告白しろよと、そんな風に思ってしまう。
けど、それについては、短いメールの文中に理由が書かれていた。
「自分の容姿にジシンがない……って、おい」
暗い部屋でひとり座り込んだまま、思わずスマホに突っ込みを入れていた。
自分の容姿に『自身』がない──
つまりはアイデンティティのない顔ということで。
整形手術でもしたのか?
はたまた確固たる己の顔が存在しないのか? アンパンマンか、お前は?
さておき、わたしにでもわかるくらいの誤字、というか変換ミスである。
「なんだかなあ……」
メールを書いたあと、まったく読み返さずに送信ボタンを押したのだろうか。
それとも、わたし以上の……
まあ、ラブレターをくれた相手を悪く言いたくはない。
このメールから推測できるのは、相手が決してイケメンではなく、おっちょこちょいな、自分の名前も名乗れないシャイボーイだろうということだ。
「ふうむ……」
相手の顔を勝手に想像しないように、わたしは冷静さをよそおって呟く。
このメールの差出人は、わたしと付き合ってくれと、そう言ってるわけじゃない。
メールで話をして欲しいと、とりあえずはそれだけを望んでいるのだ。
で、あれば──
「あっ……!」
そこでようやく気がついた。
送信日時。5月15日。
今日は6月20日──
だからこのメールは1ヵ月以上も前に届けられていたもの。
ずきん──と、今までとは違う胸の鼓動に襲われる。
お返事待ってます、と、このメールはそんな言葉で終わっていたわけで……
「大事な手紙は、ちゃんと相手が見てるポストに入れろよう……」
愚痴っぽく呟いて、はあ、と肩を落とした。
大学のメールは定期的に確認しなさい、大事な連絡が届く場合もあるから、と。
以前、プレゼミの時間に先生から言われたことを、今さらながら思い出すわたし。
「まさか……ずっと返事を待ってたってわけじゃないよね……」
慌ててスマホを操作し、受信箱に届いているメールを一通ずつ確認する。
そして、すぐに。
同じアドレスから届いた、件名のないメールが見つかった。
わたしは手にしたスマホをじっと見つめたまま、思わず唾を呑みこんでいた。
暗い部屋、まぶしい光を漏らす画面。
手が、震える。
白い背景の上に表示されているメールの本文は──まるで新聞の片隅、狭い枠に詰め込まれている記事の一つのように、ぎゅうっと、小さなスマホの画面を黒い文字で埋めつくしていて。
「……なに、これ」
わたしはしばらくの間、そのメールから目を離すことができなくなっていた。
──
どうして返事をくれないのかな。僕のことが気持ち悪いのかな。でも初めて君の姿を見たときに思ってしまったんだ。こんな愛らしい女の子は今まで見たことがないと。他の女のようにケバケバしくなく,純粋そうな子だと。自分の中にこんな気持ちがあるなんて知らなかった。無視しないで欲しい。ずっと君のことを目で追ってしまっていた。それが恋心だと気付くのに時間がかかった。ただ思っているだけなのは切ないと,ついメールをしてしまった。ずっと返事がなくて胸が痛い。自分の行動がコントロールできていないのかも知れない。返事をくれないなら,君のところに行って,声をかけてしまうかも知れない。その時はどうか逃げないで欲しい。
──
翌朝、水曜日。
1限の授業が行われる教室前の廊下。
窓から射す朝日を浴びながら、わたしは壁を背にぼんやりと立っていた。
あの二通目のメールの送信日時は6月19日。一昨日の月曜日だった。
一ヵ月近く返事をしなかったこと。それは申しわけないと思う。
けど……相手がきちんと確認してるかどうかもわからないメールアドレス。
普通なら「メールを見てないんだな」と、そんな風に思うだろう。
返事を出さないのは、気持ち悪いと思っているから、無視しているから──
そんな思いこみを相手にぶつけてくるのは……普通じゃ、ない。
「愛らしくて、純粋そうな子、か……」
窓ガラスに淡く映しだされる自分の姿を見て、つい変なことを思い出す。
──にゃん子のことを好きな男子は、ロリコンだよね。
高校のときの友達の言葉。
自分の容姿が幼く見えることは、実際そこまで気にしてるわけでもなく、そのときは普段通りの突っ込みをいれて終わったことだけど。
あのメールにその言葉を重ねてしまうと──妙な、恐ろしさを感じてしまう。
昨日の夜は、ほとんど眠れなかった。
わたしと猫だけがいるアパートの部屋。
カーテンの向こう、窓の外に見知らぬ男がいて、こっちを見つめているんじゃないかと──そんなことを想像してしまい、恥ずかしながら怖くて仕方がなかった。
雨戸を閉め、布団をかぶり、猫たちを抱えたまま数時間。
真夜中に帰ってきたお母さんは珍しく酔っぱらっていて、わたしの話を聞く間もなく、玄関で倒れるように眠ってしまった。お酒の匂いをまき散らすお母さんを何とか布団まで運び、毛布をかけ、その横に潜りこむわたし。
目覚まし時計が鳴る時間まで、うとうとと、浅く眠ることしかできなかった。
朝日を浴びて少し冷静になり、何度起こしても起きないお母さんと、心配そうにわたしを見つめる猫たちを置いて、家を出た──
わたしは大あくびをしながら、廊下で授業が始まる時間を待つ。
水曜1限は英語。
欠席や遅刻の減点が厳しくて、これ以上休むと、わたしは確実に単位を落とす。
──だから普段からサボらず授業に出なさいって言ってるでしょ。
しいちゃんがいたら、そんなことを言われてたのは間違いない。
そのしいちゃんは、今日はお昼まで大学に来ない。
英語は一緒の授業を取れなかったので、毎週この時間はわたしひとりで受けているのだけど……正直、期末テストが不安すぎる。
さておき、お昼休みに何とかしいちゃんを捕まえて……メールのことを相談にのってもらおうと、そんなことを考えていた。
ふと顔をあげると、見知った女の子たちが教室に入っていくのが見えた。
わたしも後に続いて教室に入り、彼女たちに挨拶をしながら、その後ろの席に腰をかけた。
再びあくびをすると、そこでちょうどチャイムが鳴り、まもなく英語の先生が教室に入ってきた──
記憶が飛んだかのように、刹那の闇に包まれて──
とんとん、と、何度か肩を叩かれて、ようやく目を覚ました。
ばっと顔を上げ、思わずきょろきょろと辺りを見回すわたし。
笑い声が響くも。
「──笑いごとじゃない」
先生の一声で、教室はしんと静かになった。
さげすむような目で、わたしのことを見下ろして。
「授業を聴く気がないなら、出て行ってくれないか」
そう言った。
「あ……」
顔が熱くなる。
とっさに謝ろうとするも、上手く言葉がでてこない。
先生は無言のまま、親指で教室の出口を指差した。
怖くて動きが取れないわたしを、冷たく見下ろし続ける先生。
本気で、怒っている。
わたしは涙が出そうになるのを、唾を呑み込み必死にこらえる。
そして荷物を胸に抱えて立ちあがると、早足で教室を出ていった──
「なんでっ! バカじゃないのっ!」
鼻をすすりながら、晴れた空の下、大学の敷地内をただ闇雲にずんずんと歩く。
「授業中に寝てるの、わたしだけじゃないじゃんっ!」
小声で、それでも悔しさをぶつけるように、ひとりで声をあげていた。
授業中だから人の姿はほとんどない。
広いキャンパス内、特に行くあてもなく、ぐるぐると歩き続けるわたし。
たくさんの校舎、周囲に植えられた木、大きな噴水──
悔しくて、悲しくて──とても、つらくて。
ふと立ち止まり、はあと、深い息を吐く。
そのままバカみたいにきれいな水色の空を見上げて、呟いた。
「──やめちゃおうかな」
大学なんて、と──そんなことを本気で思う。
いや、それはこの数週間、ずっとひとりで思い悩んでいたことだった。
授業は難しくてわからないし、家は遠いし、遊ぶ時間もお金もないし。
「こんなとこに四年も通ったって、わたしにとって何の意味も価値もないもん」
勉強をする場所に、勉強嫌いのわたし。
まさに場違いだということは、入学する前からわかってた。
もちろん学費だって安くはない。
さっさとやめてしまえば、無駄金を払うこともなくなるし、つまらない授業からも、長い通学時間からも開放されるし、お説教されることも、変なメールに悩まされることも、すべてなくなる。
良いことずくめだ。
空いた時間で頑張ってアルバイトをすれば、今よりもっとお金を稼げるし。
それでそのうち、どこかちゃんとした会社で働ければ……
「ちゃんとした会社……か」
別に大学なんて出てなくても、働ける会社はあると思う。
けど……わたしみたいに頭が悪くて、何の資格も持ってない、ましてやこんな素敵な名前の持ち主を雇ってくれる会社があるとは、とても思えない。アルバイトだって、時給九百円じゃいくら頑張ったところで──お母さんに楽な暮らしをさせてあげることはできないだろう。それはアルバイトながらも自分で働いてみて、ようやく身にしみたことだった。
「大学に進学しなかったら、わたし、どうなってたんだろ……」
再び、わたしのことをロリ扱いした友達のことを思い出した。
すごいギャルギャルしてて可愛かったその子は、今でもみんな宛に色んな写真を送ってくる。派手な髪色で、高そうな服を着て、ホストみたいな彼氏と撮った写真。
東京でキャバ嬢として働いてて、すっごい稼げてる、と。
彼女自身はそう言っているのだけど──まあ、もっとエッチなお店だよね、と、他の子たちの間ではそんな噂が立っている。どっちにしても充実した都会生活を送ってるみたいで、そこだけはうらやましいとは思うけど、そうなりたいとは絶対に思わない。
そもそも、わたしみたいなチンチクリンに需要があるはずもないし、そんな仕事をしようとした時点で、お母さんにぶっ殺される。
アルバイトを決めたときだって、わたしが「時給が良いから居酒屋にしようかな」と、そんなことを言っただけで、激怒したくらいなのだ。
あんたは私みたいになっちゃダメだ、と。
小さい頃からずっと、そう言われ続けてきた。
ちゃんと大学を出て、ちゃんとした会社に勤めろと。
願わくばそこで、ちゃんとした男を見つけろと。
子供ができた直後なのに、浮気して、その女と逃げてしまうようなヤンキー崩れのクズ男じゃなくて、誠実な男と結婚して、幸せな人生を歩めと。
だから死んでも大学には行け、と。
お母さんのそんな想いを、うっとうしいと思ったことは、生まれてこのかた一度もない。
けど……
「考え方が古いんだよ……わたしみたいな馬鹿でも大学に入れる時代なのに……」
ぐるりと辺りを見回してから、思う。
もしやめずに、頑張って勉強して、何とか大学卒業の肩書きを手に入れたとして。
それで何がどう変わるというのだろう。
高校のときだって、なんとか留年しないように、テスト勉強ぐらいは頑張った。
それをこの後、いくら繰り返したところで、馬鹿は馬鹿のまま。
何かが変わるとは、とてもじゃないけど思えない。
しいちゃんは、勉強すればお金と男が手に入りやすくなるかもなんて、そんなことを言ってたけど、つまりそれはフェロモンみたいなものなんだろうか。
なるほど、大学を卒業すると、エッチなお店で働きやすくなるのだな!
などと。そんな風に茶化すのも、流石に馬鹿馬鹿しくなる。
空気が暖かい。
日が当たるキャンパスは、田舎の高校と比べたら、やっぱり綺麗で。
もしかしたら、これで見納めになるのかな──と。
ため息すら出ないほどに、ずんと頭が重くなる。お腹も痛い。
大学をやめたとしても、やめなかったとしても──つらい将来しか見えない。
わたしはどうなるのか、わたしはどうすればいいのか……
漠然とした不安に耐えきれず、ついにわたしはその場に座り込んでしまった。
にゃあ、と。
遠く、なぜか空の方から、猫の鳴き声が聞こえた気がした。
顔を上げ、そちらを見る。
目の前は高い建物、その灰色の壁がうるんだ目に映しだされた。
視線のずっと先、建物の屋上を囲っているらしい銀色の柵が、空の下に見える。
はっと、と、あることを思い出し、手の甲で目をぬぐった後。
建物の正面、出入口の横につけられている、青サビのついた看板に目を落とす。
──研究棟、と。
そこにはそう書かれていた。
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