2. にゃん子と大学 火曜2限


 休み時間。少し晴れてきた空。

 隣の校舎に向かって移動しながら、ぷんすかぷんと怒るしいちゃん。

 実際、そんなに怒ってるわけじゃないと思うんだけど、わたしは神妙に反省した顔を作って、その後についていった。

 やがてコンピュータ室にたどり着く。次はパソコンを使った授業。

 しいちゃんが腰かけた横の座席に、当然のようにわたしは座る。

「まったく、もう……先生にウソまでついて……しかも私まで巻き込むんじゃないわよ。バカにゃん子」

 パソコンの電源を入れながら、しいちゃんはぶつぶつと小声で言う。

「バカゆーな。つーか、にゃん子ゆーな」

 いつものように返しながら、私もパソコンの電源を入れた。

 しいちゃんとは小学校からずっと同じ学校。

 そんな幼馴染の大親友から『にゃん子』と呼ばれ続けて十年以上。今さら本当に呼び方を変えられても困るけど、わたしが嫌がってるのを知っているから、大学にいるときは、人前でわたしのことを『にゃん子』と呼ばない。

 というか、中学にあがるときも、高校にあがるときも、しいちゃんはそんな風に気を遣ってくれていたのだけど、仲良くなった子から最初しばらく『ねここさん』とか『ねここちゃん』と呼ばれていても、最終的には必ず『にゃん子』と呼び捨てになる。

 なぜだろう。わたし七不思議のひとつである。

 何だかんだでしいちゃんがこっそりそう呼ぶので、そのせいだろうと思っていたのだけど、しいちゃんがいない環境であるバイト先の本屋でも、既に『にゃん子』呼ばわりなので、違ったらしい。

 キラキラネームの呪いだろうか。

 つーか、苗字で良いじゃんと。

 椎名が『しいちゃん』なんだから、山田は『やまちゃん』で良いじゃんかと。

 昔からそう言い続けてきてるのだけど、何でも芸能人のひととか、居酒屋のチェーン店とか、そういった違うものを思い浮かべてしまうからダメだと、みんな言う。

 それはまあ理解できなくもない。

 けど、それなら『山田さん』で良いじゃんと主張すると、それも違うと言う。


「アンタは絶対、『山田』ってイメージじゃない。理由はわからないけど」


 などと、みんなそろってそう言うのだ。

 わたし七不思議ふたつめ。

 というか、山田じゃないなら、わたしは一体何者なんだよ。

 こちとら物心ついたときからずっと山田だよ。ちくしょう。

 コールミーヤマーダー、ノットニャンコ、プリーズゥ!

 ……。

 まあ、落ちつけ山田。たまには冷静に考えてみよう。

 吾輩は人である。名前はまだ──いや、にゃん子である。

 ヤマダサン、アンド、ニャンコサン。

 嫌でも印象に残るのはもちろん後者。ネココでも同じ。

 つまるところ、苗字のインパクトが弱いということなのだろう。名前の割に。

 没個性苗字だなんて言ってしまうと、全国の山田さんに謝らないといけないけど、ただまあわたし自身、カッコいい苗字に憧れていないことはない。

 三島とか、京極とか、西園寺とか。

 キラキラネームの分際でぜいたく言うなと、やはり全国の山田さんに怒られてしまうかも知れないけど……それならせめて逆にして欲しかったわけで。

 逆というのは、ええとつまり、普通の苗字+キラキラネーム、ではなく、キラキラ苗字+普通の名前といった感じで。

 さすれば、親から与えられた名前をひた隠しに生きるなんてことは……

 ん? キラキラ苗字? なんだそれ。カッコいい苗字とは違うのか?

 それに普通の名前って……えっと、それは……そう、例えば。

 宇治抹茶よし子とか。

 雪月花とし子とか。

 そういうの──なのか?

「……。我ながらひどいセンスだ」

 そりゃ自分の娘に『にゃん子』なんて名づける人の血をひいてるんだもんなあ……

 などと、わたしは妙に納得してしまっていた。

「何をひとりでブツブツ言ってるのよ」

 ポコンと、しいちゃんに頭を叩かれた。手には例の出席管理システム。

 わたしは、えへへと笑いながらそれを受け取り、ピッと、自分の学生証を当てて、隣のひとに渡した。

「経済思想史、次からはちゃんと自分で出なさいよね」

 しいちゃんが小声で言う。

「私だって不正の片棒を担いでいるみたいで嫌だったんだから。それに受講する人も減ってきてて……特に女子の数が少ないから、ちゃんと確認されたらバレるわよ」

「あ、そうなんだ。ごめんね」

 私も小声で謝った。

 しかし、うーん……どうしよう。

 バイトのシフトから外してもらうか、いっそ単位をあきらめるか……

 しいちゃんに相談しようとするも、後でね、と言われた。

 教卓でスライドを使って説明する先生の話を、真面目な顔で聴くしいちゃん。

 ほんと、わたしなんかの友達にはもったいないほど、しっかりした子である。

 見た目も、大学生として年相応の真面目で可愛らしい子といった感じで、実際、かなりモテる。対してわたしは、まだまだ高校生というか、下手したら中学生と間違われたりもするわけで……

 うーむ、小学生のころは、仲良しラブリー二人組として似たり寄ったりの間柄だったのに、いったいどこで差がついた……

 つきぬ悩みに頭を抱えている間に、教室内が少しだけ騒がしくなっていた。

 先生の説明が終わり、パソコンを使って課題を作成する時間になったらしい。近くのひとと相談しながら進めて良いということなので、とりあえずしいちゃんに、センスの良いキラキラ苗字って何だろねと尋ねたら、ちゃんと課題をやれと怒られた。

 課題の内容をぜんぜん聞いてなかったと返したところ、呆れ顔で私を見て、それでもきちんと説明してくれた。

 この大学を紹介する資料をワープロで作成せよ、と、そんな課題だという。

 学校紹介なんて大学が作ったパンフレットがあるんだから、わざわざ作る必要なんてないじゃん! と主張するも、しいちゃんが相手をしてくれなくなったので、わたしは情報収集のため、パソコンでこの大学のホームページを開いた。

 綺麗な校舎を背に笑顔を見せる、おしゃれな服を着た学生たちの写真。

 そしてその下に、大学を紹介する宣伝文句が並んでいた。

 

【面倒見のいい大学です!】

 ……遅刻したりズルしたりするとお説教はしてくれるけど。


【資格がとれます!】

 ……授業時間以外で頑張ればね。


【専門知識が楽しく学べる大学です!】

 ……楽しいかなあ?


「うーん……」

 高校生のとき、このホームページを見たときには、もっとワクワクした気がするけれど、そこは理想と現実の違いとでもいうのか。

 ホームページには【充実したキャンパスライフ】と銘打って、部活やサークルで活躍する学生たちや、広い教室で真面目に勉強する学生たちの写真も載っている。

 部活とかサークルに参加する余裕なんて、わたしにはないし、楽しいかどうかはともかく、勉強も半分以上は高校の延長といった感じ。英語とか体育とか苦手でやりたくないのに必ず取らないといけないし。

 経済とか哲学とか専門的っぽい授業もあるけど、ひたすら長いし、わけわかんないし、あのおじいちゃん先生の授業とか、ほんと眠いだけだし。

 わたし以外のひとだって、教室の後ろの方でコソコソお喋りしたり、スマホいじってたり、真面目に受けてるひとの方が少ないんじゃないかと思うくらい。

「……もっと頭の良い大学に入れば違ったのかなあ」

 などと、自分の頭の悪さを棚上げしつつ、わたしはホームページを閉じた。

「さて……学校紹介、か」

 面倒くさいなあ、と、天井の蛍光灯に向かってひとり呟くわたし。

 パソコンの使い方を学ぶ授業だから、内容は何でも良いと思うけど、それでもホームページやパンフレットと同じものを作るというのは、どうにも気がのらない。

「せめて学校七不思議とかあれば、面白く書けそうなんだけど」

 学級新聞的なものを思い浮かべたけど、流石に小学校じゃないんだし……

「あるわよ? 七不思議」

「あるのかよ」

 小学校か、ここは?

 わたしの呟きに反応しながらも、パソコンで作業を続けるしいちゃん。

 横顔を向けたまま、表情なく、ぼそりと言った。


「研究棟の屋上には、悪魔が住みついている──」


「……は?」

 この幼馴染は突然何を言い始めたのだと、一瞬あぜんとしたけれど。

「えっと、しいちゃん。ひょっとしてそれが七不思議のひとつだったりする?」

「そ。この前、プレゼミで先生が話してたわよ。ひとつだけだけどね」

「なぜにそんな話を授業中に」

「あの先生、授業の最初5分くらいで、大学にまつわる雑談をしてくれるのよ。遅刻する人が多いから、本題に入る前の時間潰しにってね」

「へえ、そうなんだ」

 皮肉っぽく言うしいちゃんに、他人事のように返すわたし。

 それはともかく研究棟ってどこだっけ?

 何となく白衣を着たひとたちが、ヒソヒソと壮大な実験をしてるような建物といった感じがするけど、わたしが今まで見たことがないということは、建物ごとステルス迷彩してるのだろうか?

 ふむ、なんと近未来的なっ!

「……普通の建物よ。先生たちが普段いる場所。理系の大学じゃないんだから白衣で実験してる人もいません。入学式の後、オリエンテーションで行ったじゃない」

 そういえば図書館の近くにそんな建物があった気がする。

「で、研究棟はわかったけど……悪魔ってなにさね。エロイムエッサイムでエコエコアザラクな存在が笛をピーヒャラ吹いているとでもいうのかね」

「さあ?」

「10万歳のスモウ評論家がいるとか?」

「先生はそんな言い伝えがあるというだけで、それが何を意味するのかは知らないって言ってたわよ。まあ、私も何となく部活の先輩に訊いてみたんだけど……」

 そこで少し間を空ける。

 ちなみにしいちゃんはテニス部。なんと高校のときには全国大会に出場して、この大学にスポーツ特待生として入学したほどである。

 そんなすごいしいちゃんは、パソコンを見たまま少し首を傾げて。

「研究棟の屋上にいるのは、悪魔じゃなくて──探偵なんだって」

 そう続けた。

「はい?」

「その先輩が聞いたことがあったのは『研究棟の屋上には探偵がいる』って、そんな感じのことだったらしいのよ」

「探偵って……なんか七不思議的なオカルトっぽい話じゃなくなった気が……」

 屋上探偵とか、そんなタイトルのミステリー小説とかありそうだけど。

 探偵は探偵事務所か密室殺人の現場にいるべきでしょうに。

「それで……えっと、次の日ね。その先輩が実際に研究棟の屋上へ行ってみたらしいの。そしたらもちろん悪魔も、探偵もいなくて──」

 そこでようやく私の方を向いて、しいちゃんは言う。

「──そこには1匹の猫がいた、と。そう言ってたわ」

「……ねこ? 建物の屋上に、猫?」

 研究棟は確か5階だか6階くらいの高さだった気がする。

 まさか外の壁をよじ登ったわけじゃないだろうし、わざわざ階段かエレベータでも使って登ったのだろうか。それはそれでミステリアスというか、ほのぼのニュースにでもなりそうな感じだけど……


 しかし──猫と、悪魔と、探偵?


「なんなんだ、その脈絡のない組合せは……」

 ほのぼので、オカルトで、ミステリーだ。

 ひょっとしてその猫が、実は悪魔だったり探偵だったりするのだろうか……? 

 猫悪魔に、猫探偵?

 にゃんともまあ、ほのぼのオカルトで、ほのぼのミステリーではある。

「私だって知らないわよ。気になるならにゃん子が行ってみれば良いじゃない」

 ぷいと興味なさげにパソコンで作業の続きを始めるしいちゃん。

 しかしその目に、わずかながら子供のような輝きが浮かんでいることを、わたしは見逃さない。

 悪魔とか天使とか、ついでに吸血鬼とか神様とか。

 この幼馴染の女が、そういったファンタジーなキャラクターが大好物なのを、わたしは嫌というほど知っている。ラノベとか、漫画とか。エロチックで耽美な感じで描かれた男キャラであれば特に。

 ルシフェルだの、ミカエルだの、メフィストフェレスだの。

 うじゃうじゃいる天使や悪魔の宗教上の設定を丸暗記してるんだぜ、この女は。

 さらに言えば、探偵物の小説も大好きだし、わたしと同じで猫も好き。

 大学に入学してからは、妙に大人ぶってる感じだけど、そりゃ高校生から大学生になったからといって、当人の嗜好がぱっと変わるわけでもあるまいし。

 察するに、研究棟の屋上に行って猫を発見したのは、先輩じゃなくてしいちゃん本人だろう。悪魔とか探偵とか、もちろん信じたわけじゃないだろうけど、なんだかんだで気になって見に行ったに違いない。

 まったくそういうのを隠そうとするあたり、まだまだ子供なんだからあ。

 ぷぷぷっ、と、にやけ笑いをするわたし。

 どっちが子供なんだか、と、無粋な突っ込みはしない。

「そだね、しいちゃん、わたしも行ってみるよ」

 少しうきうきした調子で私は言う。

「猫でも、探偵でも、悪魔でも、どれがいたとしても用事はあるし」

「用事?」

「猫がいたら、もふもふしてストレス解消できるし、もし探偵がいたら──」

 ありがちな浮気調査を、と、そんな冗談を言おうとして慌てて引っこめた。

 しいちゃんの両親はそれが原因で去年離婚しているから。

「ええと、もし猫じゃなくて探偵がいたら、屋上からいなくなった猫をその探偵に探してもらおう」

「なるほど、探偵ミステリの基本ね。もし悪魔がいたらどうするのよ」

「魂と引き換えに願いを叶えてもらう」

「へえ、どんな?」

「金もいらなきゃ、男もいらぬ、わたしゃもすこし背が欲しい」

「にゃん子は小さくて可愛いんだから、今のままでいいじゃない」

「いくない!」

「それに他の二つはいらないの?」

「いや、欲しいです。ください」

「なら、ちゃんと勉強しなさい」

「……しいちゃんや。勉強すると金と男が手に入るんか?」

「さあ? けど、しないより、将来的にその確率はあがるんじゃない?」

「むむむぅ……じゃあ、悪魔に勉強を教えてもらう」

「……自分で頑張りなさい。そんなこと、悪魔に頼るんじゃないわよ」

「ちゃんと勉強をするという行為は、わたしにとって、そのくらいハードルの高いことなんですよ。しいちゃん……」

「大学生にもなって何を言ってるのよ……ったく。バカにゃん子」

 こほん、と、わざとらしい咳払いが聞こえた。

 教卓の前、先生が渋い顔でこちらを見ている。余計なお喋りはするなということなのだろう。しいちゃんが慌てた様子で作業に戻る。

 わたしはわたしで、しいちゃんのパソコンの画面を横目に、カタカタとキーボードを叩き、しいちゃんが作っている学校案内を丸写しする作業を始めた──

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