20. にゃん子とドリンクバー⑤
「わかんないっす」
わたしは素直にそう答えた。
アゲハさんの誕生日、彼女が指定したおしゃれなバー。
わたしのようなバカがアゲハさんのような才女と似てるとか言われて、少しふてくされた感じになってたけど、そんなことを忘れてしまうほど久方ぶりに、自分語りを再開するわたし。
その間に、わたしの名前に★をつけた芸人さんが有名になっては消えてゆき、猫を積み上げていくゲームを作った会社が倒産してしまったり、そのゲームのなんか現実的ですごいヤツが登場したりと、色んなことがあったけれど、わたしは元気です。
さておき、今、私が言った答えとは。
あなたが思う、頭の良い人って、どういう人かしら?
という質問に対してのもの。
バカが思い浮かべる天才像なんていうのは、毎月ハワイに行くとかいった貧乏人が考える金持ちのイメージのごとく、結局バカバカしいものにしかなんないだろうし、思い浮かんだところで、正直、答える気にもならない。
そんなわたしの返事を聞いて、ふむ、と、気のせいか随分と長いこと返事を待っていたかのような素振りで頷くアゲハさん。
天井から照らす橙色のライトの下、美人は美人のまま、何も変わってない。
「……逆に訊きますけど」
わたしは手にしたグラスを円を描くようにぐるぐると回しながら。
「アゲハさんは、どういうひとを天才だと思ってるんですか」
居酒屋でグチるサラリーマンのような口調で尋ね返すと。
「――複雑な物事を抽象的な表現に置き換えて問題を解決することができ、その過程をわかりやすく記述できる人。そしてそれが万能ではないと理解している人」
すらりと、アゲハさんはそんな風に答えた。
「は?」
けどぜんぜん意味わからん。
「私的には、さらに自分の中に確固たる世界を持っていて、社会的な問題を解決するために新たな……そう、例えばナイチンゲールやシャノンのように……」
なにやらひとり眉をひそめて、何かぶつぶつと言い始めるアゲハ嬢。
「あの……?」
「あ、ごめんなさい」
はっとした表情を見せて、小さく謝るアゲハさん。
お酒のせいもあるかもだけど、意図せず素で答えてしまったというか、本気で考え込んでしまった感じ?
「えっと、よくわかんなかったですけど……今のがアゲハさんが思う天才像なんですか?」
「……いいえ」
なんだかちょっと照れくさそうに。
「ただの受け売り。だから私自身、意味をきちんと理解しているのかと訊かれたら、理解しているとは答えられないでしょうね」
と、自分を突き放すような言い方をする。
そこには何か、ちょっと複雑な想いが込められているようで。
「あ、受け売りって、ひょっとして……アゲハさんのお母さんからですか?」
わたしがさらに訊くと。
「――ええ」
と、わたしから目を逸らし、少し恥ずかしそうに答えた。
ふむむ、と、その様子を見て、わたしは何となく思い浮かぶことがあった。
アゲハさんはお母さんのことをすごい尊敬している。
そのお母さんは、今までの話から想像するに、偉い学者さんとか、たぶんだけど、そういう地位にあるひと。
そんなひとになりたいんだろうなという想いは確実に。
けど、大人として、親離れしたいという気持ちも持ちあわせていて。
今、わたしの前で、何とも愛らしく浮かべているその恥ずかしそうな表情は、そういった気持ちから生まれたものだろう。
とにかく憧れて、とても尊敬してるけど、親だから従順すぎるのも照れくさい。
そんな感じなんだろう。まあ共感できる。
で、何かというと、うん。
アゲハさんがうちみたいなショボい大学に通っている理由。
それはアゲハさんのお母さんが、例えば、そう――スゴイ偏差値の高い大学で教授をしてるとか、そんな風に考えてみると、見えてくるものもあるわけで――
「けどね、にゃん子さん」
愚考するわたしの顔を見つめなおして、アゲハさんは真面目な顔で言う。
「私が尋ねたのは、頭の良い人。天才の定義を尋ねたわけではないわよ」
「ん、違うんですか?」
「違うでしょう。天才は1パーセントしかいないけれど、頭の良い人は50パーセント存在する」
「……はあ、なるほど、そういう」
言い方が雑な気がしなくもないけど、ま、意味はわかる。
そういえば、プレゼミの眼鏡先生が、今、大学への進学率は大体50パーとか言ってたけど、そういう話なんだろうか?
「そういう話ではないわね」
ぴしゃりと否定するアゲハさん。
「勉強ができるできない。頭の良し悪し。もちろん関係はあるけれど、まったく関係ないでしょう?」
などと、冷静に聞けば明らかにおかしなことを言っているんだけど。
「まあ、そうですね」
わたしはそう相槌を打った。
アゲハさんの頬の染まり具合からみるに、結構、酔いが回っている感じで、細かいことにツッコムのは不毛な雰囲気。実際、言いたいことは何となくわかるし。
お母さんのスナックに来るおっちゃんどもは、お母さんも含めてほとんど高卒で、だから大学に行ったわたしを冗談めかして頭が良いとか褒めたたえてくれたりはするんだけれど。
わたしからすれば、みんなの方がスゴいと思ってるし、頭が良いと思ってる。
もちろん、お母さんも。
「――そうね、にゃん子さん」
もそもそとそんな話をしたわたしに向かって、アゲハさんは微笑むように訊く。
「にゃん子さんは小さい頃から、色々な人と話す機会が多かったのよね」
「え? ま、そうですね。お母さんのお店に来る人、色々いますし。すごいひとだと地元企業の社長とか、昔、大企業で働いてたひととか」
あと最近だと、バイト先の本屋がらみでも色々と。
「そういう方たちの話を聞くのは、好き?」
「ええ、ま、楽しいです。それこそ勉強になるというか」
「自慢話をうっとうしいと思ったことは?」
「……よっぽど何度も繰り返されたりしない限りは、まあ」
「あと、にゃん子さん、負けず嫌い?」
「え? まあ……そういう面があることは否定できないですかね……」
「何か明確な理由があって、誰かに怒られたときは?」
「そりゃ反省しますよ」
「素直に?」
「……そこそこ」
「物語は、大好き?」
「え? あ、はい。それは全力でイエスってやつです」
「うん、合格」
「は?」
え、なに? 今、わたし、何か試験されてたの?
「今のが条件なの」
「え?」
「――小鴉アゲハ式、頭の良い人の判定条件」
ふふんと、何やら偉そうな顔を作りながらアゲハさん。
ついでに空にしたグラスを振って、カウンターの方にいるゼルさんに、おかわりを要求したところで、次回に続く。
猫と、悪魔と、探偵と こばとさん @kobato704
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