17. にゃん子とドリンクバー②


 と、いうことで。

 もう一杯ずつ、ドリンクを頼むわたしたち。

 

 持ってきてくれたゼルさんの顔を見て。

 ぱっと何かを思い出したように、表情を明るくするアゲハさん。

 わずかに赤く染まった頬を緩ませながら。

 見て見て――と、わたしが贈ったブックカバーをバッグから取り出した。


 それを見たゼルさんも、例の子猫の刺繍をすごく褒めてくれた。

 もちろん嬉しかったけど。

 そのブックカバーをもらったことを無邪気に自慢するアゲハさんの表情が。

 もっともっと、わたしの心をくすぐった。


 やがて、他のお客さんが来店して、応対に向かったゼルさんが去ったあと。


「――そういえば、料理の話なんですケド」


 グラスを傾けるアゲハさんを前に、わたしは話を戻した。

 わたしが変に横やりを入れてしまったせいで、変に話がズレてしまったけど。

 料理うんぬんの話は、学校にいたときから前振り的なのがあって。

 んで、わたしは料理が得意で。

 だから、うらやましいとか、はたまた料理を教えて欲しいとか。

 そういうことかと思ったら、そういうことでもないらしい。

 

「料理はできるけど……美味しくないんでしたっけ?」


 確認するような感じで、そう尋ねる。

 できないことなんて何もない、なんてのは冗談だとしても(その細い腕では重いダンベルを振り回すことも、よもや猫を11匹積み上げるのも無理だろう。よもや)、自分ができもしないことをできるなどと、そういう嘘をつくひとではないだろうし。


「……そうなのよ」


 両手で頬杖をつきながら、眉根を寄せるアゲハさん。

「ちゃんとレシピ通りに作っているから、不味いというわけでもない、けど……何というのかしらね。こんなものか、と、そんな感じで……」

「はあ」

「一人で食べているから味気ないと、そういうことでもないと思うのだけど……」

 むー、と、頬を膨らませるアゲハさん。

 可愛い。

「それ、たぶんですけど」

 わたしはちょっぴり思うところがあって。

「えっと、さっきのゲームを作ったときの話って……ひょっとして友達か誰かが、そのゲームの完成を楽しみにしてたんじゃないんですか?」

「え? ああ、そうね。妹がずっと待ってたわよ」

「あ、やっぱり妹さんいるんですね」

 それは、わたしへの接し方から予想していたことではあった。

「ええ」

 アゲハさんは、それこそ昔を懐かしむような感じで。

「おねーちゃん、いつできるのー、って、毎日。うん、可愛かったわ」

 ふふ、と、優しく微笑んだ。

「それはうらやましい」

 ひとりっ子のわたしとしては、姉も妹もどっちも本当にうらやましい。

「けど、じゃあ、やっぱり確定じゃないですか」

「え?」

 わたしの言葉に、きょとんとするアゲハさん。


「アゲハさん――他人のためじゃないと、全力を出せないんじゃないですか?」


 変な自信をもって、わたしはそう告げた。

 アゲハさんは少し驚いた風に、わたしの顔を見てから。

「……やっぱり、そういうことなのかしらね」

 はあ、と、天井をぼんやり眺めて、よくわからない感じで息を吐く。

 ま、わたしなんかが気づくことを、当の本人が、しかも頭の良いこの女性が気づかないわけがない。

 けど、わたしの主張が正しいならば、このひとは「自分のことを知ろうとすることにも全力を出せない」ということであり、つまりまあ「自分自身の性格をきちんと把握できない」ひとなわけでして。


 そう、このひと。

 小鴉アゲハさんは、他人思いの、とてもいい人だ。

 けれどそれに反してとでもいうのか――自分自身には、まるっきり興味がない。

 自己愛がないとか、そういうレベルの話ではないと思うけど。

 いつもスーツを着てるのだって、自分を着飾ることに意識が向いてないからで。

 連絡先を教え忘れるとかも、そういうところからきてる気がする。

 自分が美人だという事実も、たぶんこのひとにとってはどうでも良いことなのだ。

 それでも大学にジャージを着て来ないあたりは、社会性があるとでいうのか……

 他人がどう思うのか、は、きちんと踏まえて生きているということ。

 他人にどう思われるのか、とは、少しニュアンスが違う感じで。

 とにかく主体が自分にない、ということは、今までの会話からなんとなく理解した。


「常時フルパワーアゲハのつもりなのだけど……」

 と、ボケてるのかどうなのか微妙な感じのことをいうアゲハさん。

 つーか、わたしとの馬鹿話にも(全力で)盛り上がってくれるのは、わたしがそれを楽しんでいるからこそであり、真面目な話が好きな子に対してはもちろん真面目に対応するだろう。

 まあ、馬鹿話をしてるときの方が素の彼女なんじゃないかと、そんな気もするけれど……それはたぶんわたしから見た感想であって、他のひとにどう映ってるかなんてのはわかんない。

 さておき、料理の話。

 料理は愛情とはよく言ったもので、レシピ通りに作ったからといって、それを万人が美味しいと思うとは限らない。当然、食べる人には好みがあるわけで、手間暇かけてそれに合わせなければいけないという大前提があるわけだ。

 ちなみに、お母さんはお店でそこを頑張って、お酒にしても食事にしても、もちろん接客にしても、お客さんごとそれぞれにそれこそ全力で向き合って、んで、まあまあ成功して、地元のテレビ局なんかに取り上げられたりもした。

 結果、わたしがこうやって大学生活を満喫できる程度には、お金が貯まった。

 うん、まあ、今日は本当に満喫しているがゆえに、やっぱり感謝しないといけないなあと、改めて思う。

 また話が逸れたけど、つまり。

 もしアゲハさんがわたしのために料理を作ってくれるというなら、きっと好みについてあれこれ訊かれて、めちゃくちゃ試食させられて、じっくり待たされて。

 結果、とんでもなく美味しいものが出てくるのは間違いない。

 アゲハさん自身、それを楽しいと思ってやるだろうし。

 わたしも美味しいものが食べられる。

 何の問題もない。うぃんうぃーんというやつだ。

 けれどその努力を自分自身には向けられないのがこのひと。

 ある意味で、一流のエンターテイナーともいえよう。

 なんかもったいねーなー、とか、そんなことを思わなくもないけど……


「アゲハさんの旦那さんになるひとは、絶対幸せになれますよね」

 わたしも、ふう、と、変な息を吐いて、ぽつりとそう言う。

「それ、よく言われるのだけど」

 ただ事実を説明するかのように淡々と言うアゲハさん。

「えっと、今、お相手は?」

「いないわね」

 しれっと返される。

 ま、そんな気はしてた。

 せっかくの20歳の誕生日に、会って数日の後輩女子を誘うくらいだし。

「……ちなみに告られたことは、たくさんあるんじゃないですか?」

 猫子わたしを殺すほどにあふれ出るわたしの好奇心。

「あるわよ、小さい頃は、何度も」

「はあ、すごい」

「本当に小さい頃よ。ただ割と本気で……言われたのは、高校のときだけかしら」

「ふむ? それでそれで?」

 椅子ごと倒れそうになるくらい身を乗り出すわたし。

「何回かデートはしたけれど……」

「……あまり楽しくなかった?」

「そうねえ……いえ、まあ楽しくなかったわけじゃなくて……色々あったはあったのだけど……」

 明らかに言葉を濁すアゲハさん。

「……あ、いえいえ、別に細かく聞きたいってわけじゃ」

「……って、にゃん子さんも似たような経験が?」

 慌てるわたしの声と、アゲハさんの質問が重なった。

「あー、いえ、まあ……ぜんぜん似た話ではないですけど……」

 それは高校2年のとき、例のギャル子が企画してくれたイベント。

 他校の男子と3対3のグループデートとでもいいますか。

 高校生らしく、ちょっとディズニーな場所まで足を伸ばして。

 なんだけど。

 一番人気はしいちゃん、次がギャル子。

 一番ラブリーなわたしはマスコット的な扱いをされて。

 まー悪いとわかっちゃいたけど、一日中、むすっとしてたという思い出。

 んで、そのしいちゃんは人数合わせというか、わたしたちに付き合ってくれただけで、そんなに乗り気じゃなかったり(実はあの真面目そうな幼馴染は、男関係は割と充実しているのだ。非現実方面に)、ギャル子はギャル子でちゃんと別に彼氏がいたりして(こっちはリアルなリア充)。

 行く前は一番ノリノリだったわたしが、ずっと不機嫌で、最後はぎくしゃくして終わったという、そんな青春の1ページ。

「……楽しかったとか、楽しくなかったとかで言うなら」

 わたしは、ふっと鼻で笑って。

「その後、お母さんのお店で、常連のおっちゃんたちにチヤホヤされてたときの方が、何十倍も楽しかったデスね」

 あはは、と、なんだか空しくなってグラスを空にする。

 実際、その出来事を愚痴っぽく話したら、にゃん子ちゃんを放っておくとは馬鹿な野郎たちだとか、俺がもっと若かったらにゃん子ちゃんを嫁にしてたとか、おっちゃんたちによしよしと慰められたのも、今となっては良い思い出。

「にゃん子さんは、おじさんが趣味なの?」

 どう解釈したのか、グラスのふちをくるりと指でなぞりながらアゲハさん。

 なんか頬がさっきより赤くなってるし、酔いが回ってきてる感じ。

「だれが趣味ですか、わたしゃ若い男が好きですよ」

「はあ、若い男が好き」

「そこだけ強調しないでいただけますかね……つーかアゲハさんはどうなんですか、男性の好みは」

「……うーん」

 何か変に悩む風だったので。

「あ、性格は無視して、見た目の好みは」

「ブラッド・ピット」

 即答。

「おー、いいですね」

「ちょっと古いかしら」

「そんなことないでしょう」

「オーシャンズ・イレブンの彼が、私の初恋よ」

「うはは」

「ふふ、にゃん子さんは?」

「ジョニー・デップ」

「やっぱり、おじさん趣味じゃない」

「だれがおじさんですか! ブラピだって年一緒でしょう!」


 と、わいやわいやと、しばし盛り上がる、うぃーあー女子大生。

 その中でアゲハさんが口にする俳優やら芸能人の名前から、彼女が理想とする男性像が見えてくる。

 うちの大学の男どもが金を払ってでも聞きたがるだろうその情報。

 ざっくり言うと……男らしい男というか、守ってくれそうなひと。

 ほらやっぱり、アゲハ嬢も、ひとりの乙女であったわけだ。うんうん。

 いや、けど、その情報を得たとしても……うちの男どもじゃ無理だな。

 同じプレゼミの男子くらいしか知らないけど、高校四年生みたいなヤツらしかいないし、ま、そこにわたしも含まれるから人のことはいえない。

 2年生以上の人たちはよく知らないけど、大学内で見かける男の人たちで、アゲハ嬢のオメガネにかなうような人は……少なくともわたしは見たことがない。

 じゃあもっと年上の……と、おじいちゃん先生と眼鏡先生の顔が思い浮かぶ。

 おじいちゃんはさておくとして、眼鏡先生は……ありゃ草食系っぽいし無理だな。

 いやけど意外と合ってそうな気も……? などと、世話焼きおばちゃん的というか、ただただ失礼なことを思い浮かべるわたし。


「高望みしているとか、そういうことではないと思うのだけど……」

 話が一息ついたところで、ぽつりと呟くアゲハさん。

 彼氏がいないことを気にしてるというより、たぶん友達や家族から散々言われてるのだろう。

 そりゃわたしだって、言いたい。

 こんな美人を放っておいて、世の男どもは一体、何をしているのかっ!

 けどまあ。

「まー、無理に作る必要なんてないと思いますよ。わたしが言うのもなんですケド」

 そんなフォローをするわたし。

 まあ、これはお母さんから散々言われてることで。

 誠実に生きていれば、誠実なひとが寄ってくる、慌てなくて良い、って。

 それがお母さんの信念というか、まあ……言ってしまえば、お母さんがそれで失敗してるということなんだけど。

「そういうものなのかしらねえ」

 グラスに残っていたドリンクを飲み干して、さらに頬を染めながら、のほほんとした感じで答えるアゲハさん。

 あー、本気でどうでも良い感じだな、このヒト……

 ホント、もったいない。

 けどまあ、環境が環境だし……と。


「つーか、アゲハさん、聞きたいんですが」


 せっかくなので。

 勢いで。

 うちの大学のひと全員が知りたいだろうことを――訊いてみることにした。

 

「どうして――うちみたいな大学に、入学したんですか?」

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