16. にゃん子とドリンクバー①


 そして夕方。

 わたしたちが出会ったあの屋上で、アゲハさんと待ち合わせ。

 

 その前に、しいちゃんと会って、事情をぜんぶ話した。

 一緒に行こうかと誘ってみたけど、部活もあるし、にゃん子が誘われたんでしょと言われて、まあそっかと、とりあえず別れてひとりアゲハさんを待った。

 

 わずかに西の空が染まり始めた頃。

 茶トラと遊んでいたわたしの前に現れたアゲハさんは。

 本当に優しく穏やかな顔をしていた。


 茶トラと別れて、大学を出て、駅へと向かうわたしたち。

 自動車が流れる県道沿いの道を避けて、住宅街を並んで歩く。

 夕焼けを浴びながら、なんとなく懐かしい気分で。

 

 あのおじいちゃん先生は、まだ大学に居たらしくて。

 講師控え室というところで、ぼんやりしていたのだという。

 

 ――学生と先生という関係で、お話しをしませんか。


 アゲハさんはそう切り出して。

 戸惑った感じの先生を前に、さっき教室でしていた話の続きを始めた。

 アゲハさんはその会話の内容を、それなりにわかりやすく説明してくれて。

 まあそれでもわかんないトコはたくさんあったけど。

 

 ずっとずっと続けられるかのように、ふたりの話は盛り上がったらしくて。

 

 途中で切り上げて、次に会う約束をするときに。

 目を細めた先生は子供のようで、とても楽しそうだったと。

 アゲハさんはそのことを、本当に嬉しそうに、話してくれた――

 

 

 そして。

 そんな話をしている間に、大学の最寄り駅に到着するわたしたち。

 わたしの帰路とは逆方向に、つまり東京方面に向かって10分ほど。

 電車に揺られて、やがて降り立ったのは、すみっことはいえやっぱり東京都の駅っぽい、まあワイワイとした感じの駅前。けっこーな高層マンションもちょいちょいと見えて、なんかそっちの方に向かってアゲハさんと歩く。

 んで。


「このお店なのだけど」


 たどり着いたのは――路地裏にある、おしゃれな感じのバーの前。

 近くに飲食店がたくさんあるっちゃある場所なんだけど、ここは微妙にわかりにくいというか、狭い道に入ったとこに木製のドアだけがあって、周囲は灰色の壁。

 ドアの横にある白熱灯に照らされたレンガ色の看板には「ZELDA」というお店の名前が、すらっとカッコいい文字で書いてある。

 いやあ……お母さんが働く田舎のスナック(その名もポンタだぜ? ポンタ)とは、それこそ比較にならないっちゅーか、なんだかもう都会都会しててすげーなーと、それにこんなお店を選ぶアゲハさんもすげーなー、と。

 まったくガキみたいな感想だと自分自身に呆れつつ。

 それでも素直にわっくわくしながら、アゲハさんの後に続いて店に入った。

 木製のシックな感じで統一された、暗くも明るくもない印象。

 古い映画でよく見るような、黒いベストを着たバーテンさんがシェイカーでも振ってそうなカウンターの内側にある棚には、ずらっとお酒のビンが並んでいて、なんかもう大人の店って感じだ。

 まだ時間も早いせいか、お客さんはいなくて、けどひとりだけ……


「アゲハちゃん、お誕生日おめでとぅー!」


 妙に鼻にかかった甘ったるい感じの、でも、明らかに……男性の声をあげながら、金色の長い髪を振り乱して、駆け寄ってくるひとがいた。

 アゲハさんの前に立つなり、その細い手をぎゅっと握りしめ、満面の笑顔を浮かべるそのひとは、特大Lサイズの真っ赤なワンピースを着ていて……身長、というか、身体の大きさがわたしの2倍以上はあるんじゃないかと思うほどの巨漢の男性……

 というか女性?

 まあ一言で言えば、でっかいオカマさんだった。

 

「ありがとう、ゼルさん」


 手を握られたまま、優しい声で返すアゲハさん。その横顔を覗き込むと自然な感じで微笑んでいたので、どうやらこのオカマさんとは、本当に仲が良くて、この店にも通い慣れているのだろうことがわかる。

 んでオカマさんは、わたしの方を見て。


「ええと、あなたがアゲハちゃんが言ってたお友達……?」


 そのぶっとい首を傾げながら訊く。どうやらアゲハさんは、わたしを連れてくることをあらかじめ連絡していたらしい。けど……


「ずいぶんと可愛らしい子ねえ」


 その言葉に思わず、えへへ、と、頬を緩めるも。

 あ、違う意味か……と、気づいたのは、ほんのわずか後のこと。


「――私と同じ年よ」


 アゲハさんが、すっと、鋭い声でそう言った。

 え? と、声をあげてしまいそうになって、そこで気づいた。


「だから、大丈夫」


 じっとオカマさんの顔を見ながら、アゲハさんは言う。

 しばらく沈黙。

 それで急に、ぷっ、と鼻で笑ってから。


「はいはい、大丈夫なのね。一応、席はとってあるわよ」


 オカマさんは苦々しい表情を浮かべながら、それでも愉快そうな感じで背を向けると、わたしたちを奥の方へと誘い入れる。

 外の感じから受けた印象と比べると、お店の中はだいぶ広くて、カウンター席の他にふたりがけのテーブルがいくつも並べられていた。

 わたしたちが案内されたのは、少し奥まったところというか、壁があるせいで周りの視線があんまり届かない席。


「私はゼルダ。ゼルって呼んでね」


 よいしょとわたしがアゲハさんと向かい合う形で椅子に座ると、オカマさん改めゼルさんはそう告げた。

 それで。

「あなた、お名前は?」

 と、わたしに訊く。

「あ、えっと、山田、ねここ……」

 とっさにそう答えるも、少し、思うところがあって。


「にゃ、にゃん子です……」


 本当の名前に、言い直した。

 けどやっぱり恥ずかしいというか、緊張して変に鼓動が高まってしまう。

「あら?」

 ゼルさんが不思議そうに首を傾げたので。

「……本名ですよ。ネコに子供の子で、にゃんこ、です」

 そう付け足す。

 少し驚いたような表情を見せるも。

「可愛らしくて、良い名前じゃない」

 にこっと、微笑むゼルさん。

 なんかこのひと、改めてじっと見ると、良い顔立ちをしているというか。

 年齢不詳な感じで、ずいぶんと太め体型だけれども。

 たぶん若くてやせてた頃は、結構な美男子だったんだと思う。

 そんなある意味失礼な想像を膨らませながら。

「ありがとうございます」

 わたしはちゃんとした笑みを浮かべて、そう返事をした。

「にゃん子ちゃんと呼んでいいかしら」

 ふふっ、と、自然な感じで笑うゼルさん。

「ぜひぜひ」

 ま、こういうとこで働いてるってことは、今までたくさんの人と話してるだろうし、キラキラネームと出会うことだって、そんなに珍しくもないだろう。

「それで、ご注文は?」

 さっと話を切り上げる感じで、ゼルさんは机に置かれた小さなメニューを開いてくれた。

「レッドアイ」

 アゲハさんはメニューを見ることもなく、そう告げる。

「お食事は?」

「そうね、軽めで、適当にお願い」

「了解、にゃん子ちゃんは?」

 そう訊かれたので、わたしはメニューをじっと見ながら答えた。

「オレンジのやつを、ください」

「ん……? オレンジのやつ?」

「はい、そうです」

「やつって……?」

「やつはやつです」

 わたしはゼルさんからわずかに視線をそらせながら、そう伝える。

「……はいはい、わかったわよ。まったく」

 ゼルさんは苦笑いを見せると、くるりと背を向けた。そしてカウンターの中へに入ると、その大きな身体で所狭しとわたしたちの飲み物の準備を始める。

 その様子をしばらく眺めていたわたし。


「にゃん子さん」


 名前を呼ばれて振り返ると、アゲハさんが妙に嬉しそうに微笑んでいる。

「? なんですか?」

「いいえ、なんでもない」

 そう言うも、くすくすと、わたしの正面で頬杖をつきながら、やっぱり変な感じで笑う。そのスーツ姿も相まって、かっこいい社会人の女性といった雰囲気をかもし出しているアゲハさん。

 ゼルさんとわたしのやりとりが、そんなにおかしかったんだろうか?

 むー、と、背筋を伸ばす。

 わたしにとっては少し背が高めの椅子の上。

 両脚をぶらんぶらんさせながら、不審がっているうちに、ゼルさんが戻ってきた。

 両手には、ドリンクがなみなみと注がれたグラス。

 さっと慣れた手つきで、わたしとアゲハさんの前に置いた。

 わたしは、くんくんと、犬のように匂いを嗅ぐ。

 うん、これは間違いなく……オレンジのやつだ。

 よかったよかった、わたしの高度な暗号による注文はきちんと伝わったらしい。

 わたしはゼルさんに、ぱちりぱちりと、下手なウィンクを飛ばす。

 呆れ顔で笑うゼルさんは、一度カウンターに戻って、そしてすぐに戻ってきた。

「最初だけ、私にも乾杯させて頂戴な」

 その大きな手には、ウイスキーの瓶とちいさなショットグラス。

「もちろん、喜んで」

 アゲハさんが微笑むと、ゼルさんはとくとくとウイスキーを注いだ。そしてショットグラスを指でつまむ。同時に、わたしとアゲハさんもグラスを手に取った。

「それでは、アゲハちゃん」

 言って。


「お誕生日おめでとうー!」「おめでとうございまーすっ!」


 きぃんと、3つのグラスが素敵な音を響かせた。


「……ありがとう」

 

 なんだか照れ臭そうにはにかむアゲハさん。

 その柔らかそうな唇をグラスに当てて、こくりとその赤い液体を口にする。

 わたしもゼルさんもちょいっと飲んでから、ぱちぱちと拍手をした。

 んで、ふうと、一息ついて。

 ゼルさんはくいっと飲み干すと、ごゆっくりといった風に、ささっとカウンターの方へと戻っていった。

 アゲハさんと仲良さそうだし、せっかくの誕生日。

 お喋りしたいこともあると思うんだけど、ま、そこはわきまえてるといった感じ。

 わたしもこういうお店でのお客さんへの対応は、よく知っている。

 だからこそ、良いお店だなあ、と、改めて思った。

 雰囲気はすごく良いし、内装もかっこいい。音楽もきれいなピアノ曲。

 今はとても静かだけど、たぶんお客さんが入っても落ちついた感じなんだと思う。

 アゲハさんがここに通っているらしいのも頷ける。

 ……なんだけど、まあ……えっと、ひとつだけ、大問題が。

 わたしは目の前のアゲハさんに向かって。

「えっと……ゼルさんはアゲハさんの年齢を……知ってるんですか?」

 こっそりとそう尋ねる。

「ええ」

 当然のように肯定するアゲハさん。

「……いいんですかね」

「何か問題でも?」

「いえ、だって、その」

「私は今日、初めてお酒を飲んだのよ?」

 しれっとした表情で、グラスを傾けるアゲハさん。

「……はあ」

 わたしも苦笑いしながら、こくりと自分のを飲む。

「にゃん子さん、あなたこそ……飲みなれている感じね」

 わずかに首を傾げながら、ふふ、となんか大人な感じで。

「いえ、まあ……お母さんの仕事が、そーゆーのですし」

 ゆーてもまあ、さすがに高校生のときは飲まなかったけども。

 高校の卒業祝いでちろりと、大学の入学祝いでごくりとやった程度である。

 それはお母さん公認で、大学生になるんだから飲みなれておかないとって忠告されたからであり、まあ特訓というやつだ。

 ただお母さん自身は、大学生がどんな生活を送っているかなんてちゃんと知らなかったわけで、お店のお客さんから聞いたとか、まあテレビドラマとかで見た勝手な印象なんだろうけど。

 実際、結局は入らなかったけどサークルの新歓コンパと、あと一回だけしいちゃんに誘われて、女子テニス部の先輩たちと、ごくりごくり、ぷっはー、うわーい、と飲む機会はあったわけでして。

 何を飲んだかは言わない。煮え湯かな。


「――ここには、よくご飯を食べに来るのよ」


 と、アゲハさん。

 言われてメニューを見ると、なるほどバーにしては(って、あんま知らんけど)、おつまみの種類が豊富というか、がっつりいけそうなものまで揃ってる。

 お母さんのお店みたいに営業努力の結果とか、別にそういうわけじゃないだろうけど、なんだかシンパシーを感じる。

 とか勝手に感じてるうちに、ゼルさんが料理を持ってきてくれた。

 揚げたパスタのやつとポテトサラダ。

 とりあえずのおつまみということらしいけど、うん、普通においしい。

 ポテサラにチリソースがよく合ってる。今度うちでも試してみよう。

 うんうんと頷きながら、じっとアゲハさんの顔を見上げて。

 んで、ばっちりと目が合った。

 

 さて、何を話そうか?


 まー、今日は色々あったけど、会ったばっかりっちゃばっかりだし、お互い自己紹介とかするのがスジなのかなとは思うけど。

 わたしのことなんかは、あのとき屋上で、隅から隅まで話しちゃった感じだし。

 じゃあそれなら、わたしがアゲハさんのことをネホリハホリ訊けばいいかっつーと、それはそれで失礼な気もするし。

 つーことで。

 なんか適当な話題から、適当に話を広げていくことにしよう。

 お酒の席の話なんてそんなもんだろう……って、違う。煮え湯の席。

 なんだそれ、熱湯風呂か?

 押すなよ押すなよって、どしゃーん! かんぱーい!

 ごくりごくり、って、それ飲むんかーい!

 

 ……うーん、やばい。すでにオレンジのやつが回ってきてる気がする。


 まあ、さておいて。

 今からわたしはアゲハさんと雑談を始めることにする。

 なお中身はまったくない。

 無駄に無意味にダラダラと、まさに無駄話というやつである。

 話の切れ目は、再び「かんぱーいっ!」の声があがるとき。

 なのでそれまで、ずいずいっとスキップして頂いて一向に構わないです。はい。



「――紅白歌合戦ってダサいですよね」

「なんの前触れもなく、年末の大イベントをいきなりディスらないで頂戴」

「だって歌合戦ですよ?」

「ソングバトルでしょう?」

「なんでも英語にすればカッコいいってもんでもないでしょうっ」

「歌を武器にして戦うとか、カッコいいと思うのだけど」

「まあアニメとかでありそうですけどね。特殊能力を持つ歌で、ほげー、と」

「そういえば、にゃん子さん、知ってる?」

「何ですか?」

「特定の周波数を持つ音波をニワトリに当てると、その頭蓋骨が爆発するらしいの」

「どうしていきなりそんなグロい話題を……」

「いえ、高校のときに物理の先生から聞いた話を思い出したのよ。海外のとある養鶏農家で、ある朝、放し飼いにしていたニワトリが突然全滅していた。原因を調べたところ、近くにあった工場が、最近、設備機械を入れ替えていて、その機械が放っていた音波というか超音波が、ニワトリの頭蓋骨の固有振動数と一致していた」

「はあ」

「結果、ニワトリの頭蓋骨がブルブルと震えて……ぱりん、ぱりん、と」

「ひいっ」

「けどね、話を聞いたあと、ウェブで調べてみたんだけど、そのような事例は見当たらなかったのよ」

「その先生が嘘をついてたってことですか」

「先生が嘘をつくわけないでしょう」

「そうですか?」

「そうよ、先生とは人を導く崇高な存在なのだから。嘘なんてつかない」

「言い切りましたね」

「私はそう信じている」

「わたしの高校のときの先生、女子生徒に手を出してクビになりましたけど」

「自分に正直な方だったのでしょう」

「校長先生はカツラかぶってましたよ」

「あらそう、ではこれからは、先生は嘘つきだという信念を貫くことにするわ」

「ずいぶんと行き当たりばったりな信念ですね……」

「失礼ね、アドホックと言って頂戴」

「アドホックってなんですか」

「その場しのぎの」

「だから英語にしたらカッコいいってわけじゃないですよっ!」

「ラテン語なのだけどね」

「知らないです」

「けれど、その話を聞いたおかげで、私、骨伝導ヘッドフォンがひどく恐ろしく存在に思えてしまうようになってしまったの」

「骨伝導って耳に入れないで聴けるやつですよね。友達が持ってましたよ」

「そう、頭の骨を振動させることで音を聴く装置。けれど、もし……聴いている音楽に、偶然、人間の頭蓋骨を破壊するような音が含まれていたとしたら……」

「ひいぃぃ」

「紅白歌合戦」

「……年の瀬にそんなグロイ番組は見たくないです」

「裏番組で格闘技はやっているけれど」

「じゃあ、そっちで歌合戦しましょう」

「なるほど、長期にわたって活動してきたのに喧嘩別れしたアイドルグループが、紅白には出場せず、そっちで血で血を洗うソングバトルをするのね」

「やめてください」

「そうさ、ぼくーらーはー」

「歌うなぁぁ!」

「せーかいにー」

「やめろぉぉぉ」

「なによ、歌わないと勝てない相手だっているのよ?」

「え?」

「エンディングまで泣くんじゃない」

「はい?」

「ゲームの話」

「ゲームですか、アゲハさん、ゲームやるんですね」

「ええ、得意分野」

「へえ……なんか意外」

「にゃん子さんは?」

「スマホのやつならたまにやりますよ。猫を積んでくやつとか」

「あら、あれ面白いわよね。可愛いし」

「ええ、もう10年プレイヤーです」

「10年前にスマートフォンはあったかしら……?」

「リアルゲームですから」

「りある」

「積むんです」

「積むのね」

「こうやって」

「なるほど、そうやるのね」

「5匹が最高記録です」

「すごい」

「世界記録は10匹です」

「記録を塗りかえるために頑張らないと」

「嘘なんで頑張らないですけどね。アゲハさんは何やるんですか?」

「ファミコン」

「え?」

「知らない?」

「いえ、名前は知ってますけど……昔のゲーム機じゃないんですか、それ」

「そうよ」

「ファミコンのゲームが好きなんですか?」

「ええ、ファミコンのゲーム以外はやらないの」

「はあ、なぜに」

「昔、言われたのよ。ゲームの面白さの基本はファミコンである、ファミコンの面白さを超えてはいけないんだ、って」

「誰に言われたんですか、そんなこと」

「海原雄山」

「それ漫画の料理の人じゃ……」

「ではなくて、私の母よ」

「お母さんですか……? えっと、なんでしょう、変とは言いませんけど……」

「いえ、変な人ではあると思うわよ」

「って、あれ、猫を積んでくやつは? やったことあるんじゃないんですか?」

「友達が遊んでいるのをずっと見ていたの。じいっと、勝手に後ろから」

「それ、迷惑なんじゃないですかねえ……」

「失敗して崩れたら、あーあー、とため息をついてみたり」

「ヤなやつじゃないですか」

「良い子だったわよ?」

「アゲハさんがですよ」

「それを何回か繰り返していたら、その子、ニコニコしながら私に言ったわ――自分でやれ、って」

「でしょうね」

「けれど、私には、ファミコンのゲーム以外はやってはいけないと、そんなルールが決められていた」

「ルールって……誰がそんなことを決めたんですか」

「母よ」

「言っちゃあれですけど、やっぱ変なひとですね」

「遊びに関することだけはうるさい人なのよ。あれをやりなさい、これをしてはダメとか。勉強をしろとは一度も言われたことはないのだけど」

「それはいいお母さん……なのかな?」

「まあルールを破ったからといって、怒るような人でもないけれど」

「なら別に」

「けれど、そんな些末なルールだからこそ破るのも癪じゃない?」

「はあ、わかんなくもないですが……じゃ、猫を積むゲームは諦めたんですね」

「いいえ」

「ん?」

「自分で作ったの、ゲームを」

「おおぅ?」

「そんな、初めて自動車を見たおじゃる丸みたいな顔をしなくても」

「人の顔をアニメキャラで例えるのはやめてくれませんかねぇ……」

「ごめんなさい。初めて雪景色を見たマンチカンみたいな顔をしなくても」

「えへへ」

「ちょろいわね、あなた」

「いや、わたしはともかく……えっと、ゲームを作ったんですか?」

「ええ」

「アゲハさんが?」

「そうよ」

「プログラムってやつですか?」

「そうね」

「いつですか」

「中学生のころ、夏休みに頑張ったの」

「……女子中学生でもゲームって作れるもんなんですね」

「小学校のプログラム教育が必修になるかもしれないご時世よ?」

「はあ、なんかすごい人たちが、すごいコンピュータを使って作ってるイメージしかなかったもので」

「それはまあ、市販されているものを作っている方々はすごいと思うけれど、私はそこまで大したものを作ったわけではないわよ」

「なるほど、で、なんのゲームを作ったんですか」

「だから猫ちゃんを積み上げる」

「ああ、そっか」

「それをファミコンで」

「……え」

「だって、ファミコンのゲームじゃないとルールを破ることに」

「アゲハさんが何だかんだでお母さんを尊敬してるっぽいのはわかりましたけど、えっと、ファミコンのゲームを作るってどういうことですか……?」

「ファミコンだってコンピュータの一種なのだからプログラムを組めば良いだけ。とはいえ、やっぱり昔のものだから、今みたいに作りやすくはないというか、アセンブラという少し難しいプログラム方法を勉強しないといけなかったけれど、それはそれで面白かったわよ。猫ちゃんのドット絵を描くのも楽しかったし。それでエミュレータと呼ばれるパソコン上の環境では思い通りに動くようになったので、ロムライターという装置を買ってきて、カートリッジの作成をしようとしたのだけど、母に『そこまでしなくていい』と呆れた感じで言われたのが、夏休み最後の日だったかしら」

「丁寧な説明ありがたいんですが……何言ってるか全然わかんないっす」

「すごい頑張ったということよ、不眠不休で」

「お肌に悪いですよ」

「お肌よりゲームでしょう」

「女子としてどうなんですか、それは」

「でも楽しいことは、楽しいじゃない?」

「まあ、言いたいことはわかりますが」

「楽しいことは全力で」

「なるほど」

「楽しくないことも全力で」

「常時全力ですね」

「フルパワーアゲハよ」

「たまには休んだ方がいいですよ」

「おやすみなさい」

「おやすみなさい」

「とめないの?」

「お肌のために寝てください」

「私と話をしたくないの?」

「したいですけど」

「お肌と私、どっちが大事なの?」

「まるっとアゲハさんです」

「ありがとう」

「でもお肌も大事にしてくださいね」

「ところで、そのスクリュードライバー、ひとくち頂けない?」

「これはオレンジのヤツですよ? もちろん良いですけど」

「ふむ、美味しい、けどちょっと薄いわね」

「え、そうですか……? って、アゲハさん、もう結構、酔ってません?」

「大丈夫」

「はあ」

「大丈夫だから」

「……今後、アゲハさんの大丈夫は信じないことにします。でも、ホントに大丈夫なんですか?」

「家、ここから近いから」

「って、さっき来る途中に言ってましたね。一人暮らし、うらやましい」

「うらやましいの?」

「あれ、よくないんですか?」

「逆に訊きたいのだけど、にゃん子さんは一人暮らしをしたいの?」

「あー、いえ、わたしの場合、家が田舎で大学から遠いのがヤなだけで、お母さんと猫たちと離れて暮らしたいってわけじゃないですねえ」

「でしょう?」

「ふむ、アゲハさんも家族と離れて暮らしたくはないと」

「そうねえ……けど、どうなのかしら……ひとり立ちしたいという気持ちは大きいと思うのだけど」

「なるほど、複雑な気持ちなんですね」

「そんなところね」

「ああ、でも、料理苦手なんでしたっけ?」

「得意よ?」

「……あれ? そんなフリがあったような」

「私にできないことなんて何もないわ」

「言い切りましたね」

「猫ちゃんを11匹、積み上げることだって」

「世界記録だ」

「そもそもね。何事もできるまでやり抜くというのが、私のポリシーだから」

「うわ……すごいですねえ。けどもし、頑張ってもできなかったら、どうするんですか?」

「挑戦したことを忘れて、なかったことにする」

「現実逃避してるだけじゃないですか」

「やればできる子と、昔からそう言われ続けてきたわ」

「それは皮肉的な意味じゃなくて、正しい意味で正しいと思いますケド」

「けどね、料理に関しては確かにできるのだけど――美味しくないのよ」

「ん?」

「食材を買ってきて、料理をするでしょう?」

「はい、それで塩と砂糖を間違えるんですね」

「失礼ね。シュガーとサトーを間違えるくらいよ」

「間違ってないけど、間違ってますよね」

「シュガーとソルトをミステイクするじゃ、きっと、にゃん子さん、突っ込んでくれないでしょう?」

「ええまあ、同じボケをそう何度も繰り返されても」

「なら、間違ってないじゃない」

「あなた、全力で他人の突っ込みを意識して生きてるんですか」

「常識でしょう?」

「芸人の常識かもしれませんが、美人の常識じゃないと思いますよ?」

「それはあなたが今までに真の美人というものに出会ったことがないからよ。明日、またここに来て頂戴。真の美人が酔いつぶれて眠っているはずだから」

「家に帰って寝てください。つーか自分が美人であることは否定しないんですね」

「否定したら、にゃん子さん、怒るでしょう?」

「ええ、全力で」

「私ね、美人は美人でも、残念美人と呼ばれることを夢みているの」

「はあ?」

「それが、子供の頃からの、夢」

「嘘でしょう」

「はい」

「酔った勢いで適当なこと言わないでください」

「だって」

「だってじゃないです。子供じゃないんですから」

「その通り。自慢じゃないけど、今日から大人よ」

「そうでしたね、じゃあ、お祝いしましょうか。全力で」

「お願いしていいかしら」

「もちろんです。じゃあ、いきますよ」

「はい」

「せーの」


 かんぱーいっ! と。

 空っぽのグラスで乾杯したところで、次回につづく。


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