11. にゃん子と悪魔③ 月曜3限


 チャイムが鳴る10分くらい前に、授業は終わった。

 みんなが一斉に教室を出る準備を始める。

 ざわつき始めた教室。

 教壇に立つおじいちゃん先生が、ぐるりと見回して、大きく息を吐く姿が見える。

 そのまま手荷物を持って、立ち去ろうとしていたので。


「先生、すいませんっ」


 わたしはカバンを座席に置いたまま、急いで駆け寄って、声をかけた。

 先生は振り返り、無言のままこちらを見る。

 わたしは遠慮がちに正面に立つも。

「え、ええと……」

 呼び止めておきながら、言葉を詰まらせてしまう。

 ここまで近づくと、おじいちゃんの匂いがするのがわかる。

 なんだか懐かしいというか、そんな感じの。

 じっと、背の低いわたしを見下ろす先生。

 もちろん、こういう視線には慣れているんだけど……

 あれ……と、ちょっとだけ違和感を覚える。

 例えば眼鏡先生とか、まあ他の先生もそうだけど、学生を相手にするときは、なんか自分の子供でも見るかのような、それこそ年齢によっては孫の顔でも見るかのような……そんな目で見ていることが多い気がする。

 ちっこいわたしの場合は特に顕著な気もするけど、さておいて。

 このおじいちゃん先生は、何というか、ちょっと強張こわばった感じ。

 生徒に厳しいという先生、という印象とも違って……

「ええと、すいません。わたし、事情があって……先週まで休んでいたんです」

 緊張を抑えつつ、わたしはそう切り出した。

「事情とは?」

 授業のときとは少し違った、ゆったりとした口調で、淡々と返す。

「ええと、ちょっと複雑な、家庭の事情といいますか……」

 わたしがそう誤魔化すと、ふうむ、と、うなずいて。

「そうか。まあプライベートなことなら、別に話さなくて良い。出席点は微々たるものだから、期末レポートさえ、頑張れば、問題ないはずだ」

「あ……はい」

 そこで、気が付いた。

 このおじいちゃん先生、喋り方に妙なぎこちなさを感じる上に、話をしているとき、わたしの目からわずかに視線をそらしている。

 わたしのお母さんのお店、しなびた町のしなびたスナックには、ヤンキーっぽいお兄ちゃんから、隠居したおじいさんまで、色々な人が来て、わたしはそんな人たちと、昔からたくさんお喋りをしてきたわけだけど。

 そんな経験からなのか、直感したことがある。


 このおじいちゃん先生、表面的には隠しているけれど――相当な、人見知りだ。

 

 わたしはじっと、深いしわの入ったその顔を見つめたあと。

「ありがとうございます。それで、ええと、訊きたいことがあるのですが」

 首を少し傾げながら。

「――この授業って、今年から急に難しくなったんですか?」

 そう尋ねる。

「……ん、君は再履修か? 去年も受けたのかね?」

「あ、いえ、1年生ですけど、先輩からそんな話を聞いたので……」

「そうか……まあ、私も長いこと、この大学に通って、この授業をやらせてもらっているんだが、たまには少し、内容を変えてみようかと思い立ってね。大丈夫、期末レポートの問題は同じだから、先輩から過去レポをもらって、そのまま写せば良い」

「……え、それ不正なんじゃないですか?」

 わたしは思わず聞き返す。

「なあに、それもまた学生というものだろう。もちろん願わくば、写しながらもその内容は、しっかり学んでほしいものだがね」

 呆れたように苦笑する先生。

「はあ、そういうものですか……」

 わたしは返事に困りながらも。

「それと、すいません――もうひとつ」

 先生が手にしていた例の出席管理の機械を指さして。

 本命の質問を、口にした。


「――その機械で出席を取り始めたのも、今年からなんですか?」


 先生はわずかに驚いたような表情を見せながら。

「……ああ、そうだよ」

 そう答える。

「出席に関する規則が厳しくなったらしくてね。きちんと毎回、これを使って出席を取るようにと事務方から言われたんだ。とは言え、あくまで形だけであって……」

 話しながらも、先生の視線がすうっと、わたしの後方へと動いた。

「そうですか、ありがとうございます。それで、ええと」

 なかば無理やり先生の話を打ち切ると、わたしは振り返って。


「――こちらの方も、先生に質問があるそうです」


 と。

 わたしの近くまで来ていた、アゲハさんを指しながら、そう言った。

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