9. にゃん子と悪魔① 月曜3限
そしてわずかに時は過ぎ――
わたしにしても、アゲハさんにしても、大事なことを忘れていた。
出会ったそのときに、連絡先を交換しなかったこと。
けれど、それは、お互いにわかっていたからだろう。
あの屋上にいけば、いつでも会うことができるということを――
……って、ぜんぜん会えないんだけどっ?
美しく言ってみたけど、屋上にはいつも猫しかいないんだけどっ!
まあ、つーても、授業が終わったあとにささーっと、こっそり研究棟を登ってみたり(その度に茶トラは全力でモフった)、休み時間にあちこちでキョロキョロと見回してみただけだったりするんだけど、見当たらなかったのは確かで。
けど大丈夫。週明け初っぱな、今日この快晴の月曜日。
3限の授業で会えることはわかっていたから。
先週までは2限の授業だけ受けて、本屋のバイトに向かってたんだけど、今日からはシフトを外してもらった。
というか、授業があるならそっちを優先しろ! と、店長に怒られた。
怒られたついでにわたしは、とある人に誕生日プレゼントを贈りたいから、美人に似合う本を見繕ってくれと頼んだところ、店長は苦虫とチョコレートを一緒に噛み潰したような顔をしながら、何冊か本を選んでくれた。
一通り目を通したあと、どれもこれも麗しの姫君には似合わないと差し戻したところ、ぎゃーと怒鳴られて、んで、本じゃなくて、ブックカバーを薦められた。
布製のおしゃれかつ可愛らしいそれは、なんでも新製品らしく、ブックカバーとして使い飽きた場合は、なんと鍋敷きにもなる! という優れものだった。
……いやいや、そのコンセプトはどうなのよと思ったものの、まあ、相手の好みも知らないわけだし、丁度いいかもとお買い上げ。
家に持ち帰って、包装する前に、猫の刺繍を片隅に入れてみて、ちょっとだけわたしなりにしてみたりして。
――そんなこんなで、月曜3限、経済思想史。
しいちゃんとお昼を食べて、なんだか変に緊張しながら一緒に教室へと向かった。
第4講義棟、3階、431教室。
詰めて座れば200人くらい入れそうな、それなりに広い教室だけど、人はまばら。まだ休み時間とはいえ、わたしがちゃんと出席してた頃より、だいぶ人が減ってる気がした。
活気あるキャンパスと切り離されたような、妙にひっそりとした空間。
それはなんか、いかにも学び舎といった風で……
「あ」
教室、後ろの方、目立たない場所に。
ひとり座っている、スーツ姿の麗しき女性の姿が見えた。
離れていたけど、すっと目が合って、ただ表情はあまり変わらず。
それでも――なにか懐かしいものを見るかのような、優しい目を向けてくれた。
うわあい……なんか、どきどきしてきたぞ……
わたしの中で緊張モードが加速し、それでもなんとかゆっくりと、しいちゃんを引き連れて近づいていく。
「こ、こんにちは……こ、この席、座ってもいいですか……」
傍に立って、声を絞り出すわたし。
「もちろん、どうぞ」
優しく微笑むアゲハさん。
わたしの頭は焼かれたてのアンパンマンが如く熱を持ち、もうただただクラクラするばかり。
5人がけの長机、窓際に着座するアゲハさん。
ひとつずつ空けて、わたしが真ん中、しいちゃんが逆側に座った。
「――ええと、お誕生日。おめでとうございます」
おずおずしながら、わたしはお祝いの言葉を口にする。
「覚えていてくれたのね、ありがとう」
「いえいえ……」
で、プレゼント渡そうかなあと悩んでいる間に、アゲハさんの表情がほんの少しだけ、気まずそうな感じに変化したことに気がついた。
あれ……? と、ちょっと動揺したけど。
「あ、大丈夫です、授業中は静かにしてますから」
そう宣言すると。
「……それが普通だと思うのだけど」
わずかに苦笑。
「ですよねー」
あはは、と、笑いながらも、どうにもギクシャクした感じが拭えないわたし。
うーん……やっぱり美人すぎるというか、知的すぎるというか……
とても優しくて実は面白い人だとわかってはいるものの、それこそ有名な女優さんとでも話しているかのように、妙に緊張してしまう。
わたしとアゲハさん、その間の座席に猫でも置けば、一瞬で和やかな空気になるだろうに。
よし、明日から大学に来るときは、猫を持参することにしよう。
思い出の如くカバンにたくさん詰めこんで。
などと、あいもかわらず馬鹿なことを考えていると、少し前に座っている3人組の女子たちが、こちらをチラ見しながら小声で何か話していることに気づく。
この大学、特にわたしが所属してる学部は女子率が少し低かったりして、今、この教室にも女子は数えられるほどしかいない。
そんな場所に今まで出席してなかったヤツが現れたうえに、美人で孤高な令嬢に話しかけたりしたのだから、「あいつ誰?」と不審がってるのだろう。
ちなみにしいちゃんも、わたしとアゲハさんの関係がわからないからか、怪訝な表情を浮かべている。
ふむ、こういう場ならお互いに紹介した方がいいのだろうけど、わたしだって1回会っただけっちゃだけだし、仲良しヅラするのもどうなんだろなあ……などと。
変に悩んでいると、そのアゲハさんが、ふと思い出したかのように。
「――にゃん子さん、ちょっと教えて欲しいことがあるのだけど」
そこで始業のチャイムが鳴った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます