8. にゃん子と昼ごはん


「……小鴉先輩?」

 

 混雑している食堂の片隅、わたしの前の席。

 ふんわりとおいしそうなオムレツをスプーンで掬いあげたところで手を止めて、ちょうど良い感じの女子大生であるところのしいちゃんは、わたしの問いかけに首を傾げた。

 本名、椎名可奈子。

 可もなく不可もない、ちょうど良い名前である。

 いや、可はあるんだけど、まあ置いといて。


「2年生の美人さんでしょ? 超がつくほど有名人よ」

 ぱくりと頬張ってから。

「私は面識ないけど、でもほら、月曜の『経済思想史』で見かける、でしょ?」

 たっぷりと嫌みを込めて言うしいちゃん。

「あ、うん」

 深皿に盛られたカルボナーラをくるくると巻きながら、わたしは適当な感じでうなずいた。

 全面ガラス張りでお日様がよく差し込む食堂は、おいしい匂いで満ちていて。

 田舎高校のボロ食堂と比べたら天と地、猫とスッポンくらいの差があるわけで。

 高校三年の夏休み、オープンキャンパス巡りでこの大学に来たとき、ここでお昼を食べて感動したのが、決定打になったくらい。

 そのとき、しいちゃんたちと一緒に、他の大学にも行ったは行ったんだけど、違いがよくわかんなかったし、お母さんには「就職率が高い大学に行け」と言われてたんだけど、どこもあんまり変わらなかった。

 実際、この大学に来たときにも、個別相談会に参加して訊いてみたんだけど。

「一応、就職率は9割を超えていて、全国平均なみ」

 とか、そんな風に説明されて。

「けど、どーせ、就職先はみんなブラック企業なんですよねー」 

 などと、わたしの隣で笑ってたのは、例のギャルギャルしたマイフレンド。

 しいちゃんが慌ててたしなめてたけど、相談に乗ってくれていた大学の先生は、苦笑いを浮かべながらも。

「何をもってブラック企業というのかは、人それぞれというか微妙なとこだけど」

 いたって真面目な口調で。

「確かにうちは知名度の高い大学じゃないし、偏差値でいえば中の下だ。けどね、日本の高校生の大学進学率は、増えてきているとはいえ50%くらいなんだよ。すごく乱暴な言い方になるけど、学歴という、まあ企業が採用において重視すると言われている基準で考えれば、うちの学生は日本の若者のだいたい『真ん中』なんだって、そうも言えるだろう?」

 わたしたちの顔をじっと見つめながら。

「そんな子たちが全員、労働法を無視して奴隷扱いされるような企業にしか就職できないとか、やりがいのない仕事しか選択できないというなら――こんな国、とっくの昔に潰れていると思うけどね」

 などと、どうにも色々とぼやかした感じで言われたのを覚えている。

 けどそれを聞いて、わたしは「やっぱり大学には行った方がいいのかな」とか思ったし、一方、その子は「高校出たらすぐ働く」って決めたらしいし。

 まあ、そもそも大学に行く気はあんまり無かったみたいなんだけど、ただその結果がキャバ嬢というあたり、どうしてそーなったのか、いまいちわたしにゃわからないというか、まだちゃんと訊いてない

 んで、わたしはわたしで、その先生に。

「就職率は一応9割って言いましたけど、一応ってなんですかっ」

 とか。

「残りの1割は、どういった人たちなんですかっ」

 とか、そんなことをネホリハホリ尋ねた覚えがあるんだけど、まあちゃんと答えてくれて、最後に。

「当然なんだけど、結局さ。大学に入った後にどう頑張るかなんだよね。うん、君はなんか面白そうな子だから、きっと大丈夫だよ」

 とか言われて、終わった。

 ふむ、大学に入ったのに、わたし、何も頑張ってないな!

 改めてそんなことを思うも、正直、通学とバイトに時間を取られすぎて、頑張る時間がない。つーか、面白そうな子ってなんだよっ! 初対面の女子高生に向かって面白いって! しかも、なんかって! ちょっと話したくらいで、わたしの何がわかるっていうんだっ! それになんだよ、きっと大丈夫って、そのアヤフヤな評価はっ!

 などと、一年近く前の話に今更ムカつくわたし。

 ちなみにその先生は、偶然にもプレゼミの眼鏡先生であり、次に会ったときに文句を言ってやろうと、わたしがそんなことを固く決意している間に。


「才色兼備を地で行く人らしいわよ」

 

 と、端的に明確に、しいちゃんはアゲハさんを評価した。

「テニス部の先輩たちの話題によくあがっているし、2年生なら全員知ってるはず。なんでも入学式のとき、入学生代表として挨拶したそうだから」

「入学生代表、それはつまり」

「主席合格」

「ほほう……」

 やっぱり頭は良いんだなあ、と、思わずうなずくわたし。

「そのときにね。学長先生がものすごい褒めたらしいの。『この大学始まって以来の優秀な学生だ』とか、『身なりもしっかりしていて、社会人と見間違えるほどだ』とか、そんな感じで」

「なるほど、そりゃ有名になるわけだ」

 わたしたちの入学式だって、同じように主席合格のひとが挨拶したと思うんだけど、どんなひとだったとか全然覚えてないし。

 というか、アゲハさん、入学式のときに教職員扱いされたとか言ってたけど、あながち嘘でもなかったらしい。

 愚痴っぽく言ってた感じだったし、やっぱり嫌だったのだろう。

 壇上で注目を集めるアゲハさんが、すました表情で立ちながらも、内心はむすっとしていた姿を想像すると、なんだか微笑ましくなる。

「英語もペラペラらしいわよ」

 しいちゃんは続ける。

「小鴉先輩、国際教養学部でしょう? あそこはアジアからの留学生が多いけど、日本語が苦手な人も結構いるみたいで、そういう人たちに頼られてるみたい。留学生歓迎イベントをまとめたりもしてるらしいわよ。中国語も普通に話せるとか」

「……すごいな」

 なんか思ってた以上だ。

 しかし、だとすると――より深まる謎がひとつ。


「そんなすごいひとが……どうしてこんな大学に?」


 わたしのそんな問いかけに。

「さあ?」

 と、しいちゃんはわざとらしく首を傾げる。

「やっぱりそれを疑問に思って、本人に訊いたって先輩がいるんだけど……」

「ほう」

「何ともミステリアスに『――さて、なぜかしらね』って、それだけ言うと、貴婦人の微笑みを浮かべながら去っていったらしいわよ」

 言って、ふふ、と浮かべた奇妙な表情は、しいちゃん的には貴婦人の微笑みなのだろう。なんかひきつった感じだけど。

 わたしも負けずに、貴婦人の微笑みを作ってみる。

 くりっと目元を意識して、口をわずかに開けながら、頬をニコっと釣りあげて――

「……今のにゃん子の笑顔、どっかで見たことあるわね」

「ん」

 じいっと思案顔を見せてから。

「妖怪ウォッチが流行ったときに、よく見たわ」

「な……なんだとうっ!」

 ばんっ! と、机を叩くふりをして、小さくふんがーと怒るわたし。

 スルーして、黙々と昼食を楽しむしいちゃん。

 わたしはむすっとしながら、巻いていたカルボナーラを頬張る。

 つーか、ピカチュウの次は、ジバニャンか……

 ジバニャンも好きだからいいんだけど……いや、いくないけど……

 アニメの、しかも非人間キャラクターに例えられる19歳女子大生。

 ぜんぜん大丈夫じゃないと思う。

 いや……まあ、さておいて……

 本当に貴婦人のように微笑んだかどうか知らないけど、アゲハさんの返事は、彼女なりのジョークというか、答えるのを避けて誤魔化しただけだろう。

 すこし考えてみる。

 主席合格ってことは、わたしとかしいちゃんみたいに、面接と論述だけのAO入試を受けたわけじゃなくて、普通の入学試験を受けてきたのだろう。

 しいちゃん情報によれば、そういう人は大体がすべり止めというか、希望の大学を落ちて仕方なくこの大学に来てる場合が多いらしいけど……

 英語と中国語がペラペラって時点で、それこそ有名大学のAO入試でも合格できそうだし、そんなレベルのひとのすべり止めにしては、この大学のランクは低すぎる。

 よっぽどの事情がない限り、こんな大学に入学する理由は――


「……もしかしたら、何か事件が関係してるのかも」


 とか、勝手に想像してみる。

「え?」

「いや、こっちの話」

 実はこの大学には悪の組織が存在していて、探偵を夢見るアゲハさんは、その悪事を暴くためにこの大学に……っ!

 って、んなわきゃないんだけど、色々妄想してみるのも面白いかも知れない。

 にしても、わたしの妄想のランクが低すぎる気もするな……

 有名大学に通うような頭の良い人なら、もっとハイテクでハイソサエティな妄想ができたりするんだろうか……

「ところで、しいちゃん、性格は?」

「性格?」

「うん、そのコガラス先輩の、なんつーか性格的な評価。ほら面白いひとだとか」

「……面白い?」

 怪訝な顔を見せるしいちゃん。

「うーん……私が聞く限りだと、真面目で、大人びてて、口数も少なくてお嬢様みたいだとかで……面白いって評価は聞いたことはないけど」

「ふむ」

 いや間違いなく、アゲハさんは面白いひとだ。

 ちょっと話をしたくらいで決めつけるなと言われるかも知れないけど、このわたしが言うんだから間違いない。

 ただまあ、屋上でひとりで本を読んでいるようなひとでもある。

 群れてワイワイとするのを好むような性格ではないだろうし、わたしだってあの茶トラがいなかったら、たぶん会話が続くこともなく――今、しいちゃんが言ったような、彼女の一面しか知ることができなかったと思う。

 うん、茶トラに感謝しよう。今度また一生懸命もふもふしてあげよう。

「で、にゃん子」

 食事を終えたしいちゃんが、紙ふきんで口元を拭いながら訊く。

「その小鴉先輩が、一体どうしたのよ」

「ん、ちょっと色々と」

「何よ」

「まだ内緒」

「そ」

 わたしとしては、自分の周りで何かイベントが起きているとき、現在進行形の話をするより、最後まで終わってからまとめて話すのが好きなのだ。

 夏休みの日記も、最後の日にまとめて書いてたくらいだし。

 しいちゃんは、わたしのそういうところを知ってるから、特に不服な表情を見せる風もなく、それで終わりにした。

 けど、なんだろう。

 しいちゃんとは、小中高大とずっと一緒だけど、今みたいな先輩についての雑談というか、学校の人の話を、大学に入ってから初めてした気がする。

 昔は、先輩とか後輩とか先生とかの噂話で盛り上がってたような……

 改めて考えると、わたしは部活にもサークルにも入ってないから、2年生以上の人との付き合いがなく、ちゃんと話をしたのは、今日、アゲハさんが初めてだ。

 プレゼミを一緒に受けている女の子たちとは、ときどきスマホのグループトークで話したり、お昼を一緒に食べたりはするけれど、受けてる授業が違うから休み時間は教室を移動をするだけで、おしゃべりをすることはあまりない。

 もちろんホームルームなんてないし、担任の先生なんて存在しない。

 ただ授業を受けにきて、終わったらささっとバイトに向かうか、家に帰る日々。

 改めてぐるっと見回すと、食堂の中。

 田舎高校とは比べものにならないほど、たくさんの人がいて……

「しいちゃんが一緒じゃなかったら、わたし……どうなってたんだろ」

「ん?」

「うんにゃ、なんでもない」

 そう一日に何度も弱気になってたまるもんかと、悩みを聞いてくれたときのアゲハさんの顔を思い浮かべ、目の前のしいちゃんの顔をチラ見しながら、残っていたカルボナーラを全部頬張って、もぐもぐする。

 しいちゃんに相談しようと思ってた例のメールの件は、アゲハさんとの約束通り、まだ話してない。

 んで、今朝、英語の先生に怒られて教室を追い出されたことも。

 本当はそのことを愚痴ろうかとも思ってたんだけど……まあ我慢して、来週、素直にその先生に謝ろうと思う。

 勉強を頑張らなかったら、それこそここに来る意味なんてないし。

 そう、ここは、学び舎、なんだよなあ……と。

 わたしは小さく息を吐く。

 そして、買っておいた98円の杏仁豆腐をつるんと平らげて。


「うん、んまいっ!」


 とりあえず満足した。

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