6. にゃん子と探偵③


 猫か、悪魔か──探偵か。


「ええと……」


 返事に困る。

 そもそもわたしがこの屋上に来た理由って……あれ、なんだっけ?

 ……と、いやまあ、軽くボケてみただけで、流石に覚えてる。

 その3択でどれがいるのか見に来てやっただけ。

 どれかにひとつに用事があったわけじゃないっ!


 ん……いや、まあ……

 実際にはそれが理由じゃないことも、わかってる。

 わたしが、ここに来たのは……

 

「──私ね」

 女性はベンチに座ったまま脚を組みなおし、くす、と、笑う。

「探偵になりたいと思っていたの」

「え?」

 突然の告白に、わたしは面食らう。

 改めて観察せずとも、彼女は黒いスーツをびしっと格好よく着こなしていて、たぶん就活中の4年生。

 探偵事務所に就職したいとか、そういうことなんだろうか?

「──別に探偵事務所で働きたいとか、そういうことではないわよ?」

 わたしの顔を見ながら、念を押すようにそんな言葉を付け加える。

「昔の話。アニメで見た少年探偵に憧れていたの。『将来の夢は探偵さん!』とか、本気で言っていて、両親を困らせたのを覚えているわ。まあ、いつの間にか彼の年齢を超えていた頃には、そんなことは思わなくなっていたけれど」

「はあ」

 たぶんコナン君のことだと思うけど、この場合、彼の年齢というのは小学生と高校生のどちらをさすのだろう? 後者だとすると、結構いい年になるまで夢見てたということになるんだけど……

 そんな疑念はともかく、女性は真面目な顔で話を続ける。

「現実の探偵の仕事というものは、彼のようにミステリアスな事件を解決するものではなく、素行調査とか、浮気調査とか、そういった依頼を地味にこなしていくもの。けれど、ときには依頼者の相談を親身に聴いてあげて、その悩みを解決してあげることも仕事のひとつ──いえ、だからというわけでもないのだけれど……ええと」

 女性はそこで少し言葉を濁してから、じっと私の目を見つめて。


「もし、あなたが悩みを抱えているなら、相談に乗ってあげることもできるけど」


 そう言った。

「え……どうして、そのことを……」

 心の内側を覗かれたようで、思わずびっくりする。

 女性は眉尻を下げて、わずかに悲しそうな表情を見せながら。

「あなたがこの屋上に入ってきたとき、それと──私に気付かず、あの猫と戯れていたときの表情が、少し気になって……ね」

「……あ」

 まあ、その。

 わたしが落ち込んでたのは確かなわけで、それが思いっきり顔に出てたのだろう。

 茶トラと遊んでたときは、それこそ、この女性の存在に気が付かないほどに、はしゃぎ過ぎてた感もあるから、傍からすればカラ元気っぽく見えてもおかしくはない。

 ただまあ実際、茶トラと仲良くなって、それでこのなんだか少し面白いひとと出会って、気が晴れた感じはする。

 けど。

 わたしの悩みが解決したわけじゃ、もちろん、ない。

 この屋上にやってきたのは、自分ではどうにもできない悩みを抱えたまま、ただぼんやりとした気持ちで、何となく足が向いただけだった。

 我が家の事情。

 わたしの勉強のできなさ。わたしの──将来。

 英語の先生に怒られたことは今更どうでもいいけれど、それだって、あのメールのせいで寝られなかったのが原因なわけで。

 それこそ探偵のようにと言うなら、あのメールの差出人を探してもらうとか……いや、流石にそれは無理なお願いだろうけど、それでも、大学の先輩として相談に乗ってもらえるなら、渡りに船というか、気分的にありがたいことこの上ない。

 それに、とても頭がよさそうだから、大学のテスト対策の裏技とかも教えてくれるかも知れないし、これだけ美人なら恋愛経験も豊富だろうし、わたしの(将来の)恋の悩みとかも、ひょっとして聴いてもらえるかも……っ!

 何やら色々と期待して、変にワクワクした気持ちになってしまうわたし。

 こーゆーのを、災い転じて福きたると言うのかっ!?

 うんうんっ! と、ひとり腕を組み、天を見上げて頷いていると。


「──あなた、お名前は?」


 聞こえた女性のそんな言葉。

 わたしの全身はびくりと跳ねあがり、しばらく硬直する。

 やがて、ぎ、ぎぎ、と、まるでロボットのような動きで、女性の方に顔を向けた。

 いや、最近のロボットはスムーズに動くけども……

「ええと、もちろん、うちの学生よね?」

 女性の質問に、わたしは、こくんこくんと不自然にうなずく。

「あなたのことは何回か、駅で見かけた覚えがあるけれど」

「え」

「それに同じ講義、受けているわよね? まあ、最近教室で見かけないのだけど」

「あ、そ、それは……ま、まあ……その……」

 その講義とは、例のおじいちゃん先生のつまらない授業。

 要するに、わたしがサボっている授業なわけでして……

「け、けどっ」

 誤魔化すように慌てて言葉を返すわたし。

「そ、その……わたしのこと、覚えていてくれたんですね。お互い話をしたこともないのに……」

「それはまあ、あなた、とても可愛らしいし」

「あ……」

 普通のトーンで発せられたその言葉に、全身が急激に熱くなる。

 この場合の可愛いというのは、まるで子供のように可愛らしいという意味。

 年相応のほめられ方じゃ、ない。

 それは、わかってる。わかってるんだけど……

「顔、すごく赤いわよ」

「あっ……」

 思わず頬を両手で押さえて、バタバタとするわたし。

 そんな様子を見て、目を細めるその女性の表情は──さっきまでと違って、まるでお姉さんのような、優しい笑顔だった。

 うーうーと、うなり声をあげた後、わたしはさっと姿勢を正す。

「え、ええと……名前ですよね……」

 こほんと、わざとらしく咳払いをして、女性を見つめると。


「経営情報学科1年、さ、西園寺です……」


 そんな自己紹介をした。

 つい軽くボケてしまったのは、たぶん照れ隠し。

「西園寺さん」

「……ごめんなさい、嘘です。山田です。わたし」

 女性は、じいっと、イタズラをした子供でも見るかのように、わたしを見て。

「……なぜ嘘をついたのかしら。自己紹介という場で軽くボケてみましたなんて、確実にスベることくらい、常識として知っているわよね?」

 冷淡な、呆れたような声で、それでも何か変に具体的なお説教をする。

「それは、山田が没個性だからで……」

「全国の山田さんに謝りなさい」

「ごめんなさい、山田さん。ごめんなさい、わたし」

 青空の下、わたしはドギマギしながら、東西南北、四方に向かって頭を下げる。

 なんだこの展開。

「それで、山田さん」

 荘厳華麗な女性は何事もなかったかのように。

「下のお名前は?」

 そう尋ねる。

「ね、ねここです」

 嘘を重ねるわたし。

 というか、こちらはもう今まで何度も何度もつきなれた嘘で、自然と口から出てきてしまっていた。

「ネネココさん?」

 しかし文字まで重なってしまった模様。

「いえ、ねここ、デス」

「ネコに、子供の子?」

「ハイ、ソウデス」

「可愛らしい名前ね。『ネココさん』とお呼びすれば良いかしら?」

 わたしの名前を聞いて(それは世を忍ぶ仮の名前ではあるのだけど)、何も突っ込みをいれず淡々と流す人は珍しく、ますますドギマギしてしまったわたしは、つい長年の疑問を、質問として返してしまっていた。

「どうして『山田さん』じゃ、ダメなんですか……? わたしの呼び方……」

「え……? いえ別に、ダメということはないと思うけれど」

 わたしのトンチンカンな質問に、女性は小首を傾げながらも。

「……似合わないから、かしら」

 ぼそっと、冷静な表情でそうつぶやいていた。

 って、え?

「な、なぜに、似合わないのですか……っ!?」

 山田であるところのわたしに、山田という名前が似合わない?

 いやまあ、山田って感じじゃないとか、散々言われてきたのは確かだけど?

 こんな聡明そうなひとが初対面でそう思うなら、冗談じゃなくて、真実ってこと?

 真実はいつもひとつだけっ?

 アイアムヤマーダ、バット、ミスマッチヤマーダ!? ホワーイッ!?

「……はて、なぜかしら」

 腕を組み、細い指先を口元に当てながら、真剣に悩む様子を見せる女性。

 ベンチに座ったまま、じっと私の顔を見上げると「山田さん、山田さん……」とつぶやいて、目をぱちくりさせた後に「ネココさん、ネココさん……」とつぶやくと。

 そのまま少しうつむいて、ロダンのあの人っぽい姿勢で沈黙。

 そして突然、ポンと手を叩くと顔をあげ、何か宇宙の真理でも発見したかのような哲学的な眼差しをわたしに向けると、こう告げた。

「ピカチュウをネズミと呼ぶような感覚かしらね」

 ほう、なぁるほど。

 わたし=ピカチュウ、山田=ネズミ、か。

 ……ん? 

「ちょっと! 全国の山田さんに謝ってくださいっ!」

「……ごめんなさい」

 女性は立ち上がると、四方八方に向けて丁寧に頭を下げた。

 って、おおう……

「す……す、すいませんっ! わたし……つい……」

「いえ、キレのある良い突っ込みだったわよ。私も見習いたいくらい」

 変なところを評価された。

 というか見習われても困るし、このひとがキレの良い突っ込みをするとこなんて、見たくはないな……

「っていうか……わたし、ピカチュウ扱いですか。可愛いからいいですけど……」

「いえ、あくまで私個人の感覚というか……ネズミと言っても、ほら、可愛いネズミのことよ? ぬいぐるみ的な」

 などと、言い訳のように言葉を足す女性。

 いやしかしどっちにしても、わかるような、わからないような……

 うーん……と、余計に悩まされる羽目になった山田が似合わない女であるところのわたし、通称ミスマッチヤマダ。

 いや、わたしのことなんてどーでも良いんだ。

 つーかさっきから、女性とか、彼女とか、このひととか、そんな表現しかできないのが、なんともむず痒すぎるわけで。

 わたしは、きりっと再び背筋を伸ばすと、真面目な顔を作って。


「あの……お名前を教えてもらっていいですか」


 そう尋ねた。

「あ、そうね。ごめんなさい」

 申し訳なさそうに言うと、女性はわたしの前に立つ。

 いや、しかし……こうやって近くで、その立ち姿を観察すると、改めてすっげースタイルが良いことがわかる。

 脚細いし、腰なんかきゅっとくびれてるし。

 わたしとの身長差的に、わたしの視線の正面は、彼女の胸元になるわけだけど。

 それこそスーツの上からでもわかるほどの、形の美しさと──その大きさ。

 ロマンチックと嫉妬が止まらないにも程がある。

 このままぎゅっと抱き着いたら、すっごい気持ちよさそうだけど、いや、まあさておいて。

 今からわたしは、その彼女の名前を聞くことになる。

 それがどんなものだとしても、ほら、高貴な苗字であるところの山田をネズミ扱いされたんだ。くくくっ、変な風にいじってやろう。

 例えば、もし鈴木だったら「鈴木って苗字の人の数、全国で2位でしたっけ? 山田より圧倒的に凡庸な苗字ですよねぇ。そうそう。わたしが住んでる町に『ベルウッド』って名前の古ぼったい美容室があるんですけど、店長のおばさんの苗字が鈴木って言うんですよ。なんと直訳ですよ! うけるー」とか。

 もし田中だったら「田中って漢字、よく見ると四角形ばっかりで『これ漢字だったっけ?』って思うことありませんか? わたしが小学生のころ、クラスに田中由伸って男の子がいて、わたし、親友と一緒に彼の漢字をマス目としてうまく使った〇×ゲームを考案したりして。その田中君はどちらかというと無個性キャラで、その漢字もゲームのマス目と区別がつかないくらい無個性で。ま、田中なんて、結局その程度の苗字ってことですよねー」とか。

 まあ、三島とか、京極とか、西園寺とかだったりしたら、非の打ちどころがないので、ほめちぎってほめ殺しにするくらいか?

 いずれにしても、この女性、優しそうだし、根っこは面白いひとっぽいし、冗談として笑ってくれることだろう。高貴な人ほど冗談を好むらしいし、アメリカンジョークならぬ、シロガネーゼジョークだ……って、シロガネーゼ?

 シロガネーゼって、シロガネとかいう高級住宅地に住むマダムのことだっけ。

 ふむ、これだけ知的で美人であれば、そういう場所にこそ似合うのだろう。

 もしかしたら本当にシロガネに住んでいるのかも知れない。

 シロガネがどこにあるかぜんぜん知らないけど。

 しかしまあシロガネーゼってすごい言葉だよね。

 しろがねえぜ! ですよ?

 この場合はホワイトではなくキャッスル?

 用例っぽく言えば【朝起きたら(あったはずの)城がねえぜ!】ですよ?

 豊臣さんだか秀吉さんだかが、一夜にしてお城を築いたって話を、日本史の授業で(半分寝ぼけながら)聞いた覚えがあるけれど、それとは真逆な話なわけで。

 つまり一夜城の反対語は、シロガネーゼだったのだ!

 

 ……と、ここまで約3秒。

 ホント、変なことには頭が回るな……わたし。

 昨日、眼鏡先生が評価してたのは、こーゆーとこなのか……?

 などと、麗しき女性がその名を名乗るという大事な場面を、しょうもない戯言で埋めつくしている間に、その当人は。

 

「国際教養学部、2年」

 

 と、所属を述べたあと、つつがなく


 ──小鴉こがらすアゲハ


 と、そう名乗る。



 カラスのような漆黒の羽地。

 しかし、扇状に青と緑が美しく輝く──カラスアゲハ。



 その名前の可憐さと。

 直感的に思い浮かべた映像の美しさに。

 

 わたしの頭の中は、真っ白になってしまっていた。


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