第10話 業務終了 放課後の魔法使い

 

 とある中学校の職員室。

 

 職員会議もいつの間にか終わり、スガが先ほどのモンスターとのバトルに関する詳細説明という名の愚痴を二年職員に共有し終えた後のこと。


「るんるらんらるーん」


 甘めのコーヒーを飲みながら、スガはの鼻歌を歌っていた。

 教育委員会へと提出する書類も完了し、顧問である放送部の終礼が終われば、本日の業務は終了。奇跡的に明日の授業の準備も終わっている。つまり、帰宅できる。

 水曜日という、なんとも中途半端で疲労がたまりつつあるこの曜日に、早く帰宅できるというアドバンテージは大きい。

 自然と鼻歌も出るというものだ。


「らんららんらるーん」


 そんなご機嫌な魔法使いの鼻歌を聞きながら、ヤマウチも明日の授業の準備を終えつつあった。

 ヤマウチは科学部とは名ばかりの、『べっこう飴』を作って食べる愉快な部活動の顧問をしているが、本日は活動日ではない。

 ゆえに、19時の完全下校時間を過ぎたら速攻で帰宅しようと考えていた。


 念のために書いておくと、この中学校の定時、つまり業務終了時間は16時40分だ。つまり、16時40分を過ぎたら帰っても良い。

 ……はずだが、職員会議が終わったのは、17時30分。

 公務員である教員に残業代などという概念はないため、現在タダ働き中なのだが、それが当たり前なのが教員という職業である。

 そもそも業務時間内に仕事が終わるわけがないのだ。

 部活動の顧問など、もはや完全なボランティアである。休日全部を潰しても2000円程度のバイト代。やってられるか。

 

 と、愚痴を書きつつも、それでもヤマウチは、部活動の顧問自体は嫌いではない。

 そもそも『生徒の成長を間近で見ることができる』という教師の仕事は、むしろ好きだ。だが、その生徒と関わる時間を削ってまで行われる謎の雑務は、意味が分からない。

 ……結局、このルートはどのように舵を切ったところで、愚痴へと繋がっているようなので、ちょっと道自体を変えることにする。


「ねえねえ、ウッチー、今日早く帰れそう?」


 魔法使いがグルっと椅子を回して体ごとヤマウチの方を見る。


「そのつもりですね、このまま何もなければ」


 ヤマウチは、パソコンの画面に映っているカーソルを左上に動かし、印刷のボタンを押す。

 音を立てて、少し離れたところにあるプリンタから、英単語の小テストが排出された。 

 

「じゃあさ、じゃあさ、ご飯食べ行こうよ」


 と、スガが提案する。

 

「おごりですか?」


「なんで?」


「俺、後輩。あなた、先輩」


「えー……」


 スガは、机の一番下についている引き出しに入れている鞄から財布を取り出し、中身を確認しだした。

 

「いや、本気で言ってませんから。もし行くとしたら、俺も払いますよ」


 ヤマウチはそういうと立ち上がり、先ほど排出されたプリントを取りに行った。

 ミスがないかその場で確認すると、3クラス分印刷するために、職員室の隣にある印刷室へと向かう。

 職員室を出る前に、ちらりとスガを見ると、嬉々とした表情でパソコンを操作している。

 どうやら、今日行く店を探しているらしい。つまり、食事確定のようだ。


「カエル料理か……」


 なにやら不穏な単語が聞こえたような気もするが、気のせいということにして廊下に出ると、密閉された職員室とは違う、澄んだ外の空気が鼻から肺へと入りこむ。

 職員室も廊下も、同じ室内ということには変わりないが、やはり職員室という空間は異質だということを肌で実感する。

 

「ありがとうございましたー!」


 薄暗くなった運動場からは、終礼をする運動部の大きな声が聞こえてくる。

 生徒にとって、学校での一日が終わる。

 少し寂しくもあり、安心する独特の放課後の雰囲気を、まさか大人になっても体験しているとは、自分が中学生の頃は考えもしなかった。

 ガタン、ガタンと一定のリズムで小テストを吐き出し続ける印刷機に寄りかかりながら、ヤマウチはそんなことを考えていた。

 

「あ、ウッチーだ。お疲れ」


 骨格標本のルドルフ君に『お姫様だっこ』をされたままの人形遣いが、印刷室前を通りすぎる時に、室内にいるヤマウチに声をかけた。


「アスカイ先生、おつかれさまでーす」


 もう姿は見えない人形遣いに、ヤマウチは返事をする。

 カシャカシャと特徴的な足音が遠ざかっていき、ガラッと職員室のドアを開ける音が聞こえた。


 ガタン、ガタン。まだ、印刷はあと半分残っている。


 再び、ガラっと職員室のドアが開く音がした後、パタパタと慌ただしい足音がヤマウチの耳に届く。

 今にもコケそうな足音は……とヤマウチは人物を予想する。


「ウッチー! カエル料理に行こう! カエル!」


 印刷室へやってきたのは案の定、スガだった。

 

 ……あー、足音で判断できるとか、ちょっと気持ち悪くないか?

 などと、少し気になったりもしたが


「……カエル?」


 それ以上に気になることにかき消された。


「魔法使いっぽくない?」


 ああ、この魔法使いはそういうところがあるんだった。

 魔法使いっぽいという理由でフクロウのグッズを集めるし、魔法使いっぽいという理由で外に出る時はフードを深く被ったりするのだ。


「そんな理由で選ばないでください。ぶっちゃけ、カエル食べたいんですか?」


 …………


 目の前の魔法使いは、目線を上に向け、右手の人差し指をアゴに当てて少し首をかしげて、うーん、と唸った。素でそのポーズをとれるあたり、なんともあざとい。

 そしてしばし思案したのちに 


「……そんなに食べたくないかも?」

 

 と、笑顔でのたもうた。


 正直、言霊遣いのせいで明日の給食までは満腹感だけが続く。

 しかし、だからといって食事をとらないでいいというわけではない。

 今夜は携帯食などで済ませようと思っていたのだが、尊敬すべき先輩からの誘いであれば、喜んでお供するしかない。

 しかたない、しかたないのだ。

 決して、カエル料理が出てきた時の魔法使いの反応が見てみたいなどというわけではない。

  

「わかりました、カエル料理に行きましょう」


「ええ? なんで? 私食べたくないって言ったじゃん!」


「せっかく先輩が選んでくれた店ですから。行かないと失礼じゃないですか」


「だから、その先輩が行きたくないって行ってるの!」


「いやー、楽しみですね、カエル」


 印刷し終わったプリントを抱えると、ヤマウチは印刷室から出て、職員室へと歩き出す。


「ねえ、行かないよね? もっとほら、イタリアンとか? 先輩がおごっちゃうよ?」


 その後ろ姿を、慌てて追いかける魔法使い。


 とある中学校の、平凡な一日が、終わろうとしている。

 

 その平凡な一日の締めとして、ユカイな魔法使いの先輩と食事をする。


 それもまた、よくあることで特別ではない。


 明日は木曜日。


 時間割は異なるけれど、また水曜日と同じような一日になるだろう。


 今日も一日お疲れ様。





「……しかたない、こうなったら洗脳魔法で……」


「イ、イタリアン最高ですよね! 今日はイタリアン食べに行きましょう!」




――木曜日へ続く

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職員室の異能者共 むらさき @murasaki

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