第3話 人形遣いと言霊遣い

 とある中学校の廊下。

 三時間目と四時間目に連続して授業が詰まっていたヤマウチは、午前の授業終了を告げるチャイムが鳴ると同時に授業を終了し、職員室へと引き返えそうとしていた。

 ヤマウチが受け持つ二学年の教室は、四階建ての校舎の三階に位置している。ちなみに四階が一学年で、二階は三学年だ。

 どこぞの企業はその地位と比例して、自らが君臨する階層を高くする等と聞いたことがあるが、それはエレベーターという文明の利器があって初めて可能なものではないだろうか。

『百階建ての超高層ビル。ただし階段しかありません』

 という会社なら、絶対に一階か二階に社長室はあるだろう。

 今年創立六十年を迎えたこの古き好き木造建築の校舎には、当然そのようなハイテク機器が備わっているわけがない。

 つまり、校長室および職員室は一階となっている。

 その職員室にヤマウチがたどり着き、中に入ろうと扉に手をかけた瞬間、甲高い悲鳴が聞こえてきた。

 辺りを見回す。

 曲がり角がない廊下は非常に見通しがよく、その悲鳴の発生源が一階ではないということはすぐにわかった。

 せめて一分前に叫んでくれたのであれば、わざわざ階段を上がりなおす必要が無かったのに、などと考えながらヤマウチは引き返す。

 聞いてしまった以上、知らぬ存ぜぬではいられない。

 それは『困っている人がいたら、手を差し伸べてあげましょう』などという道徳的なものではなく、あくまでも教師という職の体面を保つための行動である。

 大抵、そんな緊急事態は起こらない。生徒同士がふざけあっているだけの場合がほとんどで、それに対して少し注意をすれば終わるだけの話だ。

 しかし、本当に何か問題が起こっていた際、それに大して迅速な対応をしたという事実がなければ、後々非常に面倒なことになる場合がある。

 生徒が報告に来てからでは遅いのだ。

 もちろん本当に異常事態が発生しているのであれば、早急に自体把握に努め、早急な問題を解決しなければならない。

 学習面だけでなく、生活面での安全保証をすることも教師の職務だ。

 ヤマウチは階段を駆け上がり、廊下を確認するが、二階、三階ともに異常なし。

 残るは一年生の教室等がある四階。

 そこでヤマウチはある可能性を考える。

 もしかして、『あの』恒例行事なのかもしれない、と。

 四階へとたどり着き、人集りを作っている生徒たちと、その傍らに立つ一人の女教師の姿を見て確信した。

 今日から一年生に転校生が来たこと。

 そして、一年の理科を担当するアスカイが、午前中は出張のため学校に来ていなかったこと。

 この二つが化学反応(理科だけに)して発生したのが、あの悲鳴だったのだ。

 ヤマウチは近づき、人集りの中心を確認する。

 一人の女子生徒が気絶して廊下に倒れていた。

 案の定、女子生徒はこの学校指定の制服を着用していない。

 転校生だ。

「ヤマウチ先生、ナイスタイミング」

 アスカイは無表情のまま、ヤマウチに向けて親指を立てた。

 彼女も当然、どこぞの魔法使いのせいで、職員室ではヤマウチをウッチー呼ばわりしているが、さすがに生徒の前では自重してくれたようだ。

 父親がフランス人の彼女は、その血が容姿に濃く現れている。

 白い肌、金色の髪、青い瞳。

 フランス人形のような美しさは人目を引き、生徒にも人気がある。

「原因はなんですか……? あー、大体予想はできますけど……」

 周りに集まっている生徒の二人に、保健室から担架を持ってくる様に指示を出した後、ヤマウチはアスカイに尋ねた。

「……ルドルフ君を見て、倒れた」

「……でしょうね」

 アスカイにはその容姿の他にもう一つ、生徒たちの目を釘付けにする特徴があった。

 それが、ルドルフ君の――アスカイがルドルフ君と名づけている『骨格標本』の存在である。

 アスカイを常に『お姫様抱っこ』しているルドルフ君の存在に比べたら、アスカイの美貌等さほど印象に残らないのではないだろうか。

 人形遣い――アスカイが人形だと『認識』したものを自在に操る事ができる能力。

 アスカイはこの能力を常時発動し、骨格標本のルドルフくんに常に抱っこされたままで一日を(プライベートの事はヤマウチにはわからないが)過ごしている。

 生徒たちの間では、自分の足で立っているアスカイを見たら願い事が叶う――等という噂が広がっていたりもする。

 ちなみにアスカイがこの学校に赴任して来てから、新しく増えた七不思議

『放課後にフォークダンスを踊る人体模型と二宮金次郎像』

の原因は、言わずもがなアスカイの仕業である。

 とにかく、転校初日という緊張の中、なんとか午前中を乗り切り、やっと人心地ついた女子生徒が、出会い頭の骨格標本に驚き慄き気絶した所で、誰がそれを責められようか。

「事前に説明してなかったんですか……?」

「してた……はず……?」

 アスカイは、その細く白い首を傾げる。同時にルドルフ君も同じ仕草をしている辺り、もしかしたらルドルフ君は、アスカイの精神とリンクをしているのかもしれない。

「まあいいです。後で保護者の方に連絡入れといてくださいね」

「りょーかいー」

 アスカイとルドルフくんが、ヤマウチに向けて二度目のサムズアップをしたと同時に、担架を持って生徒が戻ってきた。

「あー……どうしようか……」

 転校生を担架に乗せるために、彼女の体を持ち上げようとして、ヤマウチは動きを止める。

 可能であれば女子生徒の体には触れたくない。

 それは嫌悪しているわけではなく、セクハラ的な意味で。

 やっぱりいるところにはいるのだ。

 いわゆるモンスターペアレントと呼ばれる類の親が。

 今回の場合、ヤマウチが女子生徒を抱きかかえ、担架に乗せたところで全く問題は無いように思える。

 しかし、学校には多数の女性教師が勤務しているのに、なぜ男性であるヤマウチが女子生徒に対し、そのような行動をとったのか。等と言いがかりをつけてくる親もいるのだ。

 しかも、鬼の首を取ったかのように、喜々として。

 もちろん、この転校生の親がそうだとはいわない。というか、ヤマウチは知らない。

 しかし、今この場でヤマウチの行動を目撃した生徒が、またはそれを友達から聞いた生徒が、自分の親に何気なくその事を話したとして……

 極々僅かな可能性ではあるが、無いとは言い切れない。

 火の無い所に煙はたたぬ。だから僅かな火種でも残さないほうが良いのだ。

 しかしこの場でぐだぐだとしていた所で、今度はなぜ迅速な対応をしなかったのだ、という非常に扱いやすい燃料を与えてしまう可能性もある。

 さて、どうしたものか。

 一番楽な解決手段は、この状況を招いたアスカイに頼むというものだが、残念ながら彼女の手足の代わりとなっているルドルフ君の両手は、彼女を抱っこするために塞がっている。

 それならば、アスカイが一度ルドルフ君から降りて、彼女なり性別不詳のルドルフ君が転校生を担架に乗せればいい――とはならない。

 その選択肢は存在しない。

 アスカイがルドルフ君から降りる事はありえない。

 何故かと問われても、そういうものなのだと答えることしか出来ないが。

 生徒たちの間では、アスカイがルドルフ君から降りたら世界が滅びる――とも噂されているのだ。

 願いが叶うか、世界が滅びるかのフィフティー・フィフティー。

 こんなことで世界を終わらせるわけにはいかないだろう。さすがに。

「あれ? ウッチーどうしたの?」

 渡りに船。大海の木片。蜘蛛の糸。

 生徒の前でヤマウチのことをウッチーと呼ぶ教師は、一人しかいない。

「スガ先生、ナイスタイミング」

 状況を察したスガはすぐに、他の生徒(もちろん女子)の手を借りながら、女子生徒を担架へと乗せる。

「ウッチー、そっちよろしく」

 頭の方をヤマウチが担当し、スガと声を合わせて持ち上げた。

 基本的に担架で運ぶ際は、足側を前にして進むのだが、階段を下るときは、頭側が先頭に立ち、頭が下がらないようにする必要がある。

 もちろん急に突風が吹いて、女子生徒のスカートがまくり上がり、いやーんな展開になりそうな際も言い訳が聞く。配慮しすぎて困ることはない。

 しかしそう懸念したイベントも発生せずに、無事女子生徒を保健室へと運び、養護教諭へ状況を伝えたところで、給食開始のチャイムが鳴り、

「やばい! ウッチー、またね!」

 スガは足早に二年二組へと向かって行った。

 急いでいても廊下は走らないあたり、生徒のお手本となる姿ではないだろうか。

 いや、しかし生徒の前で教師をアダ名で呼ぶのはいただけない。

 暖簾に腕押しのような気もするが、また注意してみることを検討しながら、ようやくヤマウチは職員室の中へと戻ることができた。




 机の上には給食が配膳されている。

 これは、4限目が空きの教師が準備をすることになっているのだが、基本的に4限目が詰まっているヤマウチがそれを行ったことはない。

 給食を見たことで、一連の騒動で忘れていた空腹感を取り戻す。

 食事が準備されていることに感謝しながら、炊事場へと手を洗いに向かうと、そこには先客がいた。

 一学年所属、家庭科担当のオオカワチ。

 実技教科は、クラス数が少なければ一人の教師が全学年を担当することが多い。

 全ての学年が3クラス構成となっているこの中学校にもそれはあてはまり、彼女は全てのクラスの授業を一人で受け持っていた。

「あ、ウッチー先生。お疲れ様だよ」

 オオカワチが手を洗いながら、ヤマウチの方へと顔だけを向ける。

「お疲れ様ですー」

「もう終わるから待ってね」

「急がないでいいですよ」

 ヤマウチは無造作に置いてあるパイプ椅子に腰掛け、

「今日って調理実習があったんですか?」

 何の気なしにそう尋ねた。

「そうだよー」

 そこでヤマウチは気づく。オオカワチが手を洗っているシンクの上に、黒い手袋が置いてあるということに。

「だからもうね……」

 まずいと思ったところで、時すでに遅し。

「お腹いっぱいなんだー」

 とっさにヤマウチは両手で耳を塞ぐが、無駄なあがき。しっかりくっきりはっきりとオオカワチの言葉はヤマウチへと伝わった結果――『ヤマウチの腹を満たした』

 言霊遣い。

 言葉を媒介として、様々な現象を起こす異能者である。

 その中でもオオカワチは感情の共有に特化している。

 彼女が心からそう思いながら発した言葉、それは彼女の感情を乗せた言霊となり、その声を聞いたものに無条件で共有する。

 使い方次第では非常に危険なこの異能だが(歴史上の扇動者は、この異能を所持している事が多い)、日常的に用いられる言葉を媒介にするという性質上、自分の意思で制御することは難しい。

 故に、普段は特殊な手袋をはめることで封じ込めているのだが、流石に手を洗うという行為は手袋を付けたまま行うことは不可能だ。

「あ! ウッチー先生ごめん!」

 急いで手袋を付けて、オオカワチが謝罪をする。

 オオカワチの感情を共有させられたヤマウチは、空腹だった自分の腹が一瞬にして満たされてしまう感覚に戸惑うしかない。

「いえ、俺の不注意もありますから」

 満腹時の幸福感もそこに付随され、非常に心地いい。目を閉じたら眠れそうだ。

 だが、それは与えられたものであり、実際には胃は空っぽのまま。ただの誤魔化しである。

 以前、どこぞの魔法使いが今のヤマウチと同じ状況になることをお願いしている現場を目撃したこともあるため、ダイエット中の女性には良いのかもしれない。

 幸いにも、満腹感という全く不快ではないものであるためそこまで被害はないが、それにしても効果が切れるのが24時間後というのはマイナス1。つまり辛い。

「私がお腹減った時に上書きしようか?」

「いえ、そっちの方がきつそうなのでこのままで……」

「わかった。本当に本当にごめんね!」

 今度お詫びするから! と気まずそうに炊事場を後にするオオカワチを見送った後、ヤマウチは手を洗い、自分の席へと戻った。

 今日の献立は、オムライス。本来ならヤマウチの大好物であるにもかかわらず、全く箸を取る気にならない。

 それでも胃には何も入っていないのだ。食べなければ。

「ごめん、オムライス」

 本来ならば味わい、愛でながら食すはずの黄色い彼女を、ヤマウチは申し訳ない気持ちで、ただ胃へとつめ込んだ。

 この満腹感は明日の給食直前まで続く。

 ちなみに明日の献立はわかめスープ。

 ヤマウチが一番嫌いなメニューだった。

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