第2話 召喚士と死霊遣い

 とある中学校の裏門前。

 水曜日の二時間目終了のチャイムを聞きながら、英語教師のヤマウチは傘をさしてタバコを吸っていた。

 ヤマウチが中学生の頃は職員室でもタバコを吸っている教師がいたが、今はほとんどの学校が職員室どころか敷地内が禁煙となっている。

 そういった理由で喫煙者は雨の日も雪の日も、夏でも冬でも、わざわざ敷地の外に出てタバコを吸っているのだが、たまにそれすらも、学校の前でタバコを吸っている教師がいると地域から苦情の電話が入ることがある。喫煙者は生き難い世の中になってきた。

 百害あって一利なし。世間ではそういう認識を持たれているタバコだが、それをヤマウチは教師になってから吸うようになった。

 まだまだ目上の教師には喫煙者が多く、赴任したての新しい職場でコミュニケーションを取るための手段として喫煙は非常に役に立ったからだ。

 どうやら一利はあるらしい。

「おう、おつかれさん」

 教務主任兼、二学年の社会担当のサイトウがスーツの内ポケットからタバコを取り出しながら歩いてきた。

「おつかれさまです」

 基本的にヤマウチは前後どちらかの授業が空きの時にしかタバコを吸いに行くことはないが、しかしサイトウは十分の休み時間の度にタバコを吸うため、必ずサイトウと顔を合わせることとなる。

 学校行事の運営を任される教務主任は色々とストレスが溜まるのだろう。教師三年目のヤマウチにはわからないが、とりあえず彼の薄い髪が更に薄くならないことを心のなかで願った。

「昨日さ、久々に使っちゃったよ―」

 咥えたタバコに火をつけながらサイトウが言う。

 この学校で目的語も無く、『使った』という場合は、一つのことしか示さない。

 つまり、サイトウは能力を『使った』というわけだ。

「おお、珍しいですね」

 ヤマウチも二本目に火をつけた。大抵の場合は一本で満足してしまうのだが、サイトウが吸っているのに自分が吸わないのはなんとなく相手に気を使わせてしまう気がする。

「いやー、昨日の帰り際にさ、うちの嫁から、卵が特売だから二パック買って来てくれってメールが入ってさ、スーパーに寄ったんだよ。そしたら何とお一人様一パック限りなんだわ。一回買ってもう一度レジに並ぶのってなんか気まずいだろ。だからちょいちょいっと呼んでさ、一度で済ませようと思ったわけ」

 サイトウはそう言うと一度大きくタバコを吸い、ゆっくりと大量の煙を吐き出した。

 煙が二人の視界を曇らせる。

 サイトウは召喚士だ。いわゆる精霊や魔物、神等と契約を結び、そして己の魔力と引き換えに彼らを召喚して力を貸してもらうというあれである。

 つまり、サイトウは、卵を二パック買うために、スーパーで召喚を行ったわけだ。

 なんという魔力の無駄遣い。

 いや、体力と同じように一晩ゆっくりと休めば魔力も回復するのだから、別に使ってしまっても構わないのだろうが、それにしても卵を買うために召喚魔法とは。召喚された方も契約書(なんてものが存在するのかわからないが)を読み返して、『スーパーの特売日には呼び出す事有り』の一文を探したことだろう。

 しかし……と少しだけヤマウチは考えた。はたしてサイトウは、人型のものと契約を結んでいたのだろうかと。

 サイトウ曰く

「召喚士といえばやっぱり獣だよな。精霊とか神様クラスを召喚『獣』って呼ぶのって凄く違和感があるもんな」

 だからもっぱらサイトウは、獣型を好んで契約を結んでいるし、ヤマウチが知っている彼の召喚獣もユニコーンやケルベロス等といった獣型である。

 その事について尋ねると、

「おお、ウッチー、よく覚えてたな」

 ちなみに言わずもがな、どこぞの魔法使いの仕業で、サイトウもウッチー呼びだ。

「召喚するときになって、そう言えば俺って人型と契約してなかった事を思いだしたわけよ。それでどうしようかなと思ったんだけど、ピンと閃いたわけ。あ、あいつがいるじゃないか、ってね」

 やはりそうである。スーパーでケルベロスを呼び出した日には、「お客様、ペットの持込み禁止です」と店長にこっぴどく叱られるだろう。

 しかし召喚士が契約するのは、大抵が人知を超えた能力を持つものばかりである。それならば姿を変化させることができるものがいてもおかしくはない。サイトウはきっとそういう召喚獣とも契約を結んでいたのだろう。

 ヤマウチはそう考えた。だからサイトウの口から出てきたその召喚獣の名前は、きっと自分の聞き間違いだろうと思った。

「ケンタウルス」

「え?」

「だから、ケンタウルスを召喚したわけよ」

 苦しい、非常に苦しい。水遁の術、だけど竹筒の代わりにストロー。

 一応ケンタウルスについて軽く説明しておくとするならば、馬の首から上が人間の上半身に置き換わったような怪物である。

 ちなみにどうでもいいことだが、足が四本、腕が二本の計六本あることから、昆虫と分類にしてもいいのではないかとヤマウチは思っている。

 そしてさらにどうでもいいことだが、その事を二学年の理科を担当している教師に話したところ、脊椎動物と節足動物の違いについて小一時間授業をされたこともある。

 それにしてもケンタウルスとは。

 サイトウが契約しているということは、彼はケンタウルスを獣型だと認識しているのだろう。しかし、残りの半分の可能性に賭けたわけだ。

「それで……買えたんですか?」

「ああ、買えたよ。ほら、レジって上半身しか見えないだろ。だから気づかなかったんじゃないかな」

 いや、それは無理がある。レジの店員さんは見て見ぬふりをしたに違いない。

 スーパーのレジを担当する場合、多種多様な場面に対応したマニュアルが準備されていることが多いが、さすがにケンタウルスがお一人様一個限りの特売品を持って並んだ場合の対応方法は載っていまい。

「ちなみにサイトウ先生が召喚したケンタウルスは、俺みたいな一般人が想像するあの姿でいいんですか?」

「ああ、問題ないよ」

「なら服は……」

「着てない」

 上半身ハダカで卵を持ってレジに並ぶケンタウルス。シュールだ。

「でもやっぱり今度並ばせるときはシャツでも着せといたほうが良いかね」

 シュールさが増した気がする。

 それよりも人型と契約してください! という言葉を堪えるためにヤマウチはタバコを咥えた。

 正直、そのことを指摘するよりも、またケンタウルスが特売日にレジに並ぶ話しを聞きたいという欲求のほうが大きい。

 はたして怪物ケンタウルスに立ち向かう勇者(レジ担当)は現れるのだろうか。

「お疲れ様です、何の話してるんですか?」

 背後から声をかけられ、ヤマウチとサイトウが振り返ると、三学年の理科担当であるイトウがゆっくりとこちらへ向かって歩いてきていた。

 サイトウと同じく教師生活何十年というベテランだが、彼の頭皮はまだまだ頑張っている。

 休み時間に裏門に現れる。つまりは彼もヤマウチとサイトウと同様に喫煙者だ。

「いやー、昨日のことなんですけどね」

 サイトウが先程と同じ話しをすると、イトウは

「レジの人も気の毒ですねー」

 と苦笑いをしながら煙を吐いた。その後傘から滴り落ちる水滴を眺めながら

「サイトウ先生の能力は、多少なりとも日常生活で役に立ってるから良いじゃないですか。僕なんて、日常生活においては全く使いみちが無いですからね」

 と溜息をついた。

「でも、たまに警察から依頼が来てるんですよね。それって凄いことだと思いますよ」

 ヤマウチの言葉に、そうそうとイトウも頷く。

「休日を潰されるんだから、こっちとしては堪らないよ」

 イトウは死体を操る死霊遣い、ネクロマンサーだ。

 半径一キロメートル程にある骨や死体を自由に操作できるらしいが、実際にその能力をイトウが使用しているところをヤマウチは見たことがないし、今後も見ることは無いだろうと思っている。

 警察からイトウに来る依頼というのは、当然その能力をあてにしたものである。

 そしてそれは大抵の場合、電車への飛び込み自殺だったり、バラバラ殺人事件だったりする。

 イトウが能力を使用すると、その範囲内にある死体は、例え分解されていたとしても一箇所に集まり、元の形へと戻る。当然能力を解除するとその場で崩れてしまうのだが、その一箇所に集まるという事が重要だ。

 つまり、飛び散ったり、別の場所に捨てられたりした死体のパーツを集めてくれと言うことだ。

 捜査のためとはいえ、死体を操ることを良しとせず、死者への冒涜だという声もある。 しかし、残された遺族からは、故人の全てが帰って来ることに感謝されることが殆どだとイトウは以前語っていた。

 ゆえに、堪らないとは言っても、イトウがその警察からの依頼を断ったことは一度もない。

「なら、イトウ先生は日常生活において能力を使ったことは無いんですか?」

 ヤマウチがそう聞いた後に、何と馬鹿な質問をしたんだろうかと後悔した。

 一体どんな場面で使用することがあるというのだろうか。

 しかしイトウは少しだけ考えた後、実は……と切り出した。

「若い時に一度だけ、個人的に能力を使ったことがあるんだよね。海外のB級映画とかで、墓地の地面からゾンビが次々と出てくるシーンってあるでしょ。僕もそれをやりたいとか思っちゃってね。墓地に行ってさ、使っちゃったわけ。よみがえれーとか言いながら」

 本当馬鹿みたいだよね、と笑う。

「今のイトウ先生からは考えられないですね。それでどうなったんですか?」

 いつの間にか二本目のタバコを吸い終えたサイトウが尋ねた。

「それがですね、いくら墓地だからといって、地面に死体が埋まってるわけないじゃないですか。墓石の下に納骨棺っていう地下室があって、そこに骨が納めてあるんですよ。だからイメージしていたようなことは起こりませんでした」

 墓石の下にある扉を律儀に開けて出てくる骸骨。シュールだ。

もう朝? とか言いそうだ。

「そしてこれは少し考えたらすぐ気づけることなんですが、日本って火葬なんですよね。もし地面に直接埋めていたとしても、多分灰はすぐに分解されて土に還っていくと思いますから、精々喉仏が飛び出してくるぐらいだったんじゃないですかね」

「喉仏ですか……」

「そう、喉仏が僕の周りをふわふわと……」

 その光景も、やはりひたすらシュールだった。

 誰かが合図するわけでもなしに、三人は同時にタバコの火を消して、校舎へと戻っていく。

 もう時期チャイムが鳴るだろう。少しだけ話しすぎたようで、自然と歩みも早くなる。

 職員用玄関の靴箱の上に置いておいた教材を手に取り、次の授業の教室へと向かいながら、ヤマウチは先程のイトウの話しを思い出していた。

 おそらく殆どの納骨棺におさめてある骨壷は、イトウが能力を使ったせいで割れていただろう。

 そのことにイトウが気づかないわけがない。音も聞こえていたはずだ。

 しかしそれに触れなかったのは、やはりどこか、後ろめたい気持ちがあったのではないだろうか。


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