第十六話 死を呼ぶ魔力

 どうやら、忠継は酔うのも早いが、酔いが覚めるのも早いらしい。

 一度は寝入ってしまったものの、その眠りは存外浅く、ライナスとエミリアが出された料理を食べ終える頃には目を覚ますことができた。

 手渡された水を飲み干すと、若干の浮遊感こそあるもののとりあえず歩けるくらいには酔いも覚める。

 ライナスなどは忠継を担いで帰ることも予想していたようだが、どうやらその心配は杞憂に終わりそうだった。

 とはいえ、酔った自分が何を話してしまったかは覚えているので、まったく別の理由で気分は悪いのだが。


(まったく、何を話しているのだ俺は……)


 あろうことか、来るときよりも沈んだ気分になりながら、忠継は二人の後をついて歩く。酒に酔ってみっともない身の上話を漏らすなど、ふがいないにもほどがある。


「おいおいタダツグ、そんなにふさぎ込むなよ。酒飲んだ時くらい陽気になろうぜ」


「うるさい。人を罠にかけておいて……、いや、すべては俺の不甲斐無さ、か」


「いや罠って……、言えなくもないか……」


「……?」


 半ばやけになって放った忠継の言葉を、以外にもライナスは否定もせずに受け止める。変に思って忠継がライナスの方を見ると、ライナスもライナスでその視線を別の方向へと向けていた。

 二人のさらに前を歩く、酒のせいか妙に元気なエミリアの方へと。


「なんだ? エミリアがどうかしたのか?」


「いや、なんでもない」


「タダツグさーん、ライナスさーん、おいていきますよぉ」


「って、ちょっと待ってくださいお嬢!!」


 叫び返すライナスに追従し、忠継も少し歩く速度を速める。とりあえず二人揃ってエミリアの三歩手前まで追い付くと、ふと視界の隅に気になるものを見かけた。


「なんだ? この街は随分乞食が多いな」


 提灯代わりに二人がつくりだす魔術の明かりに照らされ、道の端に寝そべる人々が目に入る。恐らくは物乞いの類なのだろうが、忠継が知るそれとは違いこの街は随分と人数が多い。気をつけて見てみると街のあちこちに同じような者たちを見かける。


「おそらくはゼインクルから逃げてきた農民たちだろうよ。食うに困って畑を捨てたはいいが、こっちで仕事も見つからず、ああしてどうにか生き延びているってところか」


「なんだそれは? 田畑を捨てるなど、けしからん」


「そう言ってやるなよ。ゼインクルは今大変なんだ。っていうのも、この前のパスラ侵攻の際に使われた新兵器のせいで――お嬢!! 危ない!!」


 言いかけた言葉を、しかしそんな叫びが途切れさせる。

 慌てて忠継がエミリアの方に視線を戻すと、エミリアは今まさに横の路地から飛び出して来たと思われる小さな人影とぶつかり、二人揃って倒れるところだった。

 ライナスと共に、忠継は急いでエミリアのそばまで駆け寄っていく。


「おい大丈夫か。ずいぶんと勢いよくぶつかったぞ」


「ああ、はい。私は大丈夫です」


「気をつけてくださいよおじょ――、エミリア。そっちのお前も、怪我とかしてないか?」


「……はい。大丈夫です」


 ライナスに声をかけられ、エミリアにぶつかり、共に倒れていた人影が蚊の鳴くような返事を返す。最初に見たときにも感じたが人影は随分と小柄で、頭から服と一体になった頭巾≪フード≫をかぶっていて顔は覗えなかったが、体格から見て恐らく十二、三の子供だろうと推測できた。

 と、忠継がその子供を観察していると、不意に見逃せない光景がその眼に飛び込んできた。


「おい! 貴様何をしている!!」


 忠継が発した声に跳び上がり、人影は慌てて立ち上がり逃げようとする。だが忠継がそれを許すはずもなく、逃げようとする人影の腕を捕らえると、足払いをかけて地面に引き倒した。


「何をしているんですかタダツグさん!! そんな子に一体何を――、え?」


 思わず叫んだエミリアの声は、しかし直後に忠継がつきつけた小さな巾着によって封じられる。見覚えのあるだろう、小さな袋。その正体に気付いたらしきエミリアは、慌てて自分の服を探りそれが何かをようやく悟る。


「私の、お財布……?」


「先ほどこいつが自分の服の中に隠そうとするのが見えたのでな。やり方は拙いが、こいつはスリだ」


 わざわざぶつかってそのどさくさに取ろうとした手口を見ると、スリという行為自体にはそれほど慣れてはいないようだが、それでもこの子供が何をしようとしていたかは明らかだった。

 やはりと言うべきかエミリアの変装は、その高い身分をまるで隠せていなかったらしい。


「あー、それはわかったんだがタダツグ、それを踏まえてもその体勢はまずいんじゃないか?」


「なに? 盗人を捉えて何がまずいというの……ん?」


 言われて改めてそのスリを視界に収め、忠継は一つの事実に気付く。今まで気づかなかったが、抑え込んだスリの頭からは頭巾(フード)がずり落ちており、ライナスの使う魔術に照らされてその顔が容易に見てとれた。

 ひどく汚れた肩くらいまで伸びた灰色の髪。同じように汚れて地面と同じ色に見える幼い顔立ち。その顔の作りは歳のせいか、見ようによっては少年のそれのようにも見えるが、


「まさか、娘か?」


 忠継の言葉に、抑え込んだ娘がビクリと反応する。見てとれたその表情は唇を噛みしめ、必死に涙をこらえており、口からは小さくひきつった悲鳴のようなものが漏れていた。

 そんな娘に馬乗りになって抑え込んでいると自覚し、忠継は猛烈な自己嫌悪に襲われる。


(まったく、これでは暴漢のようではないか……)


 エミリアのときにも同じようなことがあったと思いだし、忠継はげんなりしながら立ち上がる。娘にもこれ以上抵抗するだけの意思は感じられず、忠継がどいた後も身を起こすだけで立ち上がる様子もなかった。

 あるいは、それどころではなかったのかもしれない。


「おい!!」


 先ほどとはまた別の理由で、忠継は再び荒い声を上げる。理由は単純、目の前で起き上がろうとしていた娘が、まるで地面に吸い寄せられるように倒れようとしていたからだ。

 慌てて忠継が娘を抱きとめると、抱きとめた娘がいように痩せているのがわかる。


「大丈夫か!? 一体何が……?」


「見せてください。いえ、ここではまともに見られませんね。メルヴィンさんの屋敷に運びましょう」


「あ、ああ」


 エミリアの指示に、忠継はうろたえつつもそう頷き返す。

 結局、直前まで残っていた僅かな酔いは、屋敷に帰るまで持つことはなかった。






「なに? ただの空腹だと?」


「ただのって言うのは違うと思うけどね。お嬢の見立てじゃそう言うことらしい。聞きゃあ、何日もろくなもの食べてなかったって話だ。今食堂で残ってるもん食わせてるよ」


 驚き、呆れる忠継に向けて、ライナスは連れ帰った少女の容体を報告してくる。

庁舎に戻り、エミリアの補佐と護衛を兼ねて、手が離せなくなっていたライナスの代わりにダスティンへの報告役を買って出た忠継だったが、医務室に戻ってみてされた報告は意外にあっさりとしたものだった。


「まったくどんな重病人かと思えば、ただの空腹か。バカバカしい」


「そう言うけどね、空腹って言ったってバカにはできないぜ。っていうか、この時期にもうそんな奴らが出てるって方が大問題だ。まだ冬まで長いってのに……。下手すりゃ飢饉になるかも知れん」


「飢饉、か。俺の国でも俺が生まれる何年か前にあったと聞くが……」


「なるほど、お前自身は未経験って訳か。どうりで呑気なはずだよ」


 魔術の明かりを頼りに廊下を歩きながら、ライナスは呆れ交じりに自分の頭をかく。どうやら目の前の男は、忠継よりも飢饉の恐ろしさを知っているらしい。もしかするとこの国でもごく最近飢饉があったのかもしれない。


「ホント、嫌なもんだぜ飢饉ってやつは。人は体力のない女子供からバタバタ死んでく。餓死する奴もいるし、食えない物食おうとして下痢して死んでく奴もいる。悪い時には疫病がはやることもあるし、国も乱れる」


「なるほどな……」


「それだけじゃないぜ。食えなくなった連中が食い物求めて略奪に走ったりするから、俺たち騎士はそれを止めなけりゃならない。やせ細って血走った眼をした連中から生き延びる術を奪うようだ、ってのは、これはまあ親父の言い草だったが」


「おまえが騎士になる前にあったのか?」


「ああ。俺がまだ八っつんとき。俺自身は飢えて困るまではいかなかったけど。それでも母親が食い物の高さを嘆いていたのは覚えてる」


 そんな話をしていると、廊下の先に食堂の扉が見えてきた。流石に既に夜中ともなると、一度来たときにはそこかしこにいた異人たちが今は一人も見えない。

 それは中に入っても同様で唯一の違いと言えば魔術だか魔石だかの明かりによって部屋が昼のように明るく、その中でエミリアと先ほどの少女が向かい合うように座っているという点だった。

 忠継達が入っていくと、エミリアは少し困ったような表情で、少女は居心地悪そうにこちらに視線を向けてくる。


「ああ、ライナスさん、タダツグさん。そっちも終わりましたか。ライナスさん、部屋の方はどうでしたか?」


「ああ。侍女長の婆さんに頼んで空いてる部屋を貸してもらえることになったよ」


「む? どういうことだ?」


「いやな、今日はもう遅いから、そっちの嬢ちゃんをここに泊めようってことになったのさ。それで使用人の部屋の一つを使えるように話を通して来たって訳」


「……え?」


 ライナスの言葉に、忠継が来てからも視線を合わせず、沈黙を守っていた少女が反応を返す。

 視線を向ければ、少女の顔には明らかに警戒と怯えの表情が浮かんでいた。


「……私を、どうするつもりですか?」


「いえ、何もしませんよ。できればここ最近の街の様子などを聞きたいとは思っていますけど、あなたを捕まえたり、危害を加えるようなまねはしません」


 忠継にしてみれば、一応はスリを働こうとした少女に対しては随分と寛容に思えるような言葉だったが、言われた本人は相も変わらず警戒を緩めようとしなかった。それどころか、少女の表情の中に、わずかながらも今まで見られなかった怒気が宿り始める。


「聞いてどうするんですか……。今まで、何もしなかったくせに」


「なに?」


「あなた達は、騎士とか、貴族とか、そういう人たちでしょう? 町で見かけてすぐわかりましたよ。きれいで、上品で、無駄に、偉そうだったから」


 内心で驚く忠継をしり目に、少女は視線を合わせず、所々つっかえながらもしっかりした声でそう言って見せる。それは明らかに歳も身分も上の三人を前にして発するには危険ですらある言葉だったが、少女は言葉にためらいのようなものを感じさせなかった。

 あるいは、自棄になっていたのかもしれない。


「騎士も、貴族も、もう信用できません。戦争で畑が焼けて、食べていけなくなっても、あなた達は私たちから奪うことばかり考えてる。私達は土地が死んで、食べるものもないのに……」


「土地が、死んだ?」


 徐々にしぼんでいく少女の言葉に引っ掛かりを覚え、忠継は思わずそう呟く。すると隣で同じように控えていたライナスがそれに応じてきた。


「お前は、パスラ侵攻の際に、ゼインクルで使われた新兵器の話を知ってるか?」


「あ、ああ。確か触れるものをすべて死に至らしめる【死属性】とかいう、呪いじみた代物だろう?」


「俺も詳しく知ってるわけじゃないけど、その【死属性】って魔力が、どうもその土地そのものにも悪影響を与えるらしいんだよ。何でも、セイタイケイがどうとかって……」


「生態系を破壊する、と言えばいいでしょうか。えっと、ちょっと待ってくださいね」


 ライナスの説明に補足を入れたエミリアは、しかしすぐに腕を組んで考え事を始めてしまった。恐らく説明する内容を頭の中で吟味しているのだろう。

ほんのわずか、部屋に沈黙が広がった後、考えをまとめ終えたらしいエミリアが三人に向けて口を開く。


「まず、知っておいてほしいのが『食物連鎖』というものについてです。例えば、ここに草があるとしますね。草の種類はまあ、なんでもいいでしょう。家畜が食べる、その辺の牧草だと思ってください」


 そう言うとエミリアは、マーキングスキルと呼ばれる魔力で空中に文字を書く力を使い、空中にギザギザとした線を描きだす。どうやら草のつもりらしく、文字のわからない忠継にわかりやすく説明する工夫のようだった。


「さて、この草は、当然のように動物に食べられます。動物は……、まあとりあえず牛でいいでしょう」


 そう言うとエミリアは先ほど書いた草の絵に矢印を描き、その先に牛のつもりらしき絵を描き出す。話を聞いているため理解はできるものの、その絵はどう見ても鬼にしか見えない。


「そしてその牛も、やがて別の生き物に食べられます。そうですね、せっかくですから私達が――」


「待て、俺は牛など食わんぞ」


「いや、今はその話はいいだろう……」


 忠継とライナスの会話をしり目に、エミリアは牛から矢印を伸ばし、人の顔らしき絵をその先に書き加えた。書かれた人は口が耳まで裂けていたが、恐らくは口を大きくあけている絵なのだろう。


「さて、ここで私達が何かに食べられるように話を進めてもいいのですけど、あまり気分のいい話でもないのでやめましょう。ここで大切なのは、植物が植物を食べる動物に食べられて、植物を食べる生き物が動物を食べる生き物に食べられるという構図です」


「ふむ」


「先ほども言ったとおり、ここからさらに強い生き物につなげてもいいのですが、たとえ話はここから私達が病気か何かで死んでしまったという方向に進めましょう」


 そう言うとエミリアは、先ほど書いた人の顔に斜線を引き、絵の人物の死亡を表現する。


「さて、生き物というのは死亡すると大抵の場合は腐ったりして土に帰ります。これは人間も例外ではなく、葬儀などで多少変わることはありますが、遺体を放置しておけば自然に朽ち果てることになります」


「まあ、大抵の場合は焼いて骨にしちまうがな」


 エミリアの言葉に、今度はライナスが横から注釈を入れる。どうやらこの国にも火葬の習慣はあるらしい。

 そんなことを考えながら、しかし一方で忠継はエミリアが目の前で斜線を引いた人間の絵から矢印を伸ばし、最初の草の下に横線を引いてその行く先とするのを眺める。要するに土に還る状況を表現しているらしい。


「さて、こうして人間が土に還る訳ですが、土に還るのはなにも人間だけではありません。他の生き物も大抵死ねばこうなりますし、植物も枯れたものや落ち葉などが土に還ります。生物の排泄物も同じですね」


「排泄物……、ああ、厠か」


 何とか理解する忠継の前でエミリアは次々に中に絵を描き、そこから地面に矢印を伸ばしていく。正直いろいろあるそれはどれが何なのか判別がつかなかったが、まあ、どれが何かはわからなくても問題ないだろう。


「そして、こうしていろいろなものが帰った土は植物にとっていい栄養になります。こういった栄養が多い土地の方が植物の育ちはいいので、逆に少ない土地を『痩せた土地』なんて言ったりしますね」


「む、そう言えば俺の国でも糞尿のことを肥やしといったりしたな」


 小声で呟く忠継の前で、最後にエミリアは地面から草の絵に矢印を伸ばす。すると見ごとに矢印が一巡し、きれいな円を形成した。


「これが『食物連鎖』です。実際にはもっといろんな生き物が関わっていて複雑なのですが、まあ、それでもこの循環構造から逸脱する生き物はまずいません」


「ふむ……、そういうものなのか……。して、それがいったいゼインクルとやらの話にどうからんでくるのだ?」


「わからないかタダツグ。さっきも言ったが、ゼインクルで使われた新兵器は触れた生き物を殺す【死属性】。これを広範囲に霧状に散布することで、フラリア軍はパスラ軍を見事に撃退することができたんだが、同時にその土地の生き物を根こそぎ殺しつくしてしまった」


「つまり、今言った食物連鎖の牛やら人やらが消えてしまったということか?」


「それどころじゃありません。植物も生物ですから、草の部分も消えます。さらに、一番問題なのが土の部分です」


「土など死にようが無いだろう?」


「いいえ。先ほどは端折ってしまったんですが、実は土の中には生き物の死骸や老廃物を分解して、土に還す微生物がいるんです」


「ビセイブツ?」


「見えるものですと、ミミズを代表とする虫たちでしょうか。でもそんなものは実はほんの一部で、人間の目では見ることさえできない小さな生き物が大量に地面の中には住んでいるんです。そしてそれが栄養のある、植物を育てられる肥えた土を作っている」


「つまり、その微生物とやらがいなければ肥えた土は生まれないという訳か」


 呟きながら、忠継はもう一度エミリアが描いた下手な絵を眺める。ここまで言われれば、なぜ土地が死ぬなどという事態にまでなったのかは忠継でも容易に想像がついた。


「つまるところ、今ゼインクルとやらではこの絵に描かれた大概のものが無くなっているという訳か?」


「そう言うことです。特に微生物が死んで、土地が極端に痩せてしまったのが致命的ですね」


「まあ、確かに土地がやせてたんじゃ野菜も、それを食べる家畜も育たないからな……。野菜や家畜と違って微生物は植えたり連れてきたりってこともできないし」


「なるほど、それでは確かに食うに困る」


「……それだけじゃ、ありません」


 納得しかけた忠継達めがけ、刃のように冷たく鋭い声が飛んでくる。

 見れば、ずっとこちらに交わってこなかった少女が、握りしめた手のひらに視線を固定したまま声を震わせていた。


「ただでさえ、食べるものが手に入らないのに、ゼインクルを治めてる執政官は、平気で税を取っていきます。パスラから私たちの土地を守ってやった分だって言って、私達が困っていてもお構いなしに。村の近くに化け物が出ても何もしてくれないくせに」


「む? 化け物だと?」


 少女の放った言葉に、タダツグを含む三人全員が同時に反応する。恐らくだが、ライナスやエミリアも先日の熊とウサギを合わせたような怪物を思い出したのだろう。すぐに我に返ったようにエミリアが少女の前の席に飛びつき、訊ねる。


「今化け物と言いましたか? あなた……、えっとそう言えばお名前は?」


「え、……アネット、アネット・モラン、ですけど」


 エミリアの勢いに面食らいながら、少女、アネットはたどたどしくも自分の名を名乗る。

 先ほどよりも棘の抜けたその様子を見て、忠継は今の様子こそが少女の本来の性格に根差したものなのかもしれないと思った。


「ではアネットさん。改めて聞きたいんですけど、その化け物というのはおかしな魔力を放った熊とウサギの混ざったような生き物でしたか?」


「え? ……いいえ。た、確かにおかしな魔力は放っていたそうですけど、私が見た姿は、そんなものじゃありませんでした」


「ではどんな姿の化け物だったんですか?」


「え、えっと、とにかく大きくて、蜘蛛の足が生えた人間の頭とか、体中からネズミの頭を生やした狐とか……」


「なんだそれは。本当に生き物か?」


 アネットの話に出てくるあまりに禍々しい化け物の造形に、忠継は思わずそう呟く。

 そして、それに対して帰って来たのはアネットの首を横に振る反応だった。


「わ、わかりません。動きに獣並の知恵も感じないとか、弓や魔術で退治しようとしても、傷つけたところがすぐに元に戻って殺せないとか、そんな信じられない話も聞きましたし……」


「殺せないだと?」


 昨日の化け物との間に見えたその差異に、忠継はまたも疑問の声を上げる。昨日出会った化け物は確かにおかしな特徴こそあったが、それでもクロフォード家の人間が魔術で一斉に攻撃することで仕留めることができた。仮にアネットの言う化け物が忠継達が見た生き物と同じものとするならこの差異は何なのか。


「とにかく、その話はもっと詳しく聞きたいです。アネットさん、あなたはそれを誰から聞いたんですか? その方は今どこで何をして――」


 エミリアがそう質問したそのとき、不意にアネットの表情が凍りついた。瞬間、部屋の中の温度が急激に下がったような感覚が広がり、アネットにその話をした人物がアネットとどんな関係で、今どうなってしまっているのかが理解できる。


「なあお嬢。今日のところはもう遅いし、詳しい話はまた明日にしないか?」


「そう、ですね。皆さんこんな遅くまで本当に申し訳ありませんでした。ライナスさん、アネットさんを部屋まで送ってくださいますか?」


「はい。お任せあれ」


 そう言ってライナスはアネットを促し、明かりの魔術を展開して部屋から出ていく。アネット自身は何らかの抵抗を見せるかと思ったが、どうやらそんな気力はないらしく大人しくライナスについていった。

 そうして、忠継とエミリアの二人が誰もいない食堂に残される。


「やはりアネットさんを連れて帰ったのは正解でした。兄様もゼインクルや妖魔のことについて話を聞ける人間が欲しかったみたいですから」


「なるほど、それであの娘を捕らえもせず連れ帰ったのか……。いや、そういう部分では俺も人のことが言えんか」


 自分とアネットの立場に似たものを感じ、しかし忠継は再び暗い考えが湧きあがるのを感じる。

 エミリアがアネットを連れ帰った理由は、確かに必要な情報を仕入れるためだろう。だが一方で、あの痩せこけて薄汚れた少女に同情しなかったとは思わない。むしろ同情したからこそ、エミリアは話を聞く相手にアネットを選んだはずだ。

 ならば忠継はどうなのか。アネットと同じ立場である忠継は、一体どういう意図でここに引き入れられているのか。


「明かり消しますよ、タダツグさん。宿舎まで暗くても大丈夫ですか?」


「ああ。こちらに来てから大分夜目も利くようになっているからな」


「そうなんですか? やはり興味深いですね……」


 明かりを消し、廊下へと歩き出しながらつぶやかれたその言葉を、しかし忠継は自分に向けられたものとは感じられない。なぜなら彼女が興味を抱いているのは、転移魔術とやらで異国からやって来た人間であり、【全属性】の魔力によって肉体に変化を起こした人間だからだ。その興味の対象が必ずしもタダツグでなければならなかった理由はない。


(なにを考えているんだ、俺は……)


 暗くなり星明かりだけが頼りとなった部屋の中で、忠継は自身の暗い気分を抑え込む。

 時刻は深夜。朝が来るまではまだ長い。

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