第十四話 酒宴
鬱陶しい。
木刀を振るいながら、背後から感じ続けている視線に対して、忠継は内心でそう思った。
既に日は昇ることをやめて沈み始め、忠継に張り付く見張りが、交代してライナスに戻った頃のことである。
結局、忠継の切腹は完全に頓挫させられた。あのあと、ライナスを含む屋敷の騎士たちが総出で忠継追い回し、すったもんだのあげくようやく縛りあげ、昼過ぎになるまで代わる代わる命の尊さやら、人生についてやら、過去の失敗談やらを聞かされたからだ。
とはいえ、流石の忠継も大人しく彼らのいいなりになったわけではない。
彼の切腹を阻もうとするクロフォード家の騎士たちを相手に木刀片手に立ち回り、忠継達がいた訓練場とそこに隣接した屋敷の裏庭は午前中いっぱい壮絶な戦場と化した。
だが、それでも結局、忠継は魔術という異国の技術の前に敗れ去り、己がこれまで培ってきた剣の腕が、魔術の前ではいかに無力かを知らされる結果となった。
(魔術があれば、いくら剣が強くても意味がない、か)
思わずそう心中で呟いてしまい、忠継はすぐさま自分の考えを後悔する。空虚な気分のなかに自身が沈みこむのを感じながら、忠継はそれでも自身の思考を止められない。
(あのときのように魔術を斬ることができれば、また話は違ったのだろうが……)
忠継は少しだけ、以前一度だけ使うことができた、妖気を纏う物をたやすく斬り捨てる力を思い出す。もしもあの力を自由に振るえれば、屋敷の騎士達にも、それどころか昨日のような化け物にも自尊心を傷つけられることはなかったのではないかと。
(バカバカしい。俺は妖術使いにでもなるつもりか……!! 騎士達の説得のときも異教の神の話だけは聞かなかったというのに)
祖国において、異教の神の話はご法度だ。実際忠継は、捕まった後も彼らの奉ずる神の話だけは聞かなかった。
もしも一度でも異教の教えに染まれば、例え祖国に帰る手段が見つかったとしても二度と祖国の土を踏めなくなる。それは自身が妖術使いになっても同じことだ。
(ただでさえ帰れる道筋が見えんというのに、これ以上帰れる可能性を潰してたまるか)
内心でそう悪態をつきながら、忠継は自身の現状を改めて吟味する。
現在、忠継の帰国運動は暗礁に乗り上げていると言っていい。そもそも帰る国の位置がさっぱりわからないのだ。
以前聞いた話では、エミリア達クロフォード家の本家には異国の書物が大量に集められた書庫があるという話があった。忠継としてはそこで帰国のための手がかりがつかめればと思っていたのだが、そもそも本家に行く機会に恵まれない。レキハを離れ、自領に戻ると聞いたときはその本家に行けるのかと期待した忠継だが、やって来たのはその領内でも北のはて、クロフォードの本家とはまるで別の場所である。
当然、目当ての書物はそこにはなく、いくつかあった外国の書物にも忠継の知る文字は見つからなかった。
他にもこの国に来てから持ち合わせた財布の中身から、それを発行している国を探そうとしたり、諸国をめぐっている船乗りや商人に問い合わせたりしたが、そちらの結果も芳しくなかった。
(くそ……。俺はいったいどれだけ遠い国に来てしまったというんだ……!!)
苛立ちと共に木刀を振り下ろし、しかしそれ以上続ける気に成れずため息をついてしゃがみ込む。この国に来て既に一月近い時が流れている。その間にどうにかこの国の生活に慣れてきた忠継だが、それでも望郷の念は強い。それに加えてここ昨日から、忠継にとって驚き以上に、自身の根幹を揺さぶる衝撃的な出来事が続いている。
まるで数年前、忠継が兄の存在によって自身のあり方を見失ったときのような衝撃が。
「ようタダツグ! 元気出せよ。生きてりゃきっといいことあるぞ!」
忠継の様子を鋭く見咎めたのか、背後からライナスの陽気な励ましが飛んでくる。彼らは忠継がいつ早まった真似をするかと戦々恐々としているので無理もないが、忠継にとってはその声のわざとらしさが非常に鬱陶しい。
「ライナス。別に俺はもう切腹する気はないのだがな」
「そうか? それは良かった。じゃあついでとばかりに俺がガキの頃に犬にビビって大泣きした話をしてやろう」
「いらん。というか、すでに今聞いただけで話の筋が大体知れてしまったぞ」
「あれ、そういやそうか。それじゃあ俺が十二の頃に流行り病にかかって死にかけた話を……」
「それはさっき聞いた。生きる喜びがどうとかいう話だろう。ライナス、さては貴様俺を信用していないな」
「いや、お前の何を信じろってんだよ」
忠継の言葉に、ライナスは途端に真顔になり、不満そうな表情を向けてくる。どうやら朝方の出来事は、完全にライナスに危機感を抱かせてしまったらしい。
「そんなに俺が信用できんか? いくら俺でも、あそこまでされては死ぬ気がうせるぞ」
「まあ、そうかもしれないけどさ。でもお前、さっきから暗い顔して剣振ってるじゃん。なんだか思いつめてるみたいだし、流石にあんな表情見せられたら不安になるよ」
「そうだったか……?」
どうやらライナスには、忠継が相当参っているように見えたらしい。
いや、事実として忠継は参っているのだろう。
「っていうかそもそもさ、お前もっと肩の力抜いて生きろよ。なんだか生き方がくそ真面目でさ、そんなんじゃそりゃあ人生も嫌にもなるよ」
「いや、別に嫌になったわけでは……」
「ああ、そうだ!!」
忠継の言うことになど耳も貸さず、ライナスはがっしりと忠継の両肩を掴むと、口元をにやりと歪めて言い放つ。
「今夜飲みに行こう」
「は?」
「酒だよ酒。いやなことは飲んで忘れるに限るさ。なんなら愚痴聞いてやってもいい。お前だって自分の国で酒くらい飲んだことがあるだろう?」
「いや、俺は酒は……」
「え? マジで? ……ちなみに聞くけど女は?」
「ぬ……、それも無い。吉原などとは縁がなくてな」
「……マジかよ。真面目すぎるにもほどがあるだろ……。お前何が楽しくて生きてんだ……?」
忠継の言葉に、ライナスは呆然としたようにそう呟く。どうやら彼にとってその手の娯楽を知らないというのは相当に衝撃的な話だったらしい。
「まあいいや、それがほんとならなおのこと今日は飲みに行くべきだ。行こうぜ。こっちに来るときに目をつけてた店があるんだ」
「む……、わかった」
「お待ちなさい!!」
忠継が断りきれないと見てしぶしぶ了承した瞬間、聞き覚えのある女の声が忠継達の上空から響く。二人が驚いて見上げると、すぐ近くの建物の窓から声の主と思しき人物が落ちてきた。
翻る衣服の裾を手で押さえ、地面に落ちる寸前に足元に魔方陣を展開したその女は、やわらかい音と共に魔術で作った空気の塊で衝撃を殺し、見事な着地を披露する。
そうして放たれるのは、実に簡潔で、それゆえ厄介な一声。
「私も行きます」
顔を引きつらせる二人に対してそう宣言したエミリアは、その後すぐに満面の笑みを浮かべて見せた。
その夜、ライナスに連れられて行ったのは、町中にある居酒屋だった。
ライナスの話だと、昨日この街に着いたとき、店があるのを目ざとく確認していたらしい。
忠継が初めて見るこの国の居酒屋のたたずまいを観察していると、どこかげんなりしているライナスと、その原因であるエミリアが続けて店に入っていく。
ライナスがげんなりしている理由はただ一つ、エミリアが同行してきてしまったことである。
今でこそ質素な町娘の装いに身を包んだエミリアだが、その実態はこの国で高い地位にある貴族の娘である。そんな人間がお忍びで町中を歩くとくれば、当然のように護衛が必要になり、その護衛は同行する人間ということになる。
それが意味することは一つだ。
「おうおばちゃん。とりあえず酒二人分だ。ああ? 俺? 悪いな。酔えないんだよ水で頼む」
そう、酒が飲めないのである。特に今回の発案者でありながら騎士でもあるライナスは。
「なんだったら俺が護衛の代わりをするぞ? 特に酒が飲みたい訳じゃないし刀だってさして来ている」
「おまえが飲まなくて誰が飲むんだよ。いいよ、俺が控えるから。お前はとにかく酒を飲め」
忠継の気遣いに、ライナスはそう言ってやんわりと断ってくる。流石に彼も自分の主君の前で酒を飲んで仕事をする気はないらしい。見たところ得物は持っていないようで、武士である忠継からすれば言語道断だが、よく考えればこの国の人間には魔術という武器がある。恐らくはよっぽどのことがない限りエミリア一人くらいは守りきれるだろう。
「それとその煮物もください。あ、後あの貝の蒸し焼きも!」
忠継とライナスが会話する横で、店内の看板を見たエミリアが次々と料理を注文していく。その様子はどこか慣れているようにも見え、こういった行動が初めてではないことを容易に想像させた。
やがて注文した料理が運び込まれ、同じく運ばれてきた酒で三人は乾杯する。
「今日は無理言ってすいません。代金は私が持つのでたくさん飲み食いしてください」
「あのお嬢、女性におごられるというのは男として沽券に関わるんですけど」
「ライナスさん、今は名前で呼んでください。お忍びなんですから。私の設定は出稼ぎにきた付近の村の村娘です」
「こんな小奇麗な村娘居てたまるか……」
胸を張って言うエミリアに、ライナスはそう言ってため息をつく。確かにエミリアは村娘というには髪や肌などに手が行き届きすぎている。しぐさからもどこか気品のようなものが見て取れるし、正直その身分が隠せているかといわれれば間違いなく否と言うしかない。
「っていうかタダツグ、お前まだ酒飲んでないじゃないか。いいからぐっと行けよ。今日はお前に飲ませるために連れて来たんだぞ」
「む……、そうか、そうだな」
ライナスに言われ、忠継は改めて自分が握る木の盃、その中に満たされる赤紫の液体を眺める。酒の色も忠継の知る物とはまるで違うが、忠継はそもそも祖国の酒の味を知らないのだ。こちらに来てからもっと奇抜なものを口にしてきた経験もある。この程度の見た目で躊躇する理由はない。
「では、いざ!!」
意を決し、忠継は盃の中の液体を口の中に流し込む。奇妙な味と共に、冷たいはずなのに熱を感じる液体は喉の奥を流れ去り、胃の中へと流れ込んで体の中で火をともした。
腹を中心に全身に向けて、微弱な熱が広がっていくのを感じる。
「いい飲みっぷりだな……」
「本当ですね。初めてとは思えないくらいです」
「む……、そうか? しかし、酒というのは思ったほどうまくはないのだな。もっと飲みやすいものかと思っていた」
「まあ、初めてならそんなもんだろ。飲んでるうちに良さがわかるさ。さ、もう一杯」
「む、かたじけない」
言いながら、ライナスはいつ頃用意したのか大きな酒の器をこちらに向けて差し出してくる。忠継は言われるままに酌を受けると、その一杯も瞬く間に飲み干した。
しかし酒ばかり飲んでいると今度は空腹が気になってくる。
(適当に何か食べてみるか)
どうやら今回の食事は大皿に盛られた料理を全員で取り分けて食べるものらしい。現に目の前の二人はすでに料理を自分の皿に移して食べ始めている。
そのことだけ確認すると、忠継は自分の目の前にある皿から茶色く長細い物体をフォークという道具で突き刺して取り分けた。
慣れない手つきではあるが、忠継とて一応この国の道具は使えるようになっているのだ。
「む、うまいな。なんだこれは?」
「ああ、それはソーセージですよ。お口にあいましたか?」
「うむ。なんだか知らないがうまいものだ。いったいなんなのだこいつは?」
「今日は教えるのが目的という訳じゃないので、今度じっくり教えましょう。そうだ、こっちはどうです?」
言いながら、エミリアはなにやら白い塊の乗った皿を忠継めがけて差し出してくる。忠継が言われるままにそれを口に含むと、強い臭みと、どこか悪くない味わいが口の中に広がって来た。
「それはお酒と一緒にどうぞ」
「む? そういうものなのか」
言われて、いつの間にか注がれていた酒を口に含むと、確かに白い塊とあっていることがわかる。酒の肴やつまみという言葉があるが、なるほど、この国の酒の肴はこの白い塊やソーセージとか言う代物らしい。
「どうですか? チーズのお味は?」
「癖は強いが悪くないな。チーズというのかこの食べ物は。……む? その名前、どこかで聞き覚えがあるような……」
「気のせいですよ」
目の前で満面の笑みを浮かべるエミリアに、忠継は「そうか、気のせいか」と納得して、次々に料理を口にする。エミリアの隣ではなにやらライナスが顔を引きつらせていたが、先ほどからずっとそんな表情なので気にしても仕方がない。
実際、忠継がこの時食べたものの正体を知って悶絶するのは当分後の話である。
「ま、まあ、いい感じに酒が入って来たようだし、どうよ忠継。今の気分は?」
「ふむ、少しからだが軽くなったような気がする。いや、浮いているような気分というべきか? む……、これは酔っているのだろうか?」
「いえいえ、呼吸も顔色もまだまだ正常ですよ。瞳孔もしっかりしていますし、タダツグさんはお酒に強そうです」
「いや待てお嬢、どう見てもこいつ痛い!!」
何かを言い掛けて、しかしライナスは突然飛び上がる。突然何事かと驚く忠継だが、そばにいるエミリアがコロコロと笑っているので特に異常事態ではないようだ。
「さて、タダツグさん。せっかくの機会です。いろいろとタダツグさんのことを教えてください」
「何を言っている。話ならこちらに来てこのかた、お前たちにたっぷりと聞かせてやったではないか」
「いえ、そうじゃなくて、タダツグさん自身の話ですよ。今まで話していただいたことって、全部タダツグさんの国の話でしょう?」
「俺の、話し?」
「そうですよ。例えばですね……、そう言えばタダツグさんってこちらに来る前は旅をしていたそうですけど、いったいどうして、何をしに旅していたんですか?」
「……!」
自身の旅の理由を聞かれ、忠継は不意に故郷のこと、それもここ最近感じている望郷の念ではなく、故郷で感じた失望のことを思い出した。それは、忠継の中に常に影を落とす、いつまでも消えない黒いしみのような記憶だ。
「旅していた、理由。理由……、か」
「どうしたんだ? 何か聞いちゃまずい理由だったのか?」
「いや、たいしたことはない。そうだな。ならば旅していた理由、俺の家について話そうか」
なぜか深く考えることもせず、そんな言葉が口をつく。頭はひたすら記憶をさかのぼり、口はいつの間にか、己の身の上を漏らし始めていた。
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