第十三話 ある東方の異民族の壮絶極まりない生き様
「切腹したいので介錯を頼みたい」
「は? セップク?」
その朝、ライナスが掛けられたのは、最近できた異国出身の友人の、そんな聞き慣れない言葉だった。
アスカランダ領の中でも北に位置する町、カムメルの外れにある騎士たちの訓練場でのことである
ライナスがこの異国の友人、タダツグと知り合ったのはここ最近だ。自身が騎士として仕えるクロフォードの屋敷に突然現れたこの男は、現れた理由と出身国の違いが明らかになると、瞬く間に屋敷の主人であるエルヴィスとその妹であるエミリアの餌食となった。
もっともそれだけならば騎士であるライナスもこの奇妙な異国人とは接点はなかっただろう。だが、どうやらこの男は自身の国ではこの国の騎士に当たる武士という身分だったらしく、己の鍛錬のために屋敷の騎士たちと交流をもつようになり、その中でも初期にこの男と試合をする機会のあったライナスと少しづつ話をするようになったのだ。
そんな男がこの朝、いつもとは違う都市で、いつもと同じような訓練をしようとしていたライナスの前に現れ、言ったのが今の言葉である。
「ああ……、すまん。セップクってなんだ? うちの国ではあまり聞かない言葉なんだが……」
だが、ライナスには相手が言うセップクという言葉の意味がまずわからない。相手のタダツグはなにやら神妙な顔をしてこちらに話しかけてきているので、言葉の意味がわからないというのは少々気が引けたのだが、それでも知ったかぶりをして土壇場で知らないことが明らかになるよりは余程いい。
タダツグにもそんなライナスの誠意が伝わったのだろう。少しだけ面喰ったような顔をしたものの、すぐに表情を変えてその原因を探り始めた。
「ふむ。こちらでは別の言葉を使うのか? この国の騎士とは俺の国の武士に当たる身分と聞く。ならばこちらの国にも別の言い回しであると思うのだが……」
「ああ、騎士のことを武士といったり、貴族のことを大名といったりするって前にも言ってたな。確かに言い回しの違いで俺の国にもあるって可能性は十分にあるな」
この国とは文化や風習の点で大きく違うタダツグの国だが、それとは逆に一方の国に当たり前にあるものが、もう一方の国では別の呼ばれ方で存在することも良くあるらしい。そのセップクというものがタダツグの国で当たり前のものであったのなら、この国でも別の呼び名で存在する可能性はあるのだ。
「よし、まずそのセップクとやらがどんなものか説明してくれ。こっちでどんな呼び名をするのか考えてみよう」
「そうか。それなら簡単だ。腹を切るのだ」
「…………は?」
放たれた簡潔極まりない説明に、しかしそれゆえライナスの思考は硬直する。腹を斬るとはどういう意味か。自腹を切るという意味で何かおごるぞと言っているのか、それとも何か危険な病にかかって手術が必要なのか。少し間があって、ようやく動き出したライナスの思考はそんなことを考える。
とにかくもう少し情報が必要だ。
「ああ……、じゃあカイシャクってのはなんだ?」
「介錯というのは俺が腹を切った後、その者の首を落とすことを言う」
「ああ、なるほど。そうすれば苦しまずにあっさり死ね――って、はぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」
遅れに遅れて、ようやくタダツグが何をしようとしているかを悟り、ライナスは思わず絶叫する。だがタダツグはそんなライナスの様子をどう解釈したのか、真面目な顔をして真摯に語り始めた。
「すまない。止めてはくれるな。俺はもう心を決めたのだ。お前には辛い役回りを押し付けてしまうが、できることなら己が最後はできるだけ作法に則ってやりたい。ならば介錯人として腕が立つ友人が必要不可欠と――」
「待て待て待て待て待て待て、なんで? どうしてそうなったの?」
「昨日のことだ。昨日俺はお前たちやエルヴィス達と共に化け物に襲われた」
混乱するライナスを余所に、タダツグはとうとうとその理由を語りだす。内容は昨日、この街につく直前に襲ってきた化け物の話だった。ライナスとしてはそれがどうして腹切り自殺に繋がるのかわからないが、聞かないことにはどうにもならない。
「あのとき俺は、あの化け物と対峙する機会があった。背後にエミリアも居て、己が力をふるうべきまたとない機会だった」
「あ、ああ。そう言えばそんな状態だったな……」
「だが俺は、そのとき化け物に吠えかかられ、臆して刀すら抜けなかったのだ。あげく本来守るべきエミリアに庇われ、助けられる始末……。武士として、これほど恥ずべきことはない!!」
「えっと……、それでその、セップクを?」
「ああそうだ。これ以上生き恥を晒すつもりはない。異国の地で親兄弟にも無断というのは少々気がかりだが、ここは一つ、潔く腹一文字に掻っ捌いて――」
「壮絶すぎるわ!!」
語られるその壮絶な内容に限界を迎え、ライナスはついにそう叫び返す。周囲で叫びを聞きつけた騎士たちがこちらを振り返るのを感じるが、これから目の前の友人を止めなければならないことを考えればむしろ好都合だ。下手をするとこの男が屋敷に現れたときの騒ぎがもう一度行われるかもしれない。
「つぅか、ねぇよそんな壮絶な風習、うちの国には!! なんだお前の国!? お前の国の人間ってみんなそんな壮絶な生き様してんの!?」
「皆という訳ではないが……、いや、それよりこの国に切腹が無いとはどういう訳だ!! それではこの国の騎士はどうやって己が行動の責任を取り、誇りを貫くというのだ!! 聞いた話では己が主に忠言するため、腹を斬り果てた武士もいると聞く。腹を切ることもなく、お前たちの国ではどうして主を諌めることができるというのだ!!」
「少なくとも腹切り以外の方法でだよぉっ!! っうかふざけんな!! さっきの介錯って、要するに自殺するお前に止めを刺せってことじゃねぇか!! この国ではなぁ! 自殺そのものがそもそもご法度なんだよ!! てめぇが自殺するってんなら、俺達は全力でそれを阻むだけだ!!」
「なんだと!? ふざけるな!! お前たちの国の法など知らん!! もういい。もう作法にはこだわらん! 己が命を断つだけなら、腹を切った後喉を突けばいいのだ。もうこちらで勝手に済ませる!!」
「させるかぁ!! 今度こそふんじばってでも止めたらぁ!!」
その日、クロフォード家の騎士たちはほとんど実戦に近い訓練を午前中いっぱい繰り広げることとなる。一人の男を相手に、それを全力で取り押さえることによって。
「なんだか騒がしいな? うちの騎士たちがこっちの騎士や従士たちと訓練するのって今日だったっけ?」
「いえ、今日はまだうちの騎士だけの訓練のはずです。そもそもカムメルの兵たちはすでに別件で出払っていますから」
「まあ、そうだろうね。この報告書を見た限りじゃ人手が足りないくらいだし……」
忠継達が訓練場で猛烈な訓練≪・・≫を行っている頃、訓練場に隣接したメルヴィンの屋敷では、エルヴィスとこの街の長であるメルヴィンが執務室で会談を行っていた。
歳の頃はまだ若いエルヴィスに比べ、すでに初老といっても差支えないメルヴィンの方が圧倒的に歳上である。だが立場の方はアスカランダ領の領主であるエルヴィスが、領内にある都市カムメルの管理をメルヴィンに任せている形であるためエルヴィスの方が上だ。
「やはりというか、ゼインクルは随分と荒れ始めているようだね」
「エルヴィス様の言われた通りでしたな。新兵器使用によって生まれる弊害は……」
「ふん。あんなもの、少し頭が回れば簡単にわかることだよ市長メルヴィン。それより、ゼインクルの執政官は何か言って来ているかい?」
「まだ何も。エルヴィス様がこちらに来ると聞いてこちらに向かったと連絡がありましたが、詳しい情報は全く送られてきていません」
「ふん。どうせ自分の評価に関わるからって隠し通すつもりだったんだろうな。今回のことも、発覚の理由は政敵に指摘されたからだというし」
「しかし、それでは規定量の税を集められないのでは?」
「わかってるくせに。大方領民の食べる分も絞りとるつもりだったんだろうよ。まったく、下手をすれば飢饉になりかねないってのに、隠し通せるとでも思ってたのか、馬鹿め……」
機嫌悪くそう言ってのけるエルヴィスに、メルヴィンは「くれぐれも本人の前でそんなこと言わないでくださいね」と態度を諌めにかかる。立場的には上であるエルヴィスだが、メルヴィンはエルヴィスの父親にこの都市を任せられた古い家臣だ。いくら頭が切れるとはいえ、少々本音を漏らし過ぎる主を諌めるのは自分の役目だと考えている。
「わかってるよ市長メルヴィン。僕だって人前では念入りに仮面をかぶってる。それより、今はゼインクルとカムメルの話だ」
「はい。報告書にもありましたとおり、やはり相当に不作が起きているようです。すでに秋に入ろうとしているのに、このままでは収穫量は前年の半分にも満たないかと」
「それで危機感を募らせた民衆が続々と難民化してカムメルに流れ込んでいる、か。まあ、この不作は新兵器の影響によるもの。気候や災害のせいじゃないからこのアスカランダには食料も普通にあるけど……」
「そうは言っても、難民となっているのは食うに困り、土地を捨てて逃げて来たような者達です。当然金銭を多く持っているはずはなく、すでにあちこちで盗難などの犯罪が多発しています」
メルヴィンの話を聞き、渡された報告書を読みながら、エルヴィスは思わずため息をつく。今はまだ秋の初めだからこの程度で済んでいるが、これから先冬を迎えればさらに悪化するだろう。むしろ現状はまだましだと言ってもいい。
「とにかく、食料を集めて炊き出しを行うなどするしかありませんね。これが本格的に冬を迎えれば、下手をすると暴動になりかねません」
「まあ、後はこちらに新たに雇用を創造するか、だな。もうひと思いに【街路灯≪シティライト≫】の魔石工場はこっちに作ろうかな……」
「エルヴィス様が個人で経営している工場ですか。そうですね、そうしていただけると我々としましても潤って助かります」
自身の領地をもつことを許され、その領地経営を行っているエルヴィスだが、実は領主としての仕事以外に個人でも高い収益を上げている。己の研究の成果を技術として売る工場の経営は、種類や系統によって十以上にもおよび、例え貴族としての立場を失ったとしても食べていけるような体制を築いているのだ。
そして、それぞれの経営こそ人に任せてはいるものの、そういった工場の数々はときに領地の経営に戦略的に組み込むこともできる。
「まあ、そうは言ってもそれは最終手段だな。まずはゼインクルの土地が元に戻るかどうかを調べなければいけないし……。工場を設立するとなればそれ相応に時間もかかる」
「そうですね。ゼインクルに派遣する部隊に関してはすでにこちらでも準備を進めています。後はエルヴィス様の方で派遣する学者の方々を選抜していただければ」
クロフォード家は先先代の領主が領内で大規模な技術革新を行い、それによって財政を立て直したという歴史を持つ変わり者の貴族だ。これは先先代の領主が趣味で学問に手を出しており、その重要性を理解していたために起こった現象で、その名残としてクロフォード家は今でも名のある学者と交流を持ち、研究員を雇っていたりする。
エルヴィスやエミリアが学問に並々ならぬ関心を抱いているのも、幼いころから学問の重要性を叩き込まれていることの影響が強い。もっともこの二人は父親以上に祖父の血を継いでおり、幼いころから知識欲は人並み外れて旺盛だったのだが。
「まあ、僕も今回の件のために何人かそっちの知識に明るい研究者を連れてきたし、自然科学に強い学者とも連絡を取ってるんだけど……、実は来る途中でもう一つ懸念事項が生まれてしまってね」
「例の【妖魔】と名付けた化け物のことですか?」
エルヴィスはこの街に来る途中に遭遇した、彼自身が【妖属性】と名付けた正体不明の魔力、そしてそれを操ることで異形の化け物へと変じた【妖魔】という名の生物に襲撃されている。幸い死傷者は出なかったものの、その魔力がどういった経緯で出現したのかはいまだ明らかになっていない。
「調べましたところ、五日ほど前にも一件、二日前に二件、これと似たような怪物の目撃情報がありました。ただ、三件とも信憑性が薄いとして報告されずにいたようです。誠に申し訳ありません」
「いや、いいよ。あんな化け物、実際に見ないと信用できないだろうしね。それで、その報告書はどれだい?」
「こちらでございます」
差し出された報告書に目を通し、エルヴィスはその表情をだんだんと険しいものに変えていく。
「こいつら三件ともゼインクル方面に近い地区で目撃されているな」
「はい。形状はエルヴィス様が目撃された物とは大分違うようですが、感じたことのない魔力を放つ、いくつかの生き物を合わせたような化け物という点では一致しています」
「なんなんだろうねこいつは……。仮にこいつらがゼインクルから来たとしたら、件の執政官殿はこいつのことを知ってるのか?」
「何とも言えません。【死属性】の魔力による影響のことも隠していたようですし、知っていて自分のところで握りつぶしている可能性もあります」
「まあ、そもそも信じないで、たわごとと思って無視している可能性もあるな。ただでさえ自身の評価を気にして飢饉を黙殺しかけてたような奴だ、『これ以上バカげた報告ができるか』とか考えてるかもしれない」
口では努めて冷静に語りながら、エルヴィスは内心で苛立ちを押し殺す。
そもそもことが魔力であるという時点で、この事件には人の関与が疑われる。魔力というのは自然界においてはっきりとした現象に至るまで変質することはまずない。魔力が属性を得る機会というのは、大抵の場合人が魔力に方向性を与えたときなのだ。
今回は動物がその魔力を発生させていたと思われるが、たとえ魔力を操る動物の存在を認めることができたとしても、それが自然発生したものとは考えにくい。魔力に特定の属性を与えて操る生物など人間以外に聞いたことが無いし、それ以前に【妖魔】の行動は生物のそれとしては明らかにおかしい。餌をとるためにあの力を使っていたとするにも、襲われたと思われる生き物の量が多すぎるのだ。野生動物なら普通、自身が食べるために必要な狩りをした後は無駄に獲物を取ろうとしない。
状況から鑑みて、下手をするとこの現象、隣国パスラによる、生物兵器を使ったテロ行為という可能性も十分にあり得る。
「とにかくだ。ゼインクルに学者を送るにしても、この魔力の正体がわからなければどうしようもない。どんな化け物に襲われるか分からない場所に、むざむざ貴重な頭脳を送る訳にはいかんからな」
「同感です。まずはゼインクルの執政官がこちらに来るのを待って、件の怪物についての情報を出させましょう。こちらでも独自に調査をさせておきます」
「よろしく頼むよ。ああ、それと。こちらに来ているという難民にも話しが聞きたい。できれば町中にも情報提供を呼び掛けてくれ」
「了解いたしました」
恭しく礼をして部屋を出ていくメルヴィンを見送り、エルヴィスはふと部屋の外、窓から見えるカムメルの街並みを眺める。
彼が楽しいと感じる研究に思考を戻せるのは、当分先のことになりそうだった。
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