第十二話 未知の魔力

 結局、忠継が我に返り、動きだせるようになったのは、全てが終わった後だった。

 目の前で巨大な化け物が焼き払われる様を、ただただその光景に圧倒されながら見ていただけである。


(俺は、もしかすると異国どころか、とんでもない別世界に来てしまったのではないか……?)


 忠継は自身の中で、今まで培ってきた何かが音を立てて崩れ去っていくのを感じる。以前にも一度だけ感じたことがある、足先から崩れていくような喪失感。自分にとって当たり前だと思っていた物が、あっさりと自分を裏切っていく様は、忠継にどうしようもない不安と空虚感を感じさせていた。

 粉塵が晴れ、焼けた大地を見ながら、忠継は魔術というものの威力を思い知る。今まで見た他の魔術など、これに比べれば子供の遊びに等しい。圧倒的な威力とその射程は、祖国の武士たちが束になって斬りかかっても容易に焼き払える代物だ。


(刀では、だめなのか……?)


 忠継はそれまで、刀一本あればどんな強敵とも渡り合えると思っていた。これは別に忠継一人の異常な価値観だったわけではない。剣術を至上のものと考える武士たちにとって常識的とも言える思考回路だ。

 だが、実際に見た目の前の光景が、何も言わずに忠継のその思想を否定する。


「タダツグさん? 大丈夫ですか?」


 呆然とする忠継に対し、何を心配したのか腕の中のエミリアがそう声をかける。忠継はあいまいな返事を返しながら腕の中の女を見て、さらなる事実に気付いてしまった。

 否定、というなら目の前の女もそうなのだ。剣術一本に生き、だれよりも武士らしくあろうとした忠継でもすくんで動けなかった相手に、この女は機転だけで見事に対応して見せた。それも本来守る側に立つべき忠継を守り、自身が体を張ることによって。


「とりあえず、仕留めることはできたようだな」


 忠継がそんなことを考えていると、そばにいたエルヴィスが斜面の下を見つめながらそう呟いた。言われてみれば確かに粉塵の中に動きは見られず、先ほどまで感じていた奇妙な妖気も感じない。


「恐ろしい場所だなここは……。あんな化け物が普通にいるのか?」


 ふと、さっきまで馬車があった場所を眺めながら、忠継は思わずそう呟く。ここからでは見えないが、斜面の上には先ほど化け物に喰い殺された馬の死骸が転がっているはずだ。『恐ろしい』などという台詞は普段なら絶対に言わないものであろうが、あんなものを目にした後で虚勢を張ることは、今の忠継にはできそうになかった。

 だがそんな忠継の弱音に、エルヴィスが意外な言葉を返す。


「いや、あんな生き物は聞いたことが無い。大きさも形も聞いたこともない種類だった」


「……なに?」


 忠継としてはこの国はあの化け物が普通にうろつく魔境なのかと考えていたのだが、エルヴィスの言葉は真っ向からその考えを否定する。忠継が彼の語る事実をどう受け止めたものか迷っていると、エルヴィスはさらに言葉を重ねて否定にかかる。


「おそらく突然変異か未発見の新種なんだろうけど、正直僕はあんないびつで無駄の多い生き物が自然界で生き残れていたことに驚いている。忠継も見ただろう? あの熊みたいな奴の首から兎の耳が何本も生えているのを」


「あ、ああ」


「生物というのは通常自然界で生き残るために無駄な器官を自分の体から排除しています。というより無駄のない形をした生き物が生き残るといったほうがいいくらいなんです。耳なんて二つもあれば十分なものをいくつも持っているのはどう考えてもおかしいです」


「そういうものなのか……」


 忠継がエルヴィスの話を理解できていないことを察したのか、エミリアが横から補足の説明を加えてくる。おかげでどうにか忠継が話に追いつくと、エルヴィスがそれに応じるように続きを話し始めた。


「それに、そもそもあの大きさで素早く動けるというのが理解できない。生き物というのは大きくなればなるほど体が重くなって動きが鈍るものなんだ。なのにあの生き物は下手をすると馬より早く走っていた。この身の軽さは一体なんだ……?」


「条理の外にいる生き物、という訳か。あれこそまさに妖怪変化の類だな」


「妖怪、ね。君の国のおとぎ話を現実に持ち込むのは癪だけど、あれはたしかに――、む!?」


 話しの途中でなにかに気付き、突然エルヴィスは二人を置いて走り出す。行先は当然のように斜面の下、先ほどまで化け物が存在していた場所だ。

 周囲で慌てたようにダスティンや他の騎士たちがそれに続いて行く。それを目にした忠継が自身はどうするか迷っていると、横から誰かに服を掴まれるのを感じた。

 眼を向けるとエミリアが何やら訴えるような視線でこちらを見上げている。


「な、なんだ?」


「あの、すいませんけど、私もあそこまで連れて行っていただけますか?」


「なに?」


「いえ、実はまだ少しクラクラしまして、自分で歩くのが辛いんです。でもあの生き物が何なのかは私も気になりますし……」


「……」


 忠継としては、そんな状態ならここで大人しく休んでいるべきなのではないかと思ったが、言っても聞かないことは明白なので諦めることにした。そもそも今エミリアがこんな状態になっているのは忠継の無力による所が大きいのだ。ならばここは大人しく従っておくべきだろう。

 そう思い仕方なくうなずくと、エミリアはすぐさま忠継の首の後ろに手を回し、忠継の体にしがみついてくる。その際に胸板になにやら柔らかな感触を感じてギョッとするが、当の本人は全く気にした様子が無い。


(いや、そもそも何を気にしているんだ俺は……。相手は天狗まがいの異人だぞ)


 一瞬感じた邪な思念を思いなおして打ち払い、忠継はエミリアを両腕で抱える。この世界に来て強くなった腕力は、人一人抱えてもまるで苦に感じなかった。

 斜面を下りながら見ると、すでにクロフォード家の騎士たちが化け物のいた場所に集まり人だかりを作っている。あの様子では近づいて中に入らなければ直接化け物の死骸を見ることはできないだろう。

 そう思いながら歩き始めた忠継は、しかしその途中で鼻につくその臭いの思わずその歩みを止めた。

 血の臭い、肉の臭い、それらが焼け、あるいは焦げる匂い。そんなこの場では当然と言えば当然と言える臭いが混じり合い、生成するその臭いは、まさしく死臭というにふさわしい悪臭だった。


(武士たるものが臭いごときで怖気づく訳にはいかんが……)


 己を意地で奮い立たせながら、しかし同時に自分が一人ではないことを思い出して腕の中のエミリアに視線を移す。見れば、流石のエミリアもこの状態では鼻を押さえずにはいられなかったようだが、それでも近くで見るという意思は消えてはいなかった。どうやらいつもと違い面白半分の興味だけではないらしい。


「行くぞ」


 一度だけそう告げてから、忠継は再び歩みを進める。間近まで近づくと、こちらに気付いた騎士たちが徐々に道をあけるようになってきた。恐らくは忠継がエミリアを抱いているからだろう。

 そして人垣の向こうに、その惨状は現れる。


「酷い、な……」


 大方の予想はしていた。なにしろそこにあるものはすでに臭いという形で伝わってきていたのだから。

 だが、実際に見てみると臭いなどまだ生易しいと思える。忠継は武士の意地として虚勢を張っているが、本心ではすでに胃の中のものがかき混ぜられるような感覚を覚えており、視線もできるだけそれらに向けないようにし始めていた。

 だが、腕の中の女はそうではなかったらしい。


「……足りませんね」


「なに?」


「いえ、死体の量が」


「量?」


 言われて、忠継は再び死臭の源泉へと視線を戻す。再び喉の奥で押さえつけている不快感がせり上がってくるのをなんとか耐え忍び、気力を振り絞ってそれを見ていると、エミリアの言うことがようやく理解できた。


「あの化け物の死骸にしては量が少ないな」


 付近に散らばり、物によってはいまだ火がくすぶっていたり炭になっていたりする肉塊は、本来なら先ほどの熊に似た化け物のそれであるはずだ。あれだけの魔術の集中砲火を食らったのだ。その体が原形をとどめているとは忠継も思っていない。

 だが、目の前にある肉塊は、あの化け物の大きさと比べて明らかに少なかった。あれだけの化け物の死骸なら、四散してもこの数倍はあるはずである。

 否、それどころかこの肉塊、本当にあの化け物の破片なのかどうかもわからない。


「あれ、忠継もこっちに来たのかい? エミリアも心配しなくても後で調査結果くらい教えてあげるんだから、今は休んでいればいいのに」


 忠継が吐き気を堪えて目の前の異常の正体を探っていると、目の前の肉塊の山をよけながらエルヴィスが戻って来た。着ていた豪奢な服はしかし、その袖や胸元に血のようなものがついて汚れている。


「お、おいエルヴィス、その血はなんだ?」


「え? ああ、しまったな。調べるならやっぱり着替えてやるべきだった。後で侍女マライアに怒られるかな……」


 どうやら肉塊に実際触れて調べたらしく、服に付いた血はエルヴィスのものではないようだ。忠継は一安心すると同時にこの状況で顔色一つ変えない目の前の男に戦慄を覚える。もしもこれでいつもの子供のような楽しげな表情であったならもはや忠継はこの男を人として見ることができなかったかもしれない。


「兄様、この死体……」


「ん? ああ、エミリアも気付いたか。恐らくさっきのうちの馬みたいに、あの生き物に食われた動物のものだよ」


「なに? ……いったいどういうことだ? なぜ喰われたものがここにある? あの化け物はどこに行ったんだ?」


 あまりにも不可解な話に、忠継は思わず質問を立て続けにぶつける。だが、それに対する答えは返ってこず、目の前のエルヴィスはあごに手を当てて先ほど自分が歩いて来た道を眺めている。どうやら彼にも化け物の正体が分かっていないらしい。


「兄様、向こうに何かありましたか?」


「ん、ああ、すまん。実は向こうに一体だけ熊の死体があってな」


「何? さっきの奴か?」


「いや、あれに比べると形がまっとうで、しかも小さい普通の熊のだった。まあ、後のことは実際に見た方が早いんだが、来るかい?」


 そう言うとエルヴィスは、エミリアではなく忠継にのみ視線を向けてくる。どうやら自分の妹が来るだろうことはエルヴィスの中で決定事項らしい。

 忠継は迷った末、エミリアへの責任から同行することにした。

 それじゃあ、と歩き出すエルヴィスについて少し歩くと、周囲の凄惨な肉片に混じってその死体が見えてくる。


「……たしかに、普通の熊のようだな。それに他の奴と違ってほとんど傷のようなものが無い」


「いいところに気付いたねタダツグ。僕もそれが気になってたんだ」


 忠継が何気なく発した言葉に、エルヴィスがすぐさまそう応じてくる。忠継が視線を熊からエルヴィスに戻すと、エルヴィスは先に調べたであろうことをとうとうと語り出した。


「こいつの死因は他の奴らとは明らかに違う。他の奴らは死体の破損状態も悪く、恐らくあの生き物に喰い殺されたのだと思うが、こいつの体には他の死体と違って一目でわかるような死因が無い」


「あの生き物とこの熊、何か関係があるのでしょうか?」


「たぶんね。それと二人とも、感じるかい? この死体から微弱だけどさっきの魔力の気配がするんだが」


「む?」


 言われ、忠継が最近覚えたその感覚を研ぎ澄ますと、確かにあの不気味な妖気が熊の死骸から感じられた。先ほどより微弱だが、属性は確かにあの魔力のようだ。


「どういうことでしょう? さっき魔力をもっているということは、あの生き物はこの熊が?」


「わからん。この熊が魔力を操って化け物の姿を作り出していたのか……、いや、そもそもあの魔力は本当に……」


「どういうことだ? あの化け物はこの熊が化けていたとでも言うのか?」


 意味がわからず忠継が疑問の声を上げると、ちょうど白い着物を着た男がこちらに向けて走って来た。それに対してエルヴィスが何かを命令すると、男は熊の死骸の前にしゃがみこみ、なにやら宝石のようなものを押しあて始める。


「何をしているんだ?」


「君の魔力を採取したのと同じ道具で、この妙な魔力を採取しているのさ」


「俺のときは魔力とやらを込めるのにえらく苦労させられた気がするが?」


「まあ、体内の魔力を一度体外に出さなければなりませんからね。でも、そう考えるとこの魔力はおかしいですね。普通生物の死体からは【全属性】の魔力しか取れないはずなのに、この熊は死後もこの妙な属性の魔力を放っています」


「……そういう属性の魔力なのではないか?」


 わかりづらい会話に、忠継は投げやりにそう口にする。魔力は万能の概念だというなら、何かの切っ掛けで生き物の体を大きくする魔力があってもおかしくはない。

 実際、その考えはある程度までは正鵠を射ている。


「まあそうだね。確かに考え方としてはそれで間違いないよ。ただ、そういう性質というのがどういう性質なのかはもっとはっきりさせなければならないな。状況的に見て、あの魔力が熊のような形をとっていたのは、魔力を持つ熊の影響のように思えるけど、それだと首の周りの耳や、後ろ足の周りみたいな兎のような部位が説明できない。もしもあの魔力をこの熊が生み出していたのなら、この熊の正体も探らなくてはならない。僕が知る限り、動物が魔力を操ったという事例は聞いたことが無いからね」


「それに発生原因も調べないといけません。先ほども言っていましたが、今まで人間以外の生き物が魔力を操ったという話は聞いたことがありません。自然発生したのかそれ以外の理由によるものなのか、その原因をわからないままにしておくのはあまりに危険です」


「危険、だと?」


「わからないかいタダツグ? 何かの偶然にせよそれ以外の理由にせよ、こんな生き物が一度でも発生したということは、条件さえそろえば同じ生き物が他でも発生する可能性があるということになる。そうなれば何が起きるか、さっき起こったことを考えれば想像くらいできるだろう?」


「さっきの化け物が他でも現れるということか?」


 自身で口にして、忠継はその予想に戦慄する。先ほどのあの化け物は明らかに人にとって脅威だ。今回は馬一頭と馬車だけで済んだが、一歩間違えれば何人死んでいたか分かったものではないのだ。もし他で同じことが起きれば、今度こそ死者が出る可能性は大きい。


「まずは、この魔力の性質を調べるところから始めなくては……。ああ、そう言えばいつまでも『この魔力』では呼ぶのに不便だな。とりあえず何か属性の名前をつけなくては」


 そう言うとエルヴィスは目前の熊の死骸を見下ろし、その後周囲を見渡すと、その視線が忠継を捕らえたところでピタリと止めた。再び考え込む様子を見せ、そのすぐ後に何かを思いついたような顔をする。


「そうだな。……【妖属性】、とりあえずこの魔力を【妖属性】、あの化け物を【妖魔】と名付けよう。忠継の言う妖怪でもいいが、こいつは実在する存在だからな」


 どうやら自分の話や発言を元に名付けたらしい、と忠継が気付く頃にはエルヴィスは魔力の採取を終えた白衣の男に何かを命令していた。白衣の男が立ち去るのを見送ると、エルヴィスは一度だけため息をつく。


「まったく、【妖属性】といい、あの属性といい、これから行く土地は楽しくない研究が続きそうだな」


「あの属性?」


「あれ、タダツグさんには話していませんでしたっけ?」


 忠継の疑問の声に、エミリアが再び反応する。ここに来るまでに何度も交わしたやり取り。だが今のその反応は、いつもと違いその表情に明るいものが欠けていた。


「これから行くゼインクルという土地は、パスラ侵攻の際に新兵器が使われた土地なんです」


「新兵器?」


 聞き慣れない言葉に、忠継は思わず目を丸くする。するとそれに対する答えは、エミリアではなくエルヴィスによって返された。今までにないほど不機嫌な声で。


「魔力だよ。新兵器というのはこれまで使われたことのない、最近新しく発見された属性の魔力のことだ」


「なんだ? 一体どんな魔力が使われたというんだ?」


「『死』、だよ」


「……『死』?」


「触れた対象を問答無用で死に至らしめる。死という概念そのものに変質した魔力。それこそがゼインクル直轄領で使われた新兵器、忌々しき魔力属性【死属性】だよ」


 そのとき、忠継には放たれたその不穏な言葉が、死骸の転がる焼け野原に恐ろしく似合って感じられた。

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