第七話 騎士の訪問

 全身の筋肉に意識を行きわたらせる。

 体の隅々に至るまでその動きを意識し、無駄な力の一切を排除して理想的な一閃を思い描く。

 空を切る音と共に、両手で握った木刀を振り下ろす。振り下ろされた木刀は、その勢いを忠継の目の前でピタリと失い、わずかな誤差もなく空中で静止した。


(四十六……、四十七……)


 数を数えながら木刀を振り上げては振り下ろし、忠継は無心に素振りを続けていく。最近ようやく行えるようになった朝の鍛錬は、汗を流す心地のいい感覚を忠継に思い出させる。

 だが一方で、忠継は一つだけ以前とは違う感覚があるのを感じていた。


(軽い……!!)


 素振りをしながら思うのは、やはり自分の体に起きている変化への実感だった。

木刀が軽すぎるのである。現在忠継が使っている木刀はこの国に来てから適当な木材を削って用意したものなのだが、普通の木刀より倍以上太く、形が申し訳程度に刀の形をしているだけの丸太にすぎない。以前ならこんなものを振り回すとなればさすがの忠継も一苦労だっただろうが、


(軽すぎる……。これだけ太くてもまだ駄目か……)


 作ったばかりの新たな木刀も、今の忠継には満足いくだけの重さとはいかなかった。

ついでに言ってしまえば、異国に渡るに当たって生じた不都合は木刀に限った話ではない。何もかも違う異国での生活は、忠継に様々な形で不満やを感じさせていた。

 忠継がこの屋敷に居候するようになってから七日がたつ。だが、その間に思い知らされたことは、異人の生活というものがいかに忠継のそれと違うかということだった。


(そもそもこの国にはふんどし一つないからな……)


 中でも衣服の問題は地味ではあったが頻繁に気にかかる問題だった。忠継が着ていた服はこの国の物とは明らかに違っていたため、エルヴィス達に真っ先に目をつけられ、また暮らす上でも目立ちすぎるなどの不都合が生じたため、この国の衣服をしばらく借り受けることになったのだ。そんな理由もあり、忠継が今着ているのはこの家の兵士たちが訓練時などに来ているという、動きやすさ重視の洋服である。着心地も悪くはないのだが、それでもやはり体の各所に違和感を感じざるを得ない。

 だが、そんなものはまだましな方なのだ。

 この国は忠継の国のそれと何もかもが違う。昨日の握手を始めとする礼儀や習慣に始まり、姓と名前を逆に呼ぶ、履き物のまま家の中をうろつくなどといったことを当たり前のように行う行動様式。さらには家のつくりや家具のつくり、果ては厠すらも違うのだ。

 もっとも困ったのは食事だ。これに至っては違うどころの話ではない。パンと呼ばれる強いて言うなら菓子に近い味と食感のものはまだよかったが、この国の人間は驚くべきことに獣の肉を平気で食らう。肉を食うことこそ何とか避けられたと思ったら、飲んでいた白い液体が牛の乳であることを知らされ、その日の夜には忠継の体が牛に変わっていく夢を見た。


(おかげでここ数日気の休まる暇がないな)


 さらに困ったのはここ数日のエルヴィス、エミリア兄妹の連日の質問攻めだ。忠継の身の回りの品々についての質問から始まり、会話の中で未知の言葉を口走ると、言葉を覚えたての幼児のようにそれはなんだという質問をぶつけてくる。当然される質問の中には忠継の知識の及ばないところさえあるのだが、この兄妹はそこで諦めるどころか、忠継に僅かな記憶を掘り起こさせ、そこから『ああではないか』『こうではないか』と推察を展開してくる。忠継にとっては、ここ数日は質問されていたというより、忠継の中に染み込んでいる知識を雑巾を絞るように絞り出されていたような気さえするのだ。


(だが、まあおかげで奴らがそれほど人間離れしていないことは分かったがな)


 ここ数日会話したことで得られた最大の収穫はその実感だろう。見た目や生活は確かに違う。他にも違うところはこれから先見つかっていくだろう。だがそれでも、この国で忠継の会った者達は相容れぬほど人間離れした存在ではなかった。


(兄上の言うとおり、異人には踵が無いというのは嘘だったようだしな)


 誰かに聞いて、兄に笑って否定された話を思い出す。作りものの踵の付いた履き物を履く異人は、獣のように自前の踵が無いからそんな靴を履くのだという話。だが実際には異人にもちゃんと踵があることをこの国に来てすぐに見せられたし、この国の靴という履き物を見てこれはそういうものなのだと思い知った。まさかこの目で実際に確かめることになるとは思わなかったが。


(……と、今日は雑念が混じりやすい)


 いつの間にか考え事にふけっていたことを自覚し、忠継は一度頭を振って雑念を振り払う。素振りも何度やったか分からなくなってしまったため、とりあえず一からまた数え直すことにした。

 そうして再び木刀を振るい、その数が七十を数えるようになったころ、忠継の背後に一つの気配が生じた。押し殺したような、それでいて押し殺しているという事実が透けて見えるような気配。一週間暮らしては見たが、忠継にはこんなことをする人間には二人しか心あたりが無かった。


「それで? 何の用だエミリア?」


「またバレてしまいました……」


 素振りの数が百を数えたあたりでいったん手を止め、背後の気配に向けて声をかける。心あたりのあるもう一人の人物であるエルヴィスという可能性もあったが、何もしてこない様子からその可能性は排除した。エルヴィスならある程度近づくと実験と称して魔術を使ってくるのですぐにわかる。


「なんでわかるんでしょう……? まあ、今回は気づかれるまでの間に今までで一番近づけたので良しとしますけど」


「……すまん、気付いていたのだが素振りの回数が半端なので無視していた」


「……『ぬか喜び』ですか……」


 教えた祖国の言葉を使いながら肩を落とすエミリアに向きなおりながら、忠継は近くの庭石の上に置いていた手拭いで汗をぬぐう。


「それにしても、昨日使っていたのより太くなってません、その木剣?」


「昨日借りたのでは軽すぎたのでな。手ごろな木を貰えたので自分で作ってみたのだ。まあ、それでも軽かったのだが……」


 先ほども意識していたことだが、この国に来てからというもの忠継には手にするもの全てが軽く、あるいは脆く感じて仕方がない。最初はこの国の物が軽く、脆弱なのかとも思ったのだが、忠継が持っていた刀を持っても軽く感じてしまうためそうではなさそうだった。異様な身の軽さを考えても忠継自身の膂力が上がっているように思える。


「まあ、確かにタダツグさんって鍛えられた感じの体してますもんね」


「そのせいだけではないとは思うが、鍛えているのは当然だ。武士たるもの剣の腕が無くてはな……」


 むしろ忠継は武芸一本に打ち込んできた分同年代の者たちより鍛え方は激しいくらいだ。おかげで剣の腕ならいくつか年上の者が相手でも負けることの方が少ない。


(まあ、おかげで他のことを何も知らないのだが……)


 この七日間と言うもの、この兄妹に質問攻めに遭い分かったことがもう一つあるとすれば、自分がいかにものを知らないかということだった。連日続けられている質問攻めの数々に、しかし忠継は半分も答えられていない。学問のこともさることながら、身の回りの品がどのように作られているのかなど忠継には見当もつかなかった。


(兄上ならばあの質問に全て答えられるのだろうか……?)


 自分と違い学問に精通し、本で得た知識を楽しげに語る兄を思い出し、あるいはという思いが湧き上がる。実際答えられた質問の答えのほとんどは兄から教わったものだ。質問の中には常識的な物もあるので兄が教えなくても他の人間に教えられていたかもしれないが、それでも兄から得た知識であることには変わりない。


「そういえば、忠継さんいつも一人で素振りしてますけど、人を相手にはしないんですか? 訓練なら素振りだけではダメなのではないかと思うんですけど……」


「したいのはやまやまだが相手がいないのではな。ただでさえ感覚が狂い始めている上に、しばらく道場から離れているので、いい加減誰かと試合がしたいのだが……」


「なんでしたら相手を紹介しましょうか?」


「なに?」


「うちの騎士たちならそろそろ訓練に入っていますから、行けば相手をしてくれると思いますよ」







 一方その頃、クロフォード邸の別室では、当主のエルヴィスが一人の来客を迎えていた。

 場所は客間、ではなくエルヴィスの書斎である。客を迎える調度品の代わりに大量の本と奇妙な魔方陣の図面で埋め尽くされた部屋の中、唯一客を迎えることのできるソファに座った男は、目の前のソファにエルヴィスが座るのを待って出された紅茶に口をつける。

 どこか気品を感じさせる動作で紅茶をすする男。その動作だけで彼が一定以上の階級に所属する存在であることはうかがい知ることができるが、この国の貴族と呼ばれる人種と違い、ひ弱な様子は感じられない。

 むしろ男は赤い髪を短く刈りそろえ、細見ではあるものの引き締まった体をしており、どこか武人としての頼もしさを感じさせる。

 だがそんな男が、今は鳶色の瞳を半眼に開き、普通ならしないような言うべき苦言を煮詰めているような視線でエルヴィスを見つめていた。

 ひとしきりエルヴィスを睨んでいた男は、紅茶のカップを置くとようやくと言える空気を醸し出しながら口を開く。


「まあ、なにはともあれ元気そうで何よりだよエルヴィス。もっとも、会うのは結構久しぶりでも、元気なのは風のうわさで良く分かっていったけどね」


「そういう君も随分出世したようじゃないかオーランド。今は部隊長になってるんだっけ?」


「ああそうだな。おかげでこの前、君の家でなにやら実験があったことも聞けたよ」


 そう言うとオーランドはエルヴィスと同時にもう一度カップを傾け、紅茶でのどを潤す。そばで来客のもてなしのためについていた侍女は、その静けさがどこか不気味なものに感じられた。

 そして直後、侍女の予想はしっかりと的中する。


「っていうか、多角形変身伐採術式による魔力製造の高次変態術式ってなんだよ。つくならもっとましな嘘をつけ」


「うるさいこの堅物め。まさかあのあと騎士連中がしつこく確認に来たのはお前の差し金じゃあるまいな? 第一、名前が完全に違っている。悪いのは騎士の耳か君の記憶力かどっちだ?」


「そもそも覚える気が無いんだからいいだろう? どうせ君だって口からデマカセでつけた名前だ。間違って誰が困るというんだ」


 同時に紅茶のカップを置き、二人はしばし無言でにらみ合う。

 二人にしてみればいつものやり取りなのだが、そばでそのにらみ合いを目の当たりにする羽目になった侍女にしてみればたまったものではない。そもそもこの侍女、アイラは先日屋敷内で騒ぎがあった際に、当主の口にしたデマカセを伝えた張本人である。伝えられた言葉もうろ覚えで、この二人のいさかいの原因が自分にあるのではないかと気が気ではない。

 だがその沈黙も、先に折れたオーランドのため息によって収束する。


「まったく……。だから君は他の大貴族どもに嫌われるんだ。少しは気をつけろよ。君、一部の派閥からは目の敵にされてるぞ」


「知ったことか。あんな賄賂の味を覚えた豚みたいな連中に合わせてやる義理はない。同じ豚なら縄張り争いや賄賂に興味のないマレット卿の方がよっぽどましだ」


「豚って……。まあ、確かにあの方も貴族である前に美食家で料理人って人だからな……。この前も、『食事に貴賤はない。うまいまずいがあるだけだ』とかいって庶民の料理にご執心だって聞いたし」


「噂じゃ、飢饉対策にかこつけて雑草のうまい料理法まで研究し始めたらしい。貴族とは思えない雑食家だよあの人。そのうち泥まで食べ始めるかもね」


「泥って……。食えるのかいそもそも?」


「さあね。消化できれば食えるだろ。今のところその予定はないけど、協力を求められたら研究してみるのも悪くない」


 とても貴族や高位の騎士のするものとは思えない会話をしながら、二人は再び注がれた紅茶をすする。会話の内容に反して、その仕草だけは間違いなく高い身分だと感じさせるものだ。


「それで……」


「ん?」


「君やエミリアさんには特に危険はなかったんだろうね?」


「ああ。それは特に。ご心配なく」


 その言葉に、オーランドはわずかに安心した様子をのぞかせ紅茶を飲む。その光景に、そばにいたアイラもようやくこの騎士に好感を持てた。


「特に危険はなかったよ。ちょっとうちの庭に変な魔方陣が現れて、妙な侵入者がうちの騎士と大立ち回りしただけだから」


 付け加えられた真実に、騎士は口に含んだ紅茶を盛大に噴き出した。






 鋭い踏み込みと共に剣を振るい、相手の胴めがけて薙ぎ払う。相手の剣士はそれにどうにか反応し、その右手に持つ剣をこちらの剣に合わせるが、


「ぐおっ!?」


 地に足がつき、剣だけの一撃など容易に受け止められるはずの態勢だったにもかかわらず、こちらの剣に押されてよろめいてしまった。

 体勢の崩れた相手にめがけてもう一度剣を振るい、相手の構えた盾めがけて叩きつける。


「うぇぇっ、お、ああああああああ!!」


 どことなく情けない悲鳴をあげ、受け止めたライナスと名乗る騎士が宙に飛ばされ、背中から地面に落ちてそのまま転がっていく。


「そこまで!! 勝者タダツグ!!」


 いつの間にかそんな合図をするようになっていた男の一人の声を聞き、忠継は木刀片手にため息をついた。

 現在忠継は、エミリアに連れられて訪れた騎士たちの鍛錬場で騎士たちを相手に木刀を振るっていた。お互いに相手の国の剣術の規則を知らないため、勝敗と禁止事項だけ定めた完全な野試合である。

 とはいえ、結果は常にこれと似た状態である。これまで八人の男たちと手合わせした忠継だが、三人は相手の木剣を叩き折り、残りの五人は強くなってしまった膂力が吹き飛ばしてしまった。

 最初こそ先日屋敷内で暴れまわった忠継にどう対応したものかという雰囲気を放っていた騎士たちだが、今はほとんど呆れたような、感心したような目で忠継を見てきている。


(それにしても、これでは技もなにもあったものではないな……)


 そう思いながら、忠継はこの国の訓練に使う防具、その中から頭にかぶっていたものを外し、木刀を握る右手を何となしに見つめる。

 正直に言って、忠継は現在この力を予想していたよりはるかに持て余していると言ってもいい。こうして試合をして見るとよくわかるのだが、力が急に増大してしまったため細かい調整ができていないのだ。おかげで攻撃を見切り、躱して相手を吹き飛ばすといった、力技と言っていい剣で他を圧倒することはできているのだが、狙いがおおざっぱになりやすく、手加減も丸で効かない。ほとんど力に振り回されているような感覚が忠継の中で渦巻いていた。

 と、そうこうしていると周囲の人だかりに今までとは別種のざわめきが起き始めた。それに気付き、忠継がざわめきの中心を見据えると、二人の人間がこちらに向かって歩みよってくる。

 一人はエルヴィスだった。ここ数日、忠継を質問攻めにし、知識を絞り続けた金髪碧眼のこの男は、今も興味と好奇に満ちた視線で忠継を見つめている。

 だが、もう一人の男はまるで見たことが無かった。正直に言ってしまえば、忠継にはこの国の人間がたまに見分けられないことがあるのだが、この男はそういう理由ではなく本当に見たことが無い。恐らく屋敷の人間ではないのだろう。燃えるような赤い髪と、鋭い鳶色の瞳を持つこの男は、その鋭い目に探るような色を交えて忠継を見つめていた。

 そして、男を見て忠継はすぐに気付く。


(この男……、相当できるな)


 歳は少し上、エルヴィスと同年代のようだが、身長は忠継と同程度。筋肉も極端についているわけではない。行ってしまえば忠継とそう変わらない体格のこの男からは、しかし自然とにじみ出る隙のなさが感じられた。


「初めまして。僕はオーランド・ウィングフィールド。エルヴィスの友人だ」


「武内忠継だ。この国ではオーランドの方が名前だったか?」


 互いに挨拶をかわし、しかしすぐに会話が途切れて双方共に沈黙する。だが二人は相手を無視していたわけではない。互いに視線を合わせ、にらみ合いに近い状態を生み出していた。


(やはりこいつ、相当できるな)


 敵意は感じないし自分も放っていないものの、相手を見ながら心中で忠継はそう判断した。特に根拠のないただの直感である。だが、長く竹刀を握り、道場で鍛え上げてきた忠継のこうした直感は比較的よく当たる。

 そして、相手の力量を図っていたのは相手も同じようだった。


「それじゃあタダツグ、あ、呼び方はタダツグで構わないかな? エルヴィス達がそう呼んでいると聞いたんだけど」


「構わんが、なんだ?」


「実は君が相当腕が立つと聞いてね。少し手合わせしたいと思って来たんだ。相手をお願いできるかな?」


「……いいだろう」


 望むところだ。とまでは言わず、忠継は了承の意を相手に伝える。忠継としても腕の立つ相手との立ち会いは望むところだ。勝手の違いが多くまだ慣れていないが、それでもやってやれないことはない。

 周囲で二人の試合が行われることを知った騎士たちがざわめくのを感じる。だが忠継は、むしろ自身のなかにこそ何かがざわめいているのを感じていた。

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