第二話 異人の館

「え、えっと、つまりあなたはその天狗と言う生き物を退治しにレキハ村に来て、気が付いたらあの部屋で寝ていたとそういう訳ですか?」


「ああ、そうだ。まったく、退治しに来て逆に捕らえられるなど一生の不覚だ」


「それで、その天狗と言うのが私たちだと?」


「そうでなければ何だというのだ?」


 お互い名乗り合い、女を尋問し始めた忠継はしかしすぐに壁にぶつかった。

 どうも目の前の女は自分が天狗であるという自覚が無いらしい。それどころか先ほどから話していて何度もこちらが質問を受ける羽目になっている。

 それも「幕府って何です?」とか、「旗本って役職ですか?」と言うような常識的な話ばかりで、質問しているのはこっちだと質問を重ねてもなかなか話が進まない。


「えぇい、もういい! とにかく俺を元いたところに戻せ!」


「そう言われましても、そもそも私たちもあなたがどうしてこの屋敷の中にいたのかが分からないんですが」


「なに? じゃあお前たちはどうやって俺をここに連れて来たっていうんだ!」


「いえ、そもそも私たちもあなたが勝手に屋敷に侵入した不審者だと思っていたくらいなので……。逆に聞きたいんですがどうやって屋敷の中に入ったんですか?」


 何度目にあるか分からない問答に、いい加減忠継も頭を抱えた。呑気な口調で語るエミリアの表情からは相変わらず何の情報も読み取れない。そもそも忠継はこう言った腹芸の類は苦手なのだ。

 しばし考え込んだ後、忠継は質問を変えてみることにした。今まで棚上げにしていた、しかし事と次第によっては今までよりも重要な質問がすぐに頭に浮かぶ。


「俺の大小はどこへやった?」


「え? ダイショウ、ですか……?」


「とぼけるな! 俺の刀だ! 腰に差してあっただろう」


「ああ、あの変わった剣のことですか。それなら兄様が書斎に持って行きましたよ。変わった剣だから後で分解して調べるって」


「分解だとぉ!?」


 エミリアの語った刀のあまりの扱いに思わず忠継は大声で叫ぶ。下手をすると屋敷にいる他の天狗に見つかりかねない愚行だったが、忠継にはそれを気にする余裕もなかった。


「貴様、武士の刀を何と心得る! あれは武士の魂だぞ!!」


「え、あの、ごめんなさい。もしかして大事なものだったんですか?」


 忠継の勢いに気おされてひるむエミリアの、それでもとぼけたような反応に忠継はさらに焦りを強くする。相手が刀の価値も知らない天狗となると、本当に躊躇なく刀を分解しかねない。


「すぐに取り戻さねば!! おい、その書斎とやらはどこだ!」


「え、えっと、まずこの部屋を出て――」


「面倒だ! 案内しろ!!」


 エミリアの手をつかみ、扉を開けて外の廊下に飛び出す。だが、その後すぐに飛び込んできた景色によって忠継の思考は完全に停止した。

 目の前にあったのは大きな窓。そしてその向こうには巨大な土地が広がっている。はるか先には建物らしきものが無数に並び、さらに向こうには城らしき巨大な建物がそびえている。視線を手前に戻せばそこにはひたすら巨大な家と庭。どうやらこの屋敷は忠継が考えるものよりはるかに大きいらしい。


「バカな……!! ここは一体どこだというのだ!?」


 忠継は今まで、自分がいるのは人里離れた山奥の天狗の巣だと思っていた。忠継が向かっていたレキハ村の近くには山があったし、何よりそこ以外に天狗が住めそうな場所が思い浮かばなかったのがその根拠だ。

 だが、目の前に広がる広大な土地と町並みはその根拠をあっさりと打ち砕く。

 この光景は明らかに山一つで隠しおおせられるものではなかった。


「なぜこんな……、これもバテレンの妖術か……?」


「あの? 行かないんですか」


「え? あ、ああ」


 エミリアの言葉にようやく我を取り戻し、刀のある部屋まで案内させるべく動きだす。だがそれと同時に忠継はエミリアに肝心なことを聞いていないことを思い出した。


「……おい、エミリアとか言ったか?」


「はい? そうですけど」


「ここはどこだ?」


「え? ええっと、フラリア帝国の首都レキハ、その外れにあるクロフォード家別邸ですけど……」


 一部を除いて聞いたことのない地名の羅列に、忠継は強いめまいを感じた。






 案内されたのは随分と乱雑に物があふれた奇怪な部屋だった。あちこちに本らしきものが山積みにされ、足の踏み場というものが恐ろしく少ない。そのうえあちこちに動物の皮らしきものが散乱し、それに怪しげな絵が描かれて壁に張り付けてあるのだからさらに奇怪だ。この部屋を見るだけでやはりここは化け物の住む家なのではないかという思考が蘇ってくる。


「あっ、ありましたよ。どうやら兄様もまだ調べていないようです。他の荷物は無いようですけど……」


「あ、ああ」


 差し出された刀を受け取り、とりあえず分解された痕跡のないことを確認すると、忠継はそれをすぐさま腰に差した。それだけで幾分心に余裕が戻ってくる。

 忠継は、深呼吸をひとつすると、この部屋に来るまでに考えていたことを確認することにした。


「まず問いたいのだが、もしやここは異国なのか?」


「イコク?」


「俺が住んでいたのとは違う国のことだ」


「そう言われましても……、まあ、確かにダダツグさんはこの国にはない珍しい恰好をしていますし……、国が違うという可能性は確かにありますね」


「やはりか」


 忠継も、海の向こうに自分たちとは違う見た目の人々が存在し、独自の文化を持っているというのは知識として知っていた。

 何度か外国から入ってきたという蘭書を目にしたこともあったし、そもそも、忠継の兄がそう言った蘭書を読み漁っていた。その兄が話していた人々と、目の前にいる女は確かに共通する点も多い。

 先ほど見た光景も、ここが山奥などではなく他の国なのだと考えた方が納得もしやすい。


「だが、なぜだ? 俺は異国に渡った覚えなどないぞ……」


「えっと、つまりあなたは、気が付いたら全く知らない国にいたっていう状況ですか?」


「どうやらそういうことらしい。まったくどうなっているんだ……。俺は神隠しにでもあったのか?」


 と、そこまで考えて忠継は大きな違和感に直面した。


「なぜ言葉が通じるんだ?」


「はい?」


「おまえはなぜ俺たちと同じ言葉を喋っているんだ? 異人と俺達は使う言葉が違うはずだろう?」


 兄の話では異国では使われている文字や言葉が根本的に異なるため、異国の文化を学ぶにはまずそれらを学ぶ必要があるという。だが、目の前の女が口にしているのは明らかに忠継と同じ言葉だった。思い返してみれば先ほど投げ飛ばした大男も同じように喋っていたように思う。


「私は特にそちらの言葉に合わせているわけではないんですけど……、あなたがこちらの言葉に合わせているのではないのですか?」


「馬鹿を言うな。俺は異国語など操れんぞ」


 思わず噛みつき、しかしそれによって疑問がより深まったことを悟る。たがいに自分の言葉を話し合っているのに言葉が通じているという奇妙な現象。それはもはや忠継の頭でわかる限界を超えていた。


「えっと、なら文字はどうでしょう? あなたは自分の国で文字は読めましたか?」


「馬鹿にするな。文字の読み書きなど町人の子でもできるぞ」


「そうなんですか? それって結構すごい国ですね。っと、今はその話はいいですね。とりあえずこの本を読んでみてください」


 そう言うと、エミリアは書斎の棚から一冊の本を取り出した。ずっしりと重いその本は、忠継の知る紙とは違う別の何かで作られており、開いてみると見たこともない文字がびっしりと並んでいた。


「どうですか?あなたの国の文字と同じですか?」


「いや、こんな文字は見たこともない。前にちらりと見た蘭書とも違う気がする」


「そうですか」


 そう言うとエミリアは、今度は別の棚から三冊ほど本を取り出して渡してくる。だが、どの本を見ても結果は同じだった。どうやらそれぞれ違う文字で書かれた本のようだが、一つとして読める文字は見当たらない。


「だめです? そうなると……」


「まて、この文字が読めたらどうだというのだ。何か意味があるのか?」


「へ? 特に意味はありませんけど?」


「なんだと!?」


「いえ、言葉が通じるなら読めるのかなと思いまして。でも特にそういう訳ではないみたいですね」


 緊張感のないエミリアに、いい加減忠継も脱力する。先ほどから話していて気が付いたのだが、どうもこの女は好奇心や興味のままに動く性質があるらしい。


「えっと、要するにタダツグさんは自分の国に帰りたいんですか?」


「さっきからそう……、言ってはいなかったか……。だが普通はそう思うだろう!?」


 どういう理屈で異国に来てしまったのかは分からないが、こんな場所にいつまでもいるわけにはいかない。だが、どうやってこんな場所まで来たのかが分からないのと同じように、どうすれば帰れるのかもわからないのだ。


「えっと、タダツグさんの国は何という国なのですか?」


「日本だ」


「……聞いたことが無いですね。どこにある国なのですか?」


「……どこ?」


 聞かれた質問に、しかし忠継は言葉に詰まる。自分の国がどこにあるか、それを説明する知識を、忠継はまるで持ち合わせていなかったのだ。


「う~ん、なら、さっきみたいに読める文字を探せば、どこの国から来たのか判るかもしれませんね。そうすれば帰ることも……」


「本当か!?」


「ええ、ですが兄様が持っている外国の本は今ので全部です。本家の書庫に行けば他にもあるとは思いますが……」


「本家?」


「ええ。私達は今、自分の領地からこのレキハに出張してきているようなものですから。私たちの領地のある本家でないと流石に書庫はないんですよ」


「大名の江戸屋敷のようなものか」


「大名? 江戸屋敷?」


 言ってから忠継は自分のうかつさに気が付いた。この好奇心旺盛な女の前に未知の単語を晒すなど、迂闊にもほどがある。


「とにかくだ。要はその書庫とやらで俺の国の文字を見つければいいのだな?」


「ええ。そうすればそのニホンと言う国についての情報は得られるかと。後は、そうですね、あなたと一緒に現れた魔方陣に原因があるなら、あの魔方陣も帰るための手がかりになるかもしれません」


「……マホウジン? 何だそれは?」


 聞いたこともない言葉に忠継は思わず首をかしげる。だが首を傾げたのはエミリアも同じだった。


「魔方陣は魔方陣ですよ。裏庭で倒れていたあなたと一緒に地面に現われていたんです。何の魔術なのかもさっぱり分からないので、今兄様が調査の準備をしています」


「いや、だからさっきからマジュツだのマホウジンだの、いったい何の話をしているんだ?」


「いや、だから魔術は魔術ですよ? ……もしかして、そちらの国では別の呼び方をするんですか?」


「わからん。少なくともそんなもの聞いたことが無い」


「ないわけないんですけど……? どこの地域でも、使う文字や様式の違いこそあれ、何らかの形で発展してますから……」


 どうやらエミリアの言うマホウジンと言うものはよほど一般的なものらしい。ならば忠継も一目見れば分かるかもしれない。何より自分の国に帰る手がかりになるものだ。見ておいても損はないだろう。


「とにかく、その裏庭の魔方陣と言うものを実際に見てみよう。そうすればどんなものか一目でわかるだろう」


「え? ああ、そうですね。考えてみれば見た方が早いんでした。うっかりしてましたね」


「よし、では早速行ってみよう。裏庭と言うのはどっちだ?」


「あ、でもわざわざ裏庭に行かなくても魔術は見られますよ」


「なに?」


 部屋を出ようとした忠継を、エミリアはそう言って呼び止める。

 もしや部屋の中にそのマジュツとやらが存在していたのかと、振り返った忠継は、直後信じられないものを見た。


「なっ……、ああ!!」


 エミリアの指先に奇妙な光があるわれる。その光は見る見るうちに増えていくと、円と線、そして奇妙な文字を組み合わせたような形をとった。


「ま、まさか……!!」


 異変はさらに続く。描かれた形の中で、何かが蠢くような感覚を覚えたかと思うと、その中心から赤々と燃える炎が現れたのだ。

 にもかかわらず、エミリアは平然とそれを見つめ、あまつさえその炎を見せつけるようにこちらに差し出してくる。


「これが魔術です。あなたの国ではどのように呼んで……、どうしたんですか!?顔色が悪い――」


「寄るな、化け物めっ!!」


 慌てて駆け寄ろうとするエミリアに、忠継は反射的に叫び、後退る。すでに忠継の中では自分がどんな状況にいるのかという疑問の答えが、今度こそ完全な形で出ていた。


「やはり……! ここは、ここは……!!」


 考えてみれば当たり前の話なのだ。海を隔てたはるか遠くにあるという異国。そんな場所に船も使わず、たいした時間もかけずに行きつくなどあり得ない。ならばそこには超常の存在が関わっているはずなのだ。


「やはりここは妖術使いの国かぁ!!」


「落ち着いてくださいタダツグさん!!」


 声に惹かれて正面のエミリアを見る。見慣れない服、異色の肌と髪と瞳、長い耳、そして何よりその手に灯る炎、よく考えればすぐにわかる。目の前にいる女は|どう見ても(・・・・・)|人ではない(・・・・・)。


「……ここは!! ここは異国なんかじゃない!! 俺は、俺は異界にいるんだ!!」


 ここに来て忠継の恐慌は頂点に達する。今自分がいるのは明らかに化け物の手の上だ。下手をすると次の瞬間にはとり殺されるかもしれないのだ。

 そして直後に響いた怒号がその恐慌に拍車をかける。


「そこにいたかぁ!!」


「!!」


 驚いて視線を右に移すと、そこには先ほど気絶させた大男の姿があった。表情を鬼のような形相に変化させ、何より手のひらに文字と図形を輝かせながらこちらに迫ってくる。


「っぅううううう!!」


「ダスティンさん!?」


「その方から離れろぉぉぉぉぉっ!!」


 瞬間、大男の手にあった図形の塊から何かが動く気配がし、すぐに図形から毬のような大きさの歪みが現れた。それに忠継が反応する前に、大男はそれを図形ごと忠継に向ける。

 直後、強烈な痛みとともに忠継の体が吹き飛んだ。


「がっ、はぁ!!」


 最初、忠継は自身が殴られたのかと思った。だが痛みの発生地点である脇腹に先ほどの歪みの塊が食い込んでいるのを発見し、自分が何か見えないものをぶつけられたのだと悟る。


「う、ぐあああああ!!」


 床に叩きつけられ、痛みの余り脇腹を押えて呻く。どうやらあばら骨が折れるような事態にはなっていないようだったが、ぶつかったはずの見えない何かは、一瞬のうちに影も形も見受けられなくなった。そのことがさらに忠継の混乱と焦燥に拍車をかける。


「ご無事ですかエミリア様! 何かされてはいませんか!?」


「ダスティンさん!! どうか落ち着いてください。むやみに攻撃魔術を使わないで!!」


 忠継の耳に、なにやら言い争うような声が聞こえてくる。この機会を逃すわけにはいかないと、忠継は必死で近くにあった窓枠に手を掛け、身を起こした。

 だが目の前の大男は、それを見逃すほど甘くない。


「動くな貴様ぁ!!」


 手の先に再び図形が展開され、その中で未知の感覚が強くなる。案の定すぐに先ほどと同じ歪みの塊が形成され、それが忠継に向けられた。


(ま、ずい……!!)


「待って!! ダスティンさん!!」


 次の瞬間、忠継の体は衝撃とともに投げ出され、窓を超えて外へと放り出された。

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