故国に捧ぐカタナ

数札霜月

第一話 武内忠継

 無明の闇の中を忠継は落ちていく。

 手足に触れるものもなく、立ち上がる地面を失った不安が押し寄せる。


(……ああ、こんな感覚は前にもあった)


 自分がまだ家にいたころ、同じような不安を抱いた時のことを思い出す。

 それと同時に申し訳なさそうな表情を浮かべた兄の顔も。


『すまない。忠継』


 脳裏に浮かぶのは兄が口にしたそんな言葉。

 忠継はその声に心中で『やめてくれ』と叫びをあげる。本来ならこれは謝罪されるようなことではない。むしろ本来なら自分はそれを祝福しなければならないはずなのだ。

 そんな罪悪感にも似た感情は、しかし続けて蘇る言葉によって収まることなく拡大する。


『そうかもしれない。でも、すまない。……私は、お前のいるべき場所を奪ってしまった』


 それは違う。

本当は忠継が兄のいるべき場所に居座っていただけなのだ。兄は本来いるべき位置に収まっただけの話だ。兄が謝罪を口にするなど明らかに間違っている。

 そう思いながらも、しかし忠継にはそれをどうしても口に出せなかった。なぜなら忠継は、確かに兄の存在ゆえに、己の存在意義を失ったのだから。

 兄の顔の次に申し訳なさそうな顔をする母の顔が浮かぶ。そしてもう一人、表情を消しながらも、最後までその決断を迷い続けていたであろう父の顔も。

 そんな顔をしないでほしい。なぜならこれは間違いなく喜ぶべきことなのだから。実際、忠継さえいなければ三人は素直に喜べていただろう。そう思うと物理的な痛みとは違う。自分の内面を刃が通り過ぎるような痛みが胸に襲ってくる。


(俺の道を見つけねば……。誰にはばかることもない。胸を張って誇れる自分の道を……)


 そう思った瞬間、体をどこか覚えのある鈍い痛みが襲ってきた。同時に目の前に急に光が生まれ、忠継の意識は唐突に覚醒する。






「……っ……う……む?」


 鈍い痛みに苛まれながら、忠継は痛みの発生源である肩をさすりながら身を起こした。どうやら今まで眠っていたらしく、目をあけると日の光が目に飛び込んでくる。


「……ああ、くそ! 我ながら未練がましい夢を見た!」


 自分の女々しさに歯噛みしながら忠継は自分にかかっていた布団を跳ね除ける。

 起き上がってすぐに、いつもは頭の後ろに縛って総髪にまとめている髪が顔にかかって鬱陶しさを感じ、いつものように何かで縛ってしまおうと考えて周囲を見渡し、忠継はようやくその異常に気が付いた。


「なんだこれは?」


 自分の横にあったそれを見て思わず呟く。そこにあったのは恐らく自分が寝ていたであろう寝床。ただし、忠継の知るそれよりも異常に高く作られた寝床だった。先ほどの痛みはどうやらここから落ちたことによるものらしい。


「なぜこんな……、何様だ俺は? ……と言うか、ここはどこだ?」


 改めて周りを見回し、忠継はその部屋の異様さに気が付いた。家具は今見た奇妙な寝床一つのみ、床や壁や部屋のつくりなども忠継の知るそれとは異なっている。窓らしきものは存在していたが、その向こうには木がうっそうと茂っており、その向こうが見渡せない。


「いったいここは……、む?」


 忠継が驚愕を押し殺し、部屋を見渡す過程で見つけた紐で髪を縛りながら周囲を見渡し、その異様さに唖然としていると、唐突に自身が重要なものを忘れていることに気が付いた。


「……無い」


 慌てて自身の腰を探り、そこにないと判るやあたりを見回してそれを探しまわる。だがどれだけ見渡しても部屋には奇妙な寝床以外なにも存在せず、その寝床も、布団はおろか寝床そのものすらひっくり返しても探し物は見つからなかった。


「……っ! 外か!!」


 ほとんど調べる場所のない部屋を調べつくし、ならばと、部屋のはしの扉に手をかける。これもよく見る扉と若干違ったが、扉の開け方など大体想像がついた。

 だが忠継の予想に反して扉はいくら試してもびくともせず、再び部屋の中を見渡して窓に鉄の格子がはまっているのを見て、忠継はようやく自分が置かれた状況を理解する。


「まさか、……閉じ込められているのか?」


 ここに来てようやく自分が置かれている状況を理解し、しかしそれによって新たな疑問を抱く。見たところ本格的な牢に入れられているという訳ではないようだが、だからこそ余計にそれが不可解だった。


「なぜ俺は閉じ込められているんだ?」


 疑問を解消しようと必死に記憶を探る。だがすぐに思い出せたのは自分がとある村と、その近くにある小さな山に向かっていたということだけだった。

 記憶が混乱しているような感覚を覚え、忠継はさらに記憶を辿ってここに至った原因を探る。


「確か目的は……」


 忠継が座り込んで唸りながらそこまで考えて、しかし答えが出る前に扉の向こうから人の話す声が聞こえてきた。

 自分が置かれている状況を知る助けになるかもしれないと考え、、慌てて扉に耳を当てて、その声を聞き取ろうと耳を澄ます。


「……が、あの男……審人…………ことは明……です。なにもエミ………自らお出向きにならなくとも」


「…え、でも、その男性は…通……入者とは違うようなのでしょう? 見つかったときも気絶していたと聞きますし。なら、その方を診察してみるのも取り調べになるのでは?」


 声からしてどうやら男女の二人組のようだ。最初の方こそ少し聞きとりづらかったが、どうやらこちらに近づいているらしく、だんだんと声がはっきりしてくる。

 一つは厳格そうな男の声。そしてもう一つは弾む毬のように楽しげな女の声だ。


「ですが、なにもエミリア様が直々にそのようなことをしなくても、医者を呼んで調べさせればいいことです」


「そんなことをするより、私が調べた方が早いでしょう? ……それに、私も興味があるんです。その方、私たちと外見がずいぶん違うのでしょう? 大丈夫ですよ。兄も外の方にずいぶん興味を示されているようですし、文句は言わせませんから」


「しかし、……いえ、いいでしょう。言っても無駄なのは理解しました。なら、せめて会う際は自分の指示に従ってください。……っと、着きました。この部屋です」


 言葉とともに、忠継のいる部屋の扉から音がする。どうやら彼らが面会しようとしていたのは忠継だったらしい。半ば以上予想していたことだったので、特に慌てることもなく扉から離れる。すると案の定、鍵を外された扉が開き、その向こうから声の主たちが現れた。


「……な!?」


 だが入ってきた相手のその姿を見て、忠継は今度こそ驚愕した。

 入ってきたのはかろうじて鎧とわかる銀色の金属を体の各所にまとった大男だった。だがその姿は忠継の予想とはるかにかけ離れている。短く刈り込んだ髪は栗色、瞳に至っても灰色をしており、肌の色も忠継の知る人のそれより赤く、耳に至っては長く鋭くとがっている。

 |どう考えても(・・・・・・)|人の見た目ではない(・・・・・・・・・)。


「な、なんだ貴様! よもや天狗の類か!?」


 慌てて飛び退き、忠継は腰に左手を伸ばして腰だめに構える。だがその左手はあるべき刀(・)をつかむことなく空を切った。先ほどないことを確認していたことを思い出し、忠継は内心舌打ちする。


「おい、貴様、随分と反抗的な態度ではないか? 妙な真似をすると不審者らしく拘束するぞ!!」


「なに!?」


 忠継の見せた警戒に触発されたのか、大男もすぐに身構える。その腰には忠継と違いしっかりと剣がおさまっており、体格も知り合いからは大きいと言われる忠継よりさらに一回り大きい。


「手荒なまねをされたくなければおとなしくこちらの指示に従ってもらおう。エミリア様が貴様に会うと言われている。出ろ!!」


 そう言って大男は忠継に向かって手を伸ばす。事と次第によってはこの場で取り押さえることも想定した動き。普通ならこの状況で逆らったりはしない状況だ。


「っ!! 俺に――」


 だが、忠継の精神状態は普通ではなかった。異形の相手の手から逃れるべく、のばされた腕を素早くつかみ取り、染みついた動きで相手の体を自身に引き寄せる。


「――触るなぁ!!」


 瞬間、大男の体が回転して宙を舞った。


「なぁっ!?」


 突然投げ飛ばされ、空中の大男の表情が驚愕に染まる。無理もない。両者の体格は明らかに大男の方が勝っているのだ。それがこうもあっさりと投げ出されるなど到底想定できないことだ。

 だが、忠継にとってそれは当然の結果だった。足払いをかけ、相手の勢いを使って投げ飛ばす柔術、忠継自身もそれを極めたと言えるほど身につけているわけではないが、投げられることを警戒していない相手を投げ飛ばすなど、忠継にはそう難しいことではない。

 結果として投げられた大男は、体勢を立て直せないまま派手な音とともに壁に叩きつけられ、あまりの衝撃にあっさりと意識を失ってしまった。


(なんだ、こいつは!!)


 とりあえずことなきは得たものの、初めて見る人外の存在に、忠弘は思わず後退る。だが、扉の近くの壁に背を突いたとき、すぐ横に新たな気配が生まれるのを感じ取った。


「今の音はなんです? すごい音がしましたけど……って、ダスティンさん!!どうしてそんなところで寝てるんですか!?」


「――っ!!」


 扉の向こうから顔を出したのは、今度は女のようだった。

 美醜でいうなら間違いなく美しい、だが文字通りの意味で人間離れした容姿を持つ女。あやしい光を放つ金色の髪と人を惑わしそうな青い瞳、肌は恐ろしく白く、服装に至っては先ほどの男はかろうじて鎧と判る装いだったが、この女の服は見たこともないものだった。女の天狗がいるというのは聞いたことが無いが、先ほどの男と同じように長い耳を持っている点と言い、明らかに|人間ではない(・・・・・・)。

 その見た目に驚愕する忠継に、しかし女は気付くことなく真っ直ぐ大男のもとへ駆け寄ろうとする。


(まずい!)


 何をする気かは分からなかったが、このまま見ているという選択肢はあり得なかった。とっさに後ろから女の腕をつかみ、騒ぎ立てないように左手で口をふさぐ。


「きゃっ、むうう!!」


 女の声を封じると、今度は声が外に漏れないように足で蹴って扉を閉める。瞬く間に行われた迅速な行動に再び部屋が静寂に満たされ、しかし、先ほどと違い得体のしれない化け物が二人追加された状況が出来上がる。


(……この後は、どうする? ……とにかくここから脱出しなければ。いや、だがここはそもそもどこだ? この外にもこいつらと同じような化け物がうろついているのか? ……そうだ、刀はどこだ? あれをなくすなど……)


「むもぉー」


(そもそもなぜ俺はこんなところにいるのだ? 俺はたしか、そうだ、歴葉とか言う村に向かっていたはずだ。なのになぜ……いや、待てよ)


「むもめむめぇー」


(そうだ! 思い出したぞ!! 確か俺が村に向かっていた理由は―――)


「むもっめまぁ!!」


「うるさいぞ、なんだ一体!!」


 ふさいだ口の中でなにやら騒ぎ立てる女に、忠継は思わず反応する。

 そうして初めて忠継は今置かれている状況ではなく、行っている行為のまずさに気が付いた。


(女を背後から取り押さえて口を塞いでいる、か。相手が物の怪の一種とはいえこれではまるで暴漢ではないか……)


 とたんに忠継の中の倫理と矜持が状況に待ったをかけ始めた。相手が妖怪とはいえ流石にこの状況はまずい。男と同じように気絶させてしまおうかとも思ったが、忠継は女にふるう暴力は持ち合わせていない。しばし迷った末に、状況打開のためにもとりあえず女を開放し、自分の置かれた状況について尋問してみることにした。


「いいか、これから手を離してやるが、決して騒ぎ立てるな。騒ぐようなら、……その男と同じように気絶させる」


 「斬って捨てる」と言おうとして、途中で言葉を選び直す。

 幸いにも女は手の中でこくこくと頷くと、忠継が手を離すのに合わせてゆっくりと距離をとり、こちらに向き直った。


「はぁ~。流石にこんな風に捕まえられるのは初めてなので、少し緊張してしまいました。本当に動けないんですね。ああされると」


 もっとこちらを警戒するかと思っていた忠継は、女のあまりの緊張感のなさに面食らう。だが、次の瞬間にはそれが相手が油断ならない存在である証と考え、意識を研ぎ澄ませた。相手の挙動に最大限警戒し、慎重に言葉を選ぶ。


「無駄口をきかずに質問に答えてもらおう。まずお前は何者だ?」


「私ですか? 私はエミリア・クロフォードです。


「エ、エミリ……なんだと?」


「エミリア・クロフォードですよ。そういうあなたのお名前は?」


「俺か? 俺は……」


 反射的に応えそうになり、しかし慌てて考え直す。

 妖怪相手に名前を名乗ることがはたしていいことなのか分からない。下手に名前を教えると、それを使って呪いをかけられるという話を少しだけ思い出してしまう。

 だが同時に、ここまで来て答えないのはさすがに礼儀に欠けるのも確かだ。迷った末、忠継は名乗ることを選択した。


「俺は幕府旗本、武内家二男、武内忠継だ」


 意を決し、忠継は恐れを振り切って堂々とそう名乗った。武士らしく胸を張り、己の誇りを示すように。

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