第19話

 白銀学園からは離れることが確認していないために判らない。そして成基には現在地も判らない。

 ただ、成基が落ちたのはどこかの大きな倉庫だった。

「痛たた」

 腰をさすりながらゆっくりと起き上がる。

「ここは…………?」

 周りを見回すが何もない本当にただの倉庫だ。つい最近まで使われていたのか、特に悪臭はしない。中は遮光が施されていて差し込む光は成基が突き破った屋根からのみ。とても広いために端の方まで光は行き届いていない。

 その光が急に何かによって遮られた。成基が見上げると光を遮ったのは成基を追いかけてきた美紗だった。

 美紗は成基が空けた穴を通ってゆっくりと成基の前に降り立つ。

「大丈夫!?」

「なんとか……な。それにしてもすごいな。セルヴァーはあんなに高いとこから落とされても平気なのか」

 自分でも不思議なくらいほとんど痛みを感じない。

「それは違う」

「えっ?」

「そんな能力はないわ」

「で、でもほとんど痛くないし」

 美紗は不思議そうに下を向いた。そこで原因は判った。

「ゴム……ね」

「えっ……」

 そう言われて成基も下を向く。彼らの足元には黒く反発性のあるものが広がっている。そこで初めて自分達が大きなゴムの上にいることに気付いた。

「こ、これって……」

「どうやらゴムの工場ね」

「じ、じゃあ俺少しでも落ちる場所が違っていたら……」

「ええ」

「こんなとこにいたのか」

 現状を知り、危機一髪だったことに身震いしてきた時、再び光が遮られて陰ると共に忘れかけていた嫌な声が頭上から聞こえた。

「まずい……」

 明香の声に先に反応した美紗が成基の腕を引っ張って扉へと向かう。

 やはり成基の落ちた場所はゴムの上で地面どの大きな段があった。それを一気に飛び降りる。

 成基はその間美少女に腕を引かれていることを意識して少し頬を紅潮させながら声をかける。

「お、おい大丈夫なのか?」

「問題ない。ここはもう使われてないから」

「い、いや、そうじゃなくてその大きな扉は開いてるのか?」

「それは判らない」

「わ、判らないって……」

 成基はこの状況でも呑気で無責任な発言に怒り半分呆れ半分の目で彼女を見る。その美紗はというと澄ました顔で気付いていない。

 扉に辿り着くと鍵が開いていることを信じて大きな扉を二人で左右に開く。

「ぐっ……重い…………」

 鍵がかかっているのかただ単に扉が重いのかは判らない。それでもその扉を開けなければ後ろから来る明香に二人揃って殺られる。だから美紗も表情を歪めて扉を開けようとしている。

 俺達は手を真っ赤にし額に汗をかきながら扉を力づくで横に引く。鍵がかかっていたらその時点で終わりなのだが幸いにも扉が僅かに開いた。その隙間から二人は順番に外へ出た。

 すぐ後ろに明香が迫っていたことは把握していた。だから成基は弓を出して自分達が抜け出した隙間から明香を狙おうとしたのだが…………。

「……っ!」

 突如成基の右腕を激痛が襲った。あまりの痛みに成基は弓を引き絞りかけていた右手を離してしまう。そしてすぐに蹲りかけた成基を美紗が引っ張って建物の陰へと連れ込む。

 直後、明香によって扉が無理矢理破壊され、明香は飛んできた勢いのまま出てきた。成基のいた場所は扉の破片が飛び散っている。あのままいれば明香によって扉ごと粉々にされていたことだろう。

 密かに成基は安堵していたが、実際彼は今もう一つの事態に陥っているのだ。

「大丈夫?」

 美紗が心配そうに声をかけた。全く原因が判らない成基は答えようがなく、念のため右腕を捲って直に確認してみるが特にこれといって変化は見られない。

「大丈夫なはず…………!」

 答えている途中にいきなり美紗が顔を成基の腕に近付けた。不意の行動に成基の心臓の鼓動が早まる。

「待って。ここ何かある」

「えっ?」

 美紗に言われた通り、成基も自分の腕を凝視すると僅かに何かが煌めいているのを目視した。

「これは!」

「どうしたんだよ急にそんな大声出して」

「この刺さっている透明なものは毒針よ」

「毒針ってそんなもの…………あ!」

 成基はこの時になってようやく思い出した。二週間前、明香にやられた翔治を運ぶときに右腕に僅かな痛みを感じていたことを。

「確か翔治がやられた時の……」

「そんなに前から……今はどうにも出来ないから針だけは抜いておいて」

「あ、ああ」

 言われた通りに成基が針を抜こうとした時、不吉な足音が風に乗って聞こえてきた。この足音の主は間違いなく明香。

「私が戦うからあなたは隠れてて。恐らくその針に塗られていたのは猛毒。動けば動くほど毒が回るはずだから無茶なことはしないで」

 それだけ言うと美紗は明香の前に姿を晒した。

「死ぬなよ北条」

 残された成基の言葉は当然美紗には聞こえていない。


「ようやく現れたか。もう一人はどうした?」

「…………」

「無言を貫くか。ならば当ててやろう。もう一人は毒針にやられてるか」

「…………」

 明香の言葉で美紗が動揺することはない。もう既に判っているだろうことは感じていた。

「ようやく毒が効き始めたか」

 無言で明香の真意を見極めるように見据える。成基にはああ言ったものの正直美紗一人で明香を倒せるかと訊かれたらもちろん否だ。それどころか押さえることすら出来るか危うい。

「一対一じゃあ例えあんたでもアタイには勝てない」

 普通の相手ならともかく目の前にいる敵はセルヴァーの中で唯一無二の《|希望の一撃

《レゾリューション・ブロウ》》使いだ。《希望の一撃》に対抗出来るのは同じく《希望の一撃》だけ。しかし今光のセルヴァーの中に使える者はいない。ならば実際に見たことはないが防ぎようがないはずだ。

「それは……わからない」

 それが今美紗に出来るせめてもの抵抗だった。

「そこまで言うなら始めようか。アタイらの戦争ゲームを!」

 次の瞬間明香が美紗の視界から消えた。正確には一瞬。気付いたときにはもう明香は眼前にいた。

「速いっ!」

 咄嗟に反応して前に出した剣が明香の振り下ろす剣を弾く。しかし、いくら速いとはいえ、反応出来なくもない速さだ。

 だが明香は速さだけでなく一撃の重さもある。

 たった一撃弾いただけで真っ赤になっている。だが美紗は歴代の戦士を感じさせる雰囲気で応戦する。

「そこ!」

 明香の動きを目で捉えた美紗は明香の姿を目で追わず、直感だけで剣を薙いだ。真っ直ぐな軌道を描く剣は空気を振動させてあっという間に明香に迫る。

 明香の方は少し遅れながらも反応して防ぐが、その顔を驚きに満ち溢れている。

「なぜ動きが判った!?」

「そんなものはない。ただ見えただけ」

 答えると美紗も負けじと距離を一瞬で詰めて剣を振り下ろす。だが正面からの攻撃が明香に止められる。

 ぶつかり合った剣から火花が散り、打ち合う二人にも俄然力が入る。

 鍔迫り合いの状況から美紗はやっていた剣道の要領で引き胴を放つ。それを明香は体を捻って躱す。逆に躱された美紗はそのまま下がって好機を窺う。

「そうか……どうやらあんたを侮っていたようだ」

 感情を抑えるように静かに言葉を繋ぐ。

「あんたは強い。だからアタイも本気で行くよ」

 そして急に現れる剣を直前のギリギリのところでそれを防御する。

 それからは一方的になりかけていた。少しずつ目が慣れてきて何とか明香の動きを見るようになって攻撃を全て防いではいるが、いつ破られるか判らない。

 歯の立たない相手に美紗は奮闘する。だがそれだけだ。

 完全に押しているのにも関わらず自分の斬撃が通らないもどかしさが限界まで達した明香は立ち止まって焦れったそうに言った。 

「やはりお前が一番強い。翔治なんかと比べ物にならない」

 美紗は明香に対して何か言い返そうとしたかったが実力の差があるのが現状だ。

「だが、それでもアタイには及ばない!」

 叫ぶと同時に明香の剣に不思議な力が宿った。剣が赤く染まり危険なオーラを出す。

 それだけではない。その時から邪悪な表情をしていた明香は無表情になっていた。しそこからはこれまでよりも強い殺気で満ち溢れているバーサーカー状態だ。

 だから美紗は明香の動きが速くなっていることを覚悟して警戒を強めた。しかしそれはいい意味で外れた。明香の動きはこれまで通りの速さだ。とは言ってもそれでも充分速い。躱すことが出来なくもなかったが、周囲に隠れられるような場所などほとんどない。だから美紗は躱すことよりも受け止めることを選択した。

 振られる剣とそれを受け止める剣が交わったその時、美紗は初めて剣が赤く染まっている今とそれまでの違いを思い知らされる。

 剣同士が火花を散らして接触した刹那、美紗は不思議な力とこれまでとは比べ物にならない剣の威力によって飛ばされ、数十メートル離れた壁にめり込んだ。

「がはっ…………」

 美紗は呻き声を洩らして咳き込みながら地面に崩れ落ちる。彼女が叩きつけられた壁はくっきりと凹む。その部分からボロボロとコンクリート片が落ちる。

 夕方にも関わらず鳥の姿は見えず、鳴き声も聞こえない。静寂に包まれた中でその音だけが空気を揺らす。

「これが……《希望の……一撃》……」

 実際に身をもって体感して《希望の一撃》のすごさを思い知った美紗が痛みで表情を歪めながら呟いた。そこにまた新たに乾いた大地を踏みしめる足音が混ざった。

「そうよ。これで解ったはずだ。このアタイには勝てないと」

 顔を上げた美紗の視線の先には先程のような無表情の明香ではなく勝ち誇った笑みを浮かべるいつも通りの明香がいた。

 明香は一歩一歩近づいて行動不能に陥っている美紗を見下ろす。

「どうだい? これから死ぬ気分は」

「最悪ね……でも……それはそれでいいかも…………」

 これでもう誰にも嘘をつかなくてもいいと思うと気が楽だった。それに彼女は普通ならもう命を失っている。それでも今を生きていられるのも翔治の父、神前彰人に拾ってもらったから。恩人である彰人のために、その息子で突然来た彼女を歓迎してくれた翔治のために死ねるなら本望だ。

 明香の手に握られた剣が振り下ろすために反動をつけたのを見て美紗は目を閉じた。どうせもう今の体の状態では避けることなんて出来ない。抵抗するだけ無駄でしかない。

 数秒後、剣が美紗の身体を真っ二つにする……はずだった。しかしいくら待っても剣が振り下ろされることはなかった。

 恐る恐る目を開くとそこには一人の少年が美紗と明香の間に入り込んで何かで剣を防いでいる。次第にその少年が誰かのかが判ってきた。

「成基!」


 美紗に言われた通り、建物の陰に隠れて彼女の戦闘を見ていた成基は彼女が絶体絶命の状態に追い込まれた時、気付くと走り出していた。

 弓を片手に持ち剣を振り下ろそうとしている明香と動けずにいる美紗の間合いに入ると弓で剣を受け止める。

「成基!」

 背後から美紗の悲鳴のような叫びが聞こえる。この時初めて美紗に成基の名を呼ばれた。ちゃんと一人称で。

 この上なく嬉しかった。でも少し照れくさかった。ただ名前を呼ばれただけ。たったそれだけのことでこんな気持ちになったのは初めてだった。なぜかは判らない。でもこの時に美紗を無意識のうちに意識していたことを意識した。

 少し気を抜いた途端、力を入れて堪えていた右腕に激痛が走り片膝をついてしまう。

「くっ!」

「成基!」

「大丈夫だ。それより……何で美紗は……こんなところで……くたばろうとしてんだよ」

 成基は笑いながら答えて訊き返し、身体中に力を込めて膝を浮かせて立ち上がる。

「そんなことない。私は」

「嘘つくなよ! じゃあ何で美紗は抵抗することなくただ殺されようとしてたんだ。諦めてただろ!」

 自分の気持ちに素直になったからこそ、成基は殺されようとした美紗のことが許せなかった。

 彼も両親を失い、大切な人がいなくなることを体験している。それは美紗も同じはずだ。それにも関わらず生きることを一瞬でも諦めたためになおさら。

「私なんてもう既に一度死んでるのと同じ。彰人さんのために、翔治のために死ねるならそれでいい! それに……私は独り。誰も悲しまない」

「ふざけるな! 本気でそんなこと言ってるのかっ! 翔治のためなら死ねるならそれでいい? 本当に翔治のためを思うなら最後まで生きろよ!」

 美紗は成基の言葉に大きく目を見開いた。そして掠れた声を出す。

「それに美紗は独りじゃない。翔治が、修平が、芽生と是夢がいるだろ。そして何より俺が今ここにいるだろ!」

 中学三年生の少年は自分の感情を、想いを全力で美紗にぶつけた。もうこれ以上誰にもいなくなってほしくないと願うのは二人とも同じだ。だからこそ自分がいなくなるなんて許されない。

 その感情のまま右腕の痛みを堪えながら明香の剣を押し返した。

「なっ…………!」

 毒が回っている状態で自分が力で下回るとは思いもしなかった明香が驚きの声を洩らす。

 それをよそに成基はボロボロの美紗に手を貸して彼女を起こす。

「自分が死んでも誰も悲しまないなんて、そんな哀しいこと言うなよ」

 美紗の肩に手を回して立ち上がる途中に成基は小声で言った。

 ようやく美紗が自力で立てるようになると成基は手を放し、美紗と目を合わせて同時に頷く。そして二人は明香に強い戦意と覚悟の宿った目を向けて力強く言い放った。

「ここからが本当の勝負だ!」

「ええ。私達は、負けない!」

「そうよ!」

 その時また三人の中に新たな声が成基と美紗の上から聞こえた。声につられて上を見上げると沈みかけの太陽を背後にして一人のシルエットが浮かび上がる。

「あたしたちは負けない! …………負けられない。啓司のためにも」

「「芽生!」」

 思わぬ仲間の登場に成基と美紗が仲間の名前を呼ぶ。

「二人ともボロボロじゃない」

「仕方ないだろ? そんなことより来てくれたのは助かるけど啓示の方はどうしたんだよ?」

「啓司は倒してきた…………でも……」

 そこで芽生は悲しそうに目を伏せて言葉を途切らせる。

「でも?」

「やっぱり何でもないわ。それより……」

 芽生は啓司の思いに気づくことなく彼を殺してしまったことを言い出そうとしたが芽生はそこで止めた。今仲間に余計なことを考えさせるよりは目の前にいる強敵を倒すことを考えた方がいい。

 そう考えて助けに入った少女は余裕そうにしている大人びた少女に向き直った。それに倣って成基と美紗の二人も向き直る。

 自信に満ち溢れたそんな三人の姿を見て明香はふっ、と笑みを浮かべた。

「何人来ようと同じことだ。お前らにアタイの《希望の一撃》を止めることは出来ない!」

「そんなものやってみないと判んないだろ!」

 成基が感情をぶつけるが、三対一という数的不利なこの状況の闇のセルヴァーは真顔でその真の意図を詮索するように訊いた。

「そんなこと本気で言ってるのか?」

「当たり前だろ!」

 成基の即答を聞いた明香は怪訝そうな目を向けたがすぐに元に戻して成基に視線を向けた。

「バカだなお前達は。お前は弓を引けないし……」

 一度切って美紗と芽生を順に見やる。

「北条美紗はもうさっきので相当ダメージがあるはずだ。茅原芽生は啓司を倒したらしいがすでにボロボロだろ。そんな状況で通用するとでも思うか?」

 成基はそこで初めて仲間の状況を把握した。美紗は先程明香の《希望の一撃》を受けているし、芽生はよくみればボロボロで所々血が滲んでいる。そして成基自信も毒が回っているために弓が引けない。明香の言う通り三人合わせてもとても戦力になる状態ではない。

「なら俺もいるだろ」

 またしても新たな、そしてこれまた聞きなれた少年の声が聞こえた。その直後、成基達三人の後ろから銀髪で整った顔立ちの少年が姿を見せた。

「「「翔治!」」」

 新たな助っ人登場にきれいに三人の声が重なった。

「どうしてここに?」

 来てくれたのはありがたいがなぜか判らない茶髪の少年が訊くと、訊かれた翔治は三人の横に並びながら答えた。

「お前達が危なそうだったから助けに来たやったんだ。……というのは冗談だが」

 翔治が明香の方を向いたためつられて成基も彼らの話が終わるのを余裕そうな表情で待っている彼女の方に目をやる。するとそこに侑摩が上空から明香に並ぶように降り立った。その様子を見てから翔治が続ける。

「正直言うと侑摩にここまで追い込まれたんだ。お前らのように傷は負ってないが」

「篠瀬侑摩…………」

 不意に芽生が呟いた。その声が成基達に聞こえることはなかったが、成基だけは彼女の深刻そうな表情に気付いた。彼は一度美紗と翔治の二人を見たが、二人は芽生の様子に気付いた気配はない。だからこっそりと芽生に近付こうとしたが危うく忘れかけるところだった侑摩と明香の存在を思い出す。彼らは敵だ。いつまで待ってくれるか判らない。芽生に訊くのはこの戦闘が終わってからにして動きかけていた足を戻し、二人の肩を軽く叩いて戦う意思を示す。

「やっと話が終わったか。相変わらず長いおしゃべりだな」

 どうやら本当にご丁寧に成基達の話が終わるのを待っていたらしい。そのお礼と言わんばかりに成基は言い放つ。

「もういいさ。個々の能力で及ばずとも総合力で倒してみせる!」

「総合力……? そんなもの……」

「それはどうかな?」

 明香の言葉の途中で成基が遮った。

「総合力は決して一人の能力に劣らない。だからお前に勝つ!」

「ふざけるな! 何が総合力だ! 所詮ザコの戯れ言。そんなものでアタイを倒せると思うな!」

「やれば分かるさ」

 成基の呟きの後、全員が一斉に飛び立った。

 同時に翔治と芽生が交戦を始め、成基も戦おうとした刹那、美紗がそっと寄ってきて地上を指差した。

「ねぇ、あれ」

 白くほっそりとし手につられるように視線を動かすと、示す先には道を歩いている千花の姿があった。千花のいる道からして家に向かったいるのだろう。

「学校はどうなったんだ……?」

「多分帰宅指示が出たんだと思う。学校もあれだけ派手にやられたら危ないだろうから」

「だとすると…………!」

 突然彼らのいる場所を轟音が襲った。その他音源に方に目を向けるとそこには大きく燃え上がる炎が視界に入った。

「何が起こったんだ……」

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