第18話

芽生は深緑色の髪に黒目で端整な顔立ちの少年、稲岡啓司いなおかけいじと戦っていた。

「前は決着がつけられなかったけど、今日こそ決着をつけてやろうじゃない!」

「出来るものなら、な」

 二人は同時に接近し、激しい火花が飛びそうな勢いで剣を打ち合う。芽生が水平斬りを繰り出したかと思えば啓司はそれを少し身を引いて躱すと、今度はその反動を利用して啓司が突きを出す。

 かと思えば芽生が半身になって突き出される剣を回避しながらがら空きになっている脇腹へ鋭い一撃を見舞う。

 しかしそれは啓司が予想していたように振り返り様に剣を出してそれを弾く。さすがはテクニシャン同士の互角の戦いだ。

 このままでは勝負はつかないと判断した二人は一度距離を取り、体勢を立て直す。

「何かいい方法は…………」

 必死に考えるが芽生の頭にはこの状況を一転させる方法が思い浮かばない。

「あーもう! 考えるなんてあたしの性に合わないわ! そんなものはその時決めればいいのよ!」

 じれったそうに芽生が言い捨てると再び彼女は啓司に向かって加速した。

「とうとう気が狂ったか」

「うるさいわね! これがあたしのスタイルなのよ!」

 一見何もか考えていないかのように見える芽生だがそうではない。考えることが苦手な彼女は彼女なりに考えて、その場の状況に応じて即座に判断しているのだ。これは状況判断能力と決断力に優れた芽生ならばの方法だ。

「そこっ!」

 これまで単純に剣を打ち合ってきた展開から芽生が手首を捻ってフェイントをかけ、剣の軌道を変える。

 不意のフェイントをさすがの腕前で防ぐ啓司だが、僅かに反応が遅れた。

 芽生はそれを見逃さず、好機と捉えてフェイントを連発してぐいぐいと押し込む。

 啓司は段々と反応が遅れ、遂に芽生の剣が啓司の左腕を浅く抉った。

「くっ…………」

 軽く表情を歪ませた深緑色の髪を持つ闇のセルヴァーはこのままだとまずいと判断したのか、フェイントがかけられる前に芽生の剣を弾き、一度距離をとるべく引き下がった。

 この好機を逃してたまるかと芽生もその後を追う。しかしそんな彼女はセルヴァーである前に一人の女の子だ。年の同じ男の子と肉体的な差がどうしても生じてしまう。そのため芽生は距離を縮めることが出来ず、今の距離をを保つのが限界だ。

 そんな彼女の前方でいきなり啓司が下降を始めた。

 啓司が着地したのは昼間でも太陽の光があまり入ってこないような場所で、建物もあり、隠れるには充分な場所だ。

 後を追って芽生も着地したが、その時にはもう啓司の姿はなかった。

 どこかに潜んでいる可能性を頭にしっかりと入れて芽生は啓司を捜し始めた。

 動き出した芽生を薄暗い闇のような雰囲気が包み込む。

 この辺りはごちゃごちゃとしていてどこにでも隠れられそうな場所だ。つまりどこから奇襲されるか判らないということ。

 警戒が怠れないない中、気を張り巡らせるが一向に啓司がいる気配がない。

 だから一度冷静に考えるため芽生は立ち止まった。

 ――その刹那。

 芽生の目の前を小型のナイフが横切った。

「っ!!」

「躱したか……いや、今のは偶然だな。運のいいやつだ」

 声のした方向、芽生の左の方を見ると啓司は隠れていた壁から出てきた。

 その後後ろの壁に刺さっている小型のナイフを見る。

 こんなに近くにいるのに気付くことが出来なかった。芽生はそのことで悔しさのあまり唇を噛み締めた。偶然とはいえ立ち止まっていなければ確実にあれに刺さって死んでいた。

「今のは危なかったわ。全く気付かなかった」

 それを聞いた啓司は同然だと言わんばかりにふん、と鼻を鳴らす

「でも今はこっちが有利よ。もうあんたの場所は判ったんだから」

 芽生が強気で言ったが、それを聞いた啓司は余裕の表情で鼻で笑った。

「それはどうかな?」

 啓司の言葉と同時に芽生は背後から木が軋む音を聞いた。

 その音は次第に大きくなり、太陽の光が遮られる。芽生が上を向いたときには既に遅く、ナイフが刺さっていた木造建物の木が赤毛の少女を呑み込んだ。

「終わったな」

 瓦礫が崩れたことによって土煙が舞い上がり辺りの視界を悪くする。

 そのまま土煙が消えるのを待ち、崩れ落ちた瓦礫が動かないことを確認して啓司は満足そうに踵を返した。

「まだ……まだ終わってなんかないわよ」

 しかし、それと同時ぐらいに確実に仕留めたと思っていた相手の声が聞こえ、あの中にいて無事なはずがないと頑なに信じる啓司は振り返ると、あれを避けられたという可能性が一番高いためまずは上を見た。

 だが視線の先には誰の姿もない。啓司は考えたくないが現実にもうその可能性しか残っていない。

 啓司は重たい首を動かして瓦礫の山を見る。

 しばらく瓦礫に変化はなかったが、やがて少しずつ音を立てて動き出した。

「まさか……」

 啓司の予想通り、瓦礫の山から顔を現したのは芽生だ。

「なぜ……なぜそれだけの瓦礫の下になっておきながら無事でいられる!」

 驚愕で啓司が目を見開く。芽生はゆっくりと瓦礫の山から抜け出して答えた。

「あたしだって無事じゃないわよ」

 芽生のその言葉通り彼女の服はボロボロになり、ところどころに血も滲んでいることが本当に無傷ではないことを証明している。

「だったらなぜ…………?」

「あたしは何もしてないわよ。だからこんなことになってるんでしょ」

 芽生は一番酷く血が滲んでいる左肩を押さえ、時々痛みで顔を歪ませるがそれでも言葉を繋げる。

「あたしは何も出来なかった。だからもしあれが木じゃなかったら死んでたわ」

「……木…………?」

「そうよ。あの建物は外から見たらコンクリートで出来てるけどあれはカモフラージュされているだけで実際は木だけで造られていたの。しかも木は軽量の物が使われていた。それに、ナイフが刺さったところは偶然木が腐っていた。まぁそうじゃなきゃナイフが刺さることも、建物が崩壊することもなかったわね」

 一気に休みなく説明し終えた芽生は瓦礫のところへ戻ると重そうなコンクリート片を右手でひょいと持ち上げると啓司に見せつけた。

「こっち、外側から見れば確かに本物そっくりのコンクリートね」

 そこで芽生は右手で持っているコンクリート片を裏返す。

「でも内側から見たら思い切り普通の木片よ。木が腐るぐらいだから最近造られたものではないだろうけど、その時に何のためかカモフラージュの必要性があったのでしょうよ。だから外側にだけペイントが施されているだけよ。内側は隠す必要なんかないからそのままね」

「そんなバカな……」

 この時には既に、啓司は投げたナイフを建物に刺し、崩壊させて芽生を下敷きにするのが目的ではなく、やはり最初の奇襲は直接芽生を狙ったものだと判っていた。

 だからこそ啓司自身もそれ以上は何も言い返せずにいる。

「もうこれで手はないでしょ?」

「…………ああそうだな」

 左腕を浅く斬られた啓司と、全身に傷を負っている芽生は仕切り直しと言わんばかりに剣を握ってお互いに向き合った。

 傷からして明らかに啓司の方が優勢に見えるがそれだけで勝負は決まらない。彼らのような戦士になるとそれぐらいのハンデを補える技術を身に付けている。

「もうこれで決めるしかないわね」

「そのようだな」

 啓司はあまり不本意では無さそうだが、奇襲が失敗に終わり、もう次の手はないために彼はもう諦めて正々堂々と決着をつけようとしている。

 それに答えるように芽生は正面から迫っていった。

 芽生はまず斜めに斬り下ろして次に水平に振る。そのどちらもを躱した啓司も負けじと反撃する。

 かと思えば芽生もそれを弾く。

 互いに一歩も退かない攻防はしばらく続いた。体の傷を感じさせない俊敏な動きで攻撃を繰り出してはまたそれを躱す。

 啓司がここでフェイントをかけて芽生の体勢を崩し、がら空きになったところを斬り込む。

 芽生には、先程までの啓司よりも正々堂々と正面からぶつかっている啓司の方が強く、そして生き生きとしているように感じた。

 だからこそ芽生は彼を倒したいと強く思う。

 そしてその思いが芽生を更に本気にした。

 勝負を決めにいった啓司の渾身の一撃は芽生を斬り裂く。

 直後、彼が斬り裂いた芽生の姿が消えた・・・

「消えた……だと?」

 突然の出来事に状況が全く飲み込めない啓司。少し呆然として動けない。

「…………!」

 僅かな時間をかけてようやく何が起こったかを把握した啓司はすぐさま後ろを振り向く。

 そこには啓司の予想通り、芽生が切っ先を啓司に向けて迫っていた。

 それを弾こうと芽生ではなく彼女の手に収まる剣に向けて剣を振るとまたしても彼女の姿が消えた。

「くっ……速い!」

 残像を残して消える芽生を追ってもう一度啓司は後ろを振り向く。しかし今度はそこに芽生はいなかった。

「どこだ……」

 三百六十度見回しても芽生の姿はない。

「まさか!」

 残る一つの可能性に至り啓司は上を見上げた。

「はあぁぁぁぁぁ!」

 啓司はようやく迫り来る芽生に気付いた。

 しかし、もう遅い。

 芽生は啓司の手から剣を弾き飛ばし手から丸腰にすると自らの剣を啓司に突き刺した。

「ぐはっ」

 啓司の腹に剣が突き刺さり鮮血が飛び散り、口からは血塊が吐き出される。

「これで終わったわね」

「そう……だな…………」

 啓司にはもう闇のセルヴァーの風格は残っていなかった。戦闘中に芽生が感じたように穏やかそうな少年の表情がそこにはあった。

「今のあんた、いやあなたが本当のあなたなの?」

 啓司はこの結果に満足するような笑みを浮かべて答える。

「さあ……な……」

「今のあなたはそんなに悪いような人には見えない。そんなあなたがなぜ闇のセルヴァーなんかになったの?」

「俺が……嘘を、つくかも、しれないぞ?」

「あなたはとてもそんな人には見えないわ」

「…………」

 芽生に説得されて啓司は一度間をおいてから途切れ途切れに説明した。

「去年、唯一の親友が何者かによって……殺された。犯人は……警察の捜査には引っ掛かる……ことはなかった。そんな時……明香さんがいきなり……俺の目の前現れて言った。『私に協力したらお前の友を殺した犯人の居場所を教えてやる』と」

 途切れ途切れながらも命が絶える前に全てを芽生に伝えようと必死に啓司は口を動かす。

「俺は……即答した……わかった……と」

 芽生は急激に罪悪感に駆られた。こんな良心を持つ彼を殺してしまったことに。

「結局……明香さんは……教えて……くれなかった……。騙されたんだ……俺は……」

「…………」

「ありが……とう。これで…………俺はもう…………解放される」

 でもそうしなければ彼はこの後も自分の本心ではないことをさせられていただろう。

 彼がこの結末を望んでいたならそれでよかった。しかしもう少し他に方法はなかったのだろうか。啓司を殺さずも助けられる方法はなかったのだろうか。

 その後悔だけが芽生の中に残り、視界がぼやけた。

 それに芽生の役割は闇のセルヴァーを倒すこと。自らの役割を果たしたまでだ。

 という冷酷な思考は皆無だった。

「侑摩も…………俺と似て…………いる……あいつを…………助けて……やってくれ」

 芽生の目からは涙が止めどなく溢れ続ける。彼女には啓司に掛ける言葉が見つからなかった。

「気を……つけろ…………明香…………さんは…………つよ…………い」

 最後の力を振り絞って何とか言い切った啓司は本当に満足そうで穏やかな表情で力尽きた。

「どうして、どうしてこうなるのよーーーー!!!!」

 芽生は涙を堪えることなく叫んだ。

 自分の問いにもう答えは出ていた。それがセルヴァーの宿命だから。それは解っている。その宿命は抗えるような柔なものではない。だからこそ彼女はこれまで憎んだことのない宿命を初めて強く憎んだ。

 そして剣を抜き、自由落下する啓司を受け止めて優しく地上へ下ろす。

 自分で起こした結果に目を背けてはいけないと思った。だから芽生は涙を拭い、両目を閉じて冥福を祈った。啓司の最後に見せた素の表情を忘れないように。彼が最後に残した願いを叶えるために。

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