第7話
三日後の連休明けの月曜日。
成基は眠そうな顔で学校に登校していた。
あの最初のレクチャーの日以来、三日連続で夜通し特訓していたため一時間も寝れてない。普段日付が変わるまで勉強していても、その生活が身に付いていて朝が眠たいということはないのだが、その成基が珍しく眠そうにしているのはクラスからの注目を浴びている。
机に突っ伏して睡魔と戦っている最中に何気なく左隣の席の美紗を見ると、三日連続夜通ししたわりに眠たそうな素振りを見せずいつものように窓の外の青い空を眺めている。
「北条は眠くないのか?」
眠気のせいでぼーっとしたまま何となく顔を上げて訊いてみた。だが答えに関しては期待していない。セルヴァー同士で話していたとはいえそれはセルヴァーの時だけだ。それ以外では関わりなどない。
だが、
「眠くない」
返事など無いものだと思っていたのに美紗は外を見たまま返事を返した。少しは驚いたが既に話したことがあったためにそこまで驚くことはなかった。
「いつ寝てるんだ?」
「帰ってから」
帰ってから寝て夜起きているということは睡眠時間は約四時間。それも夜起きているために体感的にはもっと少ないだろう。それで全然眠くないというのはすごい。
「はぁ~」
再び机に突っ伏して溜め息をつく。この行動に特別な意味などない。いつからか溜め息をつくのが成基の癖になってしまっているのだ。
その時今度は成基がよく知った人物に声をかけられた。
「珍しいね。成基くんが眠そうにするなんて」
机に突っ伏したまま声のした方を見るとそこには焦茶のショートカットに茶色い瞳があった。これは間違えようのない千花のものだ。
「ちょっと色々あってな」
「どうせ勉強してたらいつの間にか遅くなってたとかでしょ?」
「え? あ、あぁ、うん」
予想外の問いで一瞬何を言われたのか判らず聞き返してしまう。少しの間をおいて何とか理解した頭で大慌てで肯定する。
「だめだよ成基くん。ちゃんと睡眠時間取らないと 」
セルヴァーのことを公には出来ないため朝まで特訓していたなんて言えない。そのため曖昧に誤魔化すしかない。
「そう……だな」
「で、」
「?」
話題を切り出すように溜めを作ると、千花が顔を近づけて囁いた。
「北条さんと何があったの?」
思わぬ幼馴染みの発言に、危うく吹き出しそうになった。それをギリギリのところで我慢し、少し顔を赤らめた成基は顔をそらす。
「べ、別に何もねぇよ」
「そんなわけないよね? だって成基くん今北条さんと話してたよね?」
「それは、その、あれだ。たまに挨拶ぐらいなら返してくれるんだよ。あいつが転校してきた時も返してくれたし」
やましいことなど何一つないのになぜか焦ってしまう。だがまぁこの事に関して嘘はついていない。挨拶なら返してくれる時があるとは言ったものの挨拶をしたとはは一言も言ってはいない。
自分で言っておきながらひねくれてるなと成基は思う。
「ふーん……」
穿つような目つきで成基見る千花は訝しげに、何か隠してると言わんばかりだ。その状況が気まずくなり、これ以上詮索されたくない成基は自分の腕に顔をうずくめた。
千花は昔からこういう隠し事なんかに関してはやたら鋭い。隠し事をしていてそれがバレてしまったことなんか少なくない。本人曰く女の勘ということだ。この事を考えてしまうと、母が生きていた頃に隠し事をしていたのが見つかって泣きじゃくって謝っていたことをつい思い出してしまう。
どうかこのままスルーしてくれという成基の強固な思いが通じたのか、はたまた何かを隠蔽しているということがまたしても読み取られたのかは判らないが、
「別にいいけど」
これ以上追求することはなかった。
自分の机に引き返す千花から怪訝な表情がなくなることはなかった。その後ろ姿を罪悪感に満ちた顔で見送った。
その直後に担任教師の菅原が入ってきてホームルーム中に体育大会のリレーの話になり苦い相形で話を聞き流していた。
△▼△
その日の放課後、体育祭の準備がなかったため久し振りに千花と一緒に帰っていた。
駅のホームにて電車を待つ間話題は体育祭ののことで持ちきりだった。
「今年で最後なんだよね体育祭」
「そうだな。なんか早いよな三年経つの」
「最後の体育祭ぐらい優勝したいよね」
「そうだよな。最後は勝って締め括りたいな」
「そのためにはリレーだけど…………成基くん大丈夫なの?」
丁度その時電車が成基と千花を迎えに来たかのようにホームに入ってきて、すぐに乗り込む。車内は満員とまではいかないが、空席を探しても他の学校の制服を着た学生や、少し早めに仕事が終わったスーツ姿のサラリーマンが席を埋め尽くしていて、仕方なく成基は吊革、千花は扉の横にある銀色の手すりに掴まる。
「大丈夫、じゃないだろうな。まだリレーが怖い。なのに菅原先生は」
はぁ、と溜め息をついて成基はがっくりとうなだれた。
三年経った今でもリレーのトラウマは少したりとも消えてはいない。そもそもトラウマというもの自体が生涯永久に心の奥底に住み着く呪縛だ。人の心の中に居座り恐怖を与え続ける。
だから成基はそれを割りきっていかなくてはいけない。無理なら無理で意地を張らずに。でも、他人から強制的に押し付けられた場合は? その場合はどうなるのだろうか。
その自問の答えは既に成基の中で出ていた。
それも…………割りきるしかない。
それが判っていても、受け入れるとなれば話は別だ。でももう走ることを今更どうすることも出来ない。ということを判っていても成基には割りきることが出来ない。
「でも……」
「わかってる。わかってるけどさ。リレーなんかなくなってしまえばいいのにって思ってしまう。こんなこと思ってもどうしようもないのにな。ただの現実逃避してるだけだ」
「別に……いいと思う……」
千花が消え入りそうな声で呟いたために成基には上手く聞き取れなかった。
「えっ?」
「別に現実逃避くらいしてもいいと思う。何もかもを受け入れることなんて誰にも出来ないよ」
「千花…………」
千花の瞳には力強さと優しさの相反する感情が混ざっていた。
「どうしても無理だったら言えばいいと思うよ。その時は私も力になるし」
「………………」
成基はすぐには答えられなかったが千花の言葉で励まされて気が楽になった。そう言ってもらえるだけで、自分独りでどうにかしようとしてるんじゃないと思えた。
「その気持ちはありがたいけど、やっぱり頑張ってみる。何かあったら頼りにさせてもらうよ」
「うん」
ちょうど駅に着いたために電車を降り、そこから歩いて帰る。
帰り歩いているときはほとんど無言になっていた。そのために僅か十分程の時間が一時間にも感じた。
「じゃあ私、こっちだから」
「ああ、気をつけてな」
軽く手を挙げて千花と別れるとゆっくりと歩いて成基は自宅へと向かった。
その途中、進行方向から黒煙が上がっているのが見えた。
この辺りに工場などないために黒煙が上がるのは火災しかない。
気になった成基は火災現場へと走っていった。
成基のいた場所から火災現場までは思いの外近かった。そのために五分とかかっていない。
狭い路地を抜けて少し開けた場所に出ると成基は反射的に足を止めた。そこで目にした凄まじい光景に目を見開き言葉を失った。
「なっ…………」
行き着いた場所は小さな発電所。あまり来たことはなかったが、田上市全体の電気を供給している重要な場所だ。
その発電所が目の前で燃えている。建物は崩れ落ち、発電機などは烈火の中でその姿は窺えない。もはや発電所の跡形など残ってはいない。
そんな状況にも関わらずまだ消防は到着していない。烈火の中にはまだ逃げ遅れた人の姿が覗き、助けを求め喚き叫ぶ人の声が聞こえてくる。
その見るに耐えない悲惨な状況を中学生である成基にはどうすることも出来なかった。
一週間前までは。
しかし今はセルヴァーの力がある。まだ使いこなすことは出来ないものの、それでも人の命ぐらいは…………。
そう考えて昨日までの特訓を思い出し、武器の時と同じように目を閉じて集中力を高めて防具を装着しようとしたその刹那、すぐ左から最近よく耳にするようになった声が聞こえた。
「無理だ。止めておけ」
振り向くとそこにはいつの間に来たのやら翔治が立っていた。その隣にはいつものように美紗もいた。
「し、翔治、いつの間に!?」
千花と話すときは常に下の名前で呼んでいるため、普段は苗字で読んでいたにも関わらず思わず成基は翔治と呼んでしまった。
だがそんなことを翔治は気にしてないようだ。
「セルヴァーの力は万能じゃない。今飛び込んでも灰と化すのはお前の方だ」
「そんな! じゃあ見殺しにしろと言うのか」
「そうするしかない」
目の前で人が死にかけているというのに見殺しにしろという冷酷な翔治に腹が立った成基はその怒りをぶつけようと思ったが、それよりも先に翔治が真面目な顔で言い放った。
「それより、闇のやつらの仕業だ。まだ出火して間もないはずだからやつらはまだこの辺りにいる。無理なことをするより今出来ることをするべきだ」
そう言うと翔治と美紗は人気のない路地に入って飛び上がった。
「ちょっと待てよ!」
それを追いかけるように成基も飛ぶイメージをフルに働かせて離陸した。
何とか翔治と美紗に追いついたもののまだ三日しか特訓していない成基に飛ぶことは困難だ。金髪の少年、宮原修平が言うに最高速度は時速三十キロメートルと制限があるらしく、まずそれを覚えるのに時間も少し取っていたためにまだ飛ぶことで精一杯だ。少しでも気を抜けばふらついて落下してしまうため、スピードを出すことも、あまりにも非現実的なこの状況を楽しむ余裕などはない。
三人が並んで飛行していると進行方向に夕日を背にして人気のない廃屋の屋根に佇む一つの人影があった。
「やっぱり来たか」
その声と同時に成基達は止まった。姿は視認しているものの、夕暮れ空を赤く染める沈みかけの太陽の光が逆光になって表情などは確認出来ない。だが、翔治止まった。美紗には声とシルエットで人物が誰だか悟ったらしい。
「やはりお前の仕業だったか|篠瀬侑摩
《しのせゆうま》」
「やはりとは心外だなぁ。僕はそんなことばかりしないさ」
篠瀬侑摩と呼ばれた少年は陽気な口調で答えた。その話し方はなんだか少し修平に似ていた。
「嘘つけ。これまでにも散々しておいて何を言う」
「これまでのは僕じゃないよ。今回は仕方なかったんだよ」
「こんなことをしておいて仕方ないも何もあるか! お前と俺は敵同士だ。こんな与太話に付き合ってる暇はない!」
強く言い捨てると翔治は侑摩に斬りかかった。
「ちょ、ちょっと落ち着いてよ翔治君。危ないだろ?」
ギリギリのところで避けた侑摩が相変わらず変わらぬ口調で言うが、翔治はお構い無く大声で返した。
「知るか! どちらかが死ぬまで命を懸けて戦わなければならない相手と馴れ馴れしくするつもりはない!」
毅然と言い放つ翔治の態度に侑摩が顔をギラつかせた。
「それは怖い。そんなにお望みなら相手をしてあげてもいいよ」
そこで侑摩は一度区切ると成基の方を一瞥した。
「丁度新な弓使いもいるみたいだしね」
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