海中戦
《おっと。氷刃の
《了解。ミスター・インビンシブル》
心象空間に響く男の声が響く。
瞑想していた少女は肉眼を見開いて、返事を返してきた。
《どうやって撃墜して海に落としてやるか考えていたら、やつら、自分から落ちてくれやがった》
海中に潜った敵機は、レーダー画面から完全に消えていた。
たしかに海中に潜られては、追跡する手段がなくなる。
それは逃げ切るための、ひとつの模範的な解答であったろう。
しかし相手がどこに行ったのか、完全にわからなくなってしまったわけではない。
突入地点と星船の一般的な水中性能から、対象が潜んでいると思われる半径は導き出せる。
その範囲は、いまこうしているあいだにも、毎秒ごとに百メートルずつ広がりつつある。
だが男は焦ることなく、相方に声をかけた。
《さあ――お前の力をみせてやれ!》
《了解》
熱く吼える男とは対照的に、少女は熱のない声で返す。
ここまで船を飛ばして対象を追跡してきたのは、複合能力者である男の仕事であった。
男は念動のほか、二、三の能力を操ることができる。
それに比べて彼女の力は平常時には役に立たないものであった。追跡劇の最中に瞑想を続けていたのもそのせいである。
彼女は単一能力者であった。
ただ一種類の力しか操れないかわりに、その力は強大なものとなる。
《半径一〇キロを凍結》
彼女は言った。
眼下に広がる広大な海を見据え、その能力を解き放つ。
分子運動の絶対的静止。
『超能力・絶対零度』――それが彼女の持つ能力であった。
◇
潜水艦には不可能な、深度数千メートル以上もの深海を航行していた。
向こうの索敵手段がレーダーだけであったなら、これで撒くことができたはずだ。
《どうだ、相手は?》
《見失ってるみたい。動き回っているけど、こっちには来てない》
《そっか――》
どっと安堵が押し寄せる。
とりあえずは一難は去ってくれたようだ。
そのまま海中を進ませる。
急ぎすぎない程度に急ぐ。
時速三百キロくらいまで出していた。海中を進む速度としては充分に速いわけだが、これまでの速度と比べると、まるで止まっているかのように感じてしまう。
いつまで経っても敵から離れることができない。
《まだあと二隻ほど来るんだよな? そいつらも透視能力がないといいんだが……》
《あたしみたいなのって、めずらしいのかな? ――レア? ねえレア?》
《このまま海中を進むべきだな。いったん追跡を振り切ったなら、海上へ戻ろう。私がステルスと光学迷彩を張る》
《あれ?》
真琴の声が、安心していた夏生の心に緊張を呼び起こす。
《どうした?》
《海が……》
夏生のほうも異変を感知していた。
体の動きに変化が起きている。
背中がなにかに引っかかって擦られている。
《なんだ?》
《海が……、凍ってる?》
真琴がつぶやく。
《ばかいえ。いま赤道直下だぞ?》
だが視覚を共有して夏生も視ていた。
海が上から凍り始めている。それも物凄い勢いで――。
上から迫ってくる氷に進路を変えさせられる。
深く潜ってゆく進路を強制的に取らされる。
だが氷は下からも迫ってきていた。
そのうちに前方も塞がれる。後方はもはや完全に凍りついていた。
《どっちもぜんぶ凍ってる! 逃げ場――どこにもないよ!》
あらゆる方向がすべて凍りついていた。
氷のなかにわずかに残された水のなかに閉じこめられてしまっていた。
周囲から氷の柱が成長しつつ伸びてくる。
一本から逃げると、別の柱に体がつかえる。
そのうちに身動きが取れなくなり、周囲から液体の水が消え失せた。
氷の中に完全に封じられてしまう。
船体表面は無事であるものの、動くことができなくなる。
《くそっ!》
氷の中から脱出しようとして、夏生は
《氷の厚みはどのくらいだ? ――視てくれ!》
《十キロ……》
真琴のつぶやきが返ってくる。
《じゅっ……》
《縦横どっちにも十キロ以上、下は海底まで……。ぜんぶ凍ってる》
いくら力を絞ってみても、まるで動かない。
《夏生君。脱出……、できるんですか?》
《地面の下からだって外に出れたんだ。これぐらい……》
《地層は単なる土砂でしかないが、こちらは巨大な一枚板に封じられたようなものだな。割れるか? さもなければ、丸ごと持ちあげなければならなくなるが》
《ど、どのくらいの重さだよ?》
《概算で一兆立方メートル。一兆トンほどだな》
《一兆トン……、って……、それ何トン?》
気力が逃げだすようなことを言ってくれる。
《あがってる。――ねえねえ、あがってるよ? いま上に》
《おれはなにもしてねえぞ!?》
真琴の視野に飛びこんでいって、周囲でなにが起きているのかを透視で確認する。
信じられないことが起きていた。
縦横が十キロメートルずつある巨大な一枚板の氷山が、ゆっくりと空中に上昇しつつあるところだった。
そんな巨大な物体を取り出されたのだ。
海にはぽっかりと暗い穴が開いてしまっていた。
周囲から海水が押し寄せて、穴を埋めるように流れこんでいるが、平坦さを取り戻すまでには何時間もかかりそうだ。
《見事に捕獲されたようだな》
《くそっ――》
夏生は心に力を溜めはじめた。
氷を割るのに必要なのは、力ではなく衝撃力だ。
一瞬のあいだに、どれだけのパワーを集中できるかということだ。
《いあッ――!》
気合いとともに放出する。
――が、変化はない。
もういちど試みる。だがやはり無駄なようだった。
《夏生君……、だめですか?》
志津の不安げな声が響く。
《まだだ》
三度目を試みるために、夏生は力を溜めていった。
前の二回よりも、もっと強く、もっと鋭く――。
――と。力の放出にかかる寸前。
夏生はどこからか伝わってくる震動を感じた。地震でも起きたかのように、巨大流氷の全体が揺れ動いている。
氷のどこかにヒビでも入ったのか、断続的な衝撃が響いてくる。
なにが起きているのかはわからないままに、夏生は降ってきたチャンスを逃さずに行動した。溜めきっていた
ぱかり。と。
二つに割れたその合間から、空と海、二つの青さが飛びこんでくる。
スサノオは飛びだした。
◇
《ガッデム!》
一度は捕らえたはずの目標に、手の中から飛び立たれて、
他の二隻が邪魔をしてきたのだ。
目標を海中に追いこみ、氷の牢獄に捕らえたというのに、無駄な砲撃を行って、すべてを台無しにしてしまった。
せっかく捕らえていた獲物を逃がすことになってしまった。
あるいは、はじめからそれが狙いであったのかもしれない。
他の二隻は識別コードの上でこそ〝友軍〟として見えていたが、彼はそうは考えないことにした。
《――アイス?》
コントロール・ルームの室温が下がってきていることに気がついて、彼はもう一人の搭乗員に声をかけた。
触れる物すべてを凍結させる絶対零度のフィールドだ。
鎌のように持ちあがったその力場は、見ているうちにも、一本、二本と本数を増してゆく。彼女の最大出力である七本となり、そこで止まる。
《同化を開始》
彼女――氷刃の
通常の運用では、星船との同化は図らない。
船に乗りこんでコントロール・ルームと称される空間に身を置きはするが、船との接触は最小限で、物理的な融合までは行わない。
肉体と精神にとって危険があるからだ。
一度同化した後で、ふたたび分離できるかどうかはわからない。
この星船は、すでに一人の能力者を喰ってしまっている。テレパシー能力を持たない彼と彼女が思念での会話を行えているのはそのせいだ。
《やめろ。たかが任務だ。そこまですることはない》
軍人が決して口にしないことを、彼は言った。
床から現れた肉質の組織が、結跏趺坐を組む少女の脚を這い登ってゆく。
彼女の背中から立ち上がっていた七本の青い鎌が、一本、また一本と、床へと流れこむ。能力の超伝導現象が始まっていた。
《任務でなく捕まえたい。――悔しい》
《そうか》
娘のように思っている少女が――自我に乏しい彼女が、初めてみせた感情と意思とを、彼は尊重することにした。
《ではゆこう》
みずからも星船との同化を開始した。
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