巨大な力
負傷して倒れていた男たちは、地面に接した体で震動を感じ取った。
地震のようでもあるが、どこかでなにか違っていた。
直下から来る縦揺れは何十秒も続いた。
しだいに大きくなってゆく震動に、傷ついた体を引きずって、男たちは逃げだしはじめた。
一小隊三十人の全員が山を降りきったとき、大地の震動は頂点に達した。
山を覆う木々が、ざわめいていたかと思うと、一本一本まるで別々の方向に動きはじめる。
山が崩壊しつつあった。
木々を乗せたまま大地が滑り落ちてゆく。
しかし崩落がいくら続いても、山自体の高さは変わることがなかった。
むしろ崩れる前よりも、高々とそびえ立つようになる。
茫然と見つめる男たちの前で、流れ落ちる土砂と岩石は、量と勢いとをさらに増していった。
やがて――。
つるりとしたなにかが、山の中から出現する。
山一つを消滅させて生まれ出たなにかは、なんの支えもなく、夜空に浮遊していた。
星の輝きを黒く切り抜いて、球形の物体が存在している。
そして空中に浮かぶ物体から、すさまじい音が響いてくる。
圧力を感じるほどの音であった。
地上にいる男たちには、それは怪獣の咆哮に聞こえた。
◇
《ほらあっちー。寮が見えるよー》
空中百メートルあたりに浮かびながら、風にでも流されるようにゆったりと漂う。
《ところでさ。さっきから気になってるんだが――》
夏生は言った。
《――おれたち、撃たれてね?》
下のほうから、ぺしぺしと、なにかがぶつかってきているようだった。
それが皮膚感覚として伝わってくる。
痛くも痒くも――文字通りの意味で――ないわけだが、時間が経つにつれ、撃ちこまれてくる銃弾の数が増えてくる。
下に目を向けると、地上の部隊が小銃をこちらに構えて、散発的に射撃を行ってくるのが視えた。
こちらをどうにかしようというよりは、恐怖にかられて乱射しているだけに見える。
そのうちに携行ロケット弾を構える者も現れてくる。
噴射炎を引きつつ飛んできた対戦車用のロケット弾は、命中すると、花火よりは小さな爆発を開いた。
囮で引き離しておいたヘリも戻ってきていて、周囲を旋回している。
さらにはどこかの基地からスクランブル発進してきたものか、戦闘機まで飛来してくるようになった。
ヘリとは比べものにならない速度で飛びまわる戦闘機から、小さな飛翔体が切り離されて、ロケットモーターの推進力で飛んでくる。こちらは炸薬の量が桁違いだった。
《あてっ》
脇腹のあたりを小突かれたような感覚があった。痛いというほどではないが、不快を覚えるほどではある。
《いてっ。いてっ》
続けざまにミサイルを撃ちこまれて、思わず声が出てしまう。
《対空ではなく対地ミサイルのほうだな。動かないでいると、いい的となるが》
《逃げるか》
大鉄の頑丈力を発動すれば無視できるわけだが、この場に留まっていても意味はない。
もともと逃げるために、星船を手に入れようとしたのだ。
《飛ぶぞ》
自分の体を動かすときと同じように、ほぼ意識せずに空を飛ぶことができる。
飛べることが嬉しいのか、みゃおおおん、と、スサノオも鳴いていた。
ほんの一瞬で光景ががらりと変わる。
物凄い速さで、眼下を地面が流れてゆく。
茶色と緑の陸地はあっという間に流れ去ってしまって、紺色の海が流れるようになる。
《すげえな――いったい何キロぐらい出てるんだこれ?》
《数値での把握は難しいな。スピードメーターが付いているわけではない》
《これ視る?》
真琴がイメージを送ってくる。
地球が丸く見えている。
地球儀のようなサイズに見えるその表面を、自分たちを示す点がゆっくりと動いていた。
《うお。すげえ》
馴染みのある日本列島がどんどんと離れてゆく。
世界地図のスケールで、見てわかるほどの速度で動いていた。
《現在、太平洋上空だな。小笠原海溝を越えて、マリアナ海溝に沿って飛んでいる》
《夏生君、どっちに向かっているんですか?》
《いやどっちって……、とりあえずあそこを離れようと思っただけだけど》
《現在速度は、分速四、五百キロというところか。マッハだと二十五前後だな》
《マッハ二十五って――》
《それって速いんですか?》
絶句した夏生に、志津のぽかんとした声がかぶさってくる。
《戦闘機の最大速度がマッハ二程度だから、軽くその十倍以上だ》
《十倍……》
志津にはまだぴんと来ないようであった。
《旅客機とかは、マッハ〇・八とか九とかだよな。ならジェット旅客機の三十倍ぐらいの早さで目的地に着くってことだ》
《ええっ!? じゃあグアムまで、ええと……たったの七分じゃないですか!? シンガポールまでだって、ええと、十二分で、オーストラリアのシドニーまで行っても、ええと、二十分?》
《いや。知らないけど》
観光地への所要時間がそんなにすらすら出てくるのはどうしてか。
《この速度なら、地球の反対側まで行くのに四十五分程度だな。つまり地球上ならどこへでも、四十五分以内に到達できるということだ》
《南の海かー。いっぺん行ってみたかったんだよねー》
《カメハメハ大王にあえる?》
《それはハワイですから方向が違います。いま南に向かってますから》
《コアラ? カンガルー?》
《あ、それならオーストラリアですから、この先です》
《オーストラリアも泳げるところだっけ? でも水着なんてないしー》
真琴がそんなことを言っている。
すっかり観光気分である。
いま逃げている最中であって、立ち寄るとも言っていないし、泳ぐなんて、もっと言っていない。
だが水着姿はつい想像してしまう。
しかし万年制服娘になんの期待をしろというのか。真琴の水着姿なんて、べつに見たいとも思わない。志津の水着姿なら、ちょっと見てみたい気もするが。
《あ。いまこいつ志津のビキニ姿想像してる。妄想がこっちまで、だだ漏れになってきてる》
《わっ。わっ。ちがうって。つい思っただけで――》
《ええっ、ビキニですか? それはちょっと……。でもどうしてもっていうなら……》
《この速度であれば、どんな航空機でも追いついては来れないだろう。すこし羽を伸ばすのも悪くはないだろう》
《そんなこと言って、おまえもビキニが見たいんだろ》
《ほぉら白状した。おまえ《も》――っていまそう言った》
《わ。しまった》
《やっぱりビキニなんですね……》
志津の声は、呆れているような、覚悟を決めているような、そんな感じだ。
《アニキはふんどしだよねー》
そんなことを話すうちに、水平線の彼方に太陽が昇ってきた。
《あれ? もう夜明けだっけ?》
《日本からやや南東に向かってきたからな。時差があるから、日の出も早くなる》
朝日に向けて進路を取ると、太陽は見ていてわかるほどの速度でぐんぐんと昇っていった。
早回しの画像を見るようなものだ。
《海が……、きれい》
あっという間に朝日ではなくなった太陽に照らされて、海がブルーに輝いていた。
海の色が日本と違う。
日本近くの海の色は《紺碧》という言葉がふさわしいような、黒みを帯びた青色だったが、ここいらへんの海の色は、鮮やかなまでのライトブルーだった。
景色を楽しむために、速度を落とす。
マッハ二十五から比べれば止まっているような速度に――ヘリで飛んでいたときくらいにまで、ぐぐっと速度を落としてゆくと、海面がよく見えるようになってきた。
波の描きあげる模様が、眼下をゆっくりと流れてゆく。
ここいらがどのあたりになるのか、赤道直下ということ以外は、よくわからない。
秋津なら世界地図ぐらい丸暗記していて、地名くらいすらすらと言えるのだろうが、それを言われてみたところで、夏生にはやっぱりわからない。
真琴の遠距離視界には、いくつかの島々が視えていた。
とりあえずそちらに進路を向ける。
翼を広げて、ゆるやかに旋回する。
自分を中心にまわりの光景が水平線ごと回ってゆく。
それが大気圏を飛ぶうちに流線型へと変わってきていた。
さらに音速を超えて飛んでいたときと、いまのように風に乗ってゆったりと舞うときとでは、また形が違っている。
いまのスサノオは、エイのような形になっていた。
鳥のような形にならないのは、羽ばたいて飛ぶわけではないからだろう。
うすべったい体と、横に大きく張り出したヒレのような薄い翼。
後方に長く伸びている尾は、地中にいたときには根であったものだった。
あらゆる環境に適応して、すぐに形を変える。
夏生たちの意思に反応して内部の構造を作り変えていったように、外観もまた自由自在に変えることができるのだ。
小さな島ほどもある巨大なエイは、その影を海面に投げ落としながら赤道直下の空を飛んでいた。
夏生はふとイタズラ心を起こした。
スサノオを海に飛びこませてみる。
突入地点に水柱を残して、水中に進入する。
空気よりもねっとりとした水の感触が、体の表面を流れてゆく。
スサノオの体表の感覚を、自分の皮膚のように感じる。
《気持ちいいねー》
これは真琴の声だ。
神経が船と繋がって、全員で同じ感覚を共有している。
水中から空中へと、勢いのままジャンプする。
イルカのようにドルフィンジャンプを繰り返して、水中と空中とを交互に渡る。
青い海と青い空との合間で遊びほうけた。
誰かが歓声をあげていた。
誰のあげた歓声か、もう区別が付かなかった。
自分があげたのかしれないし、他の誰かかもしれない。スサノオかもしれない。区別に意味はなくなっていた。
ひとしきり遊んだあとで、海の上に身を浮かべて、波間を漂う。
《パリに行ってみたいな》
誰かがつぶやいたなら、皆で口笛を揃えて飛びだしてゆく。
何万キロも伸びる飛行機雲を、長々と成層圏に穿って、地球を半周してパリに到達する。
夜明け前のエッフェル塔がライトアップされていて綺麗だった。
凱旋門は上から見ると、道路が放射状に伸びていておもしろかった。
《ピラミッドみたいー》
つぎはエジプトだ。
遊園地を歩き回るように、地球の各地を訪れて回った。
途中で何度か、スクランブル発進してきた戦闘機と出くわしたものの、十倍以上の速度差のおかげで、まるで相手は止まっているようなものだった。
簡単に引き離してしまえた。
自分たちが追われていることなど、夏生たちはすっかり忘れていた。
どこへでも逃げ得る力を手にしたと思いこんでいた。
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