空中戦

 地上へ引きずり下ろしたヘリに乗っていたのは民間人だった。


 というか。日本人で、訓練された兵隊で――つまり、たぶんおそらく自衛隊に所属している人たちなのだろう。

 MIBメン・イン・ブラックではない普通の人間という意味で、民間人であった。


 全員、ヘリから降りてもらった。


 武装解除もしたが、その必要はなかったかもしれない。

 精悍な顔つきの彼らは、女子高生も含む高校生ばかりの集団に驚いた顔をしていて、完全に戦意を喪失していた。


 乗ってきた車の中に閉じこめてロックする。

 大鉄が〝頑丈力〟をチャージして、秋津が電子的に施錠したので、しばらくは開くことのできない完全なる棺桶だ。


「けどよ。奪い取ったはいいけど、これ、どうやって飛ばすんだ?」


 ヘリを見上げて、夏生は言った。


「まさかヘリの操縦もしたことがある――なんて言わねえよな?」


 秋津に訊いた。

 なんでもできるこいつのことだ。

 もしかしたら――と、思ったわけだが、秋津のやつは首を横に振って返してきた。


 そりゃそうだろう。

 車の運転はともかく、高校生でそんなことまで出来るとか言いだしたら、さすがにキレて張り倒す。


「あの……、たぶん、できると思います」


 そう言って、小さく片手を挙げてきたのは、なんと志津だった。


「この子、だいぶ使い込まれているようですし……、うん、だいじょうぶそうです」


 中に入って操縦席を覗きこみ、二本あるスティックの擦り切れ具合を指先でなぞって確かめてから、志津は力強くうなずいてきた。


 使い込まれて年季の入った機体だと、なんで大丈夫になるのか、夏生には理解しがたかったが、彼女はやると言ったらテコでも動かない女だし、できると言ったなら出来るのだろう。


 夏生はおとなしく機内に乗りこみ、おとなしく席に座った。

 固く薄っぺらいシートの上に、借りてきた猫のように、行儀良くお座りする。


 エナメルを塗っただけで、ジュラルミンが剥き出しとなっている機内。

 過剰なほど用いられているリベットの列には、隠そうという気配すら感じられない。


 すべての無骨さが軍用を感じさせる。


 後ろの席にちょこんと座っていた夏生だが、前のほうの席から手招きされる。


「夏生は、こっち」


 真琴に押されていって座らされた席は、二つあるパイロット席の左側のほうだ。


 右側にはすでに志津が座っていて、熟練者の手つきでパネルのスイッチを操作していた。


 ヘリは離陸準備に入っていた。


 アイドリングで回っていたエンジンが回転を上げつつあり、タービンエンジン特有の甲高い悲鳴のような騒音が機内に充満してゆく。


 怒鳴ったとしても話が通じるかどうか怪しいものだ。


「これ。どうぞ」


 マイクの突き出たヘッドセットを、パイロット席の志津から手渡される。


『――聞こえますか?』


 耳を覆うようにしてかぶってみると、騒音が遠ざかり、声だけが明瞭に聞こえてくるようになった。


『う、うん』

『出しますよ』

『う、うん』


 バイクのリアシートに初めて乗せられる女の子のように、夏生は頼りなげな返事を返した。


 バイクの後ろに乗ってくる女の子が、ぎゅっと前の男にしがみついて喜ばせてしまう、その理由がわかった気がする。


 それぞれの席に二本ある操縦桿の片方を、志津が左手で引いてゆく。

 夏生のほうに生えている操縦桿も連動して動く。

 股のあいだで動く操縦桿に触れないように、夏生は体を離した。


 エレベーターが上昇するような、体の重くなる感覚――。


 足下にまで透明の窓があって、真下の光景が素通しで見えていた。


 もう木の梢よりも高く飛んでいる。

 エンジンの唸りが高くなるにつれ、どんどんと地表が遠ざかっていった。


『なんで……、こんなの、飛ばせるんだ?』


 操縦中に声を掛けたらいけないかと思いつつ、志津に訊いてみる。


『物の記憶が……、読めるようになって』

『記憶? 物の?』

『彼女の二つめの能力のようだ。残留思念感知サイコメトリー、ないしは物体直感などと呼ばれている。テレパシーとは近縁にあたる能力らしいな』


 秋津の声がレシーバーから響く。

 操縦に専念している彼女にかわり、説明を入れてくる。


『ある道具に以前の持ち主が存在していて、長期間使用されていたのなら、彼女はその持ち主と同じように使いこなせるというわけだ』

『じゃあ、さっき車を運転していたのも?』

『彼女だ』


『じゃあ、さっきの――ずんばらりと、バラバラ死体を量産していた美少女剣士っていうのも?』

『それも彼女だ』


『あああ。やめてやめて。黙っていくれるって言ったのに。秋津君のうそつき』

『すまない。夏生には全員の能力を知っておいてもらう必要があるもので』

『秋津、おまえは電波――磁力だっけ? それを操ってなにができる?』


 志津のほうの話は、触れてはならない心の傷だったらしい。

 夏生は秋津の能力について質問した。こいつの能力のほうも、かなり正体不明だ。


『金属に限定される疑似念動力。電波の妨害と発信。それに受信だな。暗号化されている通信の傍受も行える。あと電子回路全般に対しての操作。これは至近距離である必要がある。光学迷彩のようなものは、いまだ練習中だ。波長が短くなって可視光ともなると、なかなか難しくてね。ただし前に君に見せたとおり、曲げるだけで良いのなら、光線兵器の出力に関わらず可能だ』


『レーダーとかは? 無効化できるのか?』

『もうやっている。レーダーというものは、波を返さなければ映らないから、簡単なものだ』

『あ――。それだけどね』


 真琴の声が割りこんでくる。


『えーと、こっちのほうから、ヘリが一機、全速で飛ばして向かってきているところなんだけど。レーダーから勝手に消えたりしたせいかな?』

『こっちってどっちですか?』

『えーと、どっちだろ? ――北のほう?』

『こういうときには、二時とか三時とかで言うのが定番なんだけどな』


『二時、三時? ――ああ時計の針のことね。アナログのほうか。ええと――それだと四時の方向。距離は……、よくわかんない。たぶんいまだと十キロぐらい』

『こんどはカーチェイスじゃなくて、ヘリチェイスかよ』

『ボクもー、ボクもやるー!』


 これはヘッドセットを誰かから奪い取った小鉄の声だった。

 誰から奪い取ったのかは言うまでもない。


 志津の操るヘリは、大きく前のめりになって速度をあげていた。

 田を越え、林を越え、ローターの唸りも大きくなっている。


『逃げきれるかな』

『軽くしたなら、速くなるか?』

『アニキが降りれば、軽くなると思うよー』


 ヘッドセットの取り合いの恨みか、大鉄がきつい一言を浴びせられている。


『向こうの、うちのと形がちがうみたい。羽も四枚だし。そんでもって、向こうのが、すこし速い』


 しばらく追いかけっこを続けていたが、じりじりと距離は縮まりつつあるようだった。


 そのうちに志津は低空を飛ぶようになってきた。


 林の梢をかすめて、地べたを這うように飛行する。

 鉄塔の間の高圧電線は、上から越えずに、下側をくぐり抜けてゆく。


 速度が上がるにつれて、機体が分解してしまうような無気味な震動が襲ってくるようになった。

 いよいよ限界なのだとわかる。


『こりゃ逃げ切れそうにないな』

『ごめんなさい』

『機体の性能差だ。仕方がないだろう。さて――。春日。乗員の姿は視認できるか?』


 冷静な秋津の声が真琴に向く。


『んーとね、黒いひと、ちがう。――ムサいかんじで、鍛えてて、メタボとは縁のなさそうな体型のオジサマ方ばっか』

『国家公務員か。なんだっておれたち日本人が、自衛隊に追われなきゃならないんだ』

『世界の暗部に食いこんでいるような口ぶりだったからな。政治にも深く食いこんで、政府を影から動かしていたりするのだろう』

『どうする? 落とすなら簡単だけどさ……』


 手頃のサイズの手斧が窓辺に設置されていた。

 それを手の上でもてあそびつつ、夏生は言った。


 乗ってみてわかったことだが、ヘリという乗り物は、意外と繊細な代物なのだった。

 機体は押せばへこむような薄いジュラルミン製であるし、ローター駆動部のたぶんクリティカルであると思われる部品に、一、二センチ程度の、か細いロッドが使われていたりする。


 たとえばこの手斧を投擲して、PKサイコキネシスで誘導しつつ加速して、ローター付け根の主要部品を破壊するとか――。

 ターボファンエンジンの空気取り入れ口インテークにトマホークブーメランを叩き込むというほうが、もっとお手軽そうであるが――。


『できれば不時着ぐらいで済ませたいところだよな』

『なら私にまかせてくれ』

ってなんだよ。任せるけどさ』


 追いかけっこは、なおも続行されている。


『私の能力は、それほど遠くまで届かない。二十メートル程度まで寄せてほしい』


 秋津のオーダーに、志津がぴくりと身を固くする。

 全長が十メートルを越える機体で、新幹線並みの速度でアクロバット飛行を続けながら、その距離に近寄れというのは、ニアミスなどあっさり通り越えた無茶な注文だ。


『やります。……歴代操縦者の三人目のひと、すごく腕が良かったから』


 しかし志津は決意の声でそう言った。

 追っ手のヘリが近づいてきたことが、音でわかる。こちらのとは違うローター音が斜め後方から近づいてくる。


『撃ってきた!』


 真琴の声が一瞬早く聞こえ、それから光の列が窓の外を駆けぬけてゆく。

 夜の空に曳航弾が花火のように映えている。


『威嚇だ。もし当ててきても、おれたちでどうにかする』

『む』


 夏生は言った。大鉄もうなずく。


『すこし無茶します。ベルトを締めて、しっかり掴まっていてください』


 志津はパイロット用のヘルメットを持ち出してきた。

 ナイトビジョン用の奇怪なデバイスを顔の前に引き下ろす。

 いくらか灯っていた機内の灯りが完全に落とされ、暗闇の中でエンジン音だけが響く。


 機体が急降下して、体が一瞬だけ持ち上がる。


 水田すれすれを飛行して、稲穂を風圧で巻き上げながらヘリは飛んだ。

 そのうちに前方に廃工場が見えてくる。その半開きとなったシャッターの隙間に、機は滑りこんでいった。


 上下左右、一メートルも余裕のない空間の中を、奇跡のように飛行する。


 欠けた窓ガラス越しに、反対側の出口へと敵機が回りこんでゆくのが見える。

 しかしこちらは工場内で方向転換を果たしていた。入ってきたのと同じ入口から、外へと飛びだしてゆく。


 敵機をいったん引き離して、別の方角へと向かう。

 こちらは敵機に接近しなければならないわけだが、そのためには、まず相手に隙を作らなければならない。


『真琴ちゃん! まわり中、片っ端から視て! こっちで読むから――! どこかいい場所は――』


 かせいだ時間で罠を仕掛ける場所を探す。


『こっち――』


 機に急激なGが掛かって、方向転換される。


 志津が向かった先は、中央に神社を構えてこんもりと盛りあがった森だった。


 その周囲をぐるぐると回り始める。

 はじめのうちは、敵機はぴたりと食いついてきていた。

 だがこちらは木々の梢をローターで切り裂くまでに森に接近して、わずかに小さな半径で旋回を続けていた。徐々に両者の距離が離れてゆく。


 相手は離れた距離を縮めようとして、森を飛び越えてショートカットに入った。


 こちらはその動きを完全に先読みしていた。

 テレパシーを用いたのか、それとも三代前の名パイロットの腕のおかげか――動きが乱れた敵機の真後ろに、ぴたりと付ける形となる。


 後ろに付かれた敵機は、左右に機体を振って逃れようとするが、こちらも食い下がる。

 敵機が高度と速度を上げれば、こちらも高度と速度をあげてゆく。


『まだですか』


 二十メートルという指示にはやや足りないが、すくなくとも彼我の距離は五十メートルを切っている。


 ローター同士が触れあいそうなほどだった。

 振りほどこうと全力をつくしてもがく相手に、二十秒近くはテールトゥノーズの状態を維持している。


 振り向くと、目を閉じて額に皺を寄せる秋津がいた。


『捉えた』


 秋津の口が、そうつぶやいた瞬間。


 前方にいた敵機が、急激に失速していった。エンジンが停止して惰性で飛ぶ。高度もぐんぐん落としてゆく。


『燃料系の配線を予備も含めて焼き切った』

『墜落してくぞ? だいじょうぶかな?』


 降下してゆく相手を足の下にある窓から見つつ、夏生は言った。


『高度は八〇〇フィートはあるし、速度も五〇ノットを越えていた。パイロットの腕が余程悪くなければ、オートローテーションで無事に着陸可能なはずだ。こちらも命懸けだからな。これ以上は知らんよ』

『そうだな。おれたちはともかく、アリシアは――』


 その先は口にせず、夏生は言葉をのみこんだ。


 ヘリの落下地点は後方に遠ざかりつづけて、やがて完全に見えなくなった。


 チェイスが終わり、普通の飛行に戻って、皆の顔にも笑みが戻ってきていた。


    ◇


 山間を走る道路が、眼下に見えている。


 その道端にコンビニが営業していた。


 無駄に広い駐車場のど真ん中に、ヘリを下ろしていった。

 着陸を果たしてヘッドセットを外すと、ガスタービンエンジンのあげる金属的な咆哮が耳に襲いかかってきた。


 回り続けるローターが風を巻き下ろし、砂埃をあげていた。

 その中を逃げるように駆け抜けて、コンビニの自動ドアのなかに入りこむ。


 ぽかんと口を開けた店員が待っていた。

 午前二時の店内には、他に客の姿はない。


「まずは食い物――!」


 レジ付近の棚に取りついて、サンドイッチと弁当と、手当たり次第にカゴに入れてゆく。


「オカシくださぁーい、ここからここまで、棚にあるのぜんぶー!」


 小鉄が棚ごと買っている。大人買いである。


「こっちも、おにぎり、ここからここまで、全部だ全部っ!」


 夏生も負けじと、両手を広げて棚に抱きついた。腕を広げたその幅でもって、小鉄に難なく圧勝する。


「もう――みんなっ! 保存ってものをすこしは考えてください!」


 遅れて店に入ってきた志津が、弁当とお菓子に群がる夏生たちを見るなり、一喝してきた。


「おにぎりやお弁当なんかは一日分だけ! どうせ腐っちゃうんですから!」

「でもよ」


 確保した棚の前で粘ろうとした夏生だが、ぎぬろと向けられてきた眼圧で、紙のように薄っぺらく吹き飛ばされる。


「食パン、缶詰、乾きもの、保存のきくもの中心に! 棚ごと買ってたら時間の無駄です! バックルームから箱で出してもらってください! ああっ――カップ麺はだめです! もしお湯がなかったら食べられないじゃないですか! ラーメンはぜんぶインスタントで! お湯がなくても囓れます!」


 志津の指揮のもと、野党の群れから訓練された軍隊に変貌を遂げた夏生たちは、これ以上ないほど効率的に食料を奪取していった。


「あと飲み物は――水でっ!」


 美味しい水の六本入り段ボールが、さらなる山を作りあげる。


 レジに表示される金額が、数千円刻みという、恐ろしい勢いで跳ねあがっていった。

 待っているうちに、皆でふと大事なことに気がついた。


「あ。――かねっ」


 夏生はポケットの中をすべて探って小銭を探した。

 真琴が携帯の電子マネーの残額を調べにかかる。

 志津は胸元から引っぱり出した御守りの中から、小さく畳まれた一万円札を取り出して、その折り目をちまちまと直している。


 それでも足りるかどうかはわからない。

 気が大きくなってしまっていたが、自分たちが高校生でしかないことを思い知る。


 すっ――、と。

 プラチナ色に輝くカードが、夏生たちの間を抜けていった。


「これで」


 スムーズかつエレガントに支払いが完了する。

 先に立つ秋津の後ろにぞろぞろと続いて、夏生たちは食料を運び出した。


 ほどなくして――。ヘリは空へと還った。


    ◇


 燃料計の針は半分を切っていた。


 目的地の決まらぬまま、ヘリは飛びつづける。


 秋津の能力のおかげで、レーダーに捕まることはなく、こうして空にいるかぎりは、これ以上の追っ手に悩まされる心配がなくなったのはいいが――制限時間がやってくる前には、これからどうするのかを決めなくてはならなかった。


 このヘリは、満タンでも二時間ほどの航続時間しかないそうで、こうして飛んでいられる時間は、そう長くはない。


 夏生は皆のいる後ろのキャビンに席を移していた。

 アリシアは夏生の膝の上にきている。


 女の子のお尻の感触はこんな時にでも柔らかく、それを楽しんだらいいものか、それとも困っていなければならないのか、夏生は途方に暮れていた。


 膝上にすっぽりと収まりきったアリシアは、親鳥になにかをねだる雛鳥のように、上向かせた顔を夏生に向けていた。


 彼女の星の言葉でもって、しきりになにかを言ってくる。


『困るんだよ。おれ、テレパシーないからさ……』


 操縦をしながら志津が左手を伸ばしてきて、アリシアの肘にさっと触れていった。


『ええと……。いつ食べてくれるのか、とか言ってますけど。――食べるってなんですか。どういう意味ですか』


 その声がきつくなる。


『いや。それは……』


 夏生は思い出していた。

 寮を逃げ出すことになる前――、ベランダで彼女と二人でいたときに、色々なことを伝えられた。


 いま太陽系が〝外敵〟の脅威にさらされているのだということ。


 外敵に対抗する唯一の力である〝英雄〟を呼び覚ますため、彼女はやって来たのだということ。


 そしてあのときの夏生にはまるで理解できず、いまも理解しているとはいいがたいのだが――彼女はその敵と戦える力を持つという怪物的存在に、ためにやって来ているのだった。


 そのことを、夏生は皆に話した。


 そして秋津と二人でMIBメン・イン・ブラックの〝J〟から聞き出した話――アリシアを捕獲しようとしていた理由が、星船とやらをパワーアップするための〝エサ〟として喰わせることにあるという、そっちのおぞましい話のほうも皆に話した。


『食べるって……、ほんとうに、そっちの意味のほうだったんですね』

『なんだと思った?』


 ほっとしたような声をあげる志津に、夏生は訊いてみた。


『いえあの……、言えません』


 言えないような想像であったらしい。


『星船って、やっぱり、あれのこと?』


 真琴の言葉に、夏生はうなずいた。


『おれたちのこの能力が、星船に喚ばれて授かったものだとか、やつはそんなことも言ってたっけ』

『たしかに呼ばれてたもんね。あの夢……、姫様だけでなくて、船からも呼ばれてたのかあ』

『あ――、そろそろ燃料が、残り四分の一ですね。あと三〇分。まだ一二〇~一三〇キロは飛べますけど』

『そろそろ目的地を決める必要があるな。いまなら日本海側にも太平洋側にも出られるが』

『待て待て』


 夏生は言った。


『いいのかよ? このまま逃げるって流れになっちゃってるけどさ?』


 食料も仕入れておいてなんだが、皆の気持ちを一度も確認していなかった。


『いいのかよ、なんて、言ったってぇ――』


 真琴が言ってくる。


『選択肢なんて、抵抗するか、無抵抗でいるかの二者択一しかないじゃん。このままおとなしく捕まるなんて、考えるまでもないんだから、逃げるってことで、もう決定じゃないの?』

『どうやって逃げるのか――。話し合うなら、そちらにすべきだな』


 秋津も言ってきた。


 皆の顔を見回して、夏生は理解した。

 夏生が思っていたよりも、皆の気持ちは同じ方向に向いていたようだ。


『あの。いまちょうど、山岳地帯のほうに向かっていますから……。このまま、どこか適当な場所に隠れるっていうのはどうでしょう?』


 どうやって逃げるかという――その提案を、志津がしてくる。


『山小屋かなにかに、しばらくみんなで隠れていて……』


 名案を語る顔つきで話しはじめた志津だったが、夏生の難しい顔にこのあたりで気づいたか、口調がしょんぼりと沈んだものになってしまう。


『あの……、ごはんは、わたしが作りますから……』

『いや。ごめん。責めていたわけじゃなくて。それじゃ同じことの繰り返しだと思って。またあいつらに嗅ぎつけられて――』

『そしたらまたヘリで――。ええと、ヘリの燃料には……、軽油ってものが使えるみたいです。これ、ガソリンスタンドで売ってますよね?』

『俺も、それがいいと思う』


 どんどん怪しくなってくる志津だったが、それに賛同する者も現れた。

 大鉄は、ちらりと妹に目をやって――そして話を続けた。


『いちど落ちつくべきだと、俺は思う』

『うーん……。山のなかのコテージでヒミツ生活ってのも、わるくはないんだけどー……。いまいち面白みに欠けるっていうかぁ』


 物事のすべてを面白いか面白くないかで計れてしまう真琴は、幸せなやつだった。


『ヒミツ基地? どうせならハワイにしよーよー』


 こちらは兄の苦労妹知らずというものである。


 大鉄の選択はきっと、今回の件から小鉄を方法を考えてのことだろう。

 そのくらいは夏生にもわかる。


 小鉄にはいまだに、なんの能力も芽生えていなかった。

 しかしいまここで小鉄だけ家に帰しても、やつらがほうっておいてくれるはずがない。


『おまえは――どうすんだよ?』


 まだ何も言っていない秋津に対して、夏生は訊いてみた。――とりあえず。


『君がやろうとすることを、私もしよう』


 やっぱりそういう類の答えが帰ってくる。訊かなければよかった。


『主体性がないっつーんだ、そーゆーのは。だいたい聞きもしねーうちから』

『では君がやろうと思っていることが、どんなことか、私の口から説明しよう』


 すんなよ。


『いま夏生は、最も積極的な逃走について考えている。ヘリよりも確実な逃走手段を手に入れるための方法だ。およそこの地球上に追ってこれるものがないような、そんな逃走手段だ』

『へー。へー』

『そうなんですか』


 真琴と志津と二人して、畏敬の目で秋津を見つめる。


 なんかおもしろくなかった。

 テレパシーもないのに、なんでこいつは、こんなにわかってしまうのか。

 夏生もたまに不思議になるが、そこは長い付き合いというやつなのだろう。


 あまり秋津の株を上げてやるのも癪なので、夏生は自分の口から説明をはじめた。


『星船っていうからには、あれは、宇宙を飛ぶ船なんだよな。そして宇宙にまで行けるってことは、すくなくとも、地球のどこへでも行けるってことなんだよな』

『ハワイに行ける?』


『ハワイにもだ』

『カメハメハ大王に会える?』

『それはわからない』


『もういちどあの裏山に行くっていうこと? それこそ捕まりに行くようなもんじゃないの?』


 真琴に詰め寄られる。


『ほら、言うだろ? なんてったっけ? ほら――あれ』


 と、秋津に振ると即座に答えが返ってくる。


『虎穴に入らずんば虎子を得ず』

『そう。それ』


 志津と真琴と二人から、また尊敬のまなざしのようなものが、秋津に向けられる。

 なんでだ。


『すべては星船から始まっている』


 と、秋津が言った。


『我々が超能力に目覚めたのも、そして彼女が地球にやって来たのも。すべて星船の目覚めにより始まったことだ。我々のこの力は、星船の乗り手として選ばれたために備わったものなのだろう。ならば船に乗りこむことで、我々の身に、さらなる変化が起こらないとも限らない』

『もっとパワーアップするとか?』

『ボクもなんかできるようになる?』

『なんか……、良くないことが起こるような気がします』

『船に食べられちゃうとか?』

『……!』


 真琴が軽い口調でそう言って、志津を本気で怖がらせる。

 志津は声も出せずに怯えていた。


 ふらついていたヘリの機体が安定を取り戻すのを待って、夏生は秋津に顔を向けた。


『それでお前の意見は』

『あれ? さっき秋津君、僕はいつでもキミと一緒だよ――って』

『それはこいつのいつもの冗談。あとそんなふうには言ってない』

『君の行くところなら、どこへでも行こう』

『ほら言ってるじゃん。言うじゃん』

『――他は?』


 夏生はとりあわず、皆に顔をめぐらせた。


『強制はしたくない。危険はある。まず乗り込めるかわからないし。乗り込めたとしても、飛ばせるかどうかもわからない。それから……』


 皆に言っていない不安が、夏生にはもうひとつあった。


 アリシアは星船に喰われるためにやってきたのだ。

 星船というものは、ひとつの大きな生き物なのだという。

 荒ぶる怪物だとも聞かされている。

 だがアリシアは、船にというよりも、むしろ夏生に喰えと言ってきているような気がしてならない。

 そのことについては、夏生は言葉を濁した。


『……いや、まあ、いろいろあるわけだけど。どうするかは自分で決めてくれ』

『ニーニーと行くー』

『む』


 まっさきに小鉄が手を挙げる。そして大鉄がうなずいてくる。

 自分で決めろと言ったはずだが。


『面白いほうに行くー』


 小鉄に負けない気軽さで、真琴も答える。


『志津は……』


 夏生は志津に顔を向けた。このまま隠れていたいと、彼女はそう言っていた。


『行きます。秋津君には……、負けません』


 パイロットシートに一人座る彼女は、前を見つめながらそう言ってきた。


 どういう意味か。なぜ秋津なのか。なにを負けないなのか。


 アリシアが皆を真似て、両手をバンザイの形に挙げている。

 その無邪気な姿を見ながら、夏生はこの娘は絶対に自分が守ろう、と、そう心に決めたのだった。

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