第3章「MIB」
姫君を保護
寮に帰り着いたのは、小一時間ほどしてのことだった。
行きは十五分ほどだった道のりに何倍も掛けたのは、安全のためだった。
透視能力者がいるので、尾行の有無は確実にわかるわけだが、念のために、寮とは違う方角に一度向かってそれから帰ることにした。
発信器の類が付けられていないことは、秋津が保証している。
寮の玄関が見えてきて、明かりを目にしたときには、さすがにほっとした。
バイクを走らせているあいだ、腕の中の少女は目を覚まさなかった。
運転しながら見ていたかぎりでは、気を失っているというよりは、ただ単に眠っているようである。
少女を横抱きにして夏生はラウンジへと入っていった。
「それ――つなげてくれ」
ソファーを二つ繋げて即席のベッドを作ってもらい、少女の体をそこに横たえる。
「あー……、疲れたぁ……」
少女を下ろした夏生は、床の上にへたりこんでしまった。これまでの疲れがどっと現れる。
「だから大鉄君にパスしろって言ったのにー。夏生。離そうとしないから」
「やだ。おれんだ」
「ニーニーばっかり、ずーるーいー。ボクもさわったりもんだりするー」
「してねえ」
夏生は小鉄と並んで、ソファーの背もたれに首を乗せた。
寝息を立てる少女をじっと見つめてる。
「ん、んんっ……」
志津が咳払いとともにやってきて、持ってきたタオルケットを少女の体にかけてゆく。
咳払いはどうも夏生に向けられているらしい。
少女の格好は、どこの熱帯からやって来たのかというほど身軽なものだった。
体の前と後ろに一枚ずつの布があり、それを腰の紐でまとめただけという単純な作りの服である。
古代風の衣装はあちこちガードが緩くて、脇腹やら腰骨やら、太腿の外側やらが、布の端から露出してしまっている。
下着は着けているのかいないのか。
透き通る素材越しに確認しようとしていたところを、志津に隠されてしまったわけである。
体を覆う布は不思議な素材でできていた。
羽衣のような薄衣で、宙に浮かびそうなほど軽くて柔らかいものだった。
宇宙産のその素材は、暗い場所で見かけたときには発光していたが、明かりの下では、表面に虹が流れている。
「ニーニー、これ純金かなー? 本物かなー? うまい棒何本買えるかなー?」
少女の身を飾るアクセサリーに、小鉄が物欲しそうな目を向けている。
金かどうかはわからないが、金色の金属であった。
両肩で前後の布を留めているブローチは、シンプルなデザインだが、精緻な細工が施されている。
「いくつくらいかな? ――姫様」
真琴もやってきて、ソファーの背もたれに顎を乗せてくる。
少女は華奢な体をしていた。
夏生たちよりか、一つ二つ年下に見える。
夏生は両隣にいる少女たちに目を向けた。小鉄と真琴――二人の体つきに、じいっと視線を注ぐ。
少女――姫の年齢は、ふたりのちょうど中間あたりだろうと、そう見当をつける。
「中学生くらいだろうな」
「宇宙に中学校はあるんかい」
「じゃあ十四、五歳くらい」
「一年という単位は、惑星の公転周期に基づいたものだ。出身惑星が違えば、単位自体も違ってくるはずだが」
「うっせーな。じゃあ十四宇宙歳でいいじゃんか。でも……、この子って、本当に宇宙人なのかな?」
夏生は秋津に訊いてみた。
「宇宙人っていうのは、なんつーか、こう……、たとえば、そう……、液体生命だったり、歩く植物だったり、巨大ミミズだったりするもんなんじゃないのか?」
そこまで言って、寝息を立てているあどけない顔に目を落とす。
「見たところ、人間そのものなんだけど……。カワイイし」
「可憐だ」
大鉄が変なところにだけ同意してくる。
見るなら夏生たちのように近づいて見ればいいものを、部屋の隅から動こうとせず、ただ視線だけで見守ってくる。
「医者にでも診せたほうがいいのかな? ずっと寝たまんまだけど」
「そうもいかないだろうな。そもそも宇宙人の診療など、どんな医者でも専門外だろう」
とは言いつつ、秋津は姫の手首を持ち、脈を取りはじめる。
なんでも出来てしまうこの天才に医学の心得があったとしても夏生は決して驚かない。
「脈拍も呼吸も安定している。顔色も悪くない。熱もない。外傷があるか診てもいいか?」
「秋津君なら――よし。ほら夏生、あっち向け!」
なぜか真琴が許可を出す。
「なんで秋津だといいんだよ」
夏生はぼやいたが、言われるままに背中を向けた。
「そういや。腹減ったな……」
ふと空腹を覚える。
そういえば隕石騒ぎで、夕食のカレーを食べかけのままで飛びだしていったのだった。
「――温め直しますか? すぐですけど」
「頼む」
志津に言って、夏生は席に着いた。
姫の周囲をハイエナのようにうろつきたい気持ちを抑えて、どっしりと椅子に腰を下ろす。
背後で交わされる会話だけを聞く。
「春日――。骨格を透視してくれ。折れたりヒビの入ったりしている箇所がないか。あと臓器にも異常がないかをみてくれ」
「わかんないよう。どんなふうなのが正常かなんて」
「なら臓器の形状と色を言ってくれ」
真琴をレントゲンがわりに使っているようだった。
カレーの匂いが漂ってくる頃には、診察も終わり、秋津は隣にやってきた。
「まいったな。どこからどこまで人間と同じだった」
高校生男子らしからぬことを、さらりと言う。
あちこち見たり触ったりしてきたのなら、健全な高校生であれば、他にもっと言うべきことがあるはずだ。
世の不公平に腹が立つ。夏生は返事をしてやらないことにした。
今夜起きた出来事について、夏生は考えを向けた。
怪我もなく無事に逃げて来れたが、あやうく殺されてしまうところであった。
「なぁ……。あいつら、何者なんだと思う?」
「MIB《メン・イン・ブラック》」
夏生の問いに、秋津は簡潔に答えを返した。
「なんだそりゃ?」
「UFOや未確認生物の目撃者のもとに姿を現して、他言しないように脅迫してゆくという、全身黒ずくめの男たちのことだ」
「あいつらじゃん」
夏生は言った。そのものずばりである。
「アメリカにおける都市伝説のはずだったが……」
「実際にいたってわけか。――だけど、脅迫なんかじゃ済まなかったぜ?」
相手は夏生たちを殺すつもりで発砲してきていた。
「彼女が単なる宇宙人であれば、通常通りの脅迫で済んだのかもしれないな。そして我々に超能力が備わっていなければ」
「そういや、やつら――はじめは適当なデタラメを言って、煙に巻こうとしていたっけ」
「我々はこの件に、深く関わりすぎてしまったようだ。脅すばかりではなく、確実に口を封じなければならないほどに……」
志津がテーブルの上に皿を並べにくる。
夏生は秋津との話を終わらせた。
殺すとか、口を封じるとか、そんな物騒な話をして、志津を怖がらせたくはない。
目が合うと、志津は夏生に向けて微笑んできた。
なんだろう、と一瞬考えたが、すぐにわかってしまう。
いま考えていたことが筒抜けになっていたわけだ。
ということを考えているいまこの考えも、筒抜けになってしまっているわけで――。
「だいじょうぶですよ。触っていないときには、意識しなければそうそう読めませんから。わたしの心配をしてくれているんだって、それだけ……。なんとなく、伝わってきただけで……」
「いやあ……」
夏生は照れを隠すために、後ろを振り返った。
「おおい、真琴。メシだぞ――」
「あっれー、この服、どうやって着せればいいんだろ? こら小鉄っ、脱がせるんじゃなくて着せんだってば――。ねえ志津ー、やってくれる?」
「あっ。はい。――えっ?」
ソファーのところに呼ばれて行った志津が、ぎょっとしたように身動きを止めた。
「どしたの? ――あっ」
真琴も固まる。
「どうした?」
夏生は立ち上がった。ソファーのところに向かおうとして――。
「だめー!」
遠慮のない力で、志津にはたかれる。
「気がついたか」
秋津は隣を素通りして、少女のところに行く。
どうやら少女が目を覚ましたらしいのだが――まったく不公平であった。
「はい。もういいよ――」
許可をもらって、夏生がようやく振り向いたときには、少女はもう起きあがっていた。
きょとんとした顔でソファーに座っている。
部屋の中を見つめ、そして皆の顔を順に見つめてゆく。
その目はぱっちりと開いていて、物怖じした様子がまるでない。
「あのさ……」
夏生は少女に話しかけてみた。
あちこちを見ていた少女は、ぴたりと夏生に顔を向けてきた。
大きく開いた目に真正面から覗きこまれると、夏生のほうがたじろいでしまう。
聡明そうな目をした少女だった。髪の色とお揃いのライトグリーンの瞳だ。
「………、………、……」
少女がなにかを言ってくる。
やはり何を言ってきているのか、わからない。秋津に顔を向けるが、首を横に振って返される。
「地球上のどの言語とも違っている」
〝らしい〟とも付けずに、断定ときやがった。
役に立たない秋津から、志津へと目線を移す。
「あっ……、はいっ」
志津は少女に近づいてゆくと、その顔を両手で挟みこんだ。
テレパシーというものは、接触することでより強く働くものらしい。
「なんて言ってんだ?」
「ええと……」
志津は言いにくそうな顔になり、言葉を濁した。
「………、………、……」
少女がもういちど声をあげる。
「あの。えっと……」
志津は困り果てた顔になる。
「いいから。言ってくれって」
夏生がせきたてると、志津は意を決したふうに、大きく口を開いて――そして言った。
「はらへった」
「は?」
「はらへった」
「いやだから」
「夏生君が言えってゆったんじゃないですかあ」
「言ったけど」
もうすこしロマンのある言葉を期待していた夏生である。
「なにか、すっごくおなかがすいてるみたいで……。ほかのことは、よくわからなくて」
「カレーでいいっしょ」
「食べてくれるでしょうか?」
志津が心配げな顔を真琴に返している。
「どうだろ。食べるんじゃないのか。宇宙にだってカレーくらいあるだろ」
「体のつくりは同じらしい。我々と同じ物を食べられるはずだが。あと宇宙にカレーはないと思う――夏生」
テーブルにはカレーの大鍋が置かれていた。
皿に盛られたご飯のもとに、少女は誰に言われるともなく自分で近づいていった。
じっと見入り、顔を近づけて匂いを嗅ぐ。
そして無造作に手を伸ばし――。
「あーっ!」
白いライスを手掴みにした少女に、皆が声をあげる。
急に向けられた大声に、びくっと身を固くした少女だが、素手で掴んだライスはそのまま口へと運んでゆく。
ほっぺたを大きく膨らませて、もきゅもきゅと食べる。
ごっくんとやってから、ふたたび白飯へと伸びてゆく手に、皆で声を張りあげた。
「だめー!」
きょとんとした顔で、少女が見つめ返してくる。
大きく見開かれた
「通訳、通訳っ――」
「ええと」
志津が少女に向けて念波を飛ばす。
「カレーは手で食べるものじゃないって、言ってくれよ――ていうか、それじゃカレーライスじゃないし。ご飯だけじゃ、うまくないだろ」
「はじめて食べるけど、甘くておいしいって、感激してます」
「甘い? ご飯が? とにかくスプーン使えって」
「伝えてますけど。わかってくれなくて。……あれ? ええと。なんだろ。食べること自体が、はじめて……みたいな? なにかを食べたり飲んだりしたことが……、これまで、一度もない? えっ? えっ?」
「意味わかんねー」
「わたしだって。よくわかんなくって。あたまのなか、日本語で考えてくれていないから、翻訳しないとならないし」
「がんばれ」
「がんばってますけど」
少女を椅子に座らせ、スプーンを握らせ、カレーに向かわせる。
――たったそれだけのことに、なにやら凄い苦労があった。
少女はなにもかもが初めてという顔で、食卓の上にあるものひとつひとつに興味を示していた。
皿をひっくり返して、その裏側をしげしげと眺めていたりする。
いざカレーライスが出されると、目をキラキラとさせ、子供のようにしっかりと握ったスプーンでかき込んで、口の中をいっぱいにする。
――と、口を押さえて涙目となり、ばたばたと暴れはじめる。
「あ。辛いの苦手なのか。秋津とおんなじだな。水。水。そこの水っ」
コップの水を片手に、少女は猛然とカレーを口に運びはじめる。
すごい食べっぷりであった。まるで何日も物を食べていなかったような――。
「さっき、なんて言ってたっけ?」
「あの。物を食べるの、はじめてなんだそうです」
志津はそう言ってくる。
「はじめてって、はじめて?」
「はい。はじめてで」
その言葉の意味を、夏生はようやく理解した。
「ホントのホントに、生まれてからずっと何も食べてなかったのか……。十四宇宙歳だと、ええと、五千宇宙日くらい? そりゃ腹も減るはずだ」
「減るとかそういう問題じゃ……」
見ているあいだにも、次々と皿が空になってゆく。
どこのフードファイターか、という勢いであった。
「よかった。お口に合ったみたいで……」
ずっと気にしていたのか、志津がほっとした顔をしている。
自分たちの分がなくなってしまう前に、夏生たちも各自一杯ずつを控えめに確保した。
ついに大鍋のカレーが底をつく。
少女はまだ物足りなさそうな顔をしていたが、一応は足りた模様である。
「腹がいっぱいに……なってはいないみたいだけど、すこしは落ちついただろ。そろそろ話とか、聞かせてもらおうかな」
夏生がそう言うと、少女の顔が夏生に向く。
言葉が通じないというだけで、なにが話されているのかは、わかっているのだろう。
自分についての話題が話されているときには、相手の目をきちんと見つめている。
ぱっちりと大きく開いたその目は、いま夏生に向けられていた。
その視線はありえないほど透明で、一点の曇りもない。瞳のなかに星でも浮かんでいるようである。
夢の中と同じ表情で、少女は何かを言いかけた。
と、そのとき。
内線電話の呼び出し音が、ラウンジに鳴り響く。
夏生たち以外、寮には誰も残っていないはずなのに――。
「もしもし。――はい。――はい」
志津が受話器を取って話しはじめる。
「――ボイラー室のおじさんからです。もうボイラー止めるから、お風呂に入るなら、早くしてくれっていうことなんですけど……」
「なんだそんなこと」
夏生は軽い口調でそう言った。
もっと優先されるべきことがある。
彼女の話のほうが先であった。
わざわざ宇宙から地球にやってきたことの理由。夢の中に現れたのはなんなのか。どうやったのか。その他色々。諸々と。
「いいじゃん。風呂なんか。いまこっちが先――」
「だめです」
これまで見せたこともない、断固たる口調で、志津は言った。
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