姫君

 夢のなかの少女との出会いは、どこか地の底あたりで静かに起こることなのだと、理由もなくそう思いこんでいた夏生であった。


 それがまさか空からやってくるとは。


 ダイナミックな展開に出現にとまどいを覚えつつ、バイクを夜道に走らせる。


 リアシートには志津を乗せている。

 分かれ道が来るたびに、彼女の手がすっとあがって、行くべき道を指し示す。


 年代物のエンジンが苦しげな音を響かせ、ヘッドライトが暗闇を切り取る。

 後ろからは秋津や大鉄たちも自転車でついてきていた。


 夏生は背中に意識を向けていた。


 大きく詰まった胸の感触にも――もちろん心を乱されるのだが、それよりも志津の様子が気がかりだった。


 隕石が落下した直後から、志津は正体をなくしたように、おかしくなってしまった。


 ぼんやりと視線の定まらない目になったかと思うと、「呼んでる」とつぶやいて、ふらりとどこかへ出ていってしまおうとしたのだ。


 当然、引き止めたが、志津は正気に返らない。

 強いテレパシーを受信しているらしかった。


 そして夏生たちは、その志津に導かれるようにして、おそらくは――隕石の落ちた場所に向かっているのだった。


 夢の中の少女がやって来たと夏生が考えているのは、それが理由である。


「――、――、―――」


 横に並んできた秋津が、なにかを言ってきていた。


 夏生のバイクは年代物のゼロハンとはいえ、めいっぱい飛ばしているそのスピードに苦もなくついてきている。

 しかもその足はペダルを漕いでいない。

 手のほうも腕組みしたままで、ハンドルに置かれてさえいない。

 やつの〝磁場を操る能力〟とやらで、動かしている野だった。


「聞こえねーよ!」


 夏生は大声で叫んだ。スロットルを緩める。

 秋津は横に並んだまま、彼にしてはめずらしい音量で返してくる。


「向かう先は――森林公園だ」

「なんでわかる!」

「気温二五度における音速は秒速三四六メートルで、落下音の遅延は一六秒だった。よって目的地までは五・五キロだ」

「森林公園なら、こっちからだ!」


 後ろの志津がしっかりと掴まっていることを確認して、夏生は道を直角に曲がった。


 地元民だけが知る柵の切れ目から公園の中へと入ってゆき、サイクリングロードをそのままバイクで疾走する。


 丘をひとつ登りきったところで、前方に赤く染まる森が見えてきた。


 芝と草花に覆われた丘から、木々の生い茂る森に向かって、植物が緩やかに代わってゆく。


 その境目から、大地に刻まれた溝が始まっていた。

 土が深々と抉られて、溝がまっすぐにできあがっている。川幅くらいある溝は、木々をなぎ倒しながら森の奥へと繋がっていた。


 空から落ちてきた物体が、削り取っていった痕だった。


 夏生はバイクを止めた。

 自転車二台もそこで止まる。


「ほら。志津。しっかりして」


 大鉄の自転車から飛び降りた真琴が、志津に手を貸してリアシートから下ろしてゆく。


 ヘルメットを外されるあいだも、志津はぼうっと立ったままだった。

 だがその顔と瞳は、コンパスの針が北を指すように、森の奥へとまっすぐ向けられている。


 バイクと自転車とをそこに残し、サイクリングロードから外れて、残りは徒歩で現場へと向かう。


 森がはじまる場所までゆくと、溝の向かう先が、だんだんと見えてきた。


「いこう」


 夏生は皆の先頭に立って、森の中へと踏みこんでいった。


    ◇


 溝が終わる地点までは、歩いて数分ほどかかった。


 森の中だというのに、そこには平地が広がっていた。

 周囲の木が放射状になぎ倒されていて、開けた空間が作られている。


 まだ燃えている生木を避けて、夏生たちは広場の中央に立っていた。


 火事場の跡にでも立ったなら、こんな感じがするのだろう。

 熱を持った空気があたりに立ちこめていた。生木の焼け焦げた匂いが鼻を刺激してくる。


 大地に深く刻まれた溝は、先に進むにつれて、だんだんと深さを増していた。

 その一番深くなった終点に、落下物体は存在していた。


 川幅ほどもある巨大な物体が、なかばまで地中に没している。

 周囲の木々には、まだ炎が残っている。それが明かりとなって、夜の暗闇が遠ざけられている。


 半分以上が地中に没していてなお、落下物体は夜空の半分ほどを切り取っていた。


「でけえ……」


 ゆるく丸みを帯びた形状が、土の上に盛りあがっている。

 球体に近い物体で、その半分以上が地面の中に埋まっているらしい。


「春日――」


 秋津の声がする。

 うかつにも夏生は、身内に透視能力者がいることを忘れていた。


「それが、なんだか変でさ……、中がうまく透視できないんだけど。なんでだろ?」

「外側の大きさでいい。あと形状を視てくれたまえ」


 秋津が訊くと、真琴は手を伸ばして、指先で計る仕草をした。

 開いた指をそのままに、地上に生えている木に持ってゆく。


「直径が……、木の高さでいうと、二本ぶんくらい? 三十メートル? かたちは球っていうか、ちょっと上下に潰れたドロップ飴の形かな」

「おかしい。それほどの大きさの物体が宇宙から落ちてきたなら、落下地点の被害がこんな程度で済むはずがない。これでは航空機が墜落した程度の規模だ」

「宇宙から落ちてきたとは限らないだろ? たとえば……、飛行機から外れて落ちてきたとか」


「いや。これは大気圏外からやって来たはずだ。そうでなければ、大気との摩擦で燃えているはずがない。――春日。後方に羽根か翼のようなものはあるか?」

「あ……、うん。地面の下のほうだけど、ふたつ……、羽根っていうか、角っぽいカタチのが生えてるけど」

「ドロップ型で、安定翼が二枚――揚力体か。なるほど」


 なにかにうなずいている秋津をよそに、夏生はそこらを歩いていた。

 なにかの破片らしき黒い塊を見つけて拾いあげる。


 落下物体の一部なのだろう。

 夏生は手にした物体をよく見つめた。その黒い破片は、どう見たって――炭であった。


 力をこめて握ってみると、ぱくっと砕けた。


「これ……、炭だぞ」


 夏生は顔を上にあげた。

 家ほどもある真っ黒な落下物体は、ところどころで赤い光を残している。

 夏生は唐突に理解した。


 燃え残った炭なのだ。

 家よりもデカい炭の塊がくすぶっているのだ。

 そんなものが宇宙から降ってきたのだという。


 さらにもう一つの理解が、不意に閃く。


「でっけえ炭……、てことは、燃える前は、……木ぃ?」

「木製の大気圏突入カプセルだと? ――非合理な」


 秋津が洩らした言葉が、夏生の耳にも届いてくる。


「カプセルって? これがか?」

「そうとしか考えられない」

「じゃあ、中に誰か入っているっていうのか?」

「そうとは限らない。ではなくかもしれない」

「……しず? あっ――、志津。ねえ志津が」


 真琴の声が夏生を呼ぶ。


 志津が正気に返ったようだった。

 しきりにまばたきを繰り返しながら、きょろきょろと周囲に目を向けている。


「ここ……、どこですか?」


 志津はそう言った。

 さまよっていた目が、夏生たちの前にある巨大な物体で止まる。


「これ……、なんですか?」

「UFOだよー」


 小鉄が言う。


「宇宙人の宇宙船なのー」


 自慢でもするように、再び言う。


「拾ったからボクたちのものー。すくなくとも一割はー」


 にっこりと微笑んで、唄うように付け加える。


「う……、うちゅうじん……」


 志津はつぶやいた。


「宇宙人って――! なんですかあぁ」


 声は悲鳴へと変わってゆく。


「かっ――帰りましょう、いますぐ!」


 志津は夏生に飛びついてきた。両手で大胆にも自分から手を握りしめてくる。


「いや。そんなこと言ったって」

「でも! でもでもっ――! 良くないことが起こる気が――」

「いや。でもだって。志津がここにおれたちを連れてきたんだってば」

「えっ――?」


 志津は絶句した。


「じゃあ……、さっきの……、声って……、あれ、呼んでたのって……」


 おそるおそる目を向けた先にあるのは、黒くそびえ立つ巨大な物体であった。


「あの女の子に……、わたし、呼ばれて……」

「あの――って、あの夢の娘か?」


 夏生が訊くと、志津はきっと強い目を一瞬向けてきた。そしてすぐにそっぽを向いてしまう。

 沈黙がなによりも雄弁に肯定していた。


「そっか……」


 夏生は落下物体に近づいていった。

 だが盛りあがった土砂にすぐ行く手を阻まれる。


 地面の下から掘り出された岩石がごろごろと転がる斜面は、いつ崩れ出してもおかしくない状態で、とても登れるようなものではない。


 ――が、PKサイコキネシスの応用だ。


 不安定な足場を念動力で強引に固定して、夏生は岩づたいに登っていった。

 自分が乗っている間だけ、足場の岩を念動力で支えておけばいい。


 上まで登りきると、落下物体の表面が目の前にきた。


「本当に……、いるのか?」


 ぼろぼろに炭化した表面が、手で触れられる距離にある。


 右を向いても左を向いても、燃え残って平らになった表面が、かわりばえもせずに続いている。

 どこも黒く炭化していて、元がどんな状態であったのかわからない。


 これが乗り物であるとして――。

 入口らしき場所は見あたらなかった。半分ほど地面に潜ってしまっているから、そこにあるのかもしれない。


「どうしたら、いいんだよ……」


 夏生は伸ばしたその手で、物体にそっと触れていった。


 表面は炭の感触そのままだが、内側からは固く詰まった手応えが返ってくる。

 大気圏を越えてきたというのだから、きっと物凄い熱にさらされてきたのだろう。

 それでも中にあるかもしれないは無事だったはずだ。


 ぴしっ――と。


 上下に亀裂が走り抜けた。

 夏生の触れている場所を中心に、上から下まで、縦に一本の線が走っている。


「う、うおっ――」


 夏生は一歩後ろに下がった。


 それから思い直して、ふたたび近づき、もういちど物体の表面に手をあてた。


 ぴしっ。びしびし。みきっ。


 生木が裂けるような音とともに、亀裂が左右へと広がってゆく。

 炭化した表面のすぐ内側には、新鮮な木の色がのぞいている。


 裂け目はさらに広がっていった。木の割れる音は、やがて轟音となって響くようになる。


 裂け目は数十センチにも広がり、やがて一メートルにも達するようになった。


 そして内側から、光が漏れはじめる。


 暖かで、そして神々しい光であった。

 金色に染まる光は目も眩むほどのまぶしさだったが、夏生は光の中に目を凝らした。


 人影が――そこにあるような気がする。


 気のせいではなかった。たしかに人影があった。

 光の中を近づいてきた人影は、夏生の前に立った。まばゆい光の中から、手が伸び出してくる。


 夏生は動かなかった。


 二本の手に頬が挟みこまれる。

 優しい感触だった。たおやかな手だ。少女の手であった。


 手につづいて、彼女の体が光の中から抜けだしてくる。


 全身に光の粒子をまとわせた彼女は、夢で見た通りに――いやそれ以上に美しかった。


 ほっそりとした肢体を半透明の薄衣が覆っている。肌の内側から光が漏れだしてきていて、なにも身につけていないかのようだ。


 金色の光には暖かさがあり、生命そのものの輝きに思えた。


 夢見るように半眼に開かれた目が、夏生に向けられている。

 だが夏生には彼女が自分を見ているのかどうか自信を持てなかった。

 彼女のまなざしは自分を見ているようでいて、ほかのなにかを視ているようでもある。


 その唇が動く。


「………、………、……」


 言葉は聞こえてくる。だが意味はわからない。


 夢の中とは違う。


 これは現実であり、彼女は本物であった。

 いま目の前にいて、夏生の頬に手をあてている彼女は、確かに夏生に向けてなにかをつぶやいている。


 だが流れ出てきたのは、どこか異国の言葉だった。

 夏生の耳が聞いたことのある地球のどれとも違っていた。きっと違う星の言葉なのだろう。


「ごめん。わからないよ」


 夏生は言った。

 通じるかどうかはわからないが、首を横に振ってみせる。


「………、………、……」


 彼女はふたたび同じ言葉を繰り返す。


「なにが言いたいんだ? 君はなにを言うためにここに来た?」


 夏生が一歩前に詰め寄ったとき――。


 彼女の背後から届いていた光が、急激に弱まりはじめた。


「え? お、おい……?」


 物体内部からの光が弱まるにつれて、彼女自身の光も消えてゆく。

 急速に生気を失っていった彼女は、立っているのもおぼつかなくなり、ふらりと、夏生に向けて倒れこんできた。


 夏生は少女の身体を抱きとめた。

 軽い身体だった。


 首筋に彼女の頭が乗っている。

 少女の胸と、夏生の胸とが合わせられている。


 首筋にかかる息で彼女の呼吸を感じ、胸に伝わってくる鼓動で心臓が動いていることを知る。


 夏生はひとまず安心した。


 そして自分自身の鼓動も知る。

 ばくばくと恥ずかしいほどに打ち鳴らしている。


 下のほうから、夏生を呼ぶ声がしていた。

 ずいぶん前から呼ばれていたのだろうが、それがいま、ようやく耳に届いてくる。


「いたよ……」


 少女を抱きとめたまま、夏生は振り返った。

 下にいる仲間たちにむけて、叫び声を張りあげる。


「いたよ、いた! いたぞおぉぉ!」

「わかったからー! ――おりてこーい!」


 真琴がぐるぐる腕を回して叫んでくる。


 腕の中の少女は目を閉じたままだった。

 意識を失っているというよりは、眠っているように見える。


 その眠り姫の背中に、夏生は片腕を回していった。もう片方の腕は膝の下側に通す。


 ひょいと、たいした力をこめずに、彼女の体は持ちあがった。

 しかし抱きかかえたまま下りてゆくのは、足下が見えなくて大変だった。


「お姫様、見せて見せてー」


 待ちかまえていた真琴が、さっそく飛びついてくる。


「うっわー、かわいー、手足ながーい、肌白ーい、頭ちっちゃーい」

「なんだよその姫っての」

「ちがうよ桃太郎だよ」

「いーや。竹割って出てきたんだから、かぐや姫。――だいたい桃太郎って、それ女の子でないしー」


 真琴と小鉄の会話から、なんのことやら、だいたいわかった。

 しかし、彼女が出てきたものは、桃でもないし竹でもないし。


 夏生は振り向いてみた。


 少女を運んできた物体――秋津の言うところの『大気圏突入カプセル』は、表面は黒焦げになっていたものの、二つに裂けたその場所から、真新しくて白い断面を見せている。


 少女はその中に入っていたのだ。

 しかし――、どこに?


 部屋もなければ通路もなかった。

 真っ二つに裂けた木材の断面があるばかりだ。


「夏生君……」


 志津の声がした。

 皆から一人離れて遠巻きにしている志津が、じっとこちらを見ている。


「志津、たのむ」


 夏生は志津を呼んだ。


 少女の着ている服は、不思議な生地でできていた。

 薄くて半透明で――つまり、体の線が透けて見えてしまうのだ。


 夏生はなるべく見ないようにして、やってきた志津に彼女を預けた。

 少女の軽い体でも、女の子の腕力では持てあますようで、受け止めた志津は大きくよろけていた。


「宇宙人というのは、人間そっくりなものなのだな」

「調べてみたいとか言うなよ」


 男同士で固まって、夏生は秋津にそう言った。


 しっしっと、真琴に手で追い払われている。

 追い払われているのは、秋津も大鉄も、同様である。


「だが美的基準まで合致するとは……。平行進化としても行き過ぎている」

「おまえはどうして、そういうもってまわった言い方をするかな。綺麗だ――って、素直にそう言えってんだ」

「私が言っているのは――」

「……可憐だ」


 大鉄がそう言って、話の腰をへし折った。


「さて――」


 夏生は、秋津に言った。


「――夢の中の女の子に出会ったぞ。どうする。これから何が起きる?」

「わからない。彼女が目覚めないことには」

「とりあえず。寮にお持ち帰りしちまおう。うまいことに夏休み中だしな」


 まともに考えるなら、(たぶん)宇宙から落ちてきた、(きっと)地球人ではない女の子は、警察か消防か、さもなければ自衛隊になるのか、しかるべきその筋の大人に預けるべきなのだろうが――。


 そんなことは、これっぽっちも考えなかった。


 それではおもしろくない――というのは、不真面目な理由。

 彼女が自分たちを訪ねてきたから――というほうが、真面目なほうの理由。


「さーて、おもしろくなってきやがったぞー」

「少なくとも、退屈はしそうにないな」

「……可憐だ」


 夏生は言い、秋津はうなずき、大鉄はまだ帰ってきていない。


 そろそろいいだろうか。

 夏生が振り向きかけた、そのとき――。

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