第2章「宇宙からの姫君」
束の間の日常
雲ひとつない青空のもと、白いシーツがはためいている。
真夏の日差しを浴びた芝生が、命の輝きを放っている。むせるような草の息吹が物乾し場には満ちていた。
いくつものカゴを足許に並べて、志津はせっせと洗濯物を干していた。
物干しの長いポールに洗濯物を整列させてゆく。
普段であれば取り合いになる物干し台を、たった一人で占有することができて、志津はささやかな幸せを満喫していた。
洗濯物を取り出しては干す。よどみなく流れていたその手が、不意に止まる。
カゴの中から取りだしたシャツが、夏生がいつも着ているものだと気がついたのだ。
志津はしばらくの間、硬直していた。
しばらくしてから、ぎこちなく動きはじめる。
右を見て、左を見て。あたりに人の姿がないことを何度も何度も確認する。そして夏生のシャツを、ぎゅっと胸元に抱きしめた。
と、そのとき――。
「志~津っ♡」
シーツの陰から、ひょっこりと顔が現れる。
「まっ――、真琴っ」
わたわたと志津は慌て、シャツを後ろ手に隠し持った。
「なに? どしたの?」
「ううん。なんでもない」
志津はふるふると首を振って返した。
真琴はいつものように笑っていた。
夏休み中なのに制服を着てきていて、リボンを嫌ってポロシャツ派で――。
制服を着てくるその理由が、「持っている服の中でいっちゃんカワイイのが制服だから」というものだということを、ひとり志津だけが知っている。
急いで作った笑いのかわりに、柔らかな笑みが志津の顔に浮かんでくる。
「なにこの量? 志津ってそんなに溜めこむ人だったっけ?」
志津の足下に並ぶカゴの列に、真琴が感心した声をあげる。
洗濯機三台分の洗濯物は、六つのカゴを溢れかえすほどの勢いがある。
「みんなのぶんも、あるから」
「みんなって、秋津君と、あと夏生ぉ?」
「うん。みんな」
「なになにそれー。ダミーでわざわざ秋津君のぶんまでえ? ご苦労なことで――」
「そんな、ダミーだなんて……」
〝みんな〟という部分を特に強調したのだが、親友にはすっかりお見通しにされてしまっている。志津は後ろ手に持ったシャツを揉みたてて、皺まみれにしていった。
「だけどさ。名前で呼ばれるようになってから、その先、進展ないよねー」
「そんなことないよ。いつもご飯食べてもらっているし、今日はこうしてお洗濯させてもらっているし」
志津は遠くを見る目をした。
自分では気づいていないが、その声がうっとりとしたものになる。
すっかり恋する乙女顔である。
真琴はそんな志津を見ながら、眉根を揉みこんだ。ひとしきり揉みほぐしたあとで、親友に言ってみる。
「……なんであんなのがいいわけ?」
「えっ?」
夢のなかにいる顔で、志津が訊いてくる。
真琴はもう一度言った。
「夏生なんかの、どこがいいの? そういえば訊いたことない」
「……夏生君って」
小さな声で、志津は言う。
真琴はぐぐっと近づいて、耳をそば立てた。
「……自由そうだから」
「は?」
それきり、志津は赤くなってうつむいてしまう。
あたし、テレパシー、ないんですけど――真琴は思うが、追及はそこまでにしておく。
「いやまあ……。あんたがそれでいいっていうなら、それでいいんだろうけど……」
意味はわからないなりに、真琴はそれで済ますことにした。
志津は東北のほうから、進学校でもないこんな学校に、わざわざやってきて寮生活をやっている。
そして夏休みになっても実家に帰ろうとしない。
親友の自分にもまだ言えない、なにかの理由があるのだろう。
「でも真琴ちゃん」
ようやく現実に帰ってきた顔で、志津が言う。
「引き受けてくれて、ありがとう。てっきり断られるかと思ってた。感謝してる」
志津が言ったのは、夏生との仲を取り持ったということだった。
クラスメートであるという以外、なんの接点もなかったところから、名字でなく下の名前で呼んでもらえるだけでなく、彼の食事を作り、彼の服を(その他のダミーとともに)洗えるようになったことは、偉大なる前進であった。
寮に残った夏生のところへ真琴が押しかけ、そこへ志津も食材持参で加わり、得意の手料理の威力をもって、うやむやのうちに友人関係にもつれこむ――というのが、真琴の立てた作戦のあらましであった。
その第二段階としては、友人以上恋人未満へとなだれこむ『めざせ!初デート作戦』も用意されていたわけだが、洞窟探検から超能力開花へと繋がる一連のアクシデントのおかげで、現在は保留中である。
「いやいやいや……」
照れ笑いを浮かべていた真琴だが、志津の口にした言葉の後半がふと気になって、問い直す。
「……でも断られるって? なんで?」
「真琴ちゃんって、ぜったい夏生君と付き合っているんだと思ってた。わたし」
「あたしが? 夏生とぉー? ――ないないない」
軽い感じに手を振ってくる真琴を、志津はじいっと見つめる。
「夏生とは、ただつるんでるだけでー。それも単に気が合うってだけでー」
そのことがどれだけ大きなアドバンテージとなるのか、真琴はなんの自覚もなく話している。
志津は話しつづける真琴から、そっと目を離した。
「秋津君も、何考えてるかわからないとこあるけど、いいやつだし、おもしろいしー、色々知ってるし、なんだってできるし。夏生はやんちゃって感じだけど、秋津君は頼りになるって感じだよね。夏生のほうがいいっていう志津、わるいけど、ほんと、わかんない。紹介してって志津が言ってきたとき、てっきり秋津君のほうだと思ったさー、あたしは。――って、ねえ聞いてる?」
「うん」
志津は止まっていた手を再開させた。
握ったままだったシャツの皺から、まず引き伸ばしにかかる。
真琴はしばらくそこにしゃがみこんで、手伝うでもなくただ眺めていた。
退屈してきた頃合いになって、ふと顔を持ちあげる。
目に入った寮の建物の二階の部屋が並ぶあたりを、なんとなく見つめているうちに、その目が、きらーんと輝きを放つ。
「あ。夏生のやつだ。――練習してる」
見えるはずがないものを視て、そう言ってくる。
「しずー」
名前を呼ばれる。
志津は手を止めずにうなずいた。真琴が次に何を言いだすのかは、すでにわかっていた。
「じゃあちょっくら、行ってくらー」
真琴が立ち去ったあとも、志津は同じように洗濯物をカゴから取り出しては干すという作業を続けていた。
人の心を読める――というのが、志津の持つようになった能力だ。
なるべく使わないようにしているのだが、いまさっきの真琴がなにを言いだすかわかってしまったように、無意識で読んでしまうことがある。
志津は怖かった。
こんな力を得たことを喜ぶ気には、とてもなれなかった。
あれから数日が経つが、夏生や真琴は練習をして、備わった能力に磨きをかけようとしていた。志津自身は、そんな気にはとてもなれない。
しかし哀しいかな。
この力が志津と夏生とを繋ぐ唯一の接点でもあるのだった。仲間として扱ってもらえるための――。
《――て》
志津は手を止めた。
誰かの声を聞いたような気がしたのだ。
《――て》
再び同じ繰り返しがあり、志津はのろのろと顔を空にあげた。
声はそこから聞こえてきたような気がしたのだ。
志津は顔を硬くして待っていたが、それきり――もう聞こえてくることはなかった。
◇
カラスが鳴きながら、赤く染まった方角へと帰ってゆく。
妹に手を引かれながら、大鉄は道を歩いていた。
その足はひどく重たく、小鉄に引っぱられていなければ立ち止まっているところである。
「ほらー。アニキはやくー」
「うむ」
普段であれば、小さな妹を肩の上に乗せて駆けてゆく道である。
しかしここ最近、大鉄の足は重たくなっていた。
妹を巻きこみたくはないのだ。
しかしその妹が、こうして毎日のように夏生たちのところに通っている。「アニキいくよー」と命じられたなら、大鉄に逆らう術はない。
大熊家の男子たるもの、女性の命令は絶対である。
女性とは、守らねばならないものであり、従わねばならないものであり――男子たるもの、そのためにこの世に生を受け、日々己を鍛えているのである。
妙な力と妙な印が、自分にだけ現れたのなら、べつにかまわない。
だが印のほうは妹にも現れている。いまはまだ何の力も示していないが、いずれなにかの力が開花するのかもしれない。妹もそれを望んでいる。
毎晩、夢を見る。
起きると漠然とした印象しか残らないが、なにか少女が出てくるということだけは覚えている。
夢はだんだんと鮮明になってきているようであった。
とくに昨夜の夢は鮮明で、目が覚めたあとでも少女の顔を覚えているほどであった。
今夜こそ、彼女が何を言ってきているのか、聞き取れるような気がする。
少女は何かを訴えかけてきていた。
無論、大鉄としては、その願いがいかなるものであろうとも、聞き届ける所存である。
大熊家の男子たるもの、女性のお願いは絶対である。
「アニキー、自分で歩けー!」
「うむ」
手を引かれて歩いているうちに、もう寮の建物が見えるところまで来てしまっていた。
大鉄の足はさらに鈍くなり、ついには完全に止まってしまった。
前のめりになって小鉄が手を引くが、その巨体はびくともしない。
このまま引き返そうかと、出来もしないことを大鉄が考えていた、その時――。
風に乗って、いい匂いが運ばれてくる。
「あっ! 今夜はカレーだ! ほらアニキ、はやくはやくー!」
「む」
大鉄の足が動いた。
妹を巻きこみたくはない。――がしかし。
カレーは大鉄の大好物なのだった。
◇
「おなかがすいた~♪ カレーはまだか~♪」
欠食児童どもが、空の皿をスプーンで叩いて、伴奏付きで唄っている。
小鉄と真琴の二人であった。
キッチンにこもった志津は一人で忙しそうにしている。
「やかましい。そんなに言うなら手伝ってこい」
じっと座って待っていた夏生は、腕組みを解いてそう言った。
「いや。ほらっ。あたし、あれだから」
「あれってなんだよ」
「夏生こそ、ただ座ってるだけじゃない。手伝ってくれば?」
「いや。ほらっ。おれ、あれだから」
「あれってなによ」
笑われてしまった。
寮での生活をしていると、掃除や洗濯などは否応なく覚えることになるが、食事のほうは機会がない。
普段は寮食のおばちゃんがすべてやってくれている。
この夏を本気でカップ麺だけで過ごすつもりでいた夏生である。
「もうすぐ、できますからね」
ちょっとだけ顔を出してきた志津は、割烹着姿に三角巾と、昭和のおかあさん風にえらく重装備な姿だった。
誰も手伝わない(手伝えない)ので、たった一人で大変そうである。
あの日から、夏生たちは日に一度は顔を合わせるようになっていた。
特に示し合わせたわけではなく、真琴と大鉄&小鉄とが、毎日毎日毎日、タダ飯を喰らいにやって来るのだった。
「今日、秋津君は?」
空席を気にして、真琴が言ってくる。
「また図書館じゃねーの?」
「なんで知らないのよ?」
「おれはあいつのマネージャでねえし」
「秋津君なら、訊けば、なんでも知ってるよ。夏生のこと」
「げ」
夏生は顔をしかめた。
ユニットの片割れが唄うのをやめたため、暇をしていた小鉄が、スプーンを手に難しい顔になっていた。
「どした? 小鉄?」
「まがんないよう」
「こうか」
夏生は小鉄の手にあるスプーンを、くいっと曲げてやった。
日々の練習のおかげで、念動をだいぶ使いこなせるようになっていた。
「こうだな」
なにを張り合っているのか、大鉄も自慢の怪力でスプーンを曲げている。
「手で曲げてたら芸でもなんでもないだろ」
「ならこうだな」
まぶたに挟んで曲げにかかる。
曲げて折って畳んで、金属のボールにしてしまう。げっそりとなって夏生は視線を外した。
「できましたー」
大きな鍋を抱えるように両手で持って、ちょうど志津が入ってくるところだった。
右手がウシで、左手がカエル。動物柄のMY《マイ》鍋掴みが可愛らしい。
「しずー。スプーン曲げちゃったよ。このふたり」
「いけません」
「ごめんなさい」
「申し訳ない」
おかあさんに怒られてしまったので、夏生は曲げてしまったスプーンを念動を使って元に戻した。
大鉄のほうが丸めてしまった金属のボールのほうも、スプーンらしき形になるべく戻す。
食を
「秋津君からは、先、食べていていいって、メールもらっていますから」
そう言いつつ、志津は人数分の大盛りライスをよそいはじめた。
富士山を四つ作りあげてから、最後にこじんまりと自分の分を盛る。
「あいつの携帯、そこに出しっぱなしだぞ?」
夏生はテーブルの隅を首で示した。
「でもメール……、携帯からのアドレスになってますよ。これ」
割烹着を脱いで席に着いていた志津が、首ストラップの紐をずるずると引いて携帯を取り出してくる。
なんと胸の谷間の奥からだった。
あんな場所にしまいこまれて、圏外になってしまわないのだろうか。
「秋津君、電波聴くだけじゃなくって、電波発信できるようになってたり」
「まさか」
真琴の言葉に、夏生は即座に切り返した。
だんだん凄い能力に思えてきてしまって、ちとやばい。地デジもダブルで録画出来たりするのだろうか。
それきり、会話がなくなる。
皿と口とのあいだで、誰もが黙々とスプーンを行き来させている。
おかわりは早い者勝ちがルールである。生存競争の掟である。
競い合うようにして何杯目かのおかわりを盛りつけたとき、秋津の姿がラウンジに入ってきた。
「よっ」
スプーンを口にくわえて、夏生は手を振った。
高校生らしくない本革のブリーフケースをテーブルの上に滑らせて、秋津は優雅に椅子を引いて席についた。
ネクタイを三ミリばかり緩める。
「また図書館めぐりか。毎日飽きねーな」
「いや。今日は大学へ行ってきた。知り合いのいる研究室からでないと、アクセスできない論文があったもので」
冷やかしたつもりが、ぐうの音も出ないほどに返される。
自分の幼稚さを思い知らされて、夏生は黙らされた。それでいて秋津は自覚もないに違いない。
「なに調べてきたの? ……超、心理学?」
ブリーフケースの中身を透視しているのか、真琴がそうつぶやいた。
夏生もそうだが、最近、ごく普通に超能力を使うようになってきている。
「たいした成果はなかった。超能力を学問として扱う学会があることは知っていたが、いざ論文を見てみれば、とんだ似非科学だった。まず超能力の実在から疑ってみるのが、人類の構築した科学の体系というものではないか。それがどうしたことか。超能力が実在するという前提でしか成り立たない机上の空論を重ねるばかり。砂上の楼閣も甚だしい」
秋津にしてはめずらしく、声に感情がこもっている。
夏生は言った。
「そうか。つまり無駄足だったんで、腹が減って腹が立ったと。――カレー食え」
「ん。いただこう」
志津がライスを多めに盛りつけてゆく。
真琴がなにか尊敬するような眼差しを夏生に向けてくる。
疑問を視線にこめてやると、なにか、ぷるぷると首を振ってカレーに戻った。
「でも超能力ってのは、実際に存在するわけだろ? 現に――こうして」
夏生は秋津の前にコップを置いた。
水差しを傾けて氷水を注いでやる。――ただし念動を使って。
「SF小説や、映画や漫画をあたったほうが、よほど成果があったよ」
食べはじめた秋津は、時折手を止めては口を開いてきた。
一口食べるたびに水に手を伸ばしている。
秋津が甘口でないとだめなカレーの王子様であることを、ひとり夏生だけが知っている。
「ごめんなさい。辛口は、夏生君の好みなので……」
ここにひとり例外がいた。
「いや。……問題ない」
空腹がまぎれると、秋津の声はいつもの穏やかさを取り戻した。
めずらしく人間らしいところを見せている。
「ところで夏生。ひとつ言っておくが、私が辛いものを避けているのは、苦手だからではなく、過剰な刺激物は余計なストレスになって脳細胞を破壊するからだ」
「ああ。そういうことにしておこう王子様。――で、超能力のことを調べてきたんだろ?」
夏生はスプーンを振って催促した。
「ああ。まず超能力の系統からいこうか。基本的には二系統がある。知覚する能力と、働きかける力だ。前者はESPと呼ばれ、後者は広義でPKと呼ばれている。それぞれ、|Extra Sensory Perceptionと、Psychokinesis《エクストラ・センサリー・パーセプション》の略称だ」
秋津はまた水を飲み、続けた。
「知覚する能力のほうは、春日と冬野だな。そして働きかける能力のほうは、夏生と大熊、そして私ということになる。――ここまでで、なにか質問は?」
はいはいはい、と、手とスプーンとがあがる。
「では春日」
「エスパーって、いったりするよね? あれってESPが使える人のこと? だとすると、夏生はエスパーにならないの? その――〝働きかける力〟ってほうになるんでしょ? 念力っていうのは」
「いや。日本では特に区別せず、超能力者全般のことをエスパーと呼んでいるらしい。これは日本独自の方言であり、英語文化圏ではスキャナー、もしくは、単にPSI《サイ》と呼ばれる」
「ふーん……」
「はいはいはい」
「はいは、一回でよい。――夏生」
「おまえのって、電波聴くだけだろ。働きかけるほうじゃないだろ。聴くほうだろ」
「いや。そうでもない」
含みを持たせて、秋津は、にやりと笑った。
次いで、小さく手を挙げている志津に目を向ける。
「――冬野?」
「あっ。……やっぱり、いいです」
彼女は皆の顔色を伺って、その手を下げてしまう。
そのあとで「こんど甘口もべつに作ります」と小さく口にしたが、ひどいことに、秋津に無視されていた。
「では最後に大熊・妹――。君の能力がいつ目覚めるか、それは私にはわからない。予知能力者でもいれば、わかったかもしれないが」
最後まで頑張って手を挙げつづけていた小鉄だったが、質問を口にすることもなく片付けられてしまった。
「夏生、春日、冬野。――君たちの能力は超能力としてスタンダードなものだ。それに対して、私と大熊・兄の能力は、簡単に分類できるようなものではないらしい」
「アニキすごいんだって。ほめられてるよ」
ぜんぜん話を聞いていなかったらしい大鉄は、妹に言われて、ようやく顔を皿からあげてきた。
「私の場合、この能力は、どうも磁場を操る能力であるらしい」
「うそつけ。電波人間だろ」
「電波とは電磁波のことであり、電磁場とは、電場と磁場の相互作用によって伝搬してゆく波のことだ。磁場が生まれれば電場も生まれる。よって磁場を操作する能力は、電磁場も同様に操れることになる。――わかるか?」
「ぜんぜん」
「……夏生。物理Ⅰでやったろう。一学期末の試験範囲のなかにあったはずだが」
「だからぜんぜん」
「大鉄君のほうって、怪力と違うの?」
真琴の質問に、秋津は眼鏡を指先で直した。
「それについては、私は一つの仮説を持っている。彼の能力もまた、超人的な筋力という単純なものではなく、なんらかの統一原則に従っているはずだと。そして我々全員の能力に関しても、また一つの仮説を持っている。ただしそれには、現時点で欠けている、あと一つのパーツを確認しないことには――」
と、秋津がそこまで口にしたときだった。
突然、寮の建物全体が鳴動をはじめた。
「夏生。やめて。話の途中」
「おれじゃねえよ」
決めつけられて、夏生はむくれた。
揺れが足下から伝わってくる。
古い寮舎なので、軽い地震でもよく揺れる。
それどころか強風でさえ揺れる。
寮の住人である夏生たちはとっくに慣れっこになっていて落ち着いたものだが、通学組の真琴は不安げな顔で、ぎしぎしいっている壁や天井に目をさまよわせている。
だが、五秒、十秒と続くうち、夏生たちも異常を覚えるようになった。
ラウンジの隅でつけっぱなしになっていたテレビの画像が乱れた。
沸き上がったノイズにまみれて映像が押し流されてゆき、音声もぷつぷつと何度か断続した後で、完全なホワイトノイズと化してしまう。
「やめろ。電波人間」
「私ではない」
震動はますます強くなっていった。
テーブルの上の物体が細かく跳ねあがって動いてゆく。
「きゃっ」
志津と真琴が二人してテーブルを押さえにかかる。
そのテーブル自体も床の上を跳ねて移動している。二人は押さえているのか、それともしがみついているのか、どちらともつかない有様だ。
「あれっ! ――あれ見てっ!」
真琴の声があがった。天井の一角を指し示している。
「見えねえって――!」
夏生は窓際に飛びついた。
まず目に入ってきたのは、暗くない夜空であった。
校庭に何本か生えている木が、空からの光を受けて、濃い影を地面に投げ落としている。土の地面にくっきりとした影を作るほどの光源が、上空にあるのだ。
影がぐるりと回った。空にある光源は高速で移動していた。
「なんだよ――!?」
夏生は窓から身を乗り出した。
巨大な火の玉が、はるか上空を飛んでいた。
火球は黒い煤の尾を長々と曳きながら、頭上をゆっくりと越えてゆく。
「なんなんだよ!?」
夏生は叫ぶが、その声も轟音にかき消されてしまう。
火球の向かってゆく西の空は、夕焼けが薄く紫色を残していた。
その空と地上との境界線上に、火球は落下した。
光が弾けた。
地平の向こうで火の粉が跳ねる。
地響きと轟音とは、光よりだいぶ遅れて――十数秒も経ってから響いてきた。
「な……、なんだ? なんだなんだ! なんなんだ!?」
「隕石だな」
夏生と同じ方角を見て、秋津が言ってくる。
「落下音の遅延は十六秒か……。落下地点は、数キロ先だな。わりと近いか」
秋津の声は、こんな時でさえ冷静に聞こえた。
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